よりどりインドネシア

2020年11月22日号 vol.82

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第9信:インドネシアのサッカー映画あれこれ(轟英明)

2020年11月22日 19:17 by Matsui-Glocal

横山裕一様

ジャカルタの映画館が一部とはいえようやく営業再開となり、ホッとしております。ただ、こちらジャカルタ近郊のチカランにもいくつかシネコンがありますが、再開しているところは現時点ではありません。ああ、いつになったら何も考えずにスクリーンに没頭するだけの日々が戻ってくるのか・・・。

さて、前回、横山さんが紹介された『ガルーダを胸に』(ネットフリックス配信での日本語題、原題はGaruda di Dadaku)2部作を私は別の角度から論じてみたいと思います。続けて、インドネシア映画のなかでサッカーを題材とした作品をいくつか取り上げ、将来製作されるであろう、インドネシア製サッカー映画を大胆に予測あるいは妄想してみます。

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『ガルーダを胸に』のあらすじはすでに横山さんが詳細に述べられているので省略し、以後一作目を①、続編の二作目を②と記します。私の場合、実は②を先に劇場公開時に観ていました。ですから①を見たのはつい最近なのですが、シリーズものにしては、まるで肌触りの違う作品だったのは少々意外でした。

『ガルーダを胸に』imdb.com より引用

結論から書いてしまうと、①はサッカーものというより老人もの、②の方が正統派のスポーツもの、と私は捉えました。①を老人ものと評したのは、主人公バユよりも祖父ウスマンの視点が物語に占める比重が高く、作品のメッセージそのものが「頑固な老人は若い世代の夢を潰さず、むしろ応援すべし」だったからに他なりません。極論を言ってしまえば、①において、バユの夢がサッカー選手である必然性は必ずしもなく、他のスポーツであっても同じストーリーでの展開は十分可能です。サッカーが選ばれたのは、単にインドネシアで最も人気のあるスポーツであり、観客が感情移入しやすいからで、それ自体は問題ないとしても、やや不自然というかリアリティを欠いていると思ったのは祖父の人物造形です。

2008 年の大ヒット映画『虹の兵士たち』(Laskar Pelangi)で、廃校寸前の小学校の校長を演じた名優イクラナガラの演技は安定していますが、怪我のためサッカー選手として大成できなかった父の轍をバユには踏ませたくないからとはいえ、バユに断固としてサッカーをさせない厳しさは、やや偏執狂的に私には映りました。父がサッカーの試合で亡くなったという理由ならともかく、交通事故で亡くなったことはサッカーとは無関係で、なぜそこまでウスマンはこだわるのか。そして、バユが嘘をついてサッカークラブに通っていた事実を目の当たりにして心臓発作を起こしたウスマンは、見舞いに来たバユに対してサッカーをすることをあっさり許しますが、心変わりした過程がやや不明瞭で、この展開にはかなり疑問符がつきます。バユのサッカーの才能を認めたとのウスマンの台詞は一応あり、これを許容できるご都合主義と見るかどうかで①の評価はだいぶ変わってくるでしょう。

さらに百歩譲ってこのご都合主義を認めたとしても、やはり根本的なところで①には不満が残ります。なぜなら、バユにとって本当の意味での葛藤、もっと言えば祖父との対決を①では回避してしまっているからです。バユを演じたエミル・マヒラは、小柄でひ弱に見えるくらいの年端も行かない小学生の役だから、こうした要求はないものねだりなのでしょうか。私はそうは思わないのです。前回第7信で紹介した韓国映画『裸足の夢』の中で、将来に絶望した少年が盗みに走り、少年の兄と韓国人コーチが心から償おうとする名場面を見てしまった後では、バユの夢が非常に甘ったるいものに見えてしまうことは否定できません。

世界中で愛されるサッカー漫画『キャプテン翼』の中で、主人公の大空翼がライバル日向小次郎に「おれのサッカーはおまえらのあそびのサッカーとはちがうんだ!!」と言われ、すかさず反駁する名場面があります。「あそびなんかじゃない!サッカーはおれの夢だ!!」

https://alu.jp/series/キャプテン翼/crop/zZYVfdJTFJ7zwXvetW68

結局のところ、①に足りないのはバユのこうした気概を見せる場面です。祖父の温情主義で主人公の葛藤が解決されてしまうラストの展開、これが本作をサッカーものというより老人ものと評する理由です。ただし、バユを後押しする裕福な友人ヘリ、そして墓場の空き地に住み、貧しいながらもバユの代役で絵を描き応援する少女ザラ、彼ら二人とバユとの関係性はいわゆるインドネシア的互助ゴトン・ロヨンの実践で、階層差を超えて才能ある次世代を応援しようとのメッセージも含まれており、なかなか惜しい作品ではあるのですが・・・。

『ガルーダを胸に2』imdb.com より引用

一方、②ではウスマンはすでに亡くなっている設定のため、すでに代表チームキャプテンである主人公の葛藤は、チームメイトや友人ヘリとの確執、キャプテンであることの重圧が中心となり、映画全体にサッカーの練習や試合が占める場面も増えているのが①との大きな違いです。②では練習場面も試合場面も短く、スピーディーなカットが続くため①よりも格段にテンポが良く、一番肝心なサッカーの場面から臨場感がやや欠けていた①と比べると、観客にとって遥かに見やすく感情移入させやすい点はスポーツものとして上々の出来栄えでしょう。

また、①との相違ということでは、マウディ・クスナディ演ずるバユの母に新しい恋人ができてバユが屈折した感情を見せる場面もあります。子供の目の前で平気で恋人との親密さを見せるダメ母ぶりですが、個人的に贔屓の女優さんなのでここは目をつぶるとして、ちょっと勿体ないと思ったのは①でヘリと共にバユを支えたザラを②では出演させなかった点です。その代わりクラスメートのアニャを設定してバユに絡ませ、スランプに陥って自暴自棄になりかけたバユを普段不愛想だったアニャの一言が救う展開となります。この展開は悪くないのですが、ザラでもこの役はできたのではないかと思うと若干残念な気はします。

そしてもう一人②からの登場人物ということでは、スポーツものの定番として熱血鬼コーチのウィシュヌが加わります。演ずるリオ・デワントは、今でこそ売れっ子のイケメン俳優ですが、②の公開当時の2011年ではまだ映画出演3作目、それでも観客にその熱血ぶりを印象付ける演技を見せてくれて、②以降私はすっかりファンになりました。ウィシュヌに率いられてサッカーとあんまり関係なさそうな特訓をわざわざ荒れ地でおこなう場面ではつい笑ってしまいましたが、スポ根ものでは欠かせないお約束事をちゃんと入れてくるあたり、そして主人公の葛藤と成長、勝利をしっかり描いているあたり、②が正統派のスポーツものであることは疑いないと思います。

以上、『ガルーダを胸に』2部作を横山さんとは少し違う視点から論じてみました。スポーツもの映画の出来としては②の方が優れているというのが私の結論ですが、それでも②にあえて苦言を呈するとすれば、試合場面では限定されたショットが多く、競技場全体を見せたり、キックからゴールまでの瞬間をワンカットで撮れていなかったりするのは、サッカーものとして明らかな欠点です。おそらく予算不足なのでしょうし、その結果スピーディーでテンポの良いモンタージュになったとすれば、なかなか評価が難しいところです。

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今回の原稿を書くために、ネットフリックスで見られるインドネシア映画のサッカーものを他にも鑑賞したので、それらについても軽く触れておきます。

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