気が付いたら2021年ももう半分以上が過ぎてしまいました。昨年から様々な行事が規制されていることもあり、例年以上に季節感が感じられないのかもしれません。7月、日本はどんどん暑くなる時期ですが、赤道付近とはいえ一応南半球に属するここでは日々涼しくなっていっています。
季節としては乾季のはずですが、しかし今年の乾季はやたらと雨の多いものに。元々ウォノソボは年間の降雨量は多いほうで、乾季に雨が降ることも別に珍しくはないのですが、それにしても雨季真っ只中のような土砂降りが毎日続くというのは少々おかしな状態といえるでしょう。地球規模で異常気象が続いていますが、そうしたものの一環が毎年形を変えて表れているようです。
ディエン高原では、この時期には霜が降りる様子が見られます。霜はここの言葉でブン・ウパス(Bun upas: 毒の露)と呼ばれ、農作物にダメージを与えるために農家にとっては歓迎されないものですが、一面の霜に覆われた草原に立つ遺跡などがファンタジックな光景としてSNSに載せられたりしています。
古来、ジャワには、季節ごとの変化を示し農作業の指針となる農事暦がありました。しかし、近年の異常気象により、もはやそれが機能しなくなっていると言われています。ジャワの農事暦とはどんなものなのでしょうか。また今も使われるジャワの暦、さらにウォノソボの一部のイスラム教徒のみが密かに受け継いでいる暦法など、今回は暦に焦点を当てていきたいと思います。
●プラナタ・マンサは消滅の危機?
インドネシアでは、世界共通の西暦のほか、イスラム教徒のヒジュラ暦、ヒンドゥー教徒のウク暦、サカ暦、華人の旧暦など、様々な暦が同時に使われていることはご存知の通りです。それぞれの祝祭日は、そうした暦に基づいて日付けが決められています。
そうしたものの一つに、プラナタ・マンサ(pranata mangsa)があります。宗教と結びつくことの多い他の暦とは違い、これは農作業の指針として運用されてきたものです。
収穫の終わった時期から、オリオン座の運行や太陽と北回帰線の位置を見て一年の始まりが決められました。
6月22日から最初の季節(マンサ)が始まり、これが41日間。この時期は木々の葉が落ち、作物の邪魔になるため焼畑や野焼きを行っていました。
第二のマンサは25日間、植物の生えてくる時期です。
第三のマンサは24日間、芋類を植えるのに適した時期で、森で野の花が咲き始めます。乾季の真っ最中です。
第四のマンサは24日間、多くの動物が繁殖行動をし、強い風が吹き、雨が降り始めます。川の水位が上がってきます。
第五のマンサは26日間、水稲の苗の用意が始まり、水路の修繕やチェックが行われます。
第六のマンサは41日間、畑が耕され、種籾が蒔かれます。
第七のマンサは41日間、育ち始めた苗が田んぼに移されます。
第八のマンサは26日間、作物が成長し、花をつける時期です。
第九のマンサは25日間、稲の茎が伸びていきます。
第十のマンサは25日間、稲が黄色く成熟し始めます。
第十一のマンサは26日間、いよいよ収穫の季節です。
第十二のマンサは41日間、収穫が終わり、稲は倉にしまわれます。乾季が始まり、空気が涼しくなっていきます。
トータルで一年が365日で、植物や動物の活動周期を重要視しているのがわかりますね。プラナタ・マンサを今の形に整えたのは1856年のパクブウォノ7世だとされていますが、それ以前から農民には広く知られていました。一年の始まりが8月や9月だったという記録もあります。
しかし、化学肥料の投入や稲の品種改良が進むにつれ、これらは段々と影を潜めるようになります。さらにこの何十年かの気候変動により、現在の気象や季節の変化とは合わなくなってきてしまいました。気象庁(BMKG: Balai Besar Badan Meteorologi, Klimatologi, dan Geofisika)は、すでにプラナタ・マンサは農業の指針としては使えない、と見ています。
一方で、先人の培ってきた知恵として改めて見直し、本来のエコロジカルな農法を学ぼうとする動きもあります。現在は一部のカレンダーに記載されるのみとなったプラナタ・マンサが過去の遺物とならずに済む道もあるのでしょうか?
●生活に根付くジャワ暦
一方で、よりポピュラーで、今でも生活の中になくてはならないのがジャワイスラム暦/ジャワ暦です。ここでは一番シンプルなカレンダーでもこのようになっています。
(出所)https://www.sakmadyone.com/2021/06/kalender-jawa-bulan-juli-2021.html#!/history
西暦の日付けと月火水木金土日…といった曜日のほか、日付の下にはこのような記述があります。
日付の下の数字は、左がジャワ暦のもの、右がヒジュラ暦の日付です。
この2021年7月は、ヒジュラ暦1442年ズーアルカアダ月20日からズーアルヒッジャ月21日まで、またジャワ暦セラ月21日からブサル月21日までと重なっていることがわかります(上述のカレンダーの右上部分を拡大した下図を参照)。
そして、ジャワ暦とヒジュラ暦の日付けの間にあるのが、パサラン(pasaran)と呼ばれるジャワ暦での曜日です。
パサランは全部で5つ。パイン(pahing)、ポン(pon)、ワゲ(wage)、クリウォン(kliwon)、ルギ(legi)、これを繰り返します。パサランは西暦の曜日と合わせて考えられるため、通常は「月曜のポン」「金曜のクリウォン」といった言い方をします。7つの曜日と5つのパサランの組み合わせは35種類となり、すなわち35日で一つのサイクルになっているのです。
この曜日とパサランの組み合わせは重要で、たとえば、赤ちゃんの出産報告には必ず何曜日の何のパサラン生まれであるかが記載されています。赤ちゃんにまつわる儀礼がその子の生まれ曜日と深く関係しているため、把握していないと困るからです。
またその人物の運勢や性格を占うのに使えるほか、日本でいう大安や仏滅のような縁起の良し悪しを見るのにも用います。もっとも、そうしたことを読める人はどんどん少なくなってはいます。
パサラン、という名前の通り、パサール(pasar: 市場)との関係は切っても切り離せません。市場によってパサランの日というのが決まっており、たとえばA市場はポンの日とルギの日、B市場はパインの日、などそれぞれ。
パサランの日とは何かというと、市場の全ての部門の商人が店を開けるので最も品揃えが良くなる日です。当然、買い物客で賑わう盛況な日となります。パサラン以外の日は、市場自体は開いていても一部の商品しか置いていないため、せっかく行くならパサランの日を選んで行こうか、となるわけです。
近隣の市場同士ではパサランの日が被ることはまずないので、今日はA市場、明日はB市場・・・と巡ることができます。本来は、本当にそのパサランの日にしか市場が開かなかったのでしょう。現在は、開いている店の数という規模の違いとして表れています。ただし、県内最大の中央市場はとくにパサランの日はなく、毎日全ての店が開いています。そうならずに済む道もあるのでしょうか。
ジャワ暦はヒジュラ暦の要素を取り入れているため、同じく太陰暦で、一年は354日。毎年11日ずつ前にずれていきます。
(以下に続く)
- ムダル村のアボゲ暦
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