よりどりインドネシア

2021年11月07日号 vol.105

ラサ・サヤン(23)~ジョグジャカルタの不思議~(石川礼子)

2021年11月07日 18:49 by Matsui-Glocal

私はジョグジャカルタの街が大好きです。

30年以上前になりますが、結婚前に初めてインドネシアを訪問した際に主人が連れて行ってくれたのがジョグジャカルタでした。結婚後は、勤め始めたJTBジャカルタ支店からの出張、商社に勤めていた時はガジャマダ大学のキャンパス・リクルート(大学において企業説明会・採用選考会を実施)、会議通訳の仕事、家族旅行や一人旅、実家の両親が遊びに来たときの国内旅行、そしてフェスティバル参加など、少なくとも20回は訪れていると思います。

ジョグジャカルタが好きな理由は様々ですが、「ノスタルジックな町だから」というのが一番の理由でしょうか。何が「ノスタルジック」なのかというと、町の雰囲気もさることながら、昼間のマリオボロ通りの活気や、人の温かさは日本の「昭和」を感じさせますし、ひとけのなくなった夜間のマリオボロ通りで、ゴザを敷いてテーブルを並べた一角で、屋台のローカルフードを食べる人々の様子は、実家の畳の上で食事していたことを想い出させます。また、王宮の中に入ると、バティック腰布を巻いて腰にクリス(短剣)を挿して、サンダルでそぞろ歩く初老のアブディ・ダラム(王宮に仕える従僕)たちは、小さい頃にお盆祭りでよく見かけた品の良い着物姿の男性たちを見るようです。郷土料理は中部ジャワ(以下、ジャワ)独特のやや甘味のグデッやミージャワなど、日本人の舌にも合う味付けです。ボロブドゥール寺院に行けば、仏さまに会えますし、ジョグジャカルタのバックグラウンド・ミュージックともいえるガムラン音楽は、私たちアジア人のDNAに響くようです。

●古都ジョグジャカルタ

ジョグジャカルタ特別州には、宮廷文化や歴史遺産が数多く存在し、日本の京都との共通点が多いため、「インドネシアの京都」と呼ばれたりします。その類似点から、ジョグジャカルタ州と京都府は1985年に友好提携を結んでいます。

その昔、ジョグジャカルタは周りの地域を含め「マタラム」と呼ばれていました。8世紀にヒンズー系の「古マタラム王国」が栄えましたが、10世紀に東部ジャワ地域へ東遷しました。その後、16世紀末にイスラム系の「新マタラム王国」が勃興し強勢となりました。しかし、18世紀半ばにオランダ東インド会社の介入によって、1755年、ジョグジャカルタ王国とスラカルタ王国の二王家に分割されて、マタラム王国は消滅しました。その末裔が、現在のジョグジャカルタ王朝のスルタン、ハメンクブォノ10世です。

ハメンクブォノ10世はスルタンであり、ジョグジャカルタ特別州の知事でもあります。ジョグジャカルタ特別州は、ジョグジャカルタ市、バントゥル県、グヌンキドゥル県、クロンプロゴ県、そしてスレマン県を行政区域としています。ジャワの工芸品、とくにスレマン県で作られるものは質が良くて安価なので、私は良く通販で買い求めます。ですから、スレマン県はジョグジャカルタ市とともに、私にとって親しみある地域です。

●芸術の街

ジョグジャカルタは「芸術と学術教育都市」として知られています。

前述の宮廷文化は勿論、ガムラン音楽やワヤンクリット(影絵芝居)など、ジャワ文化の中心でもあります。そして、ボロブドゥール寺院遺跡群とプランバナン寺院群の二つの世界遺産が域内にあります。プランバナン寺院群の近くには野外劇場があり、5月から10月までの乾期には「ラーマヤナ・バレエ」(古代インドの叙事詩の舞踊劇)が開催されます。運が良ければ、満月の空の下で幻想的なラーマとシンタ(物語の中の王子と王女)が見られるかもしれません。

プランバナン寺院をバックに繰り広げられるラーマヤナ ・バレエ

ラーマ王子とシンタ王女の舞

ジョグジャカルタは、バティック(ジャワ更紗)の生産地でもあります。ジョグジャカルタの王宮を訪れると、バティックに関する様々な展示がありますが、バティックはもともと宮廷貴族の女性の嗜みとして発達したため、王宮では歴代王女が制作したバティック布が展示されています。

ジョグジャカルタ王宮

展示される歴代王女制作のバティック布

インドネシア国内には、国立総合芸術大学(ISI: Institut Seni Indonesia)が全部で4校ありますが、ジョグジャカルタ校は、そのなかで最も歴史があり、最大規模を誇ります。2020年当時の学生数は5,591名です。このISIジョグジャカルタからは近代絵画の巨匠から海外で活躍する現代美術作家まで多くのアーティストが生まれています。

そのため、ジョグジャカルタは現代アートのメッカでもあり、2008年から毎年開催されている“ARTJOG”という芸術イベントは世界的にも有名です。毎年80名近いアーティストが出品しており、過去にはチームラボ(2014年)、オノヨーコ(2015年)も招待されたイベントです。コロナ禍の今年はヴァーチャル・イベントとなり、41名のアーティストの作品が7月初めから2ヵ月間にわたってオンライン展示されました。

●学術教育都市

「学生の街」としても知られるジョグジャカルタには、またインドネシアの著名人を多く輩出している国立ガジャマダ大学があります。ガジャマダ大学の歴史は古く、インドネシア独立宣言(1945年8月17日)に遡ります。独立宣言の2日後に、ジャカルタにインドネシア共和国大学(Balai Perguruan Tinggi Repoeblik Indonesia)が設立されますが、同年12 月にオランダ軍がジャカルタを再占領したことから、教職員と学生はジョグジャカルタに大学を再建すべく移動します。翌年3月、ガジャマダ高等教育財団により、ジョグジャカルタで法学と文学の2学部からなるガジャマダ大学が開設されました。その後、1949 年12月にガジャマダ大学は正式に創設され、医学系学部、獣医学部、農学部、工学部、法律・社会・政治学部を擁し、当時の学生総数は483人でした。現在では18学部、学生数約4.7万人を有しています。

ジョグジャカルタ市内には国立ガジャマダ大学のほか、40もの国立・私立大学の高等教育機関が設立され、一昔前までは「学生の町」として国内では有名でしたが、学生のほとんどは他州からの出身者で占められていたため、地方の地域開発や高等教育機関の目覚ましい発展により、多くの私立大学は定員を満たすことができなくなっており、学術教育都市としての将来に影が見えています。

●不思議その1:ボロブドゥール寺院遺跡群

ジョグジャカルタは古い都だけに、様々な神話や言い伝え、神秘が数多くあります。その不思議のいくつかをご紹介したいと思います。

先ず代表的なのは、1991年にユネスコの世界文化遺産に登録された「ボロブドゥール寺院遺跡群」でしょう。

ボロブドゥール寺院は、世界最大の仏教遺跡で、大乗仏教を取り入れていたシャイレーンドラ王朝によって792年頃に完成されたといわれています。12世紀末に完成したアンコールワットより約300年も早く完成した遺跡です。仏教理論の多層を表現するため、丘陵に200万個の安山岩を積み上げ、123メートル四方をベースにしたピラミッドには2,672枚のレリーフ、504体もの仏像が飾られています。接着剤や釘など一切使わずに建てられた、この遺跡は何のために、またどのように建設されたのか、いまだ解明されていません。

シャイレーンドラ王朝の実権がマタラム王国に移り、ジャワが再びシバ信仰を奉るヒンズー勢力に支配されると、大乗仏教は後退していき、それとともにボロブドゥール遺跡は千年もの間、密林の中に埋もれてしまいます。1815年、英国のスタンフォード・ラッフルズ卿が発掘し、再発見されますが、総面積1.5万平方メートルの、この巨大な遺跡群が埋もれていた理由も神秘のヴェールにつつまれています。二つの説があり、一つはムラピ山の大噴火によって火山灰に埋もれてしまったのではないか、もう一つは13世紀末に一気に広まったイスラム教から、この仏教寺院を守るために人々が埋めたのではないかという説です。これらが、ボロブドゥール寺院遺跡群が「世界の七不思議」の一つとして挙げられる所以です。

空中から見たボロブドゥール寺院

寺院のストゥーパ

レリーフ

(以下に続く)

  • 不思議その2:ジョグジャカルタ王宮の位置
  • 不思議その3:南海岸で緑色の服を着ると波にさらわれる
  • 不思議その4:早朝の鼓笛隊の音
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