よりどりインドネシア

2021年07月22日号 vol.98

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第24信:映画からみた「コロナ禍をどう生きるか」(横山裕一)

2021年07月22日 23:24 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

第23信でパプア独立運動に関連した作品を紹介していただき、ありがとうございました。『一度だけキスしたい』(Aku Ingin Menciummu Sekali Saja / 2003年公開)は何かの機会に是非とも鑑賞したいものです。

前回、アチェや東ティモールの独立運動関連の映画作品の制作時期について書かせていただいたように、独立運動が継続している期間は、政治的にも極めてセンシティブな問題だけに作品制作は実現しづらいのが現状です。パプアの独立運動については未だ解決の兆しもみられない状態だけに、関連の映画作品はないかと思っていたのですが、さすがタブーテーマに敢えて取り組むガリン・ヌグロホ監督の面目躍如ですね。内容的にとても好奇心がそそられます。

作品内で触れられている独立派指導者の一人、テイス・エルアイ氏(当時パプア最高評議会議長)が国軍に殺害されたのが2001年11月ですので、事件を受けてまもなく制作に取り組んだのか、あるいは制作過程で事件が起きて作品に盛り込んだものかと推測できます。当時は1999年の東ティモールでの住民投票によるインドネシアからの独立の決定を受けて、アチェとパプア(当時はイリアンジャヤ)で独立運動が高揚した時期でもありました。また言論統制を敷いたスハルト長期独裁政権が1998年に崩壊した直後で、メディアをはじめとして当時の社会は束縛から解き放たれたかのように一気に民主化、言論の自由が進められた時期だったことから、現在では再びタブーになりつつある独立運動問題関連の作品も制作しやすい状況にあったのではないかと思われます。

現在のパプア(パプア州と西パプア州)はインドネシア独立後もオランダ領でしたが、1963年インドネシアが統治し、変則的な住民投票を経て1969年国連がインドネシアへの編入を承認しています。一方、パプアの独立派住民はそれ以前に独立派組織「自由パプア運動」を結成し、毎年12月1日を「独立記念日」として同組織の象徴である「明けの明星旗」を掲揚していました。しかし、インドネシア統治後は、掲揚が禁止されました。

東ティモールの独立決定に触発されたパプアの独立派は、彼らにとっての「独立記念日」である2000年12月1日に再度「明けの明星旗」を掲げて独立機運を高めようとする動きが活発化しました。当時、パプア州の州都ジャヤプラの中心部近くで「明けの明星旗」の掲揚に立ち会おうと多くの住民が朝早くから集まりました。しかし、それを治安部隊が自動小銃を抱えて取り締まり、一触即発の緊張した住民との対峙が半日近く続きました。結果、混乱を避けた独立派が旗の掲揚を断念しましたが、集まった住民たちの目を見ると独立へ向けた強い意気込みが感じられました。当時、独立派としての矢面に立っていたのが地方議会議員でもあった、テイス・エルアイ氏ですが、この1年後に同氏は国軍特殊部隊に殺害されます。

その後、テロ組織が潜むとされる中スラウェシ州ポソとともにパプアは、外国メディアに対するプレスビザの対象外地域になりました。これにより現地の直接取材は事実上不可能となり、パプア情勢の情報源は一部国内メディアの現地支局と外国メディアが契約する現地通信員のみと大きく制限されることになります。政府は2021年4月下旬、パプア独立派組織をテロ組織認定し、国軍を増派するなど、かつてのスハルト政権時代に逆行するかのような状況になりつつあり、現地で何が起こっているか把握しにくくなることが懸念されています。

それだけに、映画というメディアの重要性も増しますが、既述のように政治的要因から制作するには次第にハードルが高くなりつつあるのが現状です。さらに前回、また轟さんも指摘されたように、ジャワ島を中心とした人々にとってパプア問題は関心が極めて低いことも挙げられます。

地理的、経済的、近代化などの面からみてもパプアは非常に遅れているうえ、一部伝統文化を強く残すパプア民族のイメージから未開とみなされ、人種、民族、文化的に優位感を意識的にしろ無意識にしろ持たれてしまっていることなどが要因に挙げられます。轟さんも触れられた2019年のスラバヤでのパプア人に対する侮蔑発言問題は最たるものですね。一方で、この侮蔑に対するパプア住民の反響が予想以上に大きかったことも、彼らが従来から抱えている不満の高さと他地域の人々との溝の深さを浮き彫りとした事件だったといえそうです。

以上のようなことから、パプアを扱った映画作品としては、エイズ問題や児童教育の遅れなど限られたテーマのものが多いようですね。轟さんが紹介してくれた中では『ワメナから愛を込めて』(Cinta dari Wamena / 2013年公開)と『エペン・チュペン』(Epen CepenThe Movie / 2015年公開)を私も観ています。とくに『ワメナから愛を込めて』は青春群像映画としても印象深い作品でした。 このほか、『太陽の東で』(Di Timur Matahari / 2012年公開)を観ましたが、これも教育問題と部族問題などがテーマになっています。

ナショナリズムを押し付けるつもりはありませんが、パプアの人々と他地域の人々との心の溝を埋め相互理解を深める意味でも、パプアを題材とした映画制作を継続することは今後とくに重要な役割を果たすことになるかと思います。そして願わくは、ガリン・ヌグロホ監督のように敢えて直接的な問題提起に挑む映画人が出てくることも期待したいところです。

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さて、轟さんのご近所でも新型コロナウィルスの感染者が確認されたとのこと、くれぐれもお気をつけください。ご家族の安全をはじめ諸々気苦労が絶えないかとお察し申し上げます。私の周りでも、4月の断食月に入った頃に日本人の友人が感染し、インド由来の変異株であるデルタ株によるものとみられる感染が一気に拡大した6月以降、インドネシア人の知人の家族や親戚の訃報が届き始めました。

アパートに掲示された「レッドゾーン」を周知させる横断幕

そして7月になり政府による緊急活動制限に入ると同時に、私の住むアパートも感染者増加のレッドゾーンに指定されました。約1万5千人住むアパート群とはいえ、「レッドゾーン」の幕が張られるのを見ると、改めてコロナが近づいてきたと感じます。そんな折、インドネシア人の友人の訃報が飛び込んできました。直接の知人の訃報は初めてでした。まだ30代に入ったばかりの若者で、明るく、日本文化を好んでくれて、年齢に似合わず和田アキ子の歌を嬉しそうに歌っていた顔が浮かびます。彼の人生はまだまだこれからだったはずなのに、悲しみ以上に悔しい思いが募りました。職場感染だったということです。

日々活動が制限され精神的に抑圧傾向にあるなか、悲しい知らせもあるこの時期は信仰深い人々の言葉を借りれば、まさに神の与えた試練なのかもしれません。そこで今回は新型コロナ禍を扱った作品を通して、インドネシア人が捉えたパンデミック社会対する認識をみていきたいと思います。

作品はパンデミック以降、新作映画をオンライン配信で公開しているビオスコップ・オンライン(Bioskop Online)で昨年12月に初公開された、『コロナ禍の物語』(Quarantine Tales)です。ネットフリックスのインドネシア版でも現在配信中です。5つの短編物語からなるオムニバス映画で、私たちも本稿で扱った作品『ゴールデン・アームス』(Pendekar Tongkat Umas)のイファ・イスファンシャ監督をはじめ3人の短編映画監督、それに映画『チンタに何があったのか?』(Ada Apa dengan Cinta?)で主演を演じた女優ディアン・サストロワルドヨが各物語の監督をしています。

『コロナ禍の物語』ポスター(引用:文末)https://lifestyle.kontan.co.id/news/quarantine-tales-tayang-hari-ini-berikut-jadwal-film-indonesia-yang-baru-di-netflix?page=all より引用)

このうち『幸せな少女よ泣かないで』(Happy Girls Don’t Cry / Netflix邦題は「けなげな少女に祝福を」)は、貧しい家庭を舞台にユーモアを交えながらも悲しくもあり、シニカルな作品です。両親と少女の3人暮らしの家族、少女の弟は新型コロナに感染して亡くなった設定です。コロナ禍で失業中の父親が借金取りに再三催促されるなか、少女は動画投稿サイトに応募した動画が優秀賞に選ばれ、賞品として最新のパソコンを手にします。

梱包されたパソコンを写真撮影し、早速知り合いに転売して借金の返済に当てようとする父親に少女は反発します。「親を助けようと思わないのか」「ここまで育てたのに」「動画で父親の恥ずかしい姿も撮影しただろう」両親がたたみかけるように転売に反対する少女を説得します。

これに対し少女は、弟が重体となった時も金がないために病院へ連れて行こうとしなかったことを責め、金のことしか優先的に考えない両親を非難し、パソコンを持って家を出て行こうとします。そして少女が通りに踏み出したとたん、走ってきたオートバイに轢かれてしまいます。その時、父親のとった行動は・・・悲しくもあり、シニカルな結末が待っています。

同作品は新型コロナ禍で失業者が増大し、生活苦にあえぐ低所得者層の現状を等身大で表しています。現代社会では生活のために金が必要であるのは当然で、ましてやコロナ禍では重要さが増すものの、金と命、金と親子間での思いやる気持ちを天秤にかけ、苦しい中で生きていく時に大切なものは何かを問いかけています。コミカルな作りでありながら悲しくもシニカルな印象を受けるのは、登場人物と同じく、行先の見えない不安なコロナ禍にいる鑑賞者もこうした問いかけに対して身につまされるからかもしれません。

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