よりどりインドネシアhttps://yoridori-indonesia.publishers.fm/2024-03-08T06:52:42+00:00プラボウォ=ジョコウィ関係の行方:~選挙不正疑惑と新政権をめぐる二人の思惑~(松井和久)
2024-03-08T06:49:16+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28497/<p style="text-align: justify;">総選挙委員会(KPU)による開票確定結果の発表はまだ少し先だが、2024年10月20日に任命される正副大統領は、プラボウォ=ギブラン組でほぼ確実という情勢となり、インドネシア政治もポスト・ジョコウィを見据えた動きへとシフトしつつある。通常であれば、内閣も国会も残務処理の雰囲気が漂うのだが、今回は、10月までの8ヵ月の間に様々な動きが現れそうな気配である。</p>
<p style="text-align: justify;">どうしても大統領になりたかったプラボウォ国防相はこれまで、ジョコ・ウィドド(通称:ジョコウィ)大統領の長男ギブランを副大統領候補に就けるなどして、ジョコウィ路線の忠実な継承者を極端なまでに自認し、アピールしてきた。一方、ジョコウィ大統領は、自らが所属する闘争民主党(PDIP)や同党のメガワティ党首からの介入を嫌い、あらゆる方法で自身の権力基盤を築き上げてきた。プラボウォ国防相は大統領になるためにジョコウィ大統領に擦り寄り、ジョコウィ大統領はPDIPやメガワティの呪縛を離れるためにプラボウォ国防相を立てた。ジョコウィ人気を自党の得票増につなげたい政党はジョコウィ大統領に忖度し、大統領の推すプラボウォ国防相を支持した。正副大統領選挙終了まで、彼らの思惑は一致していた。</p>
<p style="text-align: justify;">しかし、プラボウォ=ギブラン組の当選がほぼ確実になった今、そろそろ関心はその後へ移った。ジョコウィ大統領は引退後もプラボウォ氏を実質上制御できるようにするためのポジション取りを始めた。プラボウォ=ギブラン陣営の支持政党は、新たな政権での閣僚ポストの獲得へ向けて動き始めた。どの政党がいくつ閣僚ポストを取るかは、国会議員選挙での獲得議席数が指標となるため、総選挙委員会(KPU)による議席数確定まで様々な駆け引きが繰り広げられる。</p>
<p style="text-align: justify;">本稿ではまず、今回の選挙で大問題となっている構造的かつ組織的で大規模な不正と票集計アプリSirekapの不正疑惑を取り上げる。次に、それら選挙での不正を追及するための国会でのアンケート権確立をめぐる政党間の動きについて触れる。さらに、次期政権に対しても影響力を行使し、自身の権力を何らかの形で維持したいジョコウィ大統領の思惑、新大統領目前のプラボウォ国防相の思惑とジョコウィ大統領との関係如何などの諸点を考えてみたい。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/a8fdaaa201a04c028fd589348eabfe57.jpg" /><span style="font-size: 12px;">投票するジョコウィ大統領夫妻。(出所)<a href="https://kabar24.bisnis.com/read/20240215/15/1741150/jokowi-akui-sudah-bertemu-dan-ucapkan-selamat-ke-prabowo-gibran" rel=" nofollow">https://kabar24.bisnis.com/read/20240215/15/1741150/jokowi-akui-sudah-bertemu-dan-ucapkan-selamat-ke-prabowo-gibran</a> </span></p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●構造的かつ組織的で大規模な選挙不正</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">構造的かつ組織的で大規模な選挙不正については、これまで様々なメディアが指摘してきた。まず、軍・警察、行政官僚、村長に至る国家機構全体によるプラボウォ=ギブラン組への投票の緩やかな強制があり、それに従った公務員には昇級や昇給が、従わない者には汚職嫌疑がかけられる場合があった。村長が従わない場合は、国家予算から各村へ配分される村落資金(Dana Desa)の使途をめぐる汚職嫌疑への不安が駆り立てられた。同様に、汚職嫌疑は大小問わず相手をプラボウォ=ギブラン組への得票に促す緩やかな強制手法として多用された。</p>
<p style="text-align: justify;">また、ジョコウィ人気にやや陰りの見えた2023年10月頃から、国家予算を使った対応も本格化した。とくにプラボウォ=ギブラン陣営支持へのテコ入れが必要とされた地域を重点に、国家予算由来のコメの配給や資金供与を行う社会的支援(Bansos)が大規模に行われた。そこでは、エルニーニョ対策が銘打たれたり、通常は3月に終了するBansosを6月まで延長したりする異例の措置が採られた。正副大統領選挙の決選投票が行われた場合、それは6月なのである。</p>
<p style="text-align: justify;">さらに、ニッケルや石炭などの鉱業事業許可(IUP)を政治家や実業家へ盛んに配分した。ジョコウィ大統領は2021年からバフリル投資相をトップとする投資促進、土地利用、投資用土地配分の特別促進チーム3本を編成し、事業進捗の見られない事業者の投資許可2,600件以上を事前通告も協議もなしにいきなり破棄し、別の事業者へ配分した。本来、鉱業事業に関してはエネルギー鉱産資源省が担当する事案だが、それを無視し、特別促進チームで対応した点で違法性が問われている。また、バフリル投資相自身は、破棄されたIUP復活を求める事業者に対して資金や株式の提供を求めたと伝えられている。</p>
<p style="text-align: justify;">これにより、プラボウォ=ギブラン組の支持政党の政治家が少なからぬ恩恵を受けただけではない。国内最大のイスラーム社会団体で得票に大きな影響力を持つナフダトゥール・ウラマ(NU)もまた鉱業事業許可(IUP)を受けるという話になった(受けたかどうかは未確認)。2021年、ジョコウィ大統領はランプンでのNU大会の開会挨拶でIUPをNUへ配分すると述べたが、NUは「過去の話で選挙とは無関係」としたが、逆に選挙への周到な準備を印象付ける。しかし、2023年11月にプラボウォ氏がNUとの会合でその話を取り上げ、その後、NUは中立の立場を放棄し、プラボウォ=ギブラン組支持へ雪崩を打った。</p>
<p style="text-align: justify;">憲法裁判所長官にジョコウィ大統領の義弟アンワル・ウスマンを据え、結果的にジョコウィ大統領の長男であるギブランがプラボウォの副大統領候補に就けたこともまた、国家機関の恣意的利用として非難されている。この件について、憲法裁諮問会議(MKMK)は「重大な倫理違反を犯した」としてウスマン長官を解任するが、判事職に留まった。その際、選挙関連の事案の担当から外れたが、その後、通常業務に復帰した。選挙で紛争が生じた際、最終決定を行う憲法裁判所もジョコウィ大統領の息がかかる状態である。</p>
<p style="text-align: justify;">2024年は2月の正副大統領、国会(DPR)、地方代議会(DPD)、州議会、県・市議会の議員選挙のほか、11月27日に統一地方首長選挙の投票が全国一斉に行われるが、それ以前に任期終了の地方政府には、大統領任命の地方首長代行が配置される。それは2021年頃から行われてきた。したがって、この地方首長代行は大統領の意向を受けた動きをすることになる。前述の軍・警察、行政官僚、村長に至る国家機構全体によるプラボウォ=ギブラン組への投票の緩やかな強制の指揮を執る立場でもあった。</p>
<p style="text-align: justify;">以上から分かるように、ジョコウィ大統領は2期目の初め頃、2021年頃から自らの権力基盤を強めるための方策を次々に打ち、あたかも詰め将棋のごとく、あるいは石橋を叩いて渡るが如く、慎重にかつ隙なく、国家機構があたかも自分の思うように動く形を整えた。自身の3選出馬が無理となった後は、自身の推す候補者の当選のために選挙マシンとしてフル回転させてきた。プラボウォ国防相やその支持政党は、ジョコウィ大統領が築いてきたその選挙マシンの上に乗り、勝利を確実にしたのである。</p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●票集計アプリ</strong><strong>Sirekap</strong><strong>をめぐる不正疑惑</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">構造的かつ組織的で大規模な選挙不正がマクロレベルでの現象とするならば、実際の投票所や集計におけるミクロレベルでの不正も注目する必要がある。</p>
<p style="text-align: justify;">従来から、投票や集計をめぐる不正については指摘があった。たとえば、投票日当日の早朝に有権者へ金品を渡す「夜明けの攻撃」(serangan fajar)、投票所担当者を買収しての票操作、予備の投票用紙の使用、候補者間または政党間での得票交換、などが知られる。また、末端から中央へ進む各集計段階で不正が行われやすいとも言われる。</p>
<p style="text-align: justify;">ご承知のように、インドネシアの選挙の開票は、まず、有権者を含む衆人環視の下、投票所(KPPS)ごとに行われ、その結果はフォームCに記載される。記載終了後、投票所担当者はスマホでフォームCの写真を撮る。スマホの票集計アプリSirekapでフォームCの写真をOCR/OMRで読み取り、読み取り結果がフォームCの結果と相違ないことを確認する。そして投票所から、投票所ごとに登録済みの証人(政党などの代表)と監視者に対して、Sirekapが用意するリンクまたはバーコードを送り、フォームCの写真と読み取り結果を確認してもらう。そのうえで、郡(kecamatan)選挙委員会(PPK)へ結果を送付する。</p>
<p style="text-align: justify;">このように、各投票所の開票結果データは郡選挙委員会へ集められ、さらに上位の県・市選挙委員会に集められ、州選挙委員会に集められ、総選挙委員会(KPU)に集められることになる。KPUのサイトにある得票結果は、票集計アプリSirekapで集計されたデータである。</p>
<p style="text-align: justify;">ところが、この票集計アプリSirekapをめぐって様々な疑惑が生じた。たとえば、フォームCの数字とSirekapの集計数字が合わない。ある投票所の登録有権者が300名のはずなのに、その投票所に関するSirekapの集計数字が300を超えている。Sirekapの結果を集計したフォームC1に修正が入っていて証人の署名がない。Sirekapの作動中にエラーが頻発し、集計作業が頻繁に中断する。以上のような状況が投票所の現場から報告された。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/568716e505e749fa9e0c406ff436f06f.jpg" /><span style="font-size: 12px;">票集計アプリSirekapと投票所担当者。(出所)<a href="https://harian.disway.id/read/763057/apa-itu-sirekap-kpu-pemilu-2024-ini-penjelasan-dan-cara-kerjanya" rel=" nofollow">https://harian.disway.id/read/763057/apa-itu-sirekap-kpu-pemilu-2024-ini-penjelasan-dan-cara-kerjanya</a> </span></p>
<p style="text-align: justify;">総選挙委員会(KPU)は投票日翌日の2月15日、票集計アプリSirekapがフォームCやC1とは別の異様な数字を示すことについて、OCR/OMRの読み取り精度に問題があることを認め、早急の改善を約束した。しかし、状況は一向に改善せず、異様な数字が出る状況は変わらなかった。</p>
<p style="text-align: justify;">そんななか、票集計アプリSirekapのデータサーバーがシンガポール、フランス、中国にもあることが明らかになり、サーバーを国内に置くという規定に違反しているとの批判が起こった。総選挙委員会(KPU)は、これらのサーバーはSirekapへのアクセス集中の負荷を抑えるためで、本データ自体は国内にあると弁明した。中国系のアリババ・クラウドを利用しており、海外からの不正アクセスやハッカー対策への不安を煽ることになった。闘争民主党(PDIP)などはSirekapの使用中止を求めたほか、Sirekapを製作したバンドゥン工科大学(ITB)の学長や製作チーム長でもあった副学長の責任を追及する動きも起こった。</p>
<p style="text-align: justify;">3月に入ると、票集計アプリSirekapに基づく集計結果のなかで、ジョコウィ大統領の次男カエサン氏が党首を務めるインドネシア連帯党(PSI)の票だけが増加する現象が現れた。民間調査会社各社のクイックカウントでは2%台だったのが、3月1~3日時点で3.13%へ上昇し、国会議席を得られる4%に接近するかのような動きだった。この異様な現象はなぜ起こったのか。</p>
<p style="text-align: justify;">実はかなり数の投票所において、無効票の数字とインドネシア連帯党(PSI)の得票とが取り替わっているのが確認された。たとえば、中ジャワ州のある投票所では、票集計アプリSirekapに基づくPSIは50票、無効票は2票だったが、元々のフォームCをチェックすると、PSIが2票、無効票が50票だった。また、東カリマンタン州のある投票所において、SirekapではPSIが50票、無効票3票に対して、フォームCではPSIが0票、無効票53票となっていた。</p>
<p style="text-align: justify;">これは単なるシステム上の問題なのか。OCR/OMRの読み取り精度の問題だけでは済まないのか。なぜ、インドネシア連帯党(PSI)の票だけが無効票と取り替わるのか。ジョコウィ大統領が次男の率いるPSIの国会議席獲得を熱望していることは認めるにしても、まさか、集計アプリにまで何らかの細工を施させたりするのだろうか。</p>
<p style="text-align: justify;">総選挙委員会(KPU)は3月6日から票集計アプリSirekapに基づく開票状況をサイトで公開しなくなった。我々が開票状況を確認するには、全国82万ヵ所の投票所の各々のフォームCの写真を一つ一つ照会しながら、その数を集計していく気の遠くなる作業をしなければならない。</p>
<p style="text-align: justify;">今後、再び総選挙委員会(KPU)のサイトにSirekapに基づく開票状況が公開されたとき、その結果を我々は信用できるのか。KPUに対しても、またこの問題を追求する姿勢を明確にしていない総選挙監視庁(Bawaslu)に対しても、国民の不信感は高まらざるを得ないだろう。ジャカルタでは連日、KPUやBawasluの前でデモが続いている。</p>
<p style="text-align: justify;">(以下に続く)</p>
<ul>
<li>選挙不正追及のアンケート権確立をめぐって</li>
<li>グリンドラ党の停滞</li>
<li>ジョコウィ氏の思惑</li>
<li>プラボウォ=ジョコウィ関係の行方</li>
</ul>2024-03-08T06:49:16+00:00ロンボクだより(108):日本語の先生になりたい(岡本みどり)
2024-03-08T06:49:39+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28496/<p style="text-align: justify;">みなさん、こんにちは。お元気ですか。日本はもうすぐ卒業シーズン、こちらはいよいよ断食月です。初日がバリ・ヒンドゥー教のニュピと重なるかもしれないので、あっちもソワソワ、こっちもソワソワで楽しい雰囲気ですよ。</p>
<p style="text-align: justify;">さて、今回は、日本語が大好きで「日本語の先生になりたい」と願ってきた、ある人の話です。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/629958ff7ad24c6bbb83f6927d26cb6b.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">授業風景(本文とは関係がありません)</span></p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: justify;">2月のある日、義兄が家に来ました。</p>
<p style="text-align: justify;">「妻の義弟が日本語を勉強したいそうなんだ。教えてあげてくれる?」</p>
<p style="text-align: justify;">私は別のことに時間を使いたかったので、正直あまり乗り気ではありませんでした。しかし、いきなり断るのも失礼だと思い、一度会って話をきいてみることにしました。</p>
<p style="text-align: justify;">週末、義兄に連れられて、ナナンさん(仮名)がやってきました。背が高く、黒いライダースジャケットを羽織っています。</p>
<p style="text-align: justify;">ナナンさんは、年齢は40代半ば、双子を含む4人の女の子のパパです。高校を卒業後、ロンボク島各地でホテルやゲストハウスなどの宿泊業に就いていました。2018年のロンボク地震をきっかけに宿泊業をやめ、それから今まで自宅でベンケル(バイクの修理屋)を営んでいます。</p>
<p style="text-align: justify;">・・・と、スラスラ日本語で身の上話をしました。動詞の活用もなんなくやってのけます。どこで勉強したのか、と尋ねたら、なんと独学と言うではないですか!</p>
<p style="text-align: justify;">「どうやって勉強してるんですか?」</p>
<p style="text-align: justify;">私は自分の立場を忘れ、イチ言語学習者としてナナンさんに尋ねました。</p>
<p style="text-align: justify;">ナナンさんの教えてくれた勉強法は3つ。</p>
<ol>
<li>夢/目的/目標をもつ</li>
<li>その言語を使って、1秒でもたくさん話す(独り言でもいい)</li>
<li>話せなかったところを調べたり質問したりして、知識を増やす</li>
</ol>
<p style="text-align: justify;">ナナンさんはホテルやゲストハウスで働く間にいろいろな言語を聞きました。なかでも日本語の響きがとても美しく感じられ、次第に自分でも話したくなりました。そして、日本語を勉強しはじめた当初から「将来、日本語の先生になる」と決めて、公言してきました。周りからたくさん笑われたけど、ずっと言い続けたことで自分のモチベーションを保つことができたと笑います。</p>
<p style="text-align: justify;">日本からのお客様が海で泳ぐといってはガイドし、山に登るといってはポーターになりました。すべては日本語上達のためです。今は一人で壁に向かって日本語を話しているのだそう。</p>
<p style="text-align: justify;">ものすごい情熱だなと感心すると同時に、私は不安になってきました。これ以上、何を教えたらいいのか、よくわからなかったからです。</p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: right;">(⇒ ナナンさんの答えは意外なものでした・・・)</p>2024-03-08T06:49:39+00:00ラサ・サヤン(51):~システム改革の秘訣~(石川礼子)
2024-03-08T06:50:02+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28492/<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●大きな失望</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">大統領選挙の結果がまだクィックカウントの状況ではありますが、ほぼ確定されたと言っても過言ではないでしょう。</p>
<p style="text-align: justify;">私自身は、今回の結果に非常に落胆しています。選挙権も無いのに偉そうな発言ではありますが、いくら現大統領の息子が副大統領候補になったからといって(それも巧妙なやり方で)、大統領候補討論会の、あのロジックの無さや冷静さを欠く態度を目にして、なぜ国民の多くがあの人を自分たちの将来を託す国の長として選ぶのか、非常に疑問です。そして、現大統領の息子が副大統領候補になるまでは、私の『推し』ガンジャル氏が民間調査会社の調査で大統領候補のトップを走っていたのに、いつの間に最下位になってしまったのか。ビジネスマンの端くれでもある主人は、「ガンジャル氏のパートナーであるマフド氏が『信用ならない』と、世のビジネスマンたちは思っているようだ」というのですが、本当にそうなのでしょうか。</p>
<p style="text-align: justify;">それよりも何よりも、今後のインドネシアがどうなっていくのか。それが一番の懸念です。特に、インドネシア人と結婚し、98年の暴動を大変な思いで経験した私のような在留外国人(インドネシア国籍に帰化している友達も含めて)にとって、今後ずっと、おそらく死ぬまで住み続けるこのインドネシアが、あの新大統領の下、どのように変わっていくのか、私たちにどのような影響があるのか、インドネシアは正しい民主主義の方向に向かうのか、はたまたスハルト政権のような独裁政権に戻るのではないのかなど、非常に気になる噂も聞きます。</p>
<p style="text-align: justify;">学生や市民団体による大規模デモが連日のように行われていますが、今の風潮を見るに、政府はそのようなデモに一切、耳を貸さない状況です。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/ad0c60dab97848c0866370f951b97244.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">2012年にジャカルタ特別州知事に就任したときのジョコ・ウィドドと副州知事のバスキ・チャハヤ・プルナマ。(出所)</span> <a style="font-size: 12px; text-align: justify;" href="https://news.detik.com/berita/d-1949540/debat-cagub-dki-jokowi-janjikan-kartu-sehat-kartu-pintar" rel=" nofollow">https://news.detik.com/berita/d-1949540/debat-cagub-dki-jokowi-janjikan-kartu-sehat-kartu-pintar</a></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: 12px;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/5a413e3db41141aab8739efd1de84f4a.jpg" /><span style="text-align: justify;">今年2月28日にプラボウォ・スビアント国防相に「名誉国軍大将(4つ星)」の称号を与えるジョコ・ウィドド大統領。(出所)</span> <a style="text-align: justify;" href="https://www.cnnindonesia.com/nasional/20240228090037-20-1068112/jokowi-resmi-beri-pangkat-jenderal-kehormatan-pada-prabowo-subianto" rel=" nofollow">https://www.cnnindonesia.com/nasional/20240228090037-20-1068112/jokowi-resmi-beri-pangkat-jenderal-kehormatan-pada-prabowo-subianto</a></span></p>
<p style="text-align: justify;">あれほど尊敬し、自慢に思っていた現大統領に対して、この数ヵ月間で抱くことになってしまった、やるせない『失望』の持って行き場がなく、フォローしていた大統領のインスタグラムのフォローをやめる程度の抵抗しか私にはできません。</p>
<p style="text-align: justify;">そんなとき、The Jakarta Postに興味深い記事を見つけました。</p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●筆者について</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">この記事を書いたのは、Andhyta F. Utami(通称Afutami、以下アフタミ)という、チアンジュール出身の32歳の女性です。アフタミは、高校生のときにインドネシア代表として、米国で開催された高校生の国際科学コンテストで銅メダルを獲得、インドネシア大学で国際関係学を専攻。卒業後は、米ハーバード大学院で公共政策の修士号を取得した才女です。そのときに発表した『インドネシアの村落基金の実施』に関する論文が最優秀論文としてノミネートされたことで、インドネシア財務省から全額教育奨学金を授与されています。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/4d24b094100041b5a28402540af987b0.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">Andhyta F. Utami. (出所)</span> <a style="font-size: 12px; text-align: justify;" href="https://ocbcexperience.com/" rel=" nofollow">https://ocbcexperience.com/</a></p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/1d66867d3c2546fba0537f2ce51eaa5a.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">Think Policyサイトのページから抜粋。(出所)</span> <a style="font-size: 12px; text-align: justify;" href="https://www.thinkpolicy.id/challenge-page/172833ff-66e7-41d2-8293-92976ea1a2ee" rel=" nofollow">https://www.thinkpolicy.id/challenge-page/172833ff-66e7-41d2-8293-92976ea1a2ee</a></p>
<p style="text-align: justify;">大学院卒業後、2018年から2023年まで世界銀行ジャカルタ事務所に環境経済学者として勤務し、持続可能性と気候目標問題に関する分析を担当、インドネシア政府に対してアドバイスを提供していました。アフタミは、当時から世界資源研究所(WRI)と共に森林とエネルギー問題改善の重要性を訴え続けています。</p>
<p style="text-align: justify;">世界銀行を退職後は、「Think Policy &amp; Environmental Economists」という『より良い政策を立案するための分析的考え方を促進する』ための、若い専門家たちのネットワークを立ち上げました。また、教育文化省の優先課題担当上級専門官をも兼業しています。</p>
<p style="text-align: justify;">さらに、アフタミは2024年2月の総選挙に向けて、2023 年初めに「賢い選択」を意味する <a href="https://www.bijakmemilih.id/en/" rel=" nofollow">https://www.bijakmemilih.id/en/</a> のウェブサイトを開設しました。今回の選挙の投票者のうち、52%に当たる1億700万人が若者とされています。そのため、bijakmemilih.id は、若者に向けた各大統領・副大統領候補者と政党のプロフィールと過去の業績が客観的な視点で記載されており、「気候危機と環境破壊、汚職と公民権、経済と雇用、平等と社会的包摂、教育と健康」などの重要課題について、各候補者・党の状況や立場に焦点を当てています。各政党のプロフィールには、それぞれの党が抱える国会議員数、2019年の選挙結果による党資金、汚職の実績、議員候補者の性別と年齢層など貴重な情報が一目で分かるようになっています。</p>
<p style="text-align: justify;">バスキ・チャハヤ・プルナマ(通称アホック)は、選挙の12日前にプルタミナ社の首席監査役を辞任し、ガンジャル=マフムドのペア支援に専念すると宣言、再びメディアに姿を現すようになりました。アホックが政治界に戻ってきたことを喜ぶアホック・ファンの若者が『Ahok Bicara soal Pilpres 2024 pada Acara Talkshow &quot;Ahok is Back&quot;』という、選挙を念頭にアホックと若者たちとの対話集会が開かれ、その様子がYoutubeにアップロードされました。</p>
<p style="text-align: justify;">その集会でアフタミは、プルタミナ社での経験からアホックに対して環境問題に関する質問をしました。その姿を見て、私がアフタミに興味を持った二日後に、The Jakarta Post紙で彼女の寄稿文を目にしました。</p>
<p style="text-align: justify;">**********</p>
<p style="text-align: center;">システム改革の秘訣</p>
<p style="text-align: center;">(2024年2月10日付The Jakarta Post: Choices &amp; Changes欄の“A recipe for system change”より抜粋、一部意訳あり)</p>
<p style="text-align: justify;">「なぜ善良な人でも、政治の世界に入ると悪人になってしまうのでしょうか?」 数ヵ月前、民主主義と言論の自由に関するパネルディスカッションで私にこう質問した人がいた。「彼らは初めから悪人だったのだろうか、それとも政治のシステムというものが彼らを悪い人間にしてしまうのだろうか?」</p>
<p style="text-align: justify;">前者であると信じている多くの人を、私は責めることはできない。権力を握ることで、その人が元々どんな人間であったかが明らかになると考えるのは、極めて合理的である。目的達成のために有益なものを持っていない、あるいは道徳的境界線を元来、固持している場合には、人は不正を行うことはしない。この前提により、人々は正しい、または理想的だと思っていた人を信頼したことに対して裏切られた、あるいは騙されたと感じることになる。</p>
<p style="text-align: justify;">この質問は、ハーバード・ケネディ・スクールの適応的リーダーシップに関するロナルド・ハイフェッツ氏による授業を私に思い出させた。「あなたがシステムの枠の外にいる場合、あなたの(非公式の)権威は、特定の有権者集団に仕えることで構築した信頼から生まれる」。たとえば、気候変動活動家としてのあなたの影響力は、問題に対する正しい理解と言行の一貫性によってもたらされる。「しかしながら、ひとたびあなたが公式の権威を得ると、その有権者たちは鞍替えしたり、あるいは拡大することがしばしば起こる」、言い換えれば、あなたが選挙で選ばれた政治家になると、政党や選挙資金の提供者、その他に対して異なる責任を負うことになるのだ。</p>
<p style="text-align: justify;">今や、あなたの政治的計算は完全に異なったように見えるのである。</p>
<p style="text-align: justify;">それは、新鮮な印象の人物に希望を抱いたのに、それほど長くないうちに彼らが『彼の前にいた人々と同じ』であることが判明して幻滅するという悪循環が起こる。だからこそ、正しいリーダーを信じるだけでは不十分なのである。私たちはシステムがこれら個人を成長させ、最善の意思決定を行えるように、適切な政治的、経済的、社会的な動機付けを提供していく必要がある。</p>
<p style="text-align: justify;">2024 年の選挙を通じて、正しい環境を確実に構築しながら、正しい人物を支援することに公平な注意を払う義務は、情報を十分に備えた批判的な有権者集団である私たちにある。ここに幾つかの提案を示したい。</p>
<p style="text-align: justify;">先ず、課題を見失わないこと。</p>
<p style="text-align: justify;">経済(ひいては環境)政策から人権や汚職に至るまで、私たちが注意深く監視していることで、彼らが間違った政策で逃れられないことを権力者に理解させる必要がある。私たちは今までに、法案が適切な監視と関与なしに数週間の間に法律として成立してしまう例を見てきた。それは、重大な欠陥のあるプロセスの結果でもあるが、ほとんどの国民が十分に注意を払っていないことも原因なのだ。</p>
<p style="text-align: right;">(⇒ 第二に、大統領選挙だけでなく議会選挙・・・)</p>2024-03-08T06:50:02+00:00天国の暗部と真夜中の1分前(太田りべか)
2024-03-08T06:51:30+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28491/<p style="text-align: justify;">ふと目に留まった作家・AV監督の二村ヒトシ氏のコラムがおもしろかった。1985年にスティーブン・スピルバーグが手がけた『カラーパープル』をリメイクしたミュージカル映画についての話だ。ミュージカル版『カラーパープル』は2023年製作、監督はブリッツ・バザウーレ、主演ファンテイジア・バリーノ、製作総指揮にはスピルバーグも名を連ねている。</p>
<p style="text-align: justify;">コラムの冒頭で「社会問題や過去におきた悲劇的な事実を題材にして、なにかを告発する重厚な映画が苦手です(体制側や特定の宗教を礼賛する映画も嫌いですが)」という二村氏は、このミュージカル映画について、「差別され、さらに虐待される立場に生まれたことの悲しみを訴える話だった『カラーパープル』が、ストーリーは変わってないのに、尊厳を奪おうとする支配に対して人間はどういう態度を示せばいいのかを考えさせる新しいドラマに再生しました」と書いている。</p>
<p style="text-align: justify;">二村氏がここで語るのは「人間関係において大切にされていない側の怒りのこと」であり、「親子でも夫婦でも恋人でも、精神支配から抜けたあとに、弱かった側の人は自分をコントロールしていた者をちゃんと憎み、呪うことが必要です。それが自己の尊厳と安定の回復につながる」ということだ。</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">しっかり心のなかで決別できてないまま相手を呪うと、そいつのことを愛していた(あるいは「人生とはこういうものだ」と思いこまされ、感情をうばわれ抵抗をせずにいた)がゆえに支配されてた「過去の自分」まで、愚かだったと自虐したり、自己嫌悪してしまう。それが自分自身にもむけられた呪いになります。それだといつまでたっても自尊心が回復しないのです。</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">呪術というものは、自分には返ってこないように練る必要があります。相手を憎むことが、同時に過去の自分に対してのいたわりと癒しになり、未来の自分への祝福と推進力になるような呪いかたが、できると思うんですよ。</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">(「コントロールと加害から脱出した人間はどう生きていくのか? ひどい恋愛の終わりにも参考になる『カラーパープル』」【二村ヒトシコラム】2024年2月18日より)</p>
<p style="text-align: justify;">二村氏がこの映画の中で感じた呪いがどういうものなのかというと、「『わたしたちはこれから、お前の支配から抜けて自尊心を取りもどし、自分の力で生きていく。人を支配しなければ生きていけないお前は、そのまま進歩なく、なにも変わらず、そこにいてそのまま腐っていけ。わたしは先に進む』という、明るく楽しい呪い」だという。</p>
<p style="text-align: justify;">今回は、そういう「大切にされていない側の怒り」や「自分をコントロールしていた者をちゃんと憎み、呪うこと」についてちょっと考えさせられた1冊を紹介したい。ブリアン・クリスナ(Brian Khrisna)の “Sisi Tergelap Surga”(『天国のいちばん暗いところ』)だ。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/1b27036a2e73418bb8354d470cd05321.jpg" /><span style="font-size: 12px;">&quot;Sisi Tergelap Surga&quot;</span></p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●天国の暗部</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">“Sisi Tergelap Surga”は、華やかな大都会ジャカルタの一隅の集落で生きる人々の物語だ。日本でも近年「格差」が問題になっているようだが、それとはおそらく比べものにならないほど大きな格差が、インドネシアにはいたるところにある。けれどもこの物語では、格差や富裕層とそうでない人たちとの対比に焦点を当てて描くのではなく、ある集落の中のギリギリの暮らしをしている人たちどうしのいがみ合いや支え合いを描いていく。</p>
<p style="text-align: justify;">ずいぶんたくさんの人たちが登場する。バス・ターミナルを牛耳り、皆から恐れられているごろつきの親玉、未婚の母となって、カラオケ店で売春を含めたサービスをしながら子育てをする女、実は女装の男娼だが、それを知られて集落から追い出されることを恐れて、ひた隠しにしている美形の男、見境のない色魔で汚職まみれの町長、豆腐を売って細々と生計を立てながら、病気で幼子を亡くしてしまったことを悔み続ける夫婦、モールで清掃員の仕事をしながら家族に仕送りをする苦しい生活の中で、詐欺まがいの商売に誘われて心揺れる青年、どこからともなく流れてきて夜警ポストや礼拝所で寝起きし、助け合いながら共同生活をしている3人の少年、鶏の着ぐるみを着て物乞いをすることで3人の娘たちを育てる男と、どんな苦境にも負けないたくましく賢いその娘たち、バイク泥棒をしながら病気で寝たきりの母を養い、それでも鶏おじさんの3人の娘たちに対する気遣いは欠かさず、いつも差し入れをして援助する若者。他にもまだ何人も登場する。</p>
<p style="text-align: justify;">著者自身、長年にわたって路上で物売りをする生活を経験し、その中で見聞きしたこと、自身の体験、そしてそこで知り合った人々が話してくれたことが、この物語のさまざまなエピソードになったという。</p>
<p style="text-align: justify;">身につまされるようなそれぞれのエピソードは、大都会の隅で生きる人々の日々を描き出していく。貧しい中にも美しかったりたくましかったりする話もあるけれど、決して美化はされない。日々生きていくだけで疲れ切っているし、嫌がらせや罵詈雑言を吐いたり、平気で暴力をふるったりもするし、偏見にも満ちている。卑怯で臆病でもある。町長が脅迫まがいの理由をつけて集落の若い女性リニを町役場に呼び出し、執務室であからさまに強姦していても、職員たちは見てみぬふりをする。町長の権力を恐れているせいでもあるが、リニが売春を日々の仕事にしているからでもあるだろう。</p>
<p style="text-align: justify;">リニだけでなく、集落の女性の多くは「人間関係において大切にされていない側」だ。リニの友人のレスティは、大学を出て会社に就職し、余裕のある独身暮らしを楽しんでいたが、親や周りからの圧力に負けて集落の男と結婚、夫や周りからの圧力で仕事も辞めざるをえなくなった。夫は穏やかな人で声を荒げたりすることもないけれど、とにかく働こうとしない。日がな一日家の前に座ってポケモンゲームをしながら、どこかから幸運がやってくるのをただ待っている。この男にとっての幸運とは、ポケモンゲームに飽きたどこかのお金持ちが連絡してきて、金を払うから自分の替え玉になってゲームを続行してくれと依頼してくる、というようなことだったりする。</p>
<p style="text-align: justify;">ふたりの間に生まれた子は栄養不足で病気がちだが、病院に連れていくこともできない。業を煮やしたレスティが、自分が働きに出れば最低賃金は堅いと言っても、夫はやんわりと、妻は家にいて子どもと義理の両親の面倒をみて家事をするもので、働きに出たりするのは体裁が悪いとレスティを諭す。金銭的なことを理由に夫に避妊を求めても、夫は夫婦の間で避妊するなんて不自然だ、子は神様からの授かりものだし、福を連れてくるものなのだから、という理屈で避妊をしようともせず、貧困の中でレスティは2人目を妊娠してしまう。</p>
<p style="text-align: justify;">絶望と不安と、母体が栄養不足のせいで生まれてくる子になにか普通でないところがあるのではないかという恐れの中でレスティは出産するが、生まれてきたのは完全に健康な赤ん坊だった。それを見てレスティは、天使が耳元でこう囁いているように思った。「いくつか試練を与えられただけで、畏れ多くも神を責めようというのか? 神がそなたの生のためになされることを見よ。神の恵みのいずれをそなたは偽りだと言おうとするのか、レスティ?」</p>
<p style="text-align: justify;">レスティは神の存在を確信し、生きる勇気を取り戻し、この先どんな困難が待ち受けていようと恐れず進もうと決意を新たにするのであった・・・。そしてレスティに関するエピソードは、こういう一文で締め括られる。「たぶんレスティはこれまで求めてきたものを見つけられなかったかもしれないが、最後にはむしろikhlasという言葉の意味を見つけたのだった」</p>
<p style="text-align: justify;">このiklasというのは、どう訳せばいいかちょっと迷ってしまう言葉だ。諦観とか、そういう運命なのだと思って諦めるとか、運命に身を委ねるとか、少しばかり否定的ニュアンスを持たせて訳したいという誘惑につい駆られてしまうけれど、ほんとうは清く真っ直ぐな心という意味で、そういう心でもって神に向き合い、差し出された運命を受け入れるという肯定的で高尚な状態を指すのだろう。</p>
<p style="text-align: justify;">美しい結末ではある。でも、なんだかモヤモヤしてしまう。「それでいいのか、レスティ? 自分を支配してきた連中をちゃんと憎んで呪えよ!」とレスティの肩を揺さぶりたくなってしまう。もちろんレスティが決意を新たにしたのは、これからもこのままダメ夫についていこうと思ったからではなく、ダメ夫と理解のない義両親を捨てて子ども2人を連れて集落を出て仕事を見つけて新たな人生に踏み出す、とまでいかなくても、ダメ夫に頼るのは止めて、ダメ夫や義両親の非暴力支配を断ち切り、ダメ夫は家の前に好きなだけ座らせておいて自分が働きに出て、一家の生計の舵を握るようになることを決めたのだったかもしれない。そうだといいのだけれど、と思わずにはいられない。</p>
<p style="text-align: justify;">レスティの話が長くなってしまったけれど、他の人々もそれぞれの道を辿って、皆が美しい結末とはいえないまでも、それなりの結末にたどり着く。たとえば、ごろつきの親玉のトミは、妻のデウィに対して愛情もかけらもなく、日々ひどい暴力をふるっていた。家の外では、最強のごろつきとして恐れられてはいても、正義感が強く勇敢で、集落の皆からも頼られ一目置かれる存在だったのに、デウィのことは性行為の相手としかみなさず、それでも子のできないデウィを石女呼ばわりして痛めつけていた。デウィはそれに耐えていたけれど、あるとき病院で検査を受けて、自分が妊娠できない体ではないことを知る。子ができない原因はトミにあったのだ。</p>
<p style="text-align: justify;">そこでデウィはトミの弟になんとか頼み込んで、恐れをなす弟と関係を持ち、妊娠した。なにも知らないトミは狂喜乱舞である。生まれた子を目に入れても痛くないほどかわいがる。デウィに対してもうって変わって優しくなり、慈しみをもって接するようになった。トミがデウィに暴力をふるっていたのは、自分が「種なし」かもしれないという恐れの裏返しだった、というオチである。</p>
<p style="text-align: justify;">これはデウィの作戦勝ちであり、したたかで大胆なデウィに拍手を送りたいところでもあるが、やっぱりどこかモヤモヤしてしまう。あまりにもトミが自分勝手で、そんな理由で暴力に晒されてきたデウィが浮かばれない気がするからだ。もちろんトミが自分勝手であってはいけない理由はどこにもない。自分勝手である方が、リアルでもあるし、そういう男が皆から恐れられながらも人望もあって、町内会長に選ばれるというのも納得のいく結末であることはある。さらに、もしも後日トミの死の床で、デウィが実はあの子はあなたの子ではないと打ち明け、トミがそれは知っていた、でもこれまで黙って自分の子ということにしてくれていたことに感謝している、とでも言うような展開にでもなれば、もうちょっと納得してもいいかもしれない。</p>
<p style="text-align: justify;">そういうモヤモヤを残す結末もある一方、素直に喜びたい結末もある。鶏の着ぐるみを着て物乞いをしながら娘たちを育てた男と、その娘たちのその後だ。生理用ナプキンすら満足に買えないような暮らしの中でも、力を合わせて踏ん張って生きてきた3人娘は、それぞれ華々しい未来を手にすることができた。三女のイナは靴下のネット販売をして学費を稼ぎながら大学に通っている(姉たちが生理用ナプキンの代わりに使ったのも靴下だった)。次女のエルリンは大学を卒業し、国営企業に就職した。集落に帰ってくるたびに、かつての自分たちのように生活の苦しい子どもたちのために無料の学び場を開いている。長女のラティは、この集落で外国へ行った初めての人間となった。東京のIT企業に就職したのだ。3人はほとんど小屋同然だった父の家を二階建ての立派な家に建て直し、エアコンもつけた。鶏おじさんは、今はそこで穏やかに老いを養っている。鶏の着ぐるみは、古い戸棚に今も大切にしまってある。</p>
<p style="text-align: justify;">(以下に続く)</p>
<ul>
<li>神の視点語り</li>
<li>真夜中の1分前</li>
</ul>2024-03-08T06:51:30+00:00往復書簡-インドネシア映画縦横無尽第76信:地方映画が訴える女性の地位 ~映画『ロテ島の女』、『オルパ』、『マルリナの明日』より~(横山裕一)
2024-03-08T06:52:42+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28494/<p style="text-align: justify;">轟(とどろき)英明 様</p>
<p style="text-align: justify;">早いものでもう3月ですね。インドネシアではまもなくイスラム教徒にとっての断食月が始まろうとしています。毎年、レバラン(断食明け大祭)は西暦のカレンダー上では約十日ずつ前にずれていきますが、私がジャカルタに初赴任した2000年前後は丁度年明けから年末へと移動する時期でした。このため、職場から出す時候挨拶のレターには「祝クリスマス、謹賀新年、祝レバラン」と列記したのを思い出します。あと約十年でまたレバランが年末年始と重なります。その頃、インドネシアはどんな社会になっているのか、先月の大統領選挙の速報結果、その後の動きも併せて、いろいろ考えさせられます。</p>
<p style="text-align: justify;">前回、轟さんが紹介した2作品『ステキな20歳』(Sweet 20/2017年作品)と『初めての愛、二番目、そして三番目の愛』(Cinta Pertama, Kedua, &amp; Ketiga/2021年作品)はいずれも現段階では珍しい、高齢者に焦点をあてた作品として印象に残っています。思い出しましたが、老女の孤独感を描いた『アバウト・ア・ウーマン』(About a Woman/2014年作品)もそうでしたね。インドネシアでの高齢化社会はまだ先ではありますが、轟さんが指摘したように高齢化社会を見据えた作品が今後増えてくる可能性は高いかと思われます。時代の変遷に伴う社会の変化、そして、そこから生まれる齟齬。こうした社会問題が映画のテーマになるのは世の常といえそうです。</p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: justify;">そこで今回は、先日劇場公開された『ロテ島の女』(Women From Rote Island)をはじめ、昨年公開の『オルパ』(Orpa)、また日本でも公開された『マルリナの明日』(Marlina Si Pembunuh dalam Empat Babak/2017年作品)を通して、地方が訴える女性の地位問題について話してみたいと思います。いずれも首都ジャカルタから見れば、東ヌサトゥンガラ州、パプアと辺境地が舞台で、オートバイに乗り、スマホを通したインターネット情報を得るなど現代社会に生きながらも、伝統慣習が強く残る地方、特に辺境地社会を反映して女性の地位が低いままの現状が浮き彫りにされる作品です。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/9d4e6c85fbfd42ae878c79ed00e740db.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">映画『ロテ島の女』公開時ポスター</span></p>
<p style="text-align: justify;">まずは『ロテ島の女』からです。この作品はインドネシア最南端の島、東ヌサトゥンガラ州ロテ島が舞台です。主人公は三人の娘を持つ中年女性オルパです。物語はマレーシアで出稼ぎしていたものの不法労働者として強制送還された長女マルタが島に戻ってくるところから始まります。母親であるオルパは娘の様子がおかしいことに気づきます。マルタはマレーシアの出稼ぎ先で性的暴行を受けて強い精神障害を患っていました。普段は母親の手伝いをし、小鳥を見て穏やかに心を癒すマルタですが、トラウマが再発すると錯乱状態を起こします。</p>
<p style="text-align: justify;">ある日、マルタが木に落ちそうになった小鳥の巣を心配して木に登ると、若い男二人が下からスカートを覗き込みます。出稼ぎ時のトラウマが蘇ったマルタは逆上して長ナタを振り翳して二人の男を追いかけ、一人が逃げ込んだ家に火をつけてしまいます。さらに別の日にはマルタは海岸の岩場で男にレイプされかけます。妹のベルタの助けでことなきを得ますが、これらの事件を機にマルタは一人で出歩かないよう、自宅の一室で鎖に繋がれて監禁されてしまいます。</p>
<p style="text-align: justify;">一方、姉を助けたベルタが今度は行方不明になります。ベルタは強姦された上に殺害されていて、後日遺体で発見されます。嘆き悲しむ母親オルパですが、事件はさらに続きます。近所の既婚男性が監禁されたマルタの部屋に忍び込み、レイプを繰り返していたのでした。捕まったこの男は伝統風習に則り謝罪します。方法は自らの最大の恥辱行為を晒して謝罪するというもので、母親の墓を掘り起こして、遺骨を掲げながら被害者家族であるオルパに許しを請うというものでした。</p>
<p style="text-align: justify;">「伝統風習として謝罪は受け入れるが、罪は罪、警察に行ってもらう」</p>
<p style="text-align: justify;">オルパは強く言い放ちます。それだけは勘弁してほしいと泣き叫ぶ男とその妻。しかし、頑として受け付けないオルパの強い態度に母親としての怒り、悲しみとともに、女性の地位の低さに対する嘆きが強く伝わってきます。</p>
<p style="text-align: justify;">この作品では伝統慣習が色濃く残るが故に、男性優位で女性の地位が低いという古来からの概念が現代においても根強く残っている現状が浮き彫りにされています。作品内にも登場しますが、スマホなどにより男女同権の世界的風潮を知ってはいても、近代化、教育の進まない辺境地においては現代においても旧態依然のままであることがわかります。前述のオルパの一言は、現代人としての法的責任を遵守させることで男性優位の伝統概念を打ち破り、ひいては悲劇を繰り返させない願いが、作品全体のメッセージとして込められています。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/51150394cf774db8b9c63b5f04c0c38f.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">映画『マルリナの明日』公開時ポスター</span></p>
<p style="text-align: justify;">『ロテ島の女』と比較的似ているのが『マルリナの明日』です。作品舞台もロテ島と同じ東ヌサトゥンガラ州のスンバ島です。荒涼と広がる丘陵地の一軒家で一人暮らしの未亡人マルリナが主人公です。盗賊に押し入られたマルリナは正当防衛で料理に毒を入れて手下5人を毒殺し、頭領に対してはレイプされている際に頭領の長ナタを抜いて首を刎ねます。翌朝、マルリナは警察署のある遠く離れた田舎町までバスや馬に乗り継いで被害を通報しますが、真剣に取り合わない警察の対応に失望します。一方、事態を知った盗賊の残党一人が、マルリナの知人である妊婦ノフィを拉致して、マルリナの自宅でマルリナが帰宅するのを待ち伏せる・・・と展開していきます。</p>
<p style="text-align: justify;">この作品でも女性の地位の低さとともに、女性の尊厳を守ってくれる者がいない社会環境の現状が訴えかけられています。盗賊の所業とはいえ、家畜を奪った上でマルリナに対して手下を含めた全員に料理のもてなしを促し、その後順番に相手をするよう一方的に命じる頭領の言動が象徴しています。さらには、本来弱者を守るべき立場の警察の対応です。担当署員は署内で卓球を興じ終わるまでマルリナを待たせた挙句、被害報告に対してもレイプの診断報告書が必要だとか、車両が出払っているため自宅の実況検分は数日後だと事務的な態度に終始します。警察でさえ当てにならない、自らの安全は自分自身でしか守れないという諦観が強調されています</p>
<p style="text-align: justify;">またこの作品ではマルリナの自宅の居間の片隅に、亡き夫のミイラが伝統織物にくるまれ、座って安置されている姿が画面内に再三登場します。これはスンバ島の民族伝統風習で、墓を建てる費用が貯まるまでの措置ですが、亡き夫のミイラの存在が、盗賊に独り立ち向かう女性・マルリナを救う者が誰もいない孤独な状況を際立たせています。前述の『ロテ島の女』での謝罪の伝統風習と同様、両作品では伝統風習を巧みに引用してテーマ性を高める効果をあげています。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/6436ba5728794218871840b8ec53358c.png" /><span style="font-size: 12px;">映画『オルパ』公開時ポスター(引用:<a href="https://21cineplex.com/)" rel="nofollow">https://21cineplex.com/</a>)</span></p>
<p style="text-align: justify;">そして、もう一つの作品『オルパ』はパプアの山岳地帯が舞台です。小学校卒業間近の少女オルパはある日突然、父親から金持ちの第二夫人として嫁ぐよう命じられます。貧困率が国内で最も高いパプアでは実際に結納金目当てで親が低年齢の子供に結婚を強いるケースが多々あり、深刻な子供の人権問題ともなっている現実がベースになっています。</p>
<p style="text-align: justify;">読書好きで勉強熱心なオルパは、ジャングルにある植物の薬用効果に興味を持っていて、進学して植物医学の道へと進みたいという夢がありましたが、父親は進学どころか卒業間近の小学校も行く必要はなく、即刻主婦業に入れと言い放ちます。夢を諦めきれないオルパは家出を決意し、希望する専門学校のある山岳地帯の都市ワメナへ行くべくジャングルに分け入っていく物語です。</p>
<p style="text-align: justify;">実際にはオルパのように行動できる少女はほとんどいないでしょうが、作品では少女オルパの慣習に反発し、強い意志を持った勇気ある姿を通して、少女の人権問題や女性の自立に対する強いメッセージが込められています。こうしたメッセージはオルパの夢を諦めない姿に加えて、家出途中に出会う、ジャカルタから自然音の録音のために来て遭難した若者とのジャングル行からも窺えます。GPSがあっても入り組んだジャングルでは使いこなせない若者に対して、オルパは慣れ親しんだジャングルを確実に見極めながら誘導し、経験と知識から食事のための火を起こしたり、消毒効果のある木の葉を探して自らの怪我を手当てするなど的確な対応をしています。</p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: right;">(⇒ これら3作品に共通した点は、・・・)</p>2024-03-08T06:52:42+00:002024年インドネシア大統領選挙を終えて ~有権者の投票行動と今後の行方~(松井和久)
2024-02-23T13:42:07+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28436/<p style="text-align: justify;">日本ではバレンタインデーの2024年2月14日は、インドネシアでは正副大統領選挙、国会議員選挙、地方代議会議員選挙、州議会議員選挙、県・市議会議員選挙の5つの選挙の投票日だった。正副大統領選挙は正副大統領候補のペアに投票し、国会議員・州議会議員・県・市議会議員選挙は政党または候補者個人に投票し、地方代議会議員は候補者個人に投票する。</p>
<p style="text-align: justify;">投票方法は、本号の神道さんの文章でも書かれているように、釘の形をした道具で意中の候補者を刺す(チョブロスする)。日本のような開票速報はなく、正式の開票結果の確定までには約1ヵ月を要する。開票速報の代わりとなるのが、民間調査会社による統計学的手法を用いた「クイックカウント」と呼ばれる得票予想である。このクイックカウントにより、投票日の2月14日の夜には、正副大統領選挙の大勢が予想できる。実際、調査会社7社が提示した「クイックカウント」結果はどれもほぼ同じで、プラボウォ=ギブラン組が58%前後を獲得し、決選投票なしで勝利する可能性が極めて高くなった。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/d7ed42864c55407ead25c123f74c5135.png" /><span style="font-size: 12px;">2月14日西インドネシア時間夜8時時点での各社のクイックカウント結果。(出所)<a href="https://www.kompas.id/baca/riset/2024/02/15/prabowo-gibran-unggul-di-semua-gugus-pulau?open_from=Riset_Page" rel=" nofollow">https://www.kompas.id/baca/riset/2024/02/15/prabowo-gibran-unggul-di-semua-gugus-pulau?open_from=Riset_Page</a> </span></p>
<p style="text-align: justify;">この58%という数字だが、実は投票日の2日前、メディア関係者の間で「プラボウォ=ギブラン組が58%の得票で勝利、決選投票はない」という話が流れていた。2月14日の夜、プラボウォ=ギブラン組はジャカルタのスナヤン競技場で支持者を前に事実上の勝利宣言を行なったが、スナヤン競技場は2日前に予約されていた。彼らは決選投票なしでの勝利を確信していた。</p>
<p style="text-align: justify;">SNS上では、ジョコ・ウィドド(通称:ジョコウィ)大統領が「私を負かせるというのはすごいことだ」とし、軍・警察の諜報機関やありとあらゆるルートで正確な情報をつかんで全てを知っている、と語る動画が流れた。大統領府はその動画の内容を否定したが、あたかもジョコウィが自分の思う通りに動かしていて、誰もそれに逆らえないかのような尊大さを印象付けた。</p>
<p style="text-align: justify;">そんなジョコウィの言葉を真に受けると、どの調査会社の「クイックアカウント」結果もほぼ58%というのは、単なる偶然とは思えない、という印象を抱く人々もいるであろうことが想像できる。</p>
<p style="text-align: justify;">すべてはジョコウィの掌の上で動いているのか。その真偽はともかく、今回の有権者の投票行動について、KOMPAS紙が興味深い調査結果を発表しているので、それを紹介しながら、選挙結果について考えてみたい。</p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●</strong><strong>KOMPAS</strong><strong>紙の調査について</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">KOMPAS紙は2つの調査をもとにした分析記事を掲載した。これらの調査はKOMPAS紙の費用負担で2月14日の投票日に実施された。</p>
<p style="text-align: justify;">1つ目は出口調査で、全国38各州の人口比率を考慮し、2月14日に投票を終えた有権者7,863人に対してランダムにインタビューを行う。信頼係数95%、エラー誤差1.11%前後で算出した。</p>
<p style="text-align: justify;">2つ目は、クイックカウントである。これは、ランダム・サンプリングでシステマティックに選んだ全国2,000ヵ所の投票所(TPS)の2月14日の開票結果を基にした。西インドネシア時間19時30分までに終了した83.05%の投票をもとに、信頼係数99%、サンプル誤差1%未満で算出したものである。</p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●正副大統領候補ペア3組の得票予想</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">冒頭で述べたように、各社のクイックカウントに基づく得票率予想は、プラボウォ=ギブラン組が58%前後で、決選投票を待たずに勝利するとした。アニス=ムハイミン組の得票率は25%前後、ガンジャル=マフド組は16%前後だった。</p>
<p style="text-align: justify;">ちなみに、総選挙委員会(KPU)の開票集計速報(クイックカウントに対して「リアルカウント」と呼ばれる)では、2月22日西インドネシア時間23時現在で75.26%の集計が終わり、プラボウォ=ギブラン組が58.89%、アニス=ムハイミン組が24.06%、ガンジャル=マフド組が17.05%となっている。たしかに1%程度のずれはあるが、クイックカウントの予想結果と大きな乖離はない。</p>
<p style="text-align: justify;">以下では、便宜上、クイックカウントとリアルカウントの結果がほぼ同じであると見なして、分析を進めていくことにする。</p>
<p style="text-align: justify;">下図は、地域別にみた出口調査結果である。青がアニス=ムハイミン組、黄がプラボウォ=ギブラン組、赤がガンジャル=マフド組、灰色が無回答・秘密である。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/614b1944d7c14e41ad74a226b369f47c.png" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">(出所)</span><a style="font-size: 12px; text-align: justify;" href="https://www.kompas.id/baca/riset/2024/02/15/prabowo-gibran-unggul-di-semua-gugus-pulau?open_from=Riset_Page" rel=" nofollow">https://www.kompas.id/baca/riset/2024/02/15/prabowo-gibran-unggul-di-semua-gugus-pulau?open_from=Riset_Page</a></p>
<p style="text-align: justify;">プラボウォ=ギブラン組はジャカルタ、中ジャワ、ジョグジャカルタで得票率が50%未満だが、全国で満遍なく得票した。これに対して、アニス=ムハイミン組はジャカルタ、バンテン、西ジャワなど、ガンジャル=マフド組は中ジャワ、ジョグジャカルタ、バリ・ヌサトゥンガラと、得票に地域的な偏りが大きく、しかもそのいずれにおいてもプラボウォ=ギブラン組の得票率に及ばない。アニス=ムハイミン組が票田とする地域ではガンジャル=マフド組が得票できず、逆にガンジャル=マフド組の票田ではアニス=ムハイミン組が得票できない。</p>
<p style="text-align: justify;">次に、性別、年齢、社会的ステータス、宗教による投票行動の相違を見てみる。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/4db1a05142584e2fb27e425d8128c285.png" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">(出所)</span><a style="font-size: 12px; text-align: justify;" href="https://www.kompas.id/baca/riset/2024/02/15/prabowo-gibran-unggul-di-semua-gugus-pulau?open_from=Riset_Page" rel=" nofollow">https://www.kompas.id/baca/riset/2024/02/15/prabowo-gibran-unggul-di-semua-gugus-pulau?open_from=Riset_Page</a></p>
<p style="text-align: justify;">まず性別では、男女とも53~55%がプラボウォ=ギブラン組へ投票している。次に年齢別では、年齢が若くなるほどプラボウォ=ギブラン組への投票が増え、42歳以上ではプラボウォ=ギブラン組への投票は過半数を割っている。プラボウォの過去を知らない若い世代が、大統領の息子であるギブランを若者の代表と見なして投票したことが想像できる。</p>
<p style="text-align: justify;">さらに、社会的ステータスでみると、下流層にいくほどプラボウォ=ギブラン組へ投票する傾向が見られる。上流層にいくほどアニス=ムハイミン組への投票が増える傾向にあるが、ガンジャル=マフド組には同様の傾向が見られない。上流層を除き、上中流~下流層では両組を合わせた投票率がプラボウォ=ギブラン組に及ばない。</p>
<p style="text-align: justify;">宗教別で見ると、ムハマディヤ所属のイスラーム教徒ではアニス=ムハイミン組が、ヒンドゥー教徒ではガンジャル=マフド組が、プラボウォ=ギブラン組とほぼ互角の投票結果となっている。また、投票行動において、宗教が今も重要な決定要因となっていることがうかがえる。</p>
<p style="text-align: justify;">数字だけからみるとプラボウォ=ギブラン組の完勝だが、同組を支持した政党は国会議員選挙で得票を伸ばしたのだろうか。実際には、そのような単純な相関は見られなかったのである。</p>
<p style="text-align: justify;">(以下に続く)</p>
<ul>
<li>国会議員選挙の政党別得票率と大統領選挙との関係</li>
<li>プラボウォ=ギブラン組を優位にさせた3つの要素</li>
<li>今後の行方</li>
</ul>2024-02-23T13:42:07+00:00ラサ・サヤン(50)~インドネシアの伝統菓子~(石川礼子)
2024-02-23T13:42:37+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28423/<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●パサール</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">私はほぼ毎朝、主人と近所のパサール(伝統市場)に買い出しに出掛けます。現在、家にいるのは私と主人、そしてメイド1人、の3人だけなのですが、毎朝、Jeruk Peras(オレンジジュース)をグラスに1杯、そして、毎夕、野菜ジュースとトマトジュースをマグカップに1杯ずつ飲むので、新鮮なインドネシア産のオレンジと野菜、トマトの買い出しは欠かせません。</p>
<p style="text-align: justify;">また、主人は良い食材を見つけると、北ジャカルタに住む義母と、西ジャカルタに住む義兄の家族のために料理を届けるので、家に帰ってからおもむろに、しかも大量に作り始めます。コロナ禍の時期には、(もう亡くなってしまいましたが)義母の高齢の従姉や、恵まれない親戚にも手料理を配りに周っていました。</p>
<p style="text-align: justify;">近所のパサールは二軒あり、一軒はいわゆるPasar Becek(非常に簡素な作りの建物で、外部と隔離されておらず、道も舗装されていないため、雨が降ると泥地になるような伝統市場)と、もう一軒はPasar Modern(近代的な建物で、外部と隔離されており、野菜、肉、魚介類の売り場が区分されて販売されている伝統市場)です。Pasar Becekのほうが、不衛生な点は多々あるのですが、価格が1~2割安いこともあり、そちらに先に行って、生鮮食材のほとんどを買います。買い足りないものがあれば、そこからPasar Modernにハシゴします。</p>
<p style="text-align: justify;">Pasar Becekでは手に入らないものもPasar Modernであれば、大抵手に入ります。たとえば生花、食器類、調理用品、その場で焙煎してくれるコーヒー、砂糖ぬきの豆乳、冷凍食品、割と質の良い衣類、タオル、ベッドシーツ、サンダル、薬類、ティッシュ、洗剤など様々な日用品が揃っています。Toko Mas(宝石店)やネイルショップ、服やカバンのお直し・仕立屋さんまであるので、デパートやショッピングモールに行かなくても完結するほどの充実さです。ただ、敷地が広すぎて疲れてしまうのと、常に混んでいて駐車が大変なのが難といったところです。私が通うPasar Modernの様子がYoutubeに投稿されていたので、興味のある方はご覧ください(<a href="https://www.youtube.com/watch?v=59q90l18X-Y" rel="nofollow">https://www.youtube.com/watch?v=59q90l18X-Y</a>)。</p>
<p style="text-align: justify;">通常、Pasar Modernというと、スーパーマーケットやハイパーマーケットを差すことがありますが、今では伝統市場も進化してきているので、ここでは上述のPasar BecekとPasar Modernを「伝統市場」と総称し、スーパーマーケットやハイパーマーケットを「近代市場」と呼称させていただきます。</p>
<p style="text-align: justify;">「伝統市場」は、2021年の時点でインドネシア全土に1万4,182軒あり、中央政府、地方政府、民間部門、国営企業(BUMN)および地方公営企業(BUMD)によって管理されています。それに対し、民間が運営する「近代市場」は1,131軒あります。コロナ禍前とは多少、状況が変わったと思いますが、インドネシアでは依然として「伝統市場」が88.52%と主要市場となっています。一方、生鮮食品が主流ではない「ミニマーケット」と呼ばれる、売り場面積が400平米未満の小売店の成長は激しく、その代表であるAlfamartとIndomaretの店舗数は、2022年の時点で、全国で計3万7,390店舗となり、前年比4~8%も増えています。</p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●伝統菓子</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">今回は、「伝統市場」で私が良く買い求めるKue Pasar(インドネシアの伝統菓子)についてご紹介します。伝統菓子と一言でいっても、かなりの種類があり、各地方に特産の菓子も多く存在するため、名前を覚えきれません。買い求めるときに、売り子に名前を教えてもらうのですが、すぐに忘れてしまいます。そんな自分のためにも、この機会に伝統菓子の種類と名前を一致させたいと思います。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/564299c018cb463fbe969d043b2db0b6.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">(出所)</span><a style="font-size: 12px; text-align: justify;" href="https://www.cnnindonesia.com/edukasi/20230731134218-569-979958/25-jajanan-tradisional-indonesia-dari-berbagai-daerah" rel="nofollow">https://www.cnnindonesia.com/edukasi/20230731134218-569-979958/25-jajanan-tradisional-indonesia-dari-berbagai-daerah</a></p>
<p style="text-align: justify;">Kue Pasarは、主にKue Basah(生菓子)とKue Kering(乾菓子/干菓子)に分かれます。今回ご紹介するのは、Kue Basah(生菓子)です。個別の菓子を紹介する前に、先ず「生菓子」作りに欠かせないインドネシアならではの材料を挙げてみます。</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><strong>1) Gula Merah</strong></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">Gula Jawaとも呼ばれますが、サトウヤシの花序液を煮詰めて固めた砂糖です。サトウキビから糖の汁を絞って作られる日本の「黒砂糖」や、アレンの木の樹液から作られるGula Arenとは異なります。英語だと「パームシュガー」ですが、ここでは『グラ・メラ』と記載します。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/dec71a2d6b41467aa952f1ac84ec21e2.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">(出所)</span><a style="font-size: 12px; text-align: justify;" href="https://islandsunindonesia.com/id/kenali-perbedaan-brown-sugar-palm-sugar/" rel="nofollow">https://islandsunindonesia.com/id/kenali-perbedaan-brown-sugar-palm-sugar/</a></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><strong>2) Daun Pandang</strong></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">アジア・アフリカの熱帯地方、そして沖縄や小笠原諸島でも繁殖している「ニオイタコノキ」という植物です。「天然着色料」や「香りつけ」として使われ、鮮やかな緑色、甘いバニラのような香りが特徴です。そのため、菓子作りやジャム、紅茶などにも使われます。また、抗酸化作用、抗菌作用、消臭効果に優れ、スキンケア商品にも使われるという万能植物です。ここでは『パンダンの葉』と記載します。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/d03ec3b1ca974ec1aaf845441db9751c.jpg" /><span style="font-size: 12px;">(出所) <a href="https://www.liputan6.com/citizen6/read/5493105/berbagai-manfaat-daun-pandan-bagi-kesehatan-salah-satunya-menangkal-darah-tinggi、" rel="nofollow">https://www.liputan6.com/citizen6/read/5493105/berbagai-manfaat-daun-pandan-bagi-kesehatan-salah-satunya-menangkal-darah-tinggi</a> </span></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><strong>3) Santan</strong></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">生のヤシの実を粉砕機で削って、水を加えて絞ったものです。英語では『ココナッツミルク』といいます。スーパーマーケットでは、紙パックに入ったものも売っています。ここでは『サンタン』と記載します。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/7112ab72d2314262824bb90a0fdaeab8.jpg" /><span style="font-size: 12px;">(出所) <a href="https://www.kompas.com/food/read/2020/11/19/101600075/cara-bikin-santan-cair-bisa-untuk-rendang-dan-aneka-masakan" rel="nofollow">https://www.kompas.com/food/read/2020/11/19/101600075/cara-bikin-santan-cair-bisa-untuk-rendang-dan-aneka-masakan</a> </span></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><strong>4) Beras Ketan</strong></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">もち米のことで、白もち米と黒もち米があります。黒もち米はBubur Ketan Hitamなどのデザートにも使われます。もち米を粉状にしたものも良く使われます。ここでは『もち米(粉)』と記載します。</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><strong>5) Tepung Sagu</strong></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">サゴヤシの樹幹からでん粉を抽出し、粉状にしたものです。ここでは『サゴでん粉』と記載します。</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><strong>6) Tepung Tapioka</strong></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">キャッサバの根茎からでん粉を抽出し、粉状にしたものです。ここでは『タピオカ粉』と記載します。</p>
<p style="text-align: justify;">以上の6点が「生菓子」を作るのに欠かせない主な材料となります。</p>
<p style="text-align: justify;">(以下に続く)</p>
<ul>
<li>Kue Pasar(Klepon, Lempar, Wajik, Lapis Sagu, Talam, Mangkok, Apem, Onde-Onde, Ku, Dadar Gulung)</li>
<li>ケーキよりもKue Pasar</li>
</ul>2024-02-23T13:42:37+00:00ウォノソボライフ(72):ウォノソボ出身の著名人たち(1) ~レトノ・ピナスティ(モデレーター)~(神道有子)
2024-02-23T13:43:12+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28429/<p style="text-align: justify;">今月14日、インドネシアにとって今後少なくとも5年間を決める大事な行事がありました。大統領および国会議員、地方議員を決める総選挙です。各地区の投票所にて全国一斉に行われました。この日は学校なども休みとなり、断食明け大祭レバランの日くらいしか閉まらない市場も軒並み空っぽの状況。仕事より投票が優先されるというと驚くでしょうか。国のトップを決める直接投票であり、未来がかかっているのだという重みを国民は肌で感じているようです。</p>
<p style="text-align: justify;">私の住む村(世帯数約200)には、2つの投票所が設けられました。誰がどこの投票所へ行くかは事前に決められており、通知が来ています。朝7時から午後1時までの間に指定の場所へ行くと、地域住民から選ばれたKPPS (Kelompok Penyelenggara pemungutan suara: 集票実行委員会)が有権者を待っています。</p>
<p><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/430fd470d93c4e17a0f90170e88a98a6.jpg" /></p>
<p style="text-align: justify;">あらかじめ登録されていた有権者のデータとの照合が済むと、一人一人名前を呼ばれ、投票用紙を渡されます。今回は、大統領選挙、国会議員、地方議会、州議員、そして県議員を選ぶ5種の用紙がありました。囲いがされたブースに入ってそれぞれ候補者を選びます。</p>
<p style="text-align: justify;">インドネシア語で投票のことをチョブロス(coblos)、動詞形だとニョブロス(nyoblos)と言いますが、これは「突き刺す」という意味です。インドネシアの投票では、用紙にあらかじめ印刷されている候補者の欄を「突き刺して」穴を開け、選んだという意思を示すのです。</p>
<p style="text-align: justify;">投票所の各ブースには釘が置いてあり、その釘で用紙に穴を開けていきます。字を書けない人でも、これなら難なく意志を示すことができるのです。</p>
<p style="text-align: justify;">私はインドネシア国籍ではないので、公的な投票では参政権がありませんが、家族と所属するカトリック教会のリーダーを決める選挙などには参加したことがあります。投票箱、外から見えないように囲いがされたブース、候補者の顔写真と名前入りの投票用紙などが用意されていて、本格的でした。順番を待ってブースに入ると、小さな机に釘が用意されていて、おお、これが噂に聞くチョブロスか!とやけに感動してしまったのを覚えています。</p>
<p style="text-align: justify;">全てのチョブロスが済んだら投票箱にそれぞれの用紙を入れ、終わりです。投票所を去る前に、もう投票をしたという印として指をインクに浸します。他人の代理などとして同じ人が2度投票をすることが出来ないようになっているのです。この指にインクは選挙の象徴となっています。インクのついた指を写真に撮り、SNSに上げて選挙に行ったことを示したり、またこの日だけ特別に指にインクのある人にディスカウントサービスを行う店などもあったりするようです。選挙は国を挙げての一大イベントであり、ときにイデオロギーを巡って対立が起こりながらも、多くの人が今後よりよい生活が訪れることを願って未来を見据える日となっています。</p>
<p style="text-align: justify;">この選挙に先立ち、大統領選に立候補した候補者たちが生放送で討論を行う番組が放送されます。各大統領候補、副大統領候補たちがどのような論旨を展開させるのか、有権者たちが注目するこの討論会ですが、私は、今年は別の部分にも注目していました。討論会の司会進行を行うモデレーターに、ウォノソボ出身のジャーナリストが採用されていたためです。というわけで、今回と次回でこの討論会とモデレーターの紹介とともに、主にTV業界で活躍しているウォノソボ出身者たちを見ていきたいと思います。</p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●討論会とモデレーター</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">大統領選に向けた討論会は何ヵ月かにかけて、計5回、行われます。毎回異なるテーマに沿って、各分野の有識者から出された質問に答えたり、候補者同士で質疑応答および討論を行ったりするこの番組は、2~3時間に及びます。この場を最初から最後まで仕切るのが、選挙管理委員会によって選出されたモデレーターです。</p>
<p style="text-align: justify;">モデレーターの討論会における役割は重要です。討論会といっても、自由闊達に互いに意見をぶつけあうものではありません。どのタイミングでどの候補者が意見を述べるのか、その順番、発言時間はあらかじめ厳格に決められています。候補者にお題を提供し、候補者が発言時間を超過した場合には注意をし、制限をしたり、また時間が余った場合にはもう追加事項はないかなどの確認をし、順調に、そして公平に討論会が進行できるよう調整を行うのが、モデレーターです。</p>
<p style="text-align: justify;">専門家であるパネリストが作成した質問は封筒に入れられ、モデレーターの前に用意されています。誰にどの質問が当たるのかはランダムになるようにするため、パネリストが抽選で封筒を引き当てます。選ばれた封筒が封をされた状態であることをモデレーターはしっかりと全員に見せ、開封、中身を読み上げ、1分、4分といった時間を指定、該当する候補者に回答を促します。全国民に向けた討論会であり、八百長がないことを示さなければいけません。モデレーターへのインタビューによれば、準備段階で知り得た質問内容の守秘義務に同意する誓約書にサインをし、討論会の前日には謹慎をして候補者や支援者との接触が禁じられるなど、徹底して当日まで質問内容が漏れないようにしているとのことです。</p>
<p style="text-align: justify;">また、会場には各陣営の支援者たちも詰めかけています。議論が盛り上がるとすぐに大きな声援をかけてしまう支援者たちを制し、場の静粛を保つのも彼らの務めです。モデレーター自身が自らの見解を述べたり、自分で考えた質問を発したりすることはありません。非常に規律正しい討論会を、トラブルなく進めることに終始します。</p>
<p style="text-align: justify;">モデレーターは毎回違う人が2人ずつ採用されています。今年の計5回の討論会のなかで、やや異色だったのが、1月21日に行われた第4回目でした。いつもは男性1人、女性1人の組み合わせのモデレーターですが、この回では2人とも女性だったのです。選挙管理委員会としても史上初の女性2人によるモデレーターになったと発表しています。</p>
<p style="text-align: justify;">このとき選ばれたのが、ウォノソボ出身のレトノ・ピナスティ(Retno Pinasti)と、ジルフィア・イスカンダル(Zilvia Iskandar)でした。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/c99c64969ea94e118148ebc0e308c455.jpg" /><span style="font-size: 12px;">(出所)<a href="https://youtu.be/Dm2RA94EpfI?si=fh8FvQuYpxATSnFI" rel=" nofollow">https://youtu.be/Dm2RA94EpfI?si=fh8FvQuYpxATSnFI</a>より引用、右がレトノ</span></p>
<p style="text-align: justify;">(以下に続く)</p>
<ul>
<li>レトノ・ピナスティ</li>
<li>白熱の第4回</li>
</ul>2024-02-23T13:43:12+00:00往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第75信:インドネシア映画は高齢者を描けるか? ~『ステキな20歳』と『初めての愛、二番目そして三番目の愛』~(轟英明)
2024-02-23T13:44:22+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28431/<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/90e9939c27b24eaf8383615938326d22.jpg" /><span style="font-size: 12px;">韓国映画『怪しい彼女』のインドネシア版リメイク『ステキな20歳』(Sweet 20) ポスター。各国版との違いや如何に? imdb.comより引用。</span></p>
<p style="text-align: justify;">横山裕一様</p>
<p style="text-align: justify;">2週間ほど前のことですが、東京首都圏では大雪警報が発令され、久しぶりの積雪となりました。一昨年に本帰国して以降、積もるほどの雪は降っていなかったので、だいぶ寒さに震えましたが、一方で何十年かぶりに見る銀世界に心が躍ってしまったことを告白しなければなりません。常夏のインドネシアが懐かしい心情は何ら変わっていませんが、日本で暮らすのもなかなかどうして、良いものですね。</p>
<p style="text-align: justify;">前回第73信での私の指摘、2023年のインドネシア映画興行においてホラーものが圧倒的な強さを見せる状況への懸念を引き取るような形で、横山さんは第74信にてホラーもの以外では2023年にもっとも入場者数の多かった親子ドラマ『サジャダの片隅を濡らす涙』(Air mata di ujung sajadah、以下『サジャダ』) を取り上げていただきました。ありがとうございます。インドネシアのNetflixで配信が始まっていたことは聞いていましたが、日本では観られないようなので、VPNアプリを使っていずれじっくり鑑賞したいと思います。</p>
<p style="text-align: justify;">ただ、あらすじを読む限り、『サジャダ』は古典的で典型的なメロドラマ、いや、並みのメロドラマを上回る強度を持つという意味ではメロメロドラマのようでもあるようです。生みの親と育ての親の確執や自己犠牲、そして子供自身の葛藤。ハリウッド映画の古典『ステラ・ダラス』や戦後日本映画黄金期の三益愛子主演「母もの」に連なるジャンルにイスラーム的価値観を風味として付け加えた印象です。率直に言って、いかにもインドネシア人好みのストーリーだなあと感じます。</p>
<p style="text-align: justify;">私がメロドラマを苦手とすることは以前も書いたとおりです。これにはいくつか理由があります。ご都合主義がすぎる、現実にはあり得ない設定が多すぎる、登場人物が感情過多すぎる、感情表現が大袈裟すぎる、物語全体が冗長すぎる、などなど、いくつもの「過剰さ」が苦手感につながっています。とは言え、一方で荒唐無稽で出鱈目な設定のアクションやホラーものは大好きなのですから、我ながら矛盾しています。観客を泣かせるためなら何でもありの作為性が気に入らないというだけではなく、泣くという行為が他者に操作されることを無意識のうちに私は警戒しているのかもしれません。</p>
<p style="text-align: justify;">ところで、観客を泣かせることに主眼を置くメロドラマの対極にあるのは、社会の矛盾を告発する、誇張なしで現実そのものを鋭く切り取るリアリズムものと想定されます。お涙頂戴で浮世離れしている上に社会の矛盾から観客の目を逸らしてしまうメロドラマではなく、目の前の現実に根差した物語で観客の理性に訴え覚醒を促すリアリズムもののほうが、国際映画祭では明らかにウケがいいし、国内外のインテリからも高い評価を受けやすいものです。</p>
<p style="text-align: justify;">では、リアリズムものは上位ジャンルであり、メロドラマは下位ジャンルなのでしょうか。断じてそんなことはありません。悪い意味でのクソ真面目なリアリズムものは、ともすると教条的すぎる物語に堕してしまうことがままあるし、逆にメロドラマであっても社会問題告発が可能な作品も現実にあるからです。</p>
<p style="text-align: justify;">結局のところ、作品ごとに評価するしかないというありきたりな結論となりますが、「なぜインドネシアではメロドラマが好まれるのか?」という疑問はホラーものが非常に強い人気を誇る事実と同様に、インドネシア映画全体を考察する際に避けて通れない論点であることは間違いないでしょう。</p>
<p style="text-align: justify;">一つの仮説としては、インドネシアはメロドラマを成立させうる社会環境下に今もあるから、というものです。大衆に広くアピールする優れたメロドラマを成立させるカギは、戦争や天災や体制転換などの大規模な社会変容、あるいは社会階層や民族間や宗教間の差異や格差などの有無でしょう。</p>
<p style="text-align: justify;">日本で旧来型のメロドラマが衰退した理由の一つは、敗戦後の社会変動を経て高度経済成長期以降は日本が相当に均一的な社会になったからです。一方、インドネシアでは今まさに高度経済成長期にあると言っても過言ではなく、社会がいまだ旧来型のメロドラマを必要としているのでしょう。逆に言えば、いずれは旧来型のメロドラマは衰退していくのかもしれません。</p>
<p style="text-align: justify;">ただ、『サジャダ』においては、生みの親と育ての親の間に決定的な階級差はなさそうですし、また宗教的敬虔さも両者を分かつ決定的な要素ではなさそうです。その意味では、純粋なリアリズムではないにせよ、旧来型のメロドラマとは一線を画すようでもあります。</p>
<p style="text-align: justify;">にもかかわらず、食事の場面において育ての母ユンナが生みの母アキラに対して「私はお手伝いではない!」と感情を爆発させる場面があるのは実に興味深いことです。インドネシアには厳然として階級が存在することを如実に語っている台詞によって、メロドラマの出自が思わぬ形で露呈しているからです。</p>
<p style="text-align: justify;">また、第67信で言及した『ファン・デル・ウィック号の沈没』(Tenggelamnya Kapal Van Der Wijck)が、呆れかえるほどのご都合主義でほとんど時代錯誤に近いメロメロドラマを全編にわたって展開したのと比較すると、『サジャダ』は時代が現代に設定されていることもあってか、もう少し現実に即した形で観客の紅涙を搾り取る物語のようです。</p>
<p style="text-align: justify;">それでも、インドネシアでも非常に人気の高い是枝裕和監督の『そして父になる』と比べると、メロドラマらしい過剰さに満ち溢れている印象も受けます。実子取り違いの実話を元にした『そして父になる』のように、当の子供が実親の家と育ての親の家を行き来すれば最終的には万事全て解決!とのツッコミは果たして意地悪でしょうかね?</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/9ca55f0c9c194a48be2237317aad81b7.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">是枝裕和監督のカンヌ映画祭受賞作『そして父になる』画像。メロドラマ要素はあってもメロドラマにならない巧みさが世界中で高く評価された理由の一つか。imdb.com より引用。</span></p>
<p style="text-align: justify;">グダグダと未見の作品にコメントをつけてしまいましたが、私自身はメロドラマの研究書をほとんど読んでおらず、そのパターンが歴史的にどのように変容してきたのか、十分には理解していないので、まずは関連文献を漁って、さらにインドネシア社会がどのように外来のメロドラマを受容し我が物としてきたのか、過去に遡っていずれじっくり考察してみたいと思います。まずはNetflix で『サジャダ』を観なくては。やれやれ、また宿題が増えてしまいました。</p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: justify;">さて、前回第73信で熟年再婚もの『となりの店をチェックしろ:新たなライバル』を取り上げた流れで、今回も高齢者が主人公の作品2本を論じてみたいと思います。1本目はファンタジーコメディの『ステキな20歳』(Sweet 20)、2本目はコロナ禍の中で制作公開された家族ドラマ『初めての愛、二番目そして三番目の愛』(Cinta Pertama, Kedua dan Ketiga、以下『初めて』)です。両方ともインドネシアのNetflix で観られることを確認済みですが、横山さんはすでにご覧になっているでしょうか。</p>
<p style="text-align: justify;">ご存じのとおり、『ステキな20歳』はインドネシアのオリジナル作品ではなく、2014年の韓国映画『怪しい彼女』のリメイクです。韓国映画界が自国作品の脚本を積極的に海外へ売り込み、各国のキャストとスタッフでリメイク作品を作っている動きは2010年代から盛んになりましたが、本作もその一本です。横山さんが第46信で紹介した『自由』(Bebas)や『猟奇的な彼女』(My Sussy Girl)、近年ですと一昨年に580万人の観客動員を記録した『七番房の奇跡』(Miracle in Cell No. 7)や、第74信で横山さんが言及された『ハロー・ゴースト』(Hello Ghost)も韓国映画がオリジナルでした。</p>
<p style="text-align: justify;">そして『怪しい彼女』の場合、中国・ベトナム・日本・タイ・インドネシア・フィリピン・インド・メキシコの順でリメイクがそれぞれ制作され、アメリカ版も現在制作中とのこと。昨今は韓国国内での映画興行の低迷が聞こえてくるものの、依然韓国映画の勢いと海外へ販路を拡大しようとする元気の良さは健在のようです。</p>
<p style="text-align: justify;">恥ずかしながら、時間の関係から、私はインドネシアリメイク版の『ステキな20歳』しか観られていないのですが、各国版の予告編を見比べる限り、あまり大幅な改変はなく、見せ場となる場面や大枠のストーリーはオリジナルを踏襲している印象を受けます。まずはインドネシア版のあらすじを以下書き出してみましょう。</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">70歳のファトマはお節介でパワフルな女性。一人息子のアディティヤが大学教授であることを自慢していますが、何でも仕切りたがるせいで同居の嫁サルマからは煙たがられています。姑に振り回されるサルマはとうとう倒れてしまい、孫娘のルナは祖母を老人ホームへ入れるよう主張。いたたまれなくなったファトマは町をさまよい、ふと不思議な雰囲気の写真館「フォーエバー・ヤング」へ立ち寄ります。写真館の主人から「50歳若く撮ってあげますよ」と言われて写真を撮ったファトマでしたが、バスに乗ってふと気づくと・・・なんと50歳も若返っている!</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">写真館は煙のように消えていてファトマは途方に暮れますが、やがて若返った今こそ自由気ままに振舞えることに気づき、男友達ハムザが家主の貸し部屋に強引に入居し、老人サークルのカラオケではライバルのラハユからマイクを奪って歌を熱唱。70歳の時と変わらないお節介さと毒舌ぶりを発揮しますが、容貌は20歳のため、ハムザほか周囲の人間からは怪しまれるのでした。</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">やがてファトマの歌唱力に魅せられた孫息子ジュナからはバンドのボーカルになることを懇願され、続けて音楽プロデューサーからはテレビ番組出演のオファーが舞い込みます。かつて諦めた夢を叶えられることになったファトマは有頂天となるのでしたが・・・。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/fa75abc529a44852afffb22e0704784b.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">『ステキな20歳』の一場面。主人公ファトマのちょっとレトロなファッションと、でも中身は70歳のお節介おばあちゃんのマシンガントークが見どころのひとつ。imdb.comより引用。</span></p>
<p style="text-align: justify;">韓国版オリジナルよりもさらに面白くなっているのかどうか、オリジナル未見の私には俄かに判断がつかないものの、インドネシア版リメイクの『ステキな20歳』もなかなかどうして観客を楽しませる内容であることは確かです。主人公の人物造形はオリジナルをそのままなぞっているようではあるものの、若返ったファトマを演じたタチアナ・サフィラの好演が功を奏して、70歳を演じたニニック・カリムが実際に若返ったかのように観客を錯覚させてくれます。とりわけ、完全におばあちゃん目線での知りたがり、お節介焼き、口やかましさが笑わせてくれます。まさに「怪しい彼女」なのですね。</p>
<p style="text-align: justify;">そうしたシーンの中でも一番傑作なのは、男友達ハムザがファトマの若返りを知り、一方で心配しているファトマの家族を安心させるべく、いずれファトマが帰ってきたらファトマと結婚する意志を表明する場面です。こっそり盗み聞きしていたファトマ、そしてハムザの同居している娘ブンガがあり得ないとばかりに乱入して交互にまくしたてます。</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">「やめて、やめて!誰が結婚とか言ったのよ?」「私に相談もしないで勝手なことを!」「もう年寄りなのに、まるでティーンエージャー。あー、キモい!」「私のことを大きな花瓶か何かだと思っているの?私は娘よ!」「恥を知らないの?」「絶対イヤ!」「とにかく結婚なんてありえない!さっきの言葉、撤回しなさい!撤回!!テッカイ!!」</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">ブンガ「・・・ちょっと待って。なんでウチのことに首を突っ込むのよ?あなた一体誰?」</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;">ファトマ「えーと、私はただの下宿人よ、家主のことが心配な。失礼!」</p>
<p style="text-align: justify;">ブンガを演じているのは『ゾクゾクするけどいい気分』(Ngeri-Ngeri Sedap) や『母象』(Induk Gajah)の主演女優ティカ・パンガベアン。両作でも見せてくれたおばちゃんの毒舌ぶりをこの場面でも見せてくれて、ファンの私はニンマリしてしまいました。ダブルおばちゃん(?)パワーに、ハムザを演じたベテラン俳優のスラメット・ラハルジョがタジタジとなるのがまた可笑しみを誘います。</p>
<p style="text-align: justify;">さて、物語の終盤、ファトマは事故にあった孫ジュナを助けるために元の70歳に戻ることを選択し、真実を知った息子アディティヤは母への謝罪と感謝を伝えます。そして、観客をしんみりさせて本作は幕を閉じるかと思いきや、物語はまだまだ続く!とばかりのラストが待っています。まずまず上出来のコメディと言えるでしょう。</p>
<p style="text-align: justify;">と、ここまでは『ステキな20歳』の美点を挙げてみましたが、若干の物足りなさがなくもありません。一つには、ジャカルタに住む高齢者を取り巻く環境のリアリティが本作の描写全般でイマイチ薄いように感じられるからです。単に私の知見が不十分なだけかもしれませんが、物語内に出てきた老人サークルのような場所がジャカルタに一体どれだけあるのか。バスに乗る高齢者はどのくらいいるのか。また、ファトマと意地を張りあうライバル老人のラハユが一人寂しく病院で死去する挿話は、本筋とうまく絡み合っているとは言い難いです。「若返りもの」のコメディであるだけに、全て予定調和的に物語が進行しすぎるのも若干物足りなく感じる理由の一つかもしれません。</p>
<p style="text-align: justify;">結局のところ、本作がリメイク作品であることを私が知っている事情を差し引いても、適度なインドネシアらしさが本作からは欠落しているように感じられるのです。ファンタジーコメディとは言っても、何かしらリアリティをもう少し付加できなかったものか。分かりやすいし、面白いけど、何か物足りない。うーん、翻案とは実に難しいものです。</p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/af8c423fa6ba48939190512b5288e6bc.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">『初めての愛、二番目そして三番目の愛』(Cinta Pertama, Kedua dan Ketiga) ポスター。親の幸せと子供の幸せは両立するか? imdb.com より引用。</span></p>
<p style="text-align: justify;">さて、次は二本目の『初めての愛、二番目そして三番目の愛』について。こちらは出だしこそコメディっぽく始まりますが、連れ合いを亡くした高齢者同士のロマンス、その娘と息子同士のロマンス、さらにはややシリアスな家族ドラマとなかなか盛りだくさんな内容です。奇しくも主人公の一人デワを『ステキな20歳』でハムザを演じていたスラメット・ラハルジョが演じています。また、物語内の時期がコロナ禍であることがはっきりと明示されており、コロナ禍がすでに過ぎ去った現在から見てみると、ああそういえばあの頃はああいう雰囲気だったなあと回顧するのにぴったりな内容ともなっています。まずはあらすじから紹介しましょう。</p>
<p style="text-align: right;">(⇒ 20代半ばのラジャ(アンガ・ユナンダ)がコロナ禍で・・・)</p>2024-02-23T13:44:22+00:00インドネシア政治短信(9):大統領選挙直前:いくつかの所感(松井和久)
2024-02-11T12:30:17+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28391/<p style="text-align: justify;">2024年大統領選挙は、ジョコ・ウィドド(通称:ジョコウィ)大統領が2期10年を務めた後の新しい大統領を選ぶ選挙である。選ばれた大統領は2期10年を務めることになるかもしれない。インドネシアのこれからの10年を託す、どんなインドネシアになってほしいかを語り合う、未来へ向けての大統領選挙のはずである。</p>
<p style="text-align: justify;">そんなことを思いながら、5回の候補者討論会を視聴した。今、最も優勢なのは、討論会で質問にまともに答えられず、他の候補の意見に「賛成」を繰り返し、挑発されると感情的になり、ジョコウィ路線の継承を唱えるもどのように継承するのかも語れない、討論会での評価が常に最下位のプラボウォである。5年前、現職のジョコウィに挑んだ際の討論会でのプラボウォと比べても、今回のプラボウォが成長した様子は見られない。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/e26b60bf5ac245ef8a0c0ad8d8b67e9a.jpg" /><span style="font-size: 12px;">テレビ番組に出演した際、体を揺らして踊るプラボウォ(右)とそれを見守るギブラン(左)。(出所)<a href="https://kabar24.bisnis.com/read/20231202/15/1720301/citra-prabowo-gemoy-dan-cerita-kampanye-bongbong-marcos-di-filipina" rel="nofollow">https://kabar24.bisnis.com/read/20231202/15/1720301/citra-prabowo-gemoy-dan-cerita-kampanye-bongbong-marcos-di-filipina</a> </span></p>
<p style="text-align: justify;">質問に論理的に答え、自らの具体的な経験を交えた意見を述べ、感情的になることなく冷静さを失わず、討論を進められるアニスやガンジャルよりも、プラボウォの支持率がむしろ伸びるのが不思議である。候補者討論会は各候補者の能力を如実に示すものだが、明らかにそれは支持率の変動に影響を与えていない。むしろ、2人にやり込められるプラボウォが可哀そうという世論さえ、生み出されているのである。</p>
<p style="text-align: justify;">プラボウォはすでに勝利を確信している様子である。すでに、支持政党の党首に対しては、次期政権での有力ポスト就任を約束し始めてもいる。自らの下でインドネシアが強国になる動きが始まっている、世界は我々をそう見ている、一刻も早く政権を担いたい、とすでに前のめり気味である。</p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: justify;">プラボウォと組んだ副大統領候補のギブランは、インドネシアをこうしたいという他者にはない何か強烈な思いが果たしてあったのか。なぜ所属する闘争民主党の反対を押し切ってまで副大統領候補になったのか。若い世代の代表を自称するが、それ以外に彼がインドネシアの将来をどこまで深く思っているのだろうか。本当にどうしても副大統領になりたいのだろうか。</p>
<p style="text-align: justify;">ギブランは明らかに集票のためのコマである。ギブランの後ろには父親のジョコウィがいる。ギブラン自身の能力や政策手腕を買っているわけではない。ギブランと組むということは、ジョコウィの正当な継承者であるというイメージを確固たるものにする。よって、今回組んだプラボウォ以外の陣営も、実はギブランを取り込もうと動いていた。だから、今回の憲法裁判所絡みのギブランを副大統領候補にする流れは、プラボウォと組んだから批判されるのではなく、もともとあったのだ。ジョコウィは当初、息子が副大統領候補になることに対して批判的だったが、彼以外がジョコウィに忖度してギブランをコマにしたがった。ジョコウィ一家の政治王朝化は、ジョコウィ自身が望んでいたというよりも、ギブランをコマにして集票するという流れのなかで、ジョコウィに忖度した政治家たちが皆で作り上げたのである。</p>
<p style="text-align: justify;">そして、政治家たちの忖度をジョコウィは逆に利用した。ジョコウィは特定の政党のみを利するような政治を行いたくなかった。自身の所属する闘争民主党の実を利する政治を行いたくなかったし、そもそも、一般党員に過ぎないジョコウィの闘争民主党への忠誠度は決して高くなかった。ジョコウィは自分に忖度するすべての政党や政治家の上に位置し続けた。そうした忖度によって、特定の政党に偏らない姿勢を示すことで、支持政党が自らジョコウィを忖度し、ジョコウィを崇めようとする、その神輿の上に乗っていた。政党や政治家は支持率を上げるためにジョコウィを担いだ。そこに見えるのは、政党政治ではない。</p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: right;">(⇒ スハルトはその強権により・・・)</p>2024-02-11T12:30:17+00:00ロンボクだより(108):ロンボク地震を振り返って(岡本みどり)
2024-02-07T16:38:06+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28390/<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 12px;"><strong>(編集者注)本稿は、</strong><strong>2024</strong><strong>年1月8日発行の『よりどりインドネシア』第</strong><strong>157</strong><strong>号に所収の「ロンボクだより(</strong><strong>106</strong><strong>)」の続きです。</strong><strong>2018</strong><strong>年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。今回がロンボク地震に関する振り返りの最終回となります。</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">みなさん、こんにちは。インドネシアはいよいよ来週、大統領選。勤務校でも「先生、誰に投票する?」と生徒たちに尋ねられます。生徒たちの間ではプラボウォ氏が大人気です。さて、どうなることやら・・・。</p>
<p style="text-align: justify;">今回はロンボク地震のまとめです。あくまで私的な観点での振り返りとなりますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。</p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: justify;">2019年、ロンボク地震から1年が経とうとする頃、私はたくさん義援金をいただいていたので、支援者に復興の様子を示す一つの形として、なんらかのイベントを企画していました。</p>
<p style="text-align: justify;">日本では追悼式を行うけれど、こちらはどんなふうにするのかなぁ。</p>
<p style="text-align: justify;">私はこちらの作法を探りたくて周りの人々に聞いてみました。ですが、一向にそれらしい答えが返ってきません。それもそのはず、どうやらこちらでは追悼式をはじめ、被災後◯年などのイベントはしないようなのです。</p>
<p style="text-align: justify;">それでも何かのイベントを、と考えた時期もありましたが、それは私が「支援者の目」を意識しているからにすぎないと気づきました。あらためて被災者を見渡したとき、需要がないと判断し、イベントは行わないことにしました。</p>
<p style="text-align: justify;">結局、本震から1年ちょうどたった日に、地元のNPOがイベントを開催しました。そのイベントは祈りのイベントでした。夜の浜辺に村の人々を集めてろうそくを並べ、イスラム教・バリヒンドゥー教・仏教それぞれの代表者たちがそれぞれの祈り方で同時に祈りを捧げました。</p>
<p style="text-align: justify;">「やっぱり『祈り』なんだ」</p>
<p style="text-align: justify;">私は静かであたたかな式を見ながら、被災地の暮らしに常に祈りが一本の芯として横たわっていたことを思い出しました。</p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: justify;">すでにロンボクでの震災から5年以上たった今、震災を振り返ると、真っ先にでてくるのは「楽しかった」という言葉です。</p>
<p style="text-align: justify;">この言葉が出てくることに自分が一番驚いていますし、不謹慎ではないかと思う気持ちもあります。が、今の私の本音を正直に表に出すのなら、「楽しかった」です。</p>
<p style="text-align: justify;">こう感じるのは私だけではありません。</p>
<p style="text-align: justify;">村の子どもたちも、大人たちも「あれ、楽しかったね」と振り返ります。あれというのは、被災直後から数週間、同じ集落のみんなで丘の上で過ごした日々のことです。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/f256d9960b3348a9ac18f8135dd00277.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">被災二日目。丘の上で子どもたちと。</span></p>
<p style="text-align: justify;">もちろん、トラウマを抱えた/今も抱えている人もいます。困難だったことは山のようにありましたし、反省点・課題点もあります。</p>
<p style="text-align: justify;">なのに、ないないづくしで一番大変だった、被災生活の象徴的な数週間が、振り返ると一番「楽しかった」のです。なぜでしょうか。</p>
<p style="text-align: right;">(⇒ 一つ、月日の流れと信仰が・・・)</p>2024-02-07T16:38:06+00:00ラサ・サヤン(49):~家庭の害獣・害虫~(石川礼子)
2024-02-07T16:38:29+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28376/<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●雨期の悩み</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">雨期に入り、私の家の内外には害獣・害虫が増えているような気がします。害獣とはネズミ、ヤモリ(チチャック)、イタチ(インドネシア語でムサン)で、害虫は蚊、ハエ、コバエ、蟻、ゴキブリ、ダニ、ノミ、ムカデなどです。</p>
<p style="text-align: justify;">「チチャック」と聞いて、なかには「チチャックは蚊やハエを食べてくれる益獣でしょう」とおっしゃる方も多いと思いますが、個人的には「チチャック」を有り難いと思ったことがありません。むしろ、壁に飾ってある時計や絵画の後ろに住み着いて糞だらけにするし、突然ヒョロッと現れてヒヤッとさせられるし、夜中に台所や食卓にある食べ物を漁られたりして迷惑を被っています。</p>
<p style="text-align: justify;">先日も朝起きたら、ベッドで私の下敷きになったチチャックの死体があり、ベッドにまで潜り込んでくるのかと、朝から嫌な気分になりました。だからといって、チチャックに向かって防虫スプレーを撒いたり、追い払ったりはしていないので、我が家には常に何匹か(もしくは何十匹かも)は住み着いています。</p>
<p style="text-align: justify;">これは、ほんの一例で、他にも害獣・害虫に悩まされることが多々あります。そこで、インドネシアの特徴的な害獣・害虫の種類や生態等について調べてみました。テーマがテーマだけに、添付の写真も含め、気分を害される方もいらっしゃるかもしれません。その点、ご了承ください。</p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●害虫</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">我が家にとって一番煩わしい害虫は、「蚊」です。特に、私は蚊に刺されやすい体質なので、毎日、家にいるだけで最低でも5箇所は刺されます。したがい、蚊除けクリーム(ローカル製品の『Autan』が良く効く)は欠かせませんし、かゆみ止め(これもローカル製品の『Balsem』)も常備しています。「デング熱」に罹るのが怖いので、ネッタイシマカに刺されないよう、水を溜めず、朝夕と家の要所要所に防虫スプレーを撒いています。</p>
<p style="text-align: justify;">この防虫スプレーがまた問題で、私は毒性が少ないフマキラー・インドネシア社の『ベープ(Vape)』を使いたいのですが、主人は小さい頃から馴染みのある、でも毒性の高いローカル企業の『バイゴン(Baygon)』や『ヒット(HIT)』が一番だと言って、スーパーマーケットで買い求めます。仕方なく、寝室だけには『ベープ』を使うようにしています。フマキラー・インドネシア社もすでにインドネシア進出30年以上なのだそうです。ベープの製造・販売、そして害虫駆除の施工もされているとのこと。フマキラー全体で海外事業が売上げの4割以上を占め、インドネシアはその中でも一番の拠点となっているそうです。それだけ、インドネシアには『ベープ』を買う人も、退治すべき害虫も多いということなのでしょう。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/5cc3f4302c294261865f20df0dc1ed7b.jpg" /><span style="font-size: 12px;">スーパーマーケットで販売される防虫スプレーの数々。(出所)<a href="https://www.shutterstock.com/search/baigon" rel="nofollow">https://www.shutterstock.com/search/baigon</a> </span></p>
<p style="text-align: justify;">「蚊」の次に困るのが「ハエ」です。「ハエ」と一言でいっても調べてみたら、多くの種類が存在します。ショウジョウバエだけではなく、ノミバエ、キノコバエ、チョウバエなどの「コバエ」がいます。そこからさらに数種に分かれするそうですが、素人目にはどの種類の「コバエ」かは見分けられません。</p>
<p style="text-align: justify;">このかなり小さな「コバエ」が大量発生しており、冷蔵庫を開けた隙に入り込むのか、冷蔵・冷凍庫の中にまで入り込み、掃除するだけでも大変です。レストランなどでも「ハエ」が飛び回って、落ち着いて食べられないことが良くあります。手で追い払いながら食べるのにイライラしていると、店員さんがロウソクに火を点けた皿を持ってきてくれたりします。ちなみに、日本で販売されているアース製薬の『ハエとり棒』はインドネシア製だそうです。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/2e87a66b92ec4a30a421216fdb006aef.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">コバエの種類(出所)</span><a style="font-size: 12px; text-align: justify;" href="https://limia.jp/article/1535707/" rel="nofollow">https://limia.jp/article/1535707/</a></p>
<p style="text-align: justify;">「蟻」は、甘いものに群がりますが、特に甘味の強い果物ランブタンには、あっという間に大群で押し寄せるから驚きます。「シロアリ」もインドネシアでは困った害虫の一つです。私の知り合いの家の天井に「シロアリ」が巣を作っていたらしく、ある日突然、天井が落ちてきて住めなくなったという話を聞きました。何年か前に、「シロアリ」に数千万ルピアの紙幣を食べられてしまったという事件が中部ジャワ州ソロ市でありました。兼業しながら、こつこつと稼いだ現金をプラスチックの容器に保管していた学校の警備員さんが2年半かけて貯めたお金のうち、5,000万ルピアの大量の紙幣がシロアリ被害に遭ってボロボロになってしまったというニュースがソーシャルメディアで拡散されました。拡散されたお陰でインドネシア中央銀行は、シリアルナンバーを確認できれば交換してくれる、とコメントしました。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/26909d9f3f8045aab8d9f8143e12552a.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">「シロアリ」に食べられた紙幣(出所)</span><a style="font-size: 12px; text-align: justify;" href="https://news.lifenesia.com/?p=24220" rel="nofollow">https://news.lifenesia.com/?p=24220</a></p>
<p style="text-align: justify;">「ゴキブリ」は幸いなことに、防虫スプレーのお陰か、最近は動いている「ゴキブリ」を見ることはありません。時々、死に掛けているのや、亡きがらを家の内外で見ることがあります。それでも、「ゴキブリ」が大嫌いな私はそれをつまんで処理することができません。そうなると、ウチのメイドさんの出番です。どんなにデカイ(失礼!)ゴキブリもヒゲをつまんで新聞紙に包んで外のゴミ箱に捨ててくれます。主人に頼んでも『死んだゴキブリくらい自分で取れよ』と言って取り合ってくれません。メイドさんは、主人より頼れる存在です。</p>
<p style="text-align: justify;">「ダニ」や「ノミ」は、日本の梅雨の時期に多く発生しますが、年中暖かいインドネシアでは一年中、活発です。「蚊」に刺されやすい私は「ダニ」にも刺されやすく、地方のホテルに宿泊したりすると、いっぺんに刺されてしまいます。なので、地方に旅行する際には、リネン用の防虫効果のあるアロマスプレーを持参して、寝る前に寝具に散布するのが通常です。「ダニ」も「ノミ」も目に見えないので、どちらに刺されたのか判断するのは難しいのですが、刺されたところが水ぶくれになったりすると、「ノミに刺されたのだ」と判断します。「ノミ」は、ペットのウサギから発生していることも考えられますが、犬や猫に比べると、ウサギにはノミは付きにくいようです。痒がっていることもありません。</p>
<p style="text-align: justify;">そして、悩ましい最後の害虫は「ムカデ」です。日本では「百足」とも言いますが、インドネシアでいう『Kaki Seribu(千の足)』とは、実は「ムカデ」ではなく、「ヤスデ」のことなのだそうです。その違いは、「ムカデ」は肉食性で毒が有りますが、「ヤスデ」は毒が無いそうです。さらに詳しく言うと、「ムカデ」は一つの節から左右に1本ずつ脚が出ていますが、「ヤスデ」は一つの節から左右に2本ずつ出ているそうです。風呂場に出てくるのですが、それが「ムカデ」なのか「ヤスデ」なのかは、はっきりしません。「ムカデ」にしても「ヤスデ」にしても、排水溝から侵入してくることが多いそうなので、時々、排水溝にも「ベープ」を散布して、蓋をしたりして退治しています。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/332df2451c1546daa7c4c949a23b3038.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">「ムカデ」と「ヤスデ」の違い(出所)</span><a style="font-size: 12px; text-align: justify;" href="https://limia.jp/article/1593281/" rel="nofollow">https://limia.jp/article/1593281/</a></p>
<p style="text-align: justify;">(以下に続く)</p>
<ul>
<li>害獣</li>
<li>停電・断水</li>
<li>後日談</li>
</ul>2024-02-07T16:38:29+00:00ジギー節考(太田りべか)
2024-02-07T16:38:52+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28374/<p style="text-align: justify;">ジャワは雨季たけなわ。雨季入りがやや遅めだったのに加えて、11月も後半になってやっとまともに雨が降り始めたと思うと、12月半ばには2週間ほどまったく雨の降らない日が続き、私が住んでいる中ジャワ州スマラン市の水道会社は、一時期水不足に陥っていたようだ。それでも年が明けると、さすがに本格的に雨季に入った。洪水の季節の到来である。</p>
<p style="text-align: justify;">今回紹介するジギー・ゼザゼオフィエンナザブリズキー(Ziggy Zezsyazeoviennazabrizkie)の新作『人造洋の岩の島』(“Pulau Batu di Samudra Buatan”)は、洪水をモチーフというかネタにした物語だ。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/e0a0eaed8a3d4bb2b919d594931bacef.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">Pulau Batu di Samudra Buatan</span></p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●新新メザニンにて</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">とあるホテルが洪水のために6階まで水没してしまう。取り残された宿泊客とホテルのスタッフは、もとは4階というかM階のメザニンにあった共有スペースから逃れて7階の新メザニンに移動する。ところが水位は容赦なく上昇し続け、7階も水に浸かり始めたため、一同は新メザニンを捨ててさらに上階へ移動せざるを得なくなった。</p>
<p style="text-align: justify;">さて、何階を新新メザニンにすればいいか? 「私」は11階がいいのでは、と提案するが、ホテル・マネージャーのクスマ氏は躊躇した。11階は奇妙な人物サイ夫人が宿泊しているフロアだったからだ。そこでクスマ氏は、11階にはじゅうぶんなスペースがないことを理由に、14階を新新メザニンとすることを提案する。「そこから2階分上がるだけですからね。というのは、13階はないからです、もちろん。ここはホテルですから。つまり14階というわけです」</p>
<p style="text-align: justify;">そこでクスマ氏は張り切って、新新メザニンの準備をすべく「ほんとうは13階だけれど迷信のせいでその呼び方をなくしてしまったけれどそれでもやっぱり13階は13階であるところの14階」へ向かう。その後、新新メザニンとして取り残された人々の共有スペースとなった14階が言及されるたびに、「ほんとうは13階だけれど迷信のせいでその呼び方をなくしてしまったけれどそれでもやっぱり13階は13階であるところの14階」という長い修飾句が繰り返される。これがジギー節だ。きっと子どもはこういう執拗な繰り返しを読む、または聞くたびに、キャッキャと笑うだろうな、と思う。</p>
<p style="text-align: justify;">取り残された宿泊客とホテルスタッフ合計87人は、折々新新メザニンに集ってこの先のことを話したり、無駄話をしたり、ただぼんやりしたりして過ごすようになった。水が引く気配がいっこうにないため、まず喫緊の課題は食糧の確保だ。サクソフォン奏者のトラ氏が生きた魚を一匹捕まえたことをきっかけとして、釣り人隊が結成される。サクソフォン奏者で肺が強いおかげで潜水が得意なトラ氏、バタフライ選手で「肩幅が広く、腕が強く、(望まないけれど)望みさえすれば拳骨で殴りつけて人の歯をへし折ることだってできる」ラトゥリ嬢をはじめとして、20人弱が釣り人隊に加わり、水没してしまったフロアを泳ぎ回って、食べられそうな物ならなんでも集めることになった。</p>
<p style="text-align: justify;">次に結成(?)されたのは考える人隊である。実は自分の頭で考えられる人はあまりいなかったので、考えることはわずか数人の考える人隊に託される形となった。筆頭は、なににおいても鋭いウナ夫人だ。雨が降って洪水が始まった日からすでに数日が過ぎ、晴天が続いているのに水が引く気配がない。これはなにかがおかしいのではないか? ウナ夫人は皆に向かってそう指摘する。</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><em>ウナ夫人がすることは、なんでも鋭い。鋭く見つめ、鋭く唇を突き出し、鋭い角度でくるりと回り、鋭くなるまで爪を磨く。声も鋭い。その鋭い声で、鋭い頭脳で考えたことを口にする。(…略…)そうして大きな窓のほうへ歩いていき、(鋭い)視線を遠くへ、窓の外に広がる巨大な</em> <em>——灰色と褐色がかって薄気味悪く、終わる気配のない——</em> <em>水たまりへ投げた。</em></p>
<p style="text-align: justify;">こんなふうに個性的な人々が幾人も登場し、それぞれが体現するキーワードを畳みかける形で、それぞれの人物が描写されていく。これもジギー節だ。</p>
<p style="text-align: justify;">ウナ夫人率いる考える人隊が導き出した結論は、これは意図的に、おそらくホテルに人々を閉じ込めるために引き起こされた洪水だということだった。けれども、いったいだれが? なんのために? それにどうやって? </p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●サイ夫人と五つ子</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">ホテルに閉じ込められた一筋縄ではいかない87人の中でも異彩を放っているのは、11階に宿泊するサイ夫人だ。サイ夫人はひどく小柄で、冷淡で飄然としていて、洪水をめぐる騒ぎにも我関せずといったようすで、ひたすら足踏みミシンを踏み続けている。実はサイ夫人は世界でも評価の高い名仕立師であるらしく、このホテルに滞在していたのも、ある人物から花嫁衣装の仕立てを依頼され、出来上がるまでホテルに泊まり込んで制作してほしいというのが依頼主のたっての願いだったからだ。幸い11階の居室は水に浸からず、部屋に持ち込んだ愛用のミシンは旧式の足踏みミシンだったため、洪水で電気が使えなくなっても困ることなく、人々の騒ぎをよそに淡々と作業を進めている。</p>
<p style="text-align: justify;">そのサイ夫人には五つ子の娘がいて、もちろんホテルにも同行して来ている。それぞれが際立った特徴を持つこの五つ子こそが、この物語の中心人物たちであり、最終的にこの洪水問題を解決に導くために大きな役割を果たすことになる。</p>
<p style="text-align: justify;">五つ子は6歳、1番目はスカラという名前で、頭が切れ、手先が器用で、無口でものに動じず、いつも冷静だ。五つ子は皆、母親お手製の美しいネグリジェを着ているのだが、スカラのムスリン地のネグリジェは中でももっとも手の込んだものだ。さらに五つ子はそれぞれ色違いのリボンをつけていて、スカラのものは「どぶの縁に生えた苔の色に似た深緑」だ。「そのうちのひとつ(リボンのこと、どぶの苔ではなく)」はもしゃもしゃの髪の半分を後頭部の上のほうで縛るのに使い、もうひとつの長いほうは腰に巻いている。いろいろな物を集めて、電気の使えないホテルで電球に灯りを灯すことに成功したり(短時間しかもたなかったけれど)、持ってきていたネイルラッカーで妹たちや、他の客たちの爪をきれいに塗ってあげたりする。洪水で閉じ込められて以来、あちこちの部屋を回ってホテル備え付けの鉛筆を盗んでくるのが習慣になった。その鉛筆をどうするのかと訊かれると、「こういう不思議で抑圧的な出来事に直面しているときには、あたしたちみんな健全な思考を維持するために、ささやかな活動が必要なんじゃない?」と答える思慮深い女の子だ。</p>
<p style="text-align: justify;">五つ子の2番目はダナ。礼儀正しく落ち着いていて、4番目のメトロの一番のお気に入りで、メトロによると、五つ子の中で一番かっこいい。ちょっと風変わりなところはあるものの、五人の中ではもっとも普通な女の子だ。髪は真っ直ぐで、爪はピンクがかった紫色に塗られ、淡い紫のリボンをつけている。ジャワ語の優れた使い手でもある。</p>
<p style="text-align: justify;">3番目はカリ。とても無口で、素早く瞬きをする以外の動作はいつもとても静かで物音ひとつ立てない。他の子どもならすぐに破ってしまうような繊細な生地シルクシフォンのネグリジェを着ているのも、あまりに静かなカリならではだ。母親に似て、なにごとにも我関せずといったようすで、感情がほとんどないようにすら見える。髪は豊かな巻き毛で、リボンの色は青。皆の予想に反して、洪水騒ぎの終盤近くで思いがけない活躍を見せる。</p>
<p style="text-align: justify;">4番目はメトロ。5人の中で一番騒々しく活発で毒舌家だ。その分感情表現も素直でかわいげもある。コットンクレープのネグリジェを着て、桃色のリボンをつけている。アフロヘア的なきつい巻き毛に3~4センチ間隔でリボンをつけて縛っている。スカラのことが嫌いでブタ呼ばわりし(スカラはまったく気にしていないらしい)、ダナのことが大好きで、ほんとうはダナのすぐ下の妹になりたかったのに、間にカリが挟まっていることで、ちょっとカリを恨んでいる。音楽が大好きで、サクソフォン奏者のトラ氏と意気投合し、周りの状況を確かめるため屋上に赴く任務を負ってトラ氏が出発したとき、貴重な食糧保管場所からグラノラバーを1本くすねて、トラ氏にプレゼントした。そしてこっそりトラ氏の後をついていき、屋上に出たとたんに撃たれたトラ氏を24階から19階まで引きずり下ろしたのもメトロだった。</p>
<p style="text-align: justify;">5番目はスジ。5人の中でも頭抜けた変わり者で、洪水でホテルに閉じ込められてから最初の週の終わりまで、サイ夫人親子以外の前にほとんどその姿を見せなかった。「私」がはじめてスジの姿を見たとき、スジは9階の部屋の開いた扉の上に足を引っ掛けて逆さまにぶら下がっていた。そして「私」の顔を見るなり、「今朝起きたとき、なにを考えた?」と尋ねた。赤いリボンをつけ、5人の中ではもっともシンプルなリネンのネグリジェを着ている。身体能力が極めて高く、泳ぎも得意で、皆の前に姿を見せなかった1週間、ホテルの下の階を泳ぎ回って、釣り人隊とは別にたくさんの食料を集め、スカラに教わったやり方でドライアイスを作って、生鮮食品まで密かに貯蔵していた。最終的に、このスジの活躍がホテルに取り残された人々の救出劇の決定打となる。</p>
<p style="text-align: justify;">こういった個性際立つ子どもたちの描写や、大人たちの常識とは異次元をいく言動もジギー節だ。たとえば、非常階段の19階で、すでに息を引き取ったトラ氏のそばでしゃくりあげているメトロが発見され、新新メザニンに連れ戻されたメトロは、上階での出来事を話す。「あたし、(トラ氏を)下まで引きずってきたの。だれか助けられる人がいるかもって思ったから」</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><em>「でも、助けられる人いなかったんだね?」</em></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><em>イングリッド嬢がメトロの肩を優しくさすりながら言った。「ええ、そうね、いなかったの」</em></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><em>「トラさん、死んだんだね?」</em></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><em>「ええ、そうね。死んでしまったの」</em></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><em>メトロの目がまた大きく見開かれ、それから瞬きをした。「あたしたち、トラさんを食べるの?」</em></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><em>イングリッド嬢はとまどって、ウナ夫人に視線をむけた。</em></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><em>「食べないわよ」とイングリッド嬢はうろたえた声で言った。「たぶん」</em></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><em>「あたしさ」とメトロは大きな声で言った。「下で魚が泳いでるの見たの、だからあたしさ、ホテルには生きた魚がいるんだよ、だからあたしさ」確信に満ちた声でメトロは続けた。「もしトラさんを食べないんなら、魚を釣る餌にしたらいいんじゃない? そしたら、あたしたちの食べ物を餌にしなくていいし、それにもっとたくさん食べ物が手に入るでしょ。どう?」</em></p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><em>「いいアイディアだと思う」そう言ったのは、めったにしゃべらない上に、さらにめったに妹を褒めたりしないスカラだった。「ラトゥリさんも死んじゃったみたいだし、ラトゥリさんのことも食べないみたいだし。それなら、ふたりを餌にしたら、死体が臭って腐ることも心配しなくていいし、食べ物も手に入る。すごくいいよ、メトロ」</em></p>
<p style="text-align: justify;">ところで、メトロが屋上でトラ氏が銃撃されるに至った経緯を語るとき、おしゃべりなメトロの話はすぐあちこちに脱線してしまう。グラノラバーのことを熱心にまくしたてたり、スカラの悪口を言ったり、話すのが遅いオキ氏を揶揄したり、際限なく脱線していき、そのたびにウナ夫人に本筋に戻るようたしなめられる。メトロだけでなく、語り手である「私」も、ややもすると脱線していく。五つ子の5番目のスジのことを語っている途中で、スジと同名の植物で、その葉を使って食品を緑に色づけする話になり、そうやって緑色に着色されたおいしいお菓子の話が延々と繰り広げられる。こういう脱線も、ジギー節だ。</p>
<p style="text-align: justify;">宿泊客のひとりウタリ夫人が部屋で首を絞められて死んでいるのが発見され、皆が犯人探しで疑心暗鬼に陥っていたとき、五つ子の眠る部屋に何者が押し入るという事件が起きる。5人は部屋から逃げ出したものの、なんとかして犯人を取り押さえなければならない。そこで英語が達者で、さまざまな映画を知っていて、折りあるごとに映画から引用したセリフを英語で口にする五つ子の5番目スジが提案する。</p>
<p style="text-align: justify; padding-left: 30px;"><em>「…(略)…あたしとカリがおとりになるよ。昔すんごく流行った『ロナルドと巨大チェスの攻防』って映画みたいに。貧乏一家の出の魔法使いの子が、自分が犠牲になって、先生が仕掛けた罠を仲間たちが突破できるようにする話。うわあ、ってあの子がぶっ倒れたとき、あたし思ったんだ。ああ、どうかあとでお金ができたら、お母さんがあの子にプレゼントをあげるか、家でおいしいものを食べさせてあげますようにって。さあ、メトロとダナ、あんたたちがハリーになって。あたしたちが動くまで待って、それから進むんだよ。あの映画の間ずっと、あの子ってそうだったからさ。なんにもしないで、なのに映画のタイトルになってさ。なんか不公平だよね。だからタイトル変えたんだ。…(略)…」</em></p>
<p style="text-align: justify;">もちろんこれはハリー・ポッター・シリーズの第1弾『ハリー・ポッターと賢者の石』で、「賢者の石」を守るべく魔法学校の教授マクゴナガル先生が仕掛けた巨大チェス盤の罠を突破するために、どちらかというと劣等生だけれどチェスだけは得意なロン(ロナルド)が自ら捨て駒となって、仲間のハリーとハーマイオニーを先に進ませる場面のことだ。こういうところも、やっぱりジギー節である。</p>
<p style="text-align: justify;">結局、洪水の謎は解け、幾人もの死者を出してしまったものの、生き残った人々は無事ホテルから救出される。その設定はいかにも荒唐無稽で説得力のかけらもなく、どうせなら2021年に発表した『いこう、今すぐ』(“Kita Pergi Hari Ini”)のように、思い切ってファンタジーの世界の方向に針を振り切った物語にすればよかったのに、と思わなくもないけれど、実はこの作品では、物語の筋や設定や整合性なんかを問題にしてはいけないのである。なにしろこの物語は、随所で炸裂するジギー節を楽しむためにあるのであり、その中に仕込まれた辛辣さや苦味を味わうためにあるのだから。</p>
<p>(以下に続く)</p>
<ul>
<li>木の中の三つ</li>
</ul>2024-02-07T16:38:52+00:00往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第74信:ジャワ文化とイスラム教が生み出す寛容と優しさ ~映画『サジャダの片隅を濡らす涙』より~(横山裕一)
2024-02-07T16:39:16+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28377/<p style="text-align: justify;">轟(とどろき)英明 様</p>
<p style="text-align: justify;">ジャカルタでは「から雨季」であるかのように雨があまり降らない日が続きましたが、1月下旬頃からようやく本格的な雨季らしくなってきました。</p>
<p style="text-align: justify;">前回、轟さんが2023年のインドネシア映画の観客動員数について補足してくれたことに感謝します。前稿で私も迷った挙句あえて外した内容だったからです。理由は様々な作品群の内容に重点を置いたことと、作品の魅力と興行成績とは連動しにくいためです。ただし轟さんの指摘のように、このデータを通してインドネシア人観客の求める嗜好やそれを受けての業界の行方などインドネシア映画界全体を考えるには重要な要素でもあります。</p>
<p style="text-align: justify;">トップ20の作品群の実に65%がホラー作品という結果は、やはりというか何とも極端な結果ですよね。以前も本稿で触れましたが、多数のインドネシア人の映画に対する捉え方が変わっていないのも事実です。「映画はハリウッドや韓国ものが面白い。インドネシアものはイケてなくて、質も低い。観るならホラーだけ」。自国映画に対する人々の認識が、現実とはかけ離れた固定概念になってしまっていることは非常に残念であるとともに、良い作品が埋もれていってしまっているのは「勿体ない」現状です。</p>
<p style="text-align: justify;">偶然ですが、昨年の観客動員2位のホラー作品(Di Ambang Kematian)を劇場で観ましたが、残念ながらあまり印象に残る作品ではありませんでした。あくまで個人的感想ですが、この作品が2位だったと知り、乱暴な言い方ですがホラーであれば何でも売れてしまうのが現状なのかと改めて感じました。ただ、日本映画も似たような傾向です。日本映画製作者連盟が発表した2023年の興行収入ランキングでは、トップ10のうち上位3位を含めた6作品をアニメ作品が占めていて、第4位の『キングダム』もアニメの実写化。残る実写3作品も定番の『ゴジラ』とテレビドラマの映画拡大版です。「アニメ一強」の日本と「ホラー一強」のインドネシア、観客の求める嗜好の偏りは同じです。</p>
<p style="text-align: justify;">ホラー一強とはいえ、業界全体が活況を呈しているため裾野が広がり、いわゆる良質な映画も小規模な制作会社やインディーズで制作される機会が広がっているのも事実です。ただし将来に向けた危惧は轟さんと同じで、前回も紹介した昨年末公開の映画『映画のように恋に落ちて』(Jatuh Cinta Seperti di Film-Film)内のワンシーンを思い出しました。それは以下のような内容です。</p>
<p style="text-align: justify;">映画脚本家の主人公がプロデューサーに脚本を売り込む際、タイトルを尋ねられる。主人公が「映画のように恋に落ちて」だと答えると、(作品内でボケ役の)プロデューサーは「それはいい!」と膝を打って「では、“ホラー映画のように恋に落ちて”でいこう!ホラー、これはウケるぞ!!」と話すシーンです。まさに現在のインドネシア映画界を象徴し、辛辣に皮肉ったシーンです。同時に制作者をはじめ業界内の人々が現状の危機を一番感じていながらも、打破できないジレンマに陥っていることも感じとることができます。</p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: justify;">さて、今回は昨年の観客動員数で、ホラー以外で最上位の3位だった作品『サジャダの片隅を濡らす涙』(Air Mata di Ujung Sajadah)について話したいと思います。劇場で見逃しましたが、Netflixインドネシア版で昨年末から早々に配信が始まりました。並み居るホラー作品群の中でいかに観客動員数3位と人々の支持を得たのかについてもあわせて考えていきたいと思います。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/7416563d5e2a4f3f9ae434bb0d2b168a.jpg" /><span style="font-size: 12px;">映画『サジャダの片隅を濡らす涙』ポスター。(引用:Multi Buana Kreasindo Productions, <a href="https://mbkreasindo.com/" rel=" nofollow">https://mbkreasindo.com/</a>) </span></p>
<p style="text-align: justify;">この作品は「自らが抱いた感情を顧みて、相手の気持ちを慮る優しさと勇気」がテーマです。タイトル内の「サジャダ」(Sajadah)とはイスラム教徒が礼拝の際に使用する絨毯のことです。ジャンルとしては、轟さんがいう「ダッワ(イスラム宣教)もの」に入る作品ですが、全体的には従来作品ほどイスラム色は強くないかと感じられます。しかし、思考要因にジャワ民族特有の寛容さとともにイスラム教の教えが色濃く反映していることも窺える、非常に興味深い作品です。一方で、民族や宗教といった垣根を超えた「母子(親子)の愛」が軸となるだけに鑑賞者誰もが共感を得ることができる、涙なしでは観られないエンターテイメント作品にも仕上がっています。</p>
<p style="text-align: justify;">物語はジャカルタに住む女子大生のアキラが画家を目指す大学生との交際を母親に反対され、駆け落ちする場面から始まります。母親の反対理由は、かつて自分の夫が家庭の経済的安定のため苦労して死亡してしまった経緯からです。その後アキラは結婚、妊娠しますが、運悪く結婚相手が交通事故死してしまい、出産間際に体調を崩したアキラは母親を頼らざるを得なくなります。</p>
<p style="text-align: justify;">母親は若い娘の将来を考え、アキラが産んだ赤ん坊を夫のかつての部下だった若い夫婦に託します。その一方で、出産後に意識を取り戻したアキラには死産だったと嘘をつき、ロンドン留学で人生をやり直すよう促します。留学先でも子供の命日には毎年小さなケーキを買って誕生日を祝い、涙するアキラ。一方、赤ん坊を託された夫婦アリフとユンナは自ら子供を授からなかったため、赤ん坊にバスカラと名づけて我が子のように愛し、アリフの母親エヤンが住む中ジャワ州ソロの実家で新たな生活を始めました。</p>
<p style="text-align: justify;">しかし7年後、アキラの母親が病床の死に際に、嘘をついたまま死にたくないとアキラに真実を暴露したことで物語は急展開します。元会社の同僚から事情を聞いたアリフとユンナはアキラが子供を引き取りに来るのではないかと警戒心を抱きます。アリフは職場を訪ねてきたアキラが子供に一目会わせて欲しいと願うものの突き返し、ユンナもアリフにアキラと接触しないよう忠告します。しかし、アキラはアリフたちの自宅の所在をつきとめ、ある朝訪れます・・・。</p>
<p style="text-align: right;">(⇒ この作品が優れているのは・・・)</p>2024-02-07T16:39:16+00:00インドネシア政治短信(8):あらゆる手段を行使してプラボウォ=ギブラン組の勝利を目指す(松井和久)
2024-01-24T14:49:03+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28336/<p style="text-align: justify;">大統領選挙は終盤戦に入ってきた。各種世論調査によると、プラボウォ=ギブラン組が支持率50%前後と依然優勢で、決選投票にもつれ込むかどうか微妙な状況にある。ジョコ・ウィドド(通称:ジョコウィ)大統領とその周辺は、ありとあらゆる手段を用いて、決選投票なしの1回の投票でのプラボウォ=ギブラン組の当選を目指している。</p>
<p style="text-align: justify;">ジョコウィが「後継者」と定めたプラボウォの大統領選挙勝利のための方策は、かなり前から採られてきたが、大統領の長男ギブランがプラボウォの副大統領候補に決まった2023年10月からはさらに拍車がかかっている。村に至るまでの行政機構、国軍や警察などを通じたプラボウォ=ギブラン組への投票へのアメとムチを駆使した緩やかな強制、対抗馬のアニス=ムハイミン組やガンジャル=マフド組の選挙運動に対するあからさまな妨害(会場使用許可取り消しなど)など、実は枚挙にいとまがない。</p>
<p style="text-align: justify;">本来、選挙不正は総選挙監視庁(Bawaslu)によって摘発されるべきものだが、依然として高いジョコウィ人気の下、ジョコウィ批判が許されず、ジョコウィへの感謝を示すことさえ政府から求められる現状では、選挙不正の摘発は後手に回ってしまう。そして、仮に摘発された場合、他の理由を伴って、大統領に対する名誉棄損などで犯罪化(kriminalisasi)され得る。実際、国家戦略プロジェクトであるニッケル製錬に伴う環境破壊を訴えた住民らが、政府に対する妨害行為を行なったとして犯罪化された事例さえあると聞く。</p>
<p style="text-align: justify;">さらには、1月23日、選挙での中立を厳格に表明してきたはずの国内最大のイスラーム社会団体であるナフダトゥール・ウラマ(NU)が、「勝つほうを支持する」とプラボウォ=ギブラン組への支持を表明するに至った。そのほか、アニス=ムハイミン組やガンジャル=マフド組への支持を表明した団体の一部が、プラボウォ=ギブラン組の支持への変更を表明した。その変節は手の平を返すようであり、まるでオセロのようでもある。路線転換を促すために、プラボウォ=ギブラン組は次期政権での入閣や国営企業幹部への登用など様々な便宜を約束している可能性がある。</p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●社会的支援の不正利用</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">この観点でずっと問題視されているのが、政府から低所得層へ配られる社会的支援(Bantuan Sosial: Bansos)の政治利用である。これらのなかには希望家族プログラム(Program Keluarga Harapan)、米の配給、生活必需品カード(Kartu Sembako)、健康インドネシアカード(Kartu Indonesia Sehat)・聡明インドネシアカード(Kartu Indonesia Pintar)に基づく支援、チアンジュール地震被災者救済支援などが含まれ、2023年総額は141.9兆ルピアに達する。加えて、2023年11~12月限定で低所得層へエルニーニョ対策支援金として月20万ルピアが配られた。また、村落資金(Dana Desa)のなかから全国の村落住民290万人へ総額10.4兆ルピアが配られた。まさにこれらが低所得層からの高いジョコウィ支持の源泉となっている。</p>
<p style="text-align: justify;">2024年に入ると、エルニーニョ対策支援金が2024年6月まで延長され、かつ配布額が月20万ルピアから50万ルピアへ引き上げられた。大統領選挙の決選投票が行われた場合、その投票日は6月26日であり、あからさまな選挙対策である。また、社会的支援の配布先も、過去にジョコウィへの支持が少なかったところやプラボウォ=ギブラン組が苦戦しているところへ集中投下されている。ジョコウィ本人は「偶然だ」と主張するが、アニス=ムハイミン組やガンジャル=マフド組が支持者集会を行なった同じ地域を、そのすぐ後にジョコウィが訪問するということが何度も繰り返された。</p>
<p style="text-align: justify;">社会的支援の担当省庁は社会省である。しかし、エルニーニョ対策支援金の延長などの変更は、リスマ社会大臣の知らない間に決められていった。元スラバヤ市長としての指導力が高く評価されたリスマ大臣は闘争民主党に所属する。スラバヤ市長時代に数々の不正摘発に辣腕を振るい、市民から人気の高かった彼女は、閣議の席で社会的支援の不正利用の問題を提議したが、その後、ジョコウィは彼女との同席を避けるようになった。そして、社会的支援の調整・実施は人間開発・文化調整大臣府の下で行われるようになった。</p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●財務大臣の辞任説が流れる</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">社会的支援の不正利用を問題視したのは、リスマ社会大臣だけではなかった。昨今、辞任説が広まったスリ・ムルヤニ財務大臣も、ジョコウィから予算支出を求められた際、問題を指摘して抵抗した。スリ・ムルヤニ財務大臣は、プラボウォが大臣を務める国防省の中古戦闘機購入のための予算増に対しても強い難色を示した。スリ・ムルヤニ辞任説を吹聴したのは政府批判を繰り返すエコノミストのファイサル・バスリであったためか、メディアの扱いは決して大きくはなかったが、このことが、プラボウォ=ギブラン組の勝利、すなわちポスト・ジョコウィに大きな暗雲を感じさせることになった。</p>
<p style="text-align: justify;">インドネシア経済がほぼコンスタントに5%成長を継続できているのは、インフラ投資や下流産業振興といったジョコウィ政権の目玉政策によるものだけではない。それらが可能なのは、インドネシアのマクロ経済が安定し、通貨ルピアの変動が緩やかに柔軟に対応してきたためである。その指揮を執ってきた一人が、ユドヨノ政権下から財務大臣を務めてきたスリ・ムルヤニ氏であり、彼女の下で育ってきた財務省やインドネシア銀行の優秀な官僚たちである。彼らによるマクロ経済安定へ向けたたゆまぬ努力の結果として、マクロ経済運営が安定的に行われ、国際的な信用を得ながら、経済成長を達成してきたのである。</p>
<p style="text-align: justify;">かつてのスハルト政権内部では、急増した石油収入を基にした野心的な重工業化や戦略産業開発を進めるグループと何よりもマクロ経済安定を重視するグループとの間で政策対立があった。スハルト大統領は時と場合に応じてそれを適切に調整し、1980年代半ばの石油価格暴落を契機とする金融改革や構造調整などを手がけ、1990年代末の金融危機に対処した。それらの厳しい経験を踏まえて、インドネシアの経済官僚は成長し、経常収支や外貨準備高などが急激で不安定な動きをすることもない、安定したマクロ経済運営ができる状態になった。</p>
<p style="text-align: justify;">世銀理事も務め、プロの実務家としてのスリ・ムルヤニ財務大臣の存在こそが、インドネシアの国際的な信用を成り立たせてきた。その彼女は、プラボウォ=ギブランが正副大統領に就任した場合、財務大臣のポストを去ることになるだろう。そして、後任の財務大臣には、プラボウォの意向に沿った、おそらくは政治家出身者が就くことになると予想する。中古戦闘機購入予算に難色を示した財務相を批判するプラボウォは、おそらくマクロ経済安定の重要性を理解できていない可能性が高い。</p>
<p style="text-align: justify;">なお、政権内では、スリ・ムルヤニ財務大臣以外に10数人の閣僚が一斉に辞任するという噂も流れた。それは、あたかも、閣僚が一斉に辞任した後で大統領を辞任したスハルト政権崩壊を想起させる。しかしこれは、大統領選挙絡みであからさまな政治介入を強要されている閣僚が相当数いることを示唆している。</p>
<p style="text-align: justify;">(以下に続く)</p>
<ul>
<li>大統領も特定候補を支持したり選挙運動したりしてもよい</li>
<li>「プラボウォ大統領」でどうなるのか</li>
</ul>2024-01-24T14:49:03+00:00ロンボクだより(107):聞いてもいいですか?(岡本みどり)
2024-01-24T14:49:43+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28323/<p style="text-align: justify;">みなさん、こんにちは。</p>
<p style="text-align: justify;">先日、市場で「もうすぐねぇ」と顔見知りのご婦人に話しかけられました。てっきり大統領選の話かと思い、「そうですね、あと1ヵ月もないですね」と答えたら、全く話が噛み合いません。</p>
<p style="text-align: justify;">ご婦人は断食月の話をしていました。「あなた、今年も(夜の任意礼拝に)モスクに来なさいね」と肩をポンと叩かれ、単純な私はすっかり行く気になりました。</p>
<p style="text-align: justify;">さて、今回は、イスラム教徒の生徒からの質問に答えた話です。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/00973900d79648219f7b1823c57fe779.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">掃除をする生徒たち(本文とは関係ありません)</span></p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: justify;">勤務先の高校で、休み時間に生徒のM(仮名)が私に話しかけてきました。</p>
<p style="text-align: justify;">Mはどの教科もとても優秀なのですが、日本文化が大好きで、とりわけ日本語の授業は熱心に聞いてくれています。</p>
<p style="text-align: justify;">生徒は、『Monster』という日本の映画を知っているか、と尋ねてきました。</p>
<p style="text-align: justify;">私の頭によぎったのは浦沢直樹氏の漫画『MONSTER』で、ついに映画化したのかと思いました。が、よくよく話を聞くと、是枝裕和監督の『怪物』のことでした。</p>
<p style="text-align: justify;">「カンヌ国際映画祭で賞をとった映画だよね。タイトルは知っているけど、まだ観てないし内容もよく知らないなぁ」</p>
<p style="text-align: justify;">そう言うとMはズイッと顔を私に近づけて、「今とっても人気なんですよ!私も週末に観ました。すっっっっごく良かったから先生も観たほうがいいよ!!!」と興奮ぎみにこの映画について語り始めました。</p>
<p style="text-align: justify;">Mの熱に押されながら一通り話を聞き終わったところで、Mは、はたと私を見直しました。</p>
<p style="text-align: justify;">「先生、聞いてもいいですか?」とやや声を落として、数センチ、私との間を詰めてきます。</p>
<p style="text-align: justify;">「うん、どうしたの?」</p>
<p style="text-align: justify;">「あのね、これは単に聞きたいだけで、特に他意はないんです・・・」</p>
<p style="text-align: justify;">さっきまでの勢いはどこへやら、Mは下を向いていました。どうやら、ちょっと聞きにくい話のようです。</p>
<p style="text-align: justify;">大丈夫だよと質問を促すと、Mは日本のジェンダー観について知りたいと言いました。たくさん聞きたいことがあるそうです。『Monster』には性的マイノリティの子どもが登場するので、聞いてみたくなったのかもしれません。</p>
<p style="text-align: justify;">はじめの質問は、日本の映画や漫画には同性愛を描いたものは多いのか? </p>
<p style="text-align: justify;">「そうだなぁ。私は、映画はあまり詳しくないけど、漫画は多いよ」と答えると、たちまち畳み掛けてきました。</p>
<p style="text-align: justify;">「日本では同性愛は許されているんですか?」</p>
<p style="text-align: justify;">うーん、なかなか難しい質問です。</p>
<p style="text-align: justify;">同性の人と付き合うことはできるけど、結婚制度が整っていないから、法的に夫婦になることは、今はまだ許されていないんだよ。</p>
<p style="text-align: justify;">そう答えましたが、Mには、付き合えること自体がかなり新鮮に写ったようでした。</p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: justify;">そういえば、別のクラスの生徒たちと、日本では家族で別々の宗教を信仰してもいいこと、多神教と一神教の信者同士が結婚してもいいこと、などを話したことがありました。</p>
<p style="text-align: justify;">あのとき、生徒たちは「ええーーー!!」「いいなーーー!!」と拍手したんだっけ。</p>
<p style="text-align: right;">(⇒ LGBTが宗教的に受け入れらないことも・・・)</p>2024-01-24T14:49:43+00:00ウォノソボライフ(71):おばけの役割(神道有子)
2024-01-24T14:50:06+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28324/<p style="text-align: justify;">もうずっと前の話ですが、私の住む村の水路で数人の人たちがたむろしていたことがありました。何をしているのかと思えば、子供を探していると。彼らは私たちの村よりも上の方にある村の住民だったのですが、そこの水路近くで子供が1人行方不明になった、もしや水路に落ちたのではないかと思い、下流に探しにきたというのです。</p>
<p style="text-align: justify;">村を通る水路は一本で、皆手伝って探しましたが手掛かりは何も見つかりませんでした。上流の村の人たちは更に下流に行く人と別の場所へ探しに行く人に分かれ、それぞれ去って行きました。小さな村ですので、この件はすぐに噂になりました。皆、口々にこう言いました。</p>
<p style="text-align: justify;">「その子はね、ウェウェ・ゴンベルに連れて行かれたんだよ」</p>
<p style="text-align: justify;">「違う世界に連れて行かれるんだ。その子が自分で帰りたいと望まないと、帰って来られないんだよ」</p>
<p style="text-align: justify;">ウェウェ・ゴンベル(Wewe gombel)とは、子供を攫うとされている妖怪です。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/24beeeb00b9c469f9fef4cd0a04aca50.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">出典『Kisah Tanah Jawa jagat lelembut』</span></p>
<p style="text-align: justify;">上記の本では、子供を痛めつける意図はなく、ただ子供好きで子守をしてしまうが、後で返すつもりではある、しかし、彼らの世界とこちらの世界は時間の流れが違うので、ほんの少し借りただけでもこちらでは何時間何日と経ってしまうのだ、といった説明がされています。</p>
<p style="text-align: justify;">フィクション作品ではよく目にする名前ですが、本当に生活の中で出てくるものなのだなと、変に感心してしまったのを覚えています。</p>
<p style="text-align: justify;">残念ながら、その子は4日後に遺体となって発見されました。私たちの村に入る少し手前で、水路は2つに別れているのですが、そちらの方に流されていたようです。しかしそちらは谷となっているため捜索は困難でした。日が経って臭いがするようになり、やっと場所がわかったのです。</p>
<p style="text-align: justify;">事故の詳細も伝わってきました。夕方、お母さんが庭でその子にご飯をあげていて、全て食べ終わったので食器を家の中に置きに行き、再び庭に戻ったらもういなかった、ということでした。離れていたのは1分もなかったようです。そのとき、その母子以外に近辺には誰もいませんでした。家の前には雨で普段より増水した水路があります。まさかとは思いましたが、近隣の家などを探し回っても姿が一向に見えず、水路の捜索へ至ったということでした。</p>
<p style="text-align: justify;">そうした経緯がわかるにつれて、ウェウェ・ゴンベルの名前は聞かれなくなっていきました。詳細がわかる前は、水路を探しているものの、誘拐なのか交通事故なのか、1人で森の中に遊びに行ってしまったのか、全く失踪の理由がわかりませんでした。理由がわからないけれど、何か奇妙なことが起こっている。それは地域住民にとっても不安な事柄です。そうした隙間がウェウェ・ゴンベルになったように見えました。</p>
<p style="text-align: justify;">先日、その子の法事があったと聞き、当時のことを思い出しました。実はこうした妖怪、幽霊の話はたくさんあります。今回は生活の中でときどき顔を出すおばけたちに対する私なりの捉え方をまとめていきたいと思います。</p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●死生観と名前のない幽霊</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">妖怪、幽霊、精霊・・・人間や動植物や昆虫ではない、けれど空気や火や水のように意思がないわけでもない、何か得体の知れない存在。姿はあるけれど目には見えない、精神的なモノたち、そうしたものをインドネシア語では“Makhluk gaib”、“Makhluk halus”と呼びます。どちらも、目に見えない存在、といった意味合いです。このMakhluk gaibはとても広い概念で、天使や悪魔といった宗教的な存在から、死んだ人の幽霊、それに自然に存在する土着の妖怪のようなものまで含んで使われています。通常、彼らは我々人間が住む世界とは違う世界に住んでおり、ときどき異界であるあちらとこちらが重なる、もしくは近くなって彼らと遭遇することになる、といったような説明がされます。</p>
<p style="text-align: justify;">ここではイスラム教、次いでプロテスタント、カトリックのキリスト教が主な人々の属する宗教です。いずれも一神教であり、基本的には唯一絶対の神とその被造物である天使、精霊、悪魔といったもの以外の不思議な力を持った存在は存在しえないことになっています。また死者の魂も、死後は神のもとに召されてしまうので、その辺をいつまでもウロウロしてはいないはずです。ですが、そうした宗教的な理屈とは別に、妖怪、幽霊、また黒魔術といった不可思議な出来事が根強く信じられ語られています。宗教と、土着の神秘的な概念が共存していると言えるでしょう。</p>
<p style="text-align: justify;">誰かが亡くなったとき、お悔やみの言葉として「神のもとに受け入れられますように」という定型文句があります。人は死ねばその魂は肉体を離れ、神のもとへ行く。そうして世界の終末が訪れるまでそのまま待ち、世界が終わった後には神の力により復活する。これが一神教での死と魂に対する考え方です。死後の、世界の終末の後にこそ本当の人生が始まるので、そこで良い扱いを受けられるように、今のうちから善行を積んでおこうというのが教えの根底にあります。</p>
<p style="text-align: justify;">そのためか、『知人の幽霊』というのはほとんど聞きません。Aさんが悲惨な事故で亡くなったとして、その事故現場やAさんの自宅にAさんの幽霊が出る、というような事例です。何故ならAさんは神のところに行ったはずだからです。葬式に参加したりお悔やみの言葉を遺族に送ったりして、Aさんの魂は神によって救われたと互いに確認したからです。むしろ、あそこにAさんの幽霊が出るなどと言う話をするのは、Aさんが教義に反する罪深いことをしていたために神に見放されたのだと、故人を貶めるようなことになりかねません。そのため、具体的な特定の個人は幽霊になりにくいようです。</p>
<p style="text-align: justify;">ところが、名前も顔も知らない赤の他人は幽霊になります。例えば、60年代70年代に行われた共産党狩りで、共産党と見做された人々が殺され遺体を捨てられたとされている場所があります。そこの周辺には、亡くなった人たちの幽霊が出ると言われています。また、墓場など、薄暗く死の気配をまとうような場所にもやはり幽霊が出ます。しかしそれは実際に埋葬されている特定の個人ではなく、誰だかわからない、けれど亡者の霊ということになります。</p>
<p style="text-align: justify;">気味が悪い場所には幽霊か妖怪かよくわからないものが出ます。長く空き家になっている場所には『誰か』がいます。それはそこの昔の住人でもなく家の持ち主でもない、誰かです。空き家なのに物音がしたり人影があるように見えたり、それはとにかく人ならざるモノであり関わってはいけないモノです。</p>
<p style="text-align: justify;">林道で一際大きな木、特に枝振りがちょうど人が座れるような形になっている木にはほぼ幽霊か妖怪の噂がつきまといます。実際に何かが座っているのを見たという人もいます。それはクンティラナック(Kuntilanak: 死亡した妊婦の妖怪)という具体的な妖怪であることもあれば、誰かわからないけれどとにかく幽霊だということもあります。</p>
<p style="text-align: justify;">一応、イスラム教やキリスト教では、こうした幽霊や妖怪といった、神でも人間でもないものというのは、悪魔が化けているのだと解釈されています。悪魔というのは神が造った存在であるので実在し、しかし人間をたぶらかしその信仰心をへし折るという行動原理を持っているため、様々な幽霊やら妖怪やらの姿になって人間を脅し、あるいは人間とコミュニケーションを取り、破滅へ導くのだということです。この説明であれば、神以外に超自然的な力を持つ妖怪などは存在しないはず、けれど人々の目撃証言や体験談がある、という状況にも辻褄が合います。決して全ての人が妖怪=悪魔だという解釈でいるわけではありませんが、ともかく一神教と土着の妖怪たちが矛盾なく共存することがこれで可能になっているようです。</p>
<p style="text-align: justify;">(以下に続く)</p>
<ul>
<li>魔術の使いどころ</li>
<li>憑依される踊り手たち</li>
</ul>2024-01-24T14:50:06+00:00ジャカルタ寸景(9):ポルトガル集落のユニークな新年行事(横山裕一)
2024-01-24T14:50:33+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28317/<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●新年の伝統行事「マンディ・マンディ」</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">2024年1月7日午後、北ジャカルタにあるトゥグ(Tugu)集落の一角では大勢の人々で賑わっていた。「トゥグ」集落とは「ポルトガル」の一部から名付けられている。17世紀半ば、マラッカ海峡の覇権をめぐる戦争でオランダに敗れ、捕虜としてジャワ島に連行されてきたポルトガル人が何もない森林地帯に解放された。この地域をポルトガル人が切り拓いてできたのがトゥグ集落だった。360年余りの歴史を経た現在もポルトガル系子孫が住み続け、大衆音楽クロンチョン発祥の地でもある。年明けまもないこの日、大勢の人々が集まったのは、新年第一日曜日に毎年開かれる伝統行事「マンディ・マンディ」を開催するためだった。</p>
<p style="text-align: justify;">短いお祈りを済ませた後、司会者が集落内の各氏族の代表者に会場前に集まるよう呼びかける。この地でポルトガル系の血筋を引く名字が読み上げられる。</p>
<p style="text-align: justify;">「クイコさん、ミヒルスさん、コルネリスさん、アンドリスさん・・・」</p>
<p style="text-align: justify;">会場前に並んだ各氏族の代表者の前に、数多くの小さな容器が並べられる。容器の中にはおしろいを水で溶いた液体が入っていた。司会者の合図に合わせて、氏族代表者をはじめ会場の人々が容器を手に取る。そしておしろいを指ですくって、お互いの頬やおでこ、鼻頭などに塗りつけ始めた。</p>
<p><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/dce9a93f9d9a41a583314af336cf0787.jpg" /></p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/ae6ebd2012d5495d89f11cf54298adb8.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">おしろいを顔に塗り合う「マンディ・マンディ」</span></p>
<p style="text-align: justify;">人々は入り乱れ、それぞれ移動しながらお互いの顔におしろいを塗りつける。なかには挨拶時に行うように両頬を擦り合わす人もいて、顔についたおしろいはさらに広がる。ほどなく会場の人々の顔は誰もが真っ白になった。おしろいまみれになりながらも表情は皆、満面の笑みだった。</p>
<p><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/83643460813c4513932aad1e022e8654.jpg" /></p>
<p><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/baf08b9210bc4c2a8ac53893f6609946.jpg" /></p>
<p style="text-align: justify;">トゥグ集落の正月伝統行事「マンディ・マンディ」は旧年中の過ちをお互いに許し、喜びをもって新年を迎え神の祝福を受けようという行事だ。その象徴がおしろいをお互いの顔に塗り合う行為で、前年の過ちをお互いに許しあうことで身心を清め、旧年中の悪い事を洗い流す意味を持つ。まさにインドネシア語の水浴びであるマンディにも通じる。行事名に使われる「マンディ」はポルトガル語の「マンダル」(Mandar)に由来するという説もある。マンダルは「(意図を)送る」という意味で、この行事でいえば「相手に許しを請う」意図をお互いに伝える意味が込められている。ただし、「マンディ・マンディ」の行事はポルトガル本国にはなく、トゥグ集落で始まった独自のものだという。</p>
<p style="text-align: justify;">おしろいを塗り合うなか、会場舞台では当地発祥の大衆音楽クロンチョンが演奏される。ゆったりとした調べに時折心地良くリズミカルな音楽。メインギターとボーカルは当地のクロンチョン楽団のリーダー、グイド・クイコ氏で、その他の楽器は集落の人々が演奏する。トゥグ集落で最も人数の多いクイコ氏族のまとめ役、サリヤンド・クイコ氏もベースを演奏している。彼らも演奏中に会場の人々から順番におしろいを塗られ、白い顔のまま曲を奏でる。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/83da871e907147d4a345ca5d99b47dbd.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">「マンディ・マンディ」はクロンチョン演奏のなかで進められる</span></p>
<p style="text-align: justify;">メインボーカルは、会場に訪れた人々が曲ごとに入れ替わりで歌った。クロンチョンの里らしく、皆暗記しているのだろう、会場の人々もおしろいを塗り合いながらも曲に合わせて歌う。グイド氏とは別のクロンチョン楽団を率いるアンドレ・ジュアン・ミヒルスさんもマイクを握った。アンドレさんがかぶる青色のペチはジャカルタ一帯のブタウィ民族の伝統帽子だ。かつてこの地に定住したポルトガル人が周囲のブタウィ民族と交流、混血を続けてきたことを表している。</p>
<p style="text-align: justify;">(以下に続く)</p>
<ul>
<li>「マンディ・マンディ」に集う人々</li>
<li>宴は続く</li>
</ul>2024-01-24T14:50:33+00:00往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第73信:再婚はしたけれど ~『となりの店をチェックしろ:新たなライバル』が提示する 新たな家族のかたち~(轟英明)
2024-01-24T14:51:11+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28318/<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/2d76d11b4ff84c2f9760ec76d653ed39.jpg" /><span style="font-size: 12px;">今回紹介する『となりの店をチェックしろ 新たなライバル』はシリーズ最新作。従業員を巻き込んだ、熟年再婚夫婦の喧嘩のゆくえは? imdb.comより引用。 </span></p>
<p style="text-align: justify;">横山裕一様</p>
<p style="text-align: justify;">大変遅ればせながら、明けましておめでとうございます。2024年もよろしくお願いいたします。</p>
<p style="text-align: justify;">コロナ禍初期2020年8月から連載を開始してすでに3年半近くが経過しようとしています。実のところ、開始当初は原稿のネタが尽きないか、若干心配だったのですが、嬉しいことに近年のインドネシア映画産業の発展に伴って紹介したい作品、或いは論じるべき作品はますます増えるばかりです。それらの中には、時には私を立腹させる作品や心の底から失望させる作品も含まれるのですが、できる限り未見の読者に観て欲しいと思う作品を中心に、しかし何者にも忖度しない率直な批評を、時間軸と空間軸を行ったり来たりしながら今年も継続できればと思います。</p>
<p style="text-align: justify;">さて、日本で上映中の『スリ・アシィ』(Sri Asih) を劇場で見るチャンスを昨年末から探っていましたが、都合がつかず見逃してしまいました。日本ではどういった観客層がインドネシアのスーパーヒーローものを観に来るのか、自分の目で確かめたかったので、残念な限りです。ただ、SNSをちらほら見る限り、日本でもヒーローものが好きな人にはある程度アピールして好評を博しているようでした。この分なら、後続の『ヴァルゴ・アンド・ザ・スパークリングス』(The Virgo and the Sparklings)や最近インドネシアで配信の始まった『ティラ』(Tira)も日本での上映や配信を期待できるかもしれません。気長に待ちましょう。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/32518233f55f420bb34f56436744df44.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">『ヴァルゴ・アンド・ザ・スパークリングス』劇場用ポスター。主演のアディスティ・ザラは元JKT48メンバー。過去作品において、大物女優に化ける才能の片鱗を彼女はすでに見せていました。imdb.com から引用。</span></p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/6125d312fc674458b4711bcd1316ec87.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">『ティラ』配信用ポスター。ブミランギット・シネマティック・ユニバース(BCU) 最新作。インドネシアではDisney + Hotstarで配信中。imdb.com から引用。</span></p>
<p style="text-align: justify;">前回第72信で横山さんは鑑賞済み作品を中心に2023年のインドネシア映画を回顧してくれました。これについて、私のほうから二点ほど補足説明をさせてください。一点目はヒットしている作品ジャンルの偏りについて。二点目は動画配信サービスで観られる作品を評価する上での数量的指標の欠如について、です。</p>
<p style="text-align: justify;">まず、映画館入場者数という客観的な指標をもとに、2023年のインドネシア映画興行全体を振り返ってみましょう。前年の2022年は実質的にコロナ禍での各種規制が4月頃には撤廃され、コロナ禍の間は映画館で映画を観られなかった観客たちの欲求不満が一気に爆発したからなのか、『踊り子の村での奉仕活動』(KKN di Desa Penari)がインドネシア映画の入場者数記録を更新する超ヒットとなり、さらに入場者200万人超えの作品が8本に及びました。結果、おそらくインドネシア映画興行史において初めて、インドネシア映画のシェアが外国映画のそれを上回る好調ぶりでした。同年のインドネシア映画の入場者数は約5700万人、市場シェアは約57%でした。</p>
<p style="text-align: justify;">対して2023年は前年からの反動か、全体の映画館入場者数は前年比14.5%増加の1億1,450万人に達したものの、インドネシア映画の入場者数は前年比から若干の減少で約5330万人、市場シェアは約48%まで下がりました。なお、コロナ禍前の2019年の映画館入場者数は1億5,200万人でしたから、市場そのものはまだ完全に回復したとはとても言えない状態にあります。しかしながら、コロナ禍が明けたばかりという特殊な環境を考慮すれば、2023年のインドネシア映画産業はまずまず健闘したようにも見えます。</p>
<p style="text-align: justify;">ところが、その内実を冷静に分析してみると、産業としてはやや危ういのではないか、そんな心配もないではありません。次の表は、2023年に劇場公開されたインドネシア映画のうち、入場者数がヒットの目安である100万人を超えた作品を順位別に並べたものです。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/7d8d83ca07904a34921c552fd25ee8ee.png" /><span style="font-size: 12px;">引用元 <a href="https://id.wikipedia.org/wiki/Daftar_film_Indonesia_tahun_2023" rel=" nofollow">https://id.wikipedia.org/wiki/Daftar_film_Indonesia_tahun_2023</a> (轟が一部追加して作成) </span></p>
<p style="text-align: justify;">ご覧のとおり、100万人の大台を超えた20作品のうち、実に14作品がホラーものなのです。インドネシア映画興行において、ジャンルとしてのホラーものが強いのはこの連載でもたびたび指摘してきましたが、もはや「ホラーもの一強」とでも呼びたくなるほどの圧倒的な強さです。他国の観客と比較した場合、現在のインドネシア人観客が映画に求める嗜好はかなり偏っていると言えるのではないか、そんな気がします。</p>
<p style="text-align: justify;">と同時に、「なぜこれほどホラー映画がインドネシアでは好まれるのか?」という命題は印象論に留まらないレベルでより真剣に検討すべきでしょうし、何よりインドネシア映画産業を支えているのがホラーものである事実は決して軽視すべきではないとも思えます。インドネシア映画全体の動向を論じるのであれば、ホラーものへの言及は必要不可欠なのです。</p>
<p style="text-align: justify;">一方で、私自身はこの表の中のホラー作品で鑑賞済みなのは『スザンナ クリウォンの金曜日の夜』(Suzzanna: Malam Jumat Kliwon)のみのため、それ以外の作品がどの程度のレベルで、実際のところ面白いのかどうか、判断できません。ただ、これだけホラーものが量産されている現状からは、映画業界がホラーものの粗製乱造に陥った2000年代後半から2010年代前半の頃を思い起こさざるを得ません。本連載の第49信「ガドガド・ホラーはイスラームをどのように描いてきたか」(<a href="https://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/26482/" rel=" nofollow">https://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/26482/</a>)で指摘したように、低予算早撮りのホラーものがあまりにも大量に市場に流れたために、観客からホラーそのものが飽きられて敬遠され、全体の入場者数も伸び悩んだことがあったからです。この時期の教訓を制作会社は果たして覚えているのか、どうにも気になるところです。</p>
<p style="text-align: justify;">「ホラーもの一強」がいつまで続くのか、それは誰にも分かりませんが、過去の教訓を踏まえれば、特定のジャンルしかヒットしない状況に産業としての持続性があるとは私には思えません。いずれ反動が来て、映画産業そのものが大きく落ち込む可能性が高まっているのではないか。大袈裟かもしれませんが、私が2023年の興行結果に抱いた危惧とはそのようなものです。</p>
<p style="text-align: justify;">横山さんが第72信で回顧した作品は良質な作品ばかりで、しかも内容的に多様性に富んでいるうえ、『オルパ』(Orpa)や『ロテ島の女性』(Women from Rote Iland/ Perempuan Berkelamin Darah)などはこれまでにない果敢な挑戦をしています。こうした作品が増えている現状はある意味頼もしくもあります。</p>
<p style="text-align: justify;">しかしながら問題は、既存のジャンルやテーマを打ち破ろうとする試みが、必ずしも興行成績には結びついていないし、世間での認知度も上がっているようには見えないことです。俗な言葉で言うならば、なぜあの作品はインドネシアで一般観客にウケなかったのか。あるいはなぜあの作品はあれほどまでにウケたのか。こうした問いへの答えは無論一様ではありえないだけに、内容の紹介だけに留まらない、興行成績などにも言及する形での意見交換をこの連載上で横山さんと2024年の今年も交わせればと思っています。</p>
<p style="text-align: justify;">ところで、「興行成績」と書きましたが、実は現在のインドネシア映画産業は「映画館入場者数」だけで業界の動向やトレンドを単純に判断することは必ずしもできなくなりつつあります。</p>
<p style="text-align: justify;">と言うのは、日本や米国同様、動画配信サービスが急速に会員数を拡大しているからです。日米がすでに市場としては飽和しつつあるように見える一方で、インドネシア市場はまだまだ伸びしろがあるようです。Vidio や Klik Film のようにインドネシア国内の視聴者のみを基本的に対象にしている地場系から、Netflix や Amazon Prime Video のように全世界の視聴者をはじめから対象にしている外資系まで、実に多くの会社がしのぎを削っているのが現状です。</p>
<p style="text-align: justify;">数回から十回以上にわたるシリーズとして配信される作品もあれば、フォーマットとしては映画と全く同じながら諸事情から初めから動画配信サービスで配信される作品もあります。前者としては、第63信の『母象』(Induk Gajah)、第67信の『何でも一緒』(Saiyo Sakato)が相当します。後者としては、横山さんが前回言及した『モラル』(Budi Pekerti)のレガス・バヌテジャ監督の第一作『フォトコピー』(Penyalin Cahaya)が該当します。同作はコロナ禍最中の2022年1月にNetflixで全世界一斉配信され大きな話題を呼びました。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/8c903a0f0bae41ba9a71262fc987210f.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">レガス・バヌテジャ監督の第一作『フォトコピー』(Penyalin Cahaya)Netflix版ポスター。2021年のインドネシア映画祭では作品賞や監督賞ほか主要12部門で受賞。</span></p>
<p style="text-align: justify;">私個人としては、そうした動画配信サービスを基本的なプラットフォームとして配信されるシリーズものは、自転車操業で低予算のシネトロン(テレビドラマ)とは異なり、ある程度の質が保たれていると認識しているため、映画と同等に取り扱ってこの連載では論じてきました。『フォトコピー』のような映画フォーマットの配信作品についても、特に映画と別枠で論じる必要がないことは言うまでもありません。</p>
<p style="text-align: justify;">ただ、困っていることもあります。映画興行における映画館入場者数のような、どれだけ多くの人がその作品を見たか、客観的で数量的な指標がなかなか見当たらない点です。映画を論じる際には常に頭の片隅に置いているインドネシア国内での観客動員数に相当する指標が、動画配信サービスにおいてはなかなか公表されていないのです。Netflixなどはその週の視聴者ランキングを出すこともあるようですが、どうも新作配信の宣伝臭が強すぎて、だいぶ客観性に欠けるように思えます。累計視聴者数やダウンロード数などが定期的に公表されるようになれば助かるのですが、複数の動画配信サービスで提供されている作品も少なくないので、実際には集計するのは相当難しそうです。</p>
<p style="text-align: justify;">すでに映画館で映画を観る人よりも、いつでもどこでも観られる動画配信サービスで映画を観る人のほうが世界的には多数派なだけに、劇場未公開映画や独占配信のシリーズを視聴者数等の客観的な指標で評価した上で、更に内容を含めて総合的に論じる方法はないものか。横山さんが参考にしている指標やウェッブサイトなどがもしあれば、教えていただけると幸いです。</p>
<p style="text-align: justify;">以上、前回の横山さんの2023年インドネシア映画回顧を私なりに補足してみました。コロナ禍によってどん底に落ちた時期と比べれば、総じて内容的にも興行的にもインドネシア映画は動画配信サービスを含めて堅調に発展しているように見えますが、油断は禁物。どれだけ優れた作品であっても、ごくごく少数の人にしか観られないのであれば、そうした作品はコンテンツ洪水の中で埋没していくでしょうし、逆にどれだけ大ヒットした作品であっても、質が伴わないのであれば、観客は単に投資家の金儲けの片棒をかついだだけに終わり、彼らの心には何も残らないことでしょう。</p>
<p style="text-align: justify;">内容も興行も共に百点満点の作品はそうそうあるものではありませんが、そうした作品がインドネシア映画から生まれることを2024年は期待したいと思います。</p>
<p style="text-align: justify;">いつものことで、また前振りが長くなりました。すみません。</p>
<p style="text-align: center;">**********</p>
<p style="text-align: justify;">さて今回は、前回第71信の流れから、少しひねって、熟年再婚夫婦の喧嘩もの『となりの店をチェックしろ 新たなライバル』(以下『ライバル』)を紹介したいと思います。この連載で私も横山さんもたびたび取り上げてきた『となりの店をチェックしろ』シリーズの目下最新作が『ライバル』となります。</p>
<p style="text-align: justify;">映画のパート1から派生して制作されたテレビドラマシリーズはシーズン1、シーズン2(Netflixでのタイトルは『うちの店をよろしく~親父の再出発』)と続き、『ライバル』はシーズン3に相当します。必ずしもシーズン2を観ていなくても理解できるストーリー展開ではありますが、インドネシアのNetflixを観られる人はシーズン2を観てからのほうが、登場人物の関係性がすんなり頭に入ってくるでしょう。シーズン3のあらすじは以下のとおりです。</p>
<p style="text-align: justify;">雑貨屋を畳んで釣り堀ビジネスを始めたコー・アフック(チュウ・キンワー)は無実の罪で警察署に拘置されたこともあったものの、従業員たちの努力で無事釈放され、一度は閉鎖された釣り堀ビジネスを再開。その式典で、以前から好意を寄せていた未亡人のヘレン(ジェニー・チャン)に思い切ってプロポーズします。プロポーズを受け入れてくれたヘレンと共に、ラブラブな再婚生活を始めますが、困ったことにヘレンはコー・アフックが嫌いなテンペを料理するのが上手なのでした。気を使って食べたふりをするコー・アフックでしたが、今度は彼の釣り堀ビジネスをヘレンは手伝おうとします。自分のやり方が少しずつ侵食されていくことに複雑な想いのコー・アフックは、ヘレンに何か新しいビジネスを始めるように今度は仕向けます。喜んだヘレンが始めたのは、なんとテンペの家内制工場でした。ますます渋い顔のコー・アフック。やがてテンペ製造過程の排水が池に入ったことで養魚に被害が出たことをきっかけに、二人の仲は険悪になります。二人を取り巻くユニークな面々の従業員たちも二派に分かれて喧嘩腰となり、遂に二人は熟年離婚の危機に直面することに。コー・アフックとヘレンはお互いの譲れない溝を乗り越えることができるのでしょうか。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/6dd6451dee7e4d20ae9435d9086cbc3a.jpg" /><span style="font-size: 12px; text-align: justify;">『となりの店をチェックしろ 新たなライバル』ポスター。熟年再婚夫婦の意地の張り合いは周囲の従業員を巻き込んで・・・。 themoviedb.orgから引用。</span></p>
<p style="text-align: right;">(⇒ 『となりの店をチェックしろ』映画版のパート1とパート2は・・・)</p>2024-01-24T14:51:11+00:00ジャワの龍の話(太田りべか)
2024-01-08T03:51:50+00:00Matsui-Glocalhttp://yoridori-indonesia.publishers.fm/editor/778/http://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/28276/<p style="text-align: justify;">新年おめでとうございます。</p>
<p style="text-align: justify;">2024年は甲辰の年。ということで、ジャワの龍の話をいくつか覗いてみたい。</p>
<p style="text-align: justify;">龍はインドネシア語では「ナガ(naga)」で、この語の起源はコブラを指すサンスクリットのnāgáだと言われている。インドの蛇神・水神あるいは地底に棲む半人半蛇のNāgaでもある。西洋の龍ドラゴンは四つ足で翼があるトカゲ型のものが一般的だが、東洋の龍は長い体を持つヘビ型のものが多い。中国や日本の龍は、体はヘビ型でも足があるものが多く、水と深い関係があるが、空も飛ぶ。</p>
<p style="text-align: justify;">一方、ジャワの龍は、よりインド寄りのようで、足があるものもあるが、足のないヘビ型が多いといわれている。地底の世界のシンボルで、やはり水と深い関係があり、空は飛ばない。だが、頭部の形状については中国の龍の影響が多くみとめられるという。ジャワの龍は、インドと中国とジャワの土着信仰・文化のハイブリッドの産物だといっていいだろう。足についても、マジャパヒト朝のものとされる耳飾りには、インドと中国の龍のハイブリッドのような二本足のものが見つかっている。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/c0edb40cb0934446af0e8f922d812afc.jpg" /><span style="font-size: 12px;">東ジャワの二本足の龍の耳飾り(13~15世紀)。</span><span style="font-size: 12px;">Ibbitson, H.: Court Arts of Indonesia. New York 1990, fig 115/no 57. Royal Tropical Institute, inv. no. 1771/8.(<a href="https://www.hubert-herald.nl/IndoMajapahit.htm" rel="nofollow">https://www.hubert-herald.nl/IndoMajapahit.htm</a> より) </span></p>
<p style="text-align: justify;">また、ジャワの龍の特徴のひとつとして、頭に冠を戴いているものが多い。冠の形状はさまざまだ。龍の頭に冠が描かれるようになったのはマジャパヒト朝以降だと考えられている。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/ef950d82cc42439082fa0830016fd39d.jpg" /><span style="font-size: 12px;">ジョグジャカルタ王宮の龍の装飾。Oleh Photo by CEphoto, Uwe Aranas or alternatively © CEphoto, Uwe Aranas, CC BY-SA 3.0, <a href="https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=42935404" rel="nofollow">https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=42935404</a> </span></p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/5908186fa6924aba9d9749684071ae20.jpg" /><span style="font-size: 12px;">クディリの龍の彫刻(コブラに近い)Oleh Isidore van Kinsbergen - Leiden University Library, KITLV, image 28238 Collection page Southeast Asian &amp; Caribbean Images (KITLV), Domain Publik, <a href="https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=40500475" rel="nofollow">https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=40500475</a> </span></p>
<p style="text-align: justify;"><span style="font-size: 18px;"><strong>●ワヤンの中の龍</strong></span></p>
<p style="text-align: justify;">ジャワの龍は守護のシンボルで、門や扉などに龍の彫刻が施されることが多いという。ワヤンに登場する龍アンタボガも、やはり守護者としての役割を担っている。アンタボガは地底の世界を司る神で、地底の第七界に宮殿を構えている。普段は人の姿をしているが、怒りを発すると巨大な龍蛇に変身する。龍蛇になった姿は、冠を戴き、黄金の首飾りを着け、赤い服を着ている場合もある。翼がある場合もない場合もある。</p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/92d3f62e354f49eab49385e2f3197823.gif" /><span style="font-size: 12px;">アンタボガ。Oleh Wayangprabu.com - <a href="http://wayangprabu.com/galeri-wayang/tokoh-mahabarata/wayang-a/antaboga/" rel="nofollow">http://wayangprabu.com/galeri-wayang/tokoh-mahabarata/wayang-a/antaboga/</a>, Domain Publik, <a href="https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21789614" rel="nofollow">https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21789614</a> </span></p>
<p style="text-align: center;"><img style="margin: 0px auto; display: block;" src="https://publishers-static.s3.amazonaws.com/magazine_image/472/a5a79537778c4a0686cc0fd5d4b6b720.jpg" /><span style="font-size: 12px;">赤い服を着たアンタボガ(スラカルタのワヤン)<a href="https://blvckshadow.blogspot.com/2010/03/antaboga-sang-hyang.html" rel="nofollow">https://blvckshadow.blogspot.com/2010/03/antaboga-sang-hyang.html</a> </span></p>
<p style="text-align: justify;">アンタボガは千年に一度脱皮する。特殊能力としては、まだ冥界に達していない死者を蘇らせることのできる聖水ティルタ・アメルタを持っていること、なににでも変身できる術アジ・カワストラムの使い手であることだ。この聖水と変身術を手に入れたのは、アンタボガがまだ若く常に龍の姿をしていたころのことだ。</p>
<p style="text-align: justify;">あるとき、神々が聖水ティルタ・アメルタを手に入れるために海底に穴を掘ろうとした。神々はマンディラ山を引き抜いて大洋に持っていき、逆さまにして海底に突き刺し、それを回転させて穴を掘った。ところが神々は、その逆さまにした山を海底から引き抜くことができなかった。山を引き抜かなければ、聖水は手に入らない。神々が困っていたところへ若き日のアンタボガがやって来て、長い体を山に巻きつけて海底から引き抜き、その山をもとあった場所に戻した。こうして神々は聖水を手に入れ、アンタボガも聖水の持ち主となった。</p>
<p style="text-align: justify;">またあるとき、若き日のアンタボガが口を開けたまま瞑想していると、光が飛んできて口に入った。そこへ神々の世界の支配者バタラ・グルがやって来て、今こちらの方に飛んできた光はどこへ行ったかとアンタボガに尋ねた。アンタボガは、光を発して飛来して口に入った小筥チュプ・リンガマニックを、大切に扱うようにと念を押しつつバタラ・グルに手渡した。この小筥は、神々の世界を平穏に保つ効能の詰まった貴重なものだった。</p>
<p style="text-align: justify;">このふたつの功績によってアンタボガは神の称号サン・ヒャンを与えられ、地底の世界の支配を任されるようになった。また、なににでも変身できる術アジ・カワストラムも与えられた。</p>
<p style="text-align: justify;">ワヤンのポピュラーな演目のひとつ『バレ・スゴロゴロ』で、アンタボガはこの変身術を使って、危機に瀕したパンダワ五兄弟とその母クンティを救う。パンダワ五兄弟と対立するコラワ一族は、パンダワたちを騙して山荘に泊まらせる。その山荘の壁は燃えやすい素材でできていて、中には火薬様の物質が仕込まれていた。コラワ一族は、パンダワたちがそこで眠っている間に山荘に火をつけて焼き殺してしまおうと目論んでいたのだが、その企みは事前に漏れて、パンダワ五兄弟のひとりビマに伝えられる。ビマに伝えたのはだれか、パンダワたちがどうやって山荘から脱出したのかについては、いくつかのバージョンがあるらしいが、ジャワの古典ワヤンではおおかた神々の世界の支配者バタラ・グルの右腕であるナラダ神が天界から降りて来て、「火の手が見えたら、すぐに兄弟と母を連れて、白いガランガン(ジャワマングース)が走っていく方向に逃げるように」とビマに伝えることになっている。</p>
<p style="text-align: justify;">さて、火の手が上がって山荘が燃え始めると、白いガランガンが現れて、ある穴の中に走り込んだ。ビマは兄弟たちと母を連れてその後を追い、アンタボガが支配する地底の世界に逃げ込んで難を逃れた。その白いガランガンはアンタボガが変身した姿だったのである(アンタボガが息子にガランガンに姿を変えてパンダワたちを導くよう命じた、とするバージョンもある)。</p>
<p style="text-align: justify;">ビマはアンタボガの娘ナガギニを妻とし、ふたりの間に長男アンタレジャが生まれる。このアンタレジャはインドの『マハーバーラタ』には登場しない、インドネシアのワヤンのオリジナルキャラクターだ。アンタレジャの持つ力は強大で、唾をかけるだけでだれでも殺すことができた。だれかの足跡をアンタレジャが舐めただけで、その足跡を残した者は死んでしまうほどだった。</p>
<p style="text-align: justify;">パンダワとコラワの最終決戦バラタユダが近づくにつれ、天界の神々は混乱に陥った。アンタレジャが参戦すれば、あまりにも強すぎて敵を皆殺しにしてしまい、神々の予言の書に書かれた通りにならないからだ。その予言の書の内容を知ったクレスナ神は、自身はパンダワの味方をすることになっていたものの、策を弄してアンタレジャを間接的に殺害することにする。クレスナはアンタレジャに「パンダワたちの栄誉のために犠牲となる覚悟はあるか」と尋ね、アンタレジャが「ある」と答えると、アンタレジャに自身の足跡を舐めるように命じたのである。このように、オリジナルの『マハーバーラタ』には登場しないワヤンのオリジナルキャラクターたちは皆、辻褄あわせのためにバラタユダが勃発するまでに命を落とすことになっているそうだ。</p>
<p style="text-align: justify;">(以下に続く)</p>
<ul>
<li>ジョグジャカルタ王宮の龍</li>
<li>スマランの幻獣</li>
</ul>2024-01-08T03:51:50+00:00