(編集者注)本稿は、2021年10月7日発行の『よりどりインドネシア』第103号に所収の「ロンボクだより(54)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。なお本稿は2021年12月発行の『よりどりインドネシア』第107号に続く予定です。
やっと家族と会えて和んでいると、近所の方が「みどりも食べたら?」とごはんの盛られた皿を持ってきました。
え??もう白いご飯食べてるの??
前夜に地震に襲われたばかりだというのに、もうご飯を食べているなんて驚きです。何より、普段使う陶器のお皿を手にしていることに目を丸くしました。
ロンボク島では40年近く地震らしい地震がありませんでしたから、誰も地震の備えをしていません。保存食はなく、紙皿やプラスチックのお皿も持っていません。逃げるときに防災グッズなどを手にしていないはずなのに、どうやって陶器の皿で朝ごはんを食べているのでしょう。
「みんなの分もあるの?」
「あるよ。ここに到着した人はもう食べてるから(遠慮せずどうぞ)」
彼女の指差した先に、小さなガスボンベとコンロが見えました。ああ、なるほど、これでご飯を炊いたのね。
日本では、ガスボンベの設置は業者が行うことがほとんどです。台所のガスコンロも、調理台と一体化しているか、分離していても取り外して戸外で使うことなど考えないと思います。台所以外でガスコンロを使いたいときは、小さなポータブルガスコンロを使いますよね。
でも、ロンボク島では普段からガスコンロは調理台の上にボンっと乗せられていて、ガスコンロもガスボンベも自分で購入して設置します。私が結婚した2012年は、ガスコンロのないご家庭もまだまだありました。台所は戸外にあるのが大半で、かまどや灯油コンロを使用していました。そのため、ガスコンロとガスボンベ自体が比較的新しく、いずれも「持ち運べるもの、自分で設置できるもの」という共通認識があります。
ということは・・・ここの人々は前夜に被災して、翌日の朝に必要なものを自宅から持ち出したようです。それで、すぐ野外クッキングをはじめたんだなぁ。すごい!
ガスコンロとボンベ
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ごはんを食べ、娘や姑による昨夜の話の相手をしながら休んでいると、お手洗いに行きたくなりました。さて、どこへいけばいいのかな・・・。
聞くと、「あのへんで(適当に)」との返事。夫がペットボトルに入った水をもたせてくれました。用を足したあとに汚れた部分を洗うためです。娘も誘って、草の茂みでいそいそと用を足しました。ふぅ。
元の位置に戻ろうとしたとき、草地の向こうの原っぱに水瓶と銅鑼(どら)があるのを見つけました。そうだ、私たちは仏教徒の集落地帯にいるんだったな・・・。お寺らしきものは見えませんでしたが、ここはお寺の近くかもしれません。この水瓶もきっと仏教徒の方々がお清めか何かに使っているものでしょう。まさかこんな形で地元の仏教徒の集落を訪れることになるなんて・・・。またいつかゆっくりお寺を見に来ることができたらいいな。私は心のなかで神様仏様に皆の安全をお願いして手を合わせました。
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昼下がり、集落の一部の人々と集落の裏手にある小規模な丘へ移動することになりました。軽トラックに順番に乗るようにとのこと。どうやらこの軽トラが到着するのを今まで待っていたようです。
本来はバイクで裏道をいけばひょいといける距離ですが、バイクが壊れたり、路地が瓦礫だらけになっていて、バイクを表通りまで出せなかったりする人がたくさんいました。それに軽トラだと大きめの道しか通れないので、かなり迂回して丘までいくことに。それでも、歩いていくよりはましです。軽トラの荷台に乗れるだけ乗って軽トラを何度か往復させて、みんな無事に移動しました。
いや~、それにしても、ただの丘です。見事なまでに何もありません。先着していた村の女性と子どもはただ茣蓙(ござ)を敷いただけの原っぱに腰掛けていました。
丘の上に到着
あれ・・・男性陣は??人々の移動を手伝ったり、荷物を家に取りにいったりしているのかな?
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