よりどりインドネシア

2020年11月22日号 vol.82

インドネシアのオイディプスたち(太田りべか)

2020年11月22日 19:16 by Matsui-Glocal

スンダ地方に伝わるサンクリアン(Sangkuriang)説話のなかに、父を殺し、母と交わるという、ギリシャ神話のオイディプス伝説と同型の話が含まれていることを前回紹介した。今回は、この父殺し・母子相姦譚に焦点を当ててみたい。

●サンクリアン伝説のなかの父殺し・母子相姦譚

サンクリアン伝説のなかにはさまざまな説話要素が詰め込まれているが、そのなかの父殺し・母子相姦譚を見てみよう。

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犬のトゥマン(Tumang)を夫としたダヤン・スンビ(Dayang Sumbi)は、一子をもうけ、サンクリアン(Sangkuriang)と名づけた。

ある日、ダヤン・スンビは鹿の肝が食べたくなったので、サンクリアンに鹿を狩ってくるよう頼み、トゥマンについて行かせた。いくら探しても獲物はなかなか見つからず、サンクリアンは誤ってトゥマンを殺してしまう。そしてトゥマンの肝を取って持ち帰った。

その肝を料理して食べた後、ダヤン・スンビがトゥマンはどこに行ったのかと尋ねると、サンクリアンは、実は今食べたものはトゥマンの肝だと告白する。怒ったダヤン・スンビは、椰子の殻でできた飯杓子でサンクリアンの頭を強打した。

サンクリアンは放浪の旅に出た。一方、ダヤン・スンビは息子を追いやったことを悔いて、息子の帰還を祈りつつ、火を通さない植物だけを口にする修行を続けた。数年後、サンクリアンは森でとても美しい女性を見かけ、それが自分の母だとは知らずに恋に落ちる。ダヤン・スンビも自分の息子とは気づかず、サンクリアンの虜になった。

ある日、サンクリアンの頭を膝に載せて愛撫していたダヤン・スンビは、その頭に古い傷痕を見つけ、恋人が実は自分の息子であることを知る。ダヤン・スンビは「結婚はできない」と告げるが、サンクリアンはどうしても諦めようとしない。やむなくダヤン・スンビは、一晩のうちにチタルム川を堰き止めて湖を造り、そこに浮かべる船を建造できたら結婚してもいい、と条件を出す。

サンクリアンは巨木を切り倒して船を造った。妖霊を呼び出して手伝わせ、ほどなく湖ができ上がりそうになった。慌てたダヤン・スンビは神に祈りつつ、白い布を東の丘の上に広げて曙のように見せ、杵で木臼を叩いて朝の米搗が始まったように見せかけた。妖霊たちは夜が明けたと勘違いし、恐れて姿を消した。

結婚のための課題を達成することができなくなったサンクリアンは、なおもダヤン・スンビを追い、プトゥリ山で追いつかれそうになったダヤン・スンビは神に助けを乞い、jaksi(アダンの一種?)の花に姿を変えた。サンクリアンはUjung Berungというところまで来て姿を消した。

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サンクリアン伝説にはいろいろなバージョンがあり、上記のバージョンのようにサンクリアンが犬のトゥマンを誤って殺してしまうものもあれば、獲物が見つからない腹いせに、故意にトゥマンを殺すものもある。だが、いずれのバージョンにも共通しているのは、サンクリアンはトゥマンが自分の父親であると知らなかったらしいという点だ。どうやらダヤン・スンビは「この犬がおまえの父さんだよ」とは息子に告げていなかったらしい。

自分の父と知らずに父を殺害してしまうのは、ギリシャのオイディプス神話と同じである。一方、オイディプスは母と知らずに母を妻として四子をもうけるが、サンクリアンは母と知らずに母と恋仲になるものの、結婚は成就しない。二人が肉体関係を持ったかどうかは不明だが、少なくとも二人の間に子はできていない。母子相姦といっても、未遂であったかもしれない。

もうひとつの大きな違いは、オイディプスは預言者や複数の証言から真実に気づき、自分の出生の秘密と自分の犯した罪を悟るが、サンクリアンは最後まで自分が父を殺し母に恋したことを知らず、自分の罪について終始無自覚だったことだ。

サンクリアン伝説では、真実に気づくのは母だけで、そのきっかけとなったのがサンクリアンの頭部の傷痕だった。後述するが、この頭部の傷痕によって母子相姦の事実に気づくというパターンは、ジャワやカリマンタンに伝わる母子相姦譚にも共通する。

オイディプス伝説では、オイディプスの踝の傷痕が、かつて殺害するために山へ連れて行かれた赤子がオイディプスだったことの証拠となるが、それが真実に気づくきっかけとして機能しているわけではない。ソポクレスの『オイディプス王』(河合祥一郎訳)では、オイディプスは、自分の父ともライオス王とも知らずに三叉路で行き合った老人を殺害する直前に、その老人から「先が二つに分かれた突き棒」で頭をしたたかに打たれている。だが、その傷痕はとくに問題にされていないようだ。

●ジャワの母子相姦譚

“Babad Tanah Jawi”(『ジャワ年代記』)のなかにも、母子相姦譚が見られる。ジャワの地に本格的に王国が形成されていく以前の、日本の『古事記』『日本書紀』の神代に相当する多分に神話的な時代の話である。

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ギリン・ウェシ(Giling Wesi)という国の王ワトゥ・グヌン(Watu Gunung)にはデウィ・シンタ(Dewi Sinta)とデウィ・ランデップ(Dewi Landep)という二人の妃があり、デウィ・シンタの産んだ息子が二十七人いた。

あるとき、ギリン・ウェシ国では月食や日食が頻発し、天候が不安定となり、日に七度も地震が起きるというありさまで、国中が疲弊した。それを嘆き、疲労困憊して寝台に横たわった王の頭を見て、妃のデウィ・シンタは驚いた。王の頭に一部が禿げたようになった傷痕を見とめたからである。

その傷はどうしたのかと王に尋ねると、王は、子どものころ、母が飯を炊いていたときに駄々をこねたため、母に飯柄杓で打たれてできた傷だと答えた。少年ワトゥ・グヌンはそのまま家を捨てて放浪の旅に出たという。

その話を聞いてデウィ・シンタは、夫とした男が、実は長らく行方知れずとなっていた自分の息子であることを知って驚愕する。これに先立つ前日譚はW.L. Olthof版“Babad Tanah Jawi”には載っていないが、デウィ・シンタはある国の王女で、兄弟の側室にされたため、身重の体で王宮を捨て、森の中をさまよっているうちに男子を出産、ウドゥッグ(Wudug)と名づけた。その子が後にワトゥ・グヌン王となって、生みの母と知らずにデウィ・シンタを妻としたという言い伝えがあるらしい。

さて、真実を知ったデウィ・シンタは、子であり夫でもある王との関係を終わらせるため、一策を弄する。天女を妃に迎えれば王の崇高さはいやますであろうと王に進言したのである。王がその気になって天上界に求婚に赴けば、必ずや命を落とすだろうと踏んだからだった。

ワトゥ・グヌン王は軍勢を率いて天上界へ赴き、天上界の主バタラ・グル(Batara Guru)が遣わしたバタラ・ウィスヌ(Batara Wisnu)と対峙する。王は「戦はせぬ。我が出す謎を御身が解けば、我は甘んじて死のう。だが謎が解けなければ、我は天上界の神々すべての支配者となり、天女を残らず妻としてもらい受ける、というのはいかがか」と提案する。バタラ・ウィスヌはそれに同意する。

ワトゥ・グヌン王は謎をかける。「身木は大きく蕊は小さきもの、蕊は大きく身木は小さきものは何か」(ana wit adhakah / ya adhikih uwohnya / woh adhakah wit adhikih)。バタラ・ウィスヌは答えて言う。「蕊は大きく身木は小さきものは西瓜である。身木は大きく蕊は小さきものは垂榕樹(beringin)である」 謎を解かれてしまった王は、バタラ・ウィスヌに首をはねられ落命する。

ワトゥ・グヌン王の死を知って、デウィ・シンタは嘆き悲しみ、そのせいで世界は鳴動する。世界の動揺の原因がデウィ・シンタの嘆きであることを知って、バタラ・グルは三日のうちにワトゥ・グヌン王を生き返らせて地上に戻すと言ってデウィ・シンタをなだめるが、三日たっても王が戻ってこなかったため、デウィ・シンタは再び泣き始めて世界の鳴動はますますひどくなった。バタラ・グルはようやくワトゥ・グヌン王を生き返らせて地上に戻そうとするが、王はこのまま天上界に住んで、二人の妻と二十七人の息子たちを迎え取りたいと願い出る。その願いは聞き届けられ、王の家族は一週に一人ずつ天に召し上げられた。それがジャワ暦の三十週の始まりとなった(一週七日をwukuといい、第一週はSinta、以下Landepと二十七人の息子の名、そして第三十週がWatugunungと呼ばれ、そこで一サイクルとなる)。

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もとはといえばデウィ・シンタが子であり夫でもあるワトゥ・グヌン王との関係を解消するべく王の死を望んで仕組んだことだったのに、いざ王が死ぬと、バタラ・グルが王を生き返らせるまで泣き続けるとは矛盾した話だが、本来は別の話として伝えられてきた母子相姦譚をここに組み込んだ結果、ちょっとちぐはぐになってしまったのかもしれない。

あるいは、これはジャワの「国譲り神話」なのかもしれない。日本の記紀に、葦原中国を支配していた国津神が高天原からやって来た天津神に支配権を譲り渡す神話があるが、“Babad Tanah Jawi”でも、ワトゥ・グヌン王の話に続いて「国譲り」が語られるのである。

ワトゥ・グヌン王が、生き返った後も天上界に住み続けることを望んで一家そろって昇天した後、天上界のバタラ・グルは息子のバタラ・ウィスヌとバタラ・ブラマを地上に降ろし、バタラ・ウィスヌをムラピ山はじめ八ヵ所を支配する諸霊の王とし、ワトゥ・グヌン王に代わってバタラ・ブラマをギリン・ウェシ国の支配者とする。そうしてジャワの地は平定され、バタラ・ブラマの子孫がジャワの王国の王となっていく。言ってみればワトゥ・グヌン王は国津神(先住民)で、バタラ・ブラマとその子孫は天津神(異国からやって来た新たな支配者)だったのである。そして母子相姦の結果生まれた子たちは皆、ジャワの地の支配者となることなく天上界へ昇ってしまい、暦にその名を留めるだけとなった。母子相姦譚は、敗者を貶め、その敗北を正当化するために取り入れられたものだったのかもしれない。

(以下に続く)

  • 南カリマンタンの母子相姦譚
  • Wong Kalang(カラン人)
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