●オランダ時代の名残
ジャカルタコタ駅(写真上)と駅構内(写真下)
首都圏鉄道などの始発駅でもある基幹駅のひとつ、ジャカルタコタ駅はオランダ植民地時代の建物が多く残るかつてのバタヴィアの中心地、西ジャカルタのコタトゥア(Kota Tua)地区にある。駅舎は1929年建築。オランダの建築家によるデザインで、当時の流行であるアールデコ様式が特徴だ。構内もアーチ状の高い天井が印象的で、実際の敷地よりも広く感じる。
ジャカルタコタ駅構内にあるアンティーク大時計(撮影2014年5月)
その駅構内の中央部に直径約50センチの大きな古時計が掲げられている。表裏の二面に設けられた文字盤にはローマ数字がぐるりと並び、上部にはメーカー名「F.M.OHLENROTH」が、また下部には旧仮名遣いで「スラバヤ&スマラン」(SOERABAIJA & SEMARANG)の文字が記されている。大時計は同駅でオランダ植民地時代の駅舎と相まって歴史を感じさせる役割を演じてもいる。
しかし、同駅を管理するインドネシア国鉄(PT. Kereta Api Indonesia)の広報に時計の歴史について問い合わせると、残念ながら現在知る者はいないという返事が返ってきた。地元の報道などによると、この時計は1881年オランダ製で、当初は1882年に開業した西ジャワ州のスカブミ駅で使用されていたという。しかし、1970年にスカブミ駅は廃線に伴い使われなくなり、時計も長い間人目に触れなくなってしまった。
「歴史ある時計を少しでも多くの人々に楽しんでもらおう」と現在のジャカルタコタ駅に移動されたのが2008年後半で、現在に至る。皮肉にも翌2009年初めにスカブミ駅は運行が再開されている。 また、なぜ時計盤面の下部に「スラバヤ&スマラン」の文字が記されているのか調べてみると、同時計のメーカーであるF.M.OHLENROTHが植民地時代にスラバヤとスマランに支店があることが判った。
(以下に続く)
- 時計に異変
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