よりどりインドネシア

2020年11月22日号 vol.82

ウォノソボライフ(35):廃線散歩! ~在りし日のプルウォクルト=ウォノソボ線~(神道有子)

2020年11月22日 19:15 by Matsui-Glocal
2020年11月22日 19:15 by Matsui-Glocal

ウォノソボの中心街の北西地域。スタシウン(Stasiun)と呼ばれている地区があります。スタシウンとは「駅」という意味。ウォノソボ県は鉄道ゼロ県なのにもかかわらず、です。駅とは一体どういうことなのでしょう?

スタシウン地区では、こんなものが道路の中から覗くのをたくさん見つけることができます。

長く平行に延びた、二本の鉄の棒・・・。そう、もしかしなくても、これは鉄道のレールです。現在は鉄道ゼロ県ですが、実は、かつてはここにも鉄道が乗り入れていました。プルウォクルト県から続く路線の終点だったのです。

今やいくつかの痕跡を残すだけになった、プルウォクルト=ウォノソボ線。このまま歴史の中に埋もれていくだけ・・・と思いきや、なんと、このレール跡を再び鉄道として復活させようという動きがあります。

どんな計画なのでしょう?そもそも、かつてあった路線はどういった役割のものだったのでしょうか?そのあたりのことを踏まえつつ、再開発されれば二度と見られなくなるかもしれない廃線跡を、今のうちに見ていきましょう!

●インドネシア鉄道史

世界的には、18世紀後半に発明された蒸気機関ですが、1825年から蒸気機関車として実用化され、ここから一気に交通、運輸が発展していくことになります。これらは欧米諸国だけでなく、彼らの植民地にも影響を及ぼし、インドネシアでも発展の一端を担うものとなりました。

インドネシア(蘭領東インド)では1863年、初となる鉄道会社、NISM(オランダ領インド鉄道会社:Nederlandsch-Indische Spoorweg Maatschappij)が設立されます。NISMは蘭印政府からレール建設の許可を得て、スマラン=ジョグジャカルタ線の開発に着手しました。1865年、このレール建設用に輸入されたドイツ製の蒸気機関車が、蘭領東インドでの先駆けとなったようです。翌1866年にはイギリス製のものが輸入され、これは営業用に客を乗せて走りました。

ここから続々と、欧米諸国からの蒸気機関車が蘭領東インドに入ってくることになります。イギリスやオランダはもちろん、ドイツ、フランス、ベルギー、アメリカなど、発注先は多岐にわたりました。蘭領東インドの地理、気候に合わせて特別にデザインされたものも多く、プランテーションの農作物や炭鉱の鉱物、それに人を乗せて走ったのです。

NISMは蘭印政府から受注を受け、バタヴィアなどでもレール建設を行います。1875年、これらの路線の管理を行うために設立されたのが、国営企業のSS(国有鉄道会社:Staatsspoor wegen)でした。NISMは主に中部ジャワで運営されていましたが、SSはジャワ島全域、スマトラ島南部、西部、及びアチェなどにも子会社を展開して、蘭領東インドに広く鉄道を広げていったのです。

並行して、各地により規模の小さい鉄道会社がいくつもできていきました。どれも、その地域での経済と社会活動を活発化させることに大いに貢献することになります。

●日本の影響と規格

さて、インドネシア鉄道史において、日本軍政期は一つの転換点でした。蘭領東インドでは、最初に来たイギリス製の蒸気機関車はレール幅(ゲージ)が1,067 mmでしたが、その後は、オランダ規格の1,435 mmが主流となっていきます。

しかし、日本が来た際に、日本軍政府はこれを全て1,067 mmに変更するよう指示しました。日本ではイギリス規格の1,067 mmが主流だったためです。変更といっても、すでにあるレールを作り替えていくわけですから、かなり大規模な工事だったのだろうと思われます。こうして1,067 mmが蘭領東インドでは一番大きなゲージとなったのですが、旧規格に合わせていた既存の蒸気機関車は使えなくなりました。引退を余儀なくされ、多くは鉄クズにされたそうです。

また、商品作物などを運ぶ目的だった路線なども、日本の都合が優先されました。解体された鉄道会社、逆に軍事物資輸送用に新たに建設された路線など、様々な場所で様相が変わったのであろうことがうかがえます。

そして、車両番号です。それまでは、各鉄道会社のイニシャルと購入順の数字で表記するルールで車両番号を振っていました。たとえば、NIS15、SS21といった具合です。しかし、これも日本式に改め、統一するようになりました。日本では、各蒸気機関車の性能や種類によって車両番号を振り分けます。

まず、シリンダーに繋がっている動輪の数が2つならB、3つならC、4つならD・・・とアルファベットで区別。次に、燃料となる石炭や水を積んでおく機構が機関車本体についているもの(タンク車)を50以下の数字、独立した車両として分離しているもの(テンダー車)を50以上の数字で表します。さらに、登場した順に個別の番号を振り、これらがまとめて機関車固有の車両番号となりました。

たとえば、『C5301』だと、C=動輪を3つ持ち、53=機関車本体からは分離したテンダーがあり、01=シリーズの中で一番目に登場した機関車・・・といった情報を読み取ることができます。

このため、異なる鉄道会社の蒸気機関車であっても、同型であれば一つのシリーズとして見なされるようになりました。

(以下に続く)

  • ウォノソボの鉄道事情
  • 廃線跡から見る鉄道復活計画
  • 鉄道復活はなかなか容易ではない
この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

ロンボクだより(110):晴れ着を新調したけれど(岡本みどり)

2024年04月08日号 vol.163

ラサ・サヤン(53)~世界の幸福度~(石川礼子)

2024年04月08日号 vol.163

ラサ・サヤン(52)~インドネシア人の略語好き~(石川礼子)

2024年03月23日号 vol.162

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)