よりどりインドネシア

2022年04月23日号 vol.116

闘う女性作家たち(6):ふたりのララ(太田りべか)

2022年04月23日 09:19 by Matsui-Glocal

先ごろNHKの連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』が終了した。祖母・母・娘の三世代100年にわたる家族の物語だ。毎朝楽しんで観ながら、自分の親のことでも意外と知らないことが多いものだとあらためて思った。ましてや祖父母やそれより前の世代のことになると知らないことだらけだし、さらにそういった先の世代の人々が外国にルーツを持っていたり、外国に長く暮らしていたりするとなおさらだろう。

私の父はペルーで生まれ育った。祖父母が集団移民で滋賀からペルーに渡ったからだ。父は日本人学校に通っていたが、たいへん成績がよかったので、日本に帰任することになった校長先生に、ぜひ日本の旧制中学校に入るよう勧められ、もうひとりの友人とともにその先生に連れられて2ヵ月の船旅を経て、まだ見ぬ故郷の日本に戻った。その後戦争があって家族全員が日本に引き上げてきたので、今はもうペルーには親戚のひとりもいない。父自身、その後ペルーを訪れたのは何十年も経ってからだった。

昨年父は94歳で大往生を遂げたが、生前ペルーの話はそれほどしなかった。2ヵ月の船旅については折に触れて語ってくれたが、ペルーでの暮らしのことなどについては、ほとんど話を聞いた記憶がない。私たちが幼いころには、風呂で湯に浸かって数を数えてから上がるように言われていたものだが、我が家ではその数え方が英語のoneからtenまで、続いてスペイン語のunoからdiezまでだった(後に英語の11がelevenと知ったときには、ちょっとした衝撃だった。私の中ではtenの次はunoだったからだ)。また、神戸の元町にあった輸入果物店に「パルタ」があったと懐かしそうに言って、当時は珍しくてまだ高価だったアボカドを父が買ってきたこともあった。

そんなふうに日常の中にペルーの名残がごくたまに顔を出すものの、父の生まれ故郷のペルーは、私にとっては今なお遠くのよく知らない国のままである。当時のペルーでの写真を初めて見せてもらったのも、私がコロナの前年に帰国し、生前の父と最後に会ったときだった。父自身もそんな写真があることすら忘れていたが、片付けをしていて偶然見つかったものらしい。なにかの行事で撮った記念写真らしく、日本人会の人々が並んで写っている。若々しい祖母も他の人々も、思ったよりずっとモダンでお洒落な服装をして、生真面目な表情を浮かべていた。

私事の回顧談が長くなってしまったが、今回紹介するのは、それぞれ「外国」にルーツを持つ曽祖母から自分に至るまでの家族の歴史を通して、蘭領東インドからインドネシアへ、そしてオランダ植民地時代が現在のインドネシアにもたらしたものについて考えるふたりのララ、Lala BohangとLara Nubergだ。

●略歴

Lala Bohang

1985年、マカッサル生まれ。バンドンのパラヒャンガン大学建築学部卒業。作家、画家。

Lala Bohang(https://www.ubudwritersfestival.com/blog/lebih-dekat-dengan-lala-bohang/ より)

Lara Nuberg

1990年アムステルダム生まれ。アムステルダム大学にて現代史の分野で修士号を取得。ライター、研究者、編集者、オーディオ・インスタレーション・アーティスト。

Lara Nuberg(https://www.ubudwritersfestival.com/lara-nuberg/より)

●ふたりのララの出会い

ふたりのララが出会ったのは、2019年にジャカルタで開かれたKomunitas Salihara, Indisch Herinneringscentrum, dan DutchCulture主催のセミナー “My Story, Shared History”でだった。国や民族の歴史が家族の歴史に及ぼす影響について考えることをテーマにしたセミナーだ。

1日目のセミナー終了後の懇親会を兼ねた会食の場で、マカッサル出身のLalaがアムステルダム出身のLaraに、自分の祖母がよく“sup brenebon”というオランダ料理を作っていたと話す。小豆の一種を使ったスープで、今は一般にマナド料理と思われているけれど、もとはといえばオランダの料理だという。

Googleで見つけたその料理の写真を見て、Laraはそれが “bruine bonensoep”というオランダではごく一般的な家庭料理だということに気づいた。

一方、Laraのオランダの祖母は、家でよくナシ・ゴレンや “roti kukus”というインドネシア料理を作っていたという。“roti kukus”というのは、インドネシアでは “bolu kukus”と呼ばれる蒸しパンだ。

マカッサルで生まれてインドネシア人として生きてきたLalaと、アムステルダムで生まれてオランダ人として生きてきたLara。どちらの曽祖母も、オランダ植民地時代のヌサンタラに生まれた、インドネシアとオランダの血を引く人だった。

ふたりのララのそれぞれの家族の歴史をたどる旅が始まり、やがてそれが “The Journey of Belonging: A History Between Time & Space”という一冊の本に結実した。今、筆者の手元にあるのはそのインドネシア語版 “Perjalanan Menuju Pulang: Kisah Perempuan di Antara Ruang & Waktu”(『帰り道を探して ―時空の間の女の物語』)だ。

“The Journey of Belonging”とインドネシア語版 “Perjalanan Menuju Pulang”

(以下に続く)

  • 小さな声で語る歴史
  • 帰り道を探して
  • Forever Foreign
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