よりどりインドネシア

2022年12月24日号 vol.132

ラサ・サヤン(38)~ローカルコスメ~(石川礼子)

2022年12月24日 14:43 by Matsui-Glocal
2022年12月24日 14:43 by Matsui-Glocal

●メナード化粧品はマナドから?

17世紀後半、オランダ東インド会社は、現在の北スラウェシ州の州都マナドに砦を作り、以降多数のマナド住民がオランダ人宣教師によってキリスト教徒になりました。そして、オランダ人やポルトガル人との混血も進み、インドネシアでも美男美女が多い地域とされています。

そのため、日本のメナード化粧品は、同社の創始者がマナドを訪問した際に美人が多いことに感動し、マナドにちなんでメナードと名付けたと聞いたことがあります。しかし、詳しくネット検索してみると、実はそれはインドネシアだけで語られている「都市伝説」であったようです。

私がインドネシアに来た30年前は、手頃で良質な化粧品は手に入らなかった時代です。裕福層の人たちはシンガポールなどの旅行先で海外ブランドの化粧品を買い求めていたのではないでしょうか。当時、ローカルコスメはいくつか有りましたが、そのほとんどがお粉(フェイスパウダー)でした。1990年代初めは、ルルール(天然素材で作られたスクラブ)を顔に塗り、それが乾いて粉が肌に残った白い斑ら顔の女性たちがパジャマ(彼らにしたら部屋着でしょうが、どう見てもパジャマの装いでした)を着て近所や伝統市場を「ジャランジャラン」する姿が日常茶飯事でした。

それが今や、化粧品を含むインドネシアの美容業界全体の市場規模は2020年に69億5,400万米ドル(約1.03兆円)に達しています。調査基準が多少違うかもしれませんが、2020年の日本の美容市場規模は約1.4兆円ですから、すぐに日本の美容市場を上回ってしまう勢いです。

●海外コスメブランド

私が来イする前年の1991年に、ジャカルタのランドマークであるホテル・インドネシアのロータリー西側に、日本の百貨店・そごうがオープンしました。当時、1階の化粧品コーナーで売られていたのは、日本をはじめとする海外高級ブランドでした。コーセーやカネボウ、欧米のブランドだとクリニーク、エスティーローダー、ゲラン、クラランス、レブロンなどがあったような気がします。

基礎化粧品のSK-IIは2004年、資生堂は2014年にインドネシアに進出と、歴史はそう長くありません。近年、韓国化粧品の勢いが強く、Sulwhasoo(ソルファス)やLaneige(ラネージュ)が、そごうデパートの化粧品売り場にカウンターを構えるようになりました。現在では、数種類の国内ブランドを含む60以上ものコスメブランドがそごうデパートで購入可能となっています。

今年で創立32周年を迎えるインドネシアそごう(上)、2020年にインドネシアに進出したSEPHORAはフランス系の化粧品・香水専門店(下)。(出所)左右共に:https://www.indoindians.com/the-best-places-and-websites-to-buy-beauty-products-in-jakarta/

●老舗ローカル・コスメブランド

1970~1980年代に発売され、現在まで残っているローカルのコスメブランドの中で、メイクアップ製品(化粧水や美容液などのスキンケア製品ではなく、化粧下地、コンシーラー、ファンデーション、アイブロウ、アイシャドウ、アイライナー、チーク、口紅など)を現地生産するブランドの一例を紹介します。

1. Mark’s

Marks’は、1971年PT. Kimia Farma(国有製薬会社)により製造されたお粉で、1990年代には10代の女性を中心に一世風靡しました。今でも13,000ルピア(約123円)で販売されています。

(出所) https://www.hipwee.com/style/produk-kecantikan-jadul/

2. SariAyu(マルタ・ティラール)

創業者で会長のマルタ・ティラール女史は、アメリカの大学で美容について学び、インドネシアに帰国後、1970年にサロンをオープンしました。1977年にPT. Martina Bertoを設立。以降、化粧品の製造販売、スパや美容学校の経営など、インドネシアの美容業界に大きく貢献しています。

(出所) https://www.facebook.com/iklanjadul/posts/sari-ayu-1991/1475013929348542/

3. Mustika Ratu

ジャワ王家の子孫であるムリヤティ・スディビヨ女史が1975年に設立し、ジャムウ(伝統ハーブ)やメイク製品の製造販売を始めました。2000年には東南アジアや東アジア諸国へのスパ製品の販売およびフランチャイズ展開、そして2018年にはカナダ、米国、中国、イラク、ニュージーランド、ブルガリアなどの国々に輸出を積極的に拡大しています。

(出所) https://www.facebook.com/iklanjadul/posts/mustika-ratu-1985/1414323662084236/

4. Pixy(マンダム・インドネシア)

1969年にPT Tancho Indonesia Co., Ltd.としてインドネシアに設立、1987年に、“PIXY”(ピクシー)ブランドとして女性化粧品市場に参入。インドネシアに進出した日系化粧品メーカーでは最も歴史のある会社。1993年にはインドネシア証券取引所(IDX)に上場しました。

(出所)https://www.facebook.com/iklanjadul/posts/pixy-lady-1985/1337779663071970/

●現代ローカル・コスメブランド

1990年代後半から、ローカル・コスメブランドの急成長が目立つようになります。その筆頭が“Wardah”(ワルダ)です。バンドン工科大学(ITB)薬学部を1975年に卒業した創設者のヌルハヤティ・スバカット女史がシャンプーの製造を始めたことを起源として、1985年にPT Paragon Technology and Innovationを設立。1995年にハラル化粧品として“Wardah”を開発しました。1999年、“Wardah”化粧品は、インドネシア・ウラマ評議会(MUI)からハラル認証を取得し、「国内初のハラル化粧品」として、大きな話題を呼びました。

ハラル化粧品とは、アルコールなどハラム(イスラム教の教えで禁じられているもの)の物質以外にも、水銀やハイドロキノンなど体に悪い影響を与える成分も含まない安心・安全とされる原材料で作られた、ハラル認証を取得している化粧品です。

Wardahの広告(左)、「ハラル・グリーン・ビューティー(ハラル、自然素材、アルコール不使用、国内外のエキスパート、クルエルティフリー)」を企業理念としている。(出所)上:https://www.istyle.id/brandmall/Wardah/000000127062/main.do、下:https://www.wardahbeauty.com/

直近のデータでは、2021 年7月1日から 2022 年7月31日までの1年間に、ECサイト(ネット通販)のShopeeとTokopediaにおける “Wardah”化粧品の売上高はShopee、Tokopedia、BliBli.comでそれぞれ 3,800 億ルピア(約36億円)、500 億ルピア(約4.7億円)、250 億ルピア(2.4億円)となり、ハラル化粧品市場のシェア第1位となっています。2016・2017年には2年連続で国内のトップブランドに選出されましたが、それまでの道のりは平坦ではなく、インドネシアの消費者に受け入れられるまでに18年の月日を要しました。

コロナ以降、どの化粧品も店頭で試供される(肌に付けて試す)ことが難しくなったこともあり、カウンターで、ではなくECサイトで購入する消費者が断然多くなりました。その状況を商機に出てきたローカルコスメも少なくありません。

Emina、ESQA、Y.O.U Cosmetic、Somethinc、Dear Me Beautyは、この5年ほどの間に登場した新しいローカルコスメ・ブランドです。

現在のローカルコスメのマーケットシェアは以下のようになっています。

(出所)https://databoks.katadata.co.id/datapublish/2022/09/03/10-merek-kosmetik-lokal-favorit-masyarakat-3-punya-paragon

メイクアップ製品に関しては、かなりの数のローカルブランドが健闘していますが、スキンケア製品については、まだまだローカルブランドは遅れています。メイクアップ製品も、パッケージはかなり凝っていて、値段もお手頃価格ではありますが、素人の私でも色使いや、粒子の細かさ、クリームのテクスチャーなどは、海外のブランド品に比べると開発途上という感が否めません。

(以下に続く)

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