よりどりインドネシア

2022年04月23日号 vol.116

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第40信:「心の眼」が映し出したものは? ~2021年FFI最優秀短編映画『海が呼んでいる』より~(横山裕一)

2022年04月23日 23:00 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

断食月に入りましたが、街の様子はコロナ禍以前に戻っているかのようですね。一日の断食明け用のタクジル(Takjil)と呼ばれる甘い飲料や食べ物を販売するカキリマ(移動式屋台)も道路脇に所狭しと並び、それらを買い求める客で賑わっています。通勤電車も午後4時前には家族と断食明けを過ごそうと仕事帰りの客で満員。最近は国内移動に検査義務がないためもあってか、4月14日時点で全国新規感染者が3ヵ月ぶりに千人を下回りました。今年は3回目のワクチン接種者は検査なしにレバラン帰省が認められるだけに、民族大移動がオミクロンの新変異株などの再流行に繋がらなければと祈るばかりです。

一日の断食明け用のタクジル販売で賑わう通り(南ジャカルタ)

さて、前回轟さんが紹介してくれた『欲望の奴隷』について、非常に興味が湧きました。YouTubeで予告編を観ましたが、いずれ是非全編観たいところです。故佐藤忠男氏が言及されている通り、まさに被害者側からすれば、日本兵が「鬼畜」に見えたのは、逆の立場だったらと考えれば想像に難くありませんね。内容を読ませていただいた限りでは、タイトルの “Budak”は直訳の「奴隷」よりも意訳した「いけにえ」の方が「戦争の生贄」としてしっくりくるような気もしますが、観ないことにはなんとも言えません。インドネシア初期から1980~90年代の作品はほとんど未見で、前回轟さんが紹介してくれた作品含め鑑賞情報などがあればまた教えていただければありがたいです。

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さて、今回は、今年に入って私が最も印象深かった作品についてお話ししたいと思います。短編映画の『海が呼んでいる』(Laut Memanggilku /2021年作品)で、2021年の韓国の釜山国際映画祭やインドネシア映画祭(FFI)の短編作品部門で最優秀作品賞を獲得した作品です。ほとんどの人にとって意味のない、あるいは負に見えるものでも、特定の人にとっては非常に価値あるものとなるように、自分の価値観、感覚がすべての人にとって正しい訳ではないことを強く感じさせる作品です。

映画『海が呼んでいる』ポスター(写真提供:Talamedia)

偶然1月下旬の週末に南ジャカルタ・クマンにあるミニシアターで上映されるのを知りましたが、確認したらすでにチケットは売り切れ。諦めきれず電話してみると「当日来たらキャンセル待ちで観れるかも」とのこと。ダメもとでしたが、意が通じたのか無事鑑賞できた次第です。短編であるが故にインドネシアの人でも鑑賞できる機会が極端に少ない作品だけに、完全なネタバレともなりますが内容の詳細を紹介したいと思います。

作品は18分と短編のフィクションドラマで、後で詳述しますが、実際に起きた事象をもとに作られた物語です。主な登場人物は2人の少年、10歳前後のスラと十代半ばとみられるアルゴです。2人は両親がおらず、ジャカルタの隣、バンテン州タングランの海岸沿いの寂れた漁師町でそれぞれ一人暮らしをしている設定です。

冒頭、魚市場でのセリのシーンから始まります。セリの取りまとめ役が魚の値段などをマイクで告げるなか、小学生くらいの少年が魚を持って歩く姿が見受けられます。彼がスラで、漁師の手伝いなどで一人生きていく食い扶持を稼いでいることが推察できます。仕事以外のとき、スラは海岸で一人海を眺めることが多いようです。なぜ両親を失ったかの説明はありませんが、水平線に親の姿を思い浮かべているのか、それとも自分の将来を想うのか。幼い頃から苦労してきたのか、彼の瞳には子供らしいあどけなさというよりも、どことなく暗い、大人びた険しさが伺えるのが印象的です。

いつものように海を眺めていたある日、スラは海岸に何かが漂着しているのを見つけます。スラが拾い上げると、それは空気の抜けた等身大の人形、いわゆるセックスドールでした。シーンはスラの自宅に移ります。洗浄剤で人形を丁寧に洗い、息を吹き込み膨らますスラ。若干、目に輝きが窺えるようです。近所の物干し竿から女性用衣服をこっそり拝借し、人形に着せます。その日からスラは部屋の一角に人形を座らせて、向き合うように一人食事をするようになります。出かける時には人形に「行ってきます、お母さん」と声までかけます。スラは人形を母親とみなして、一人暮らしの寂しさを紛らわせているのでした。ようやく子供らしい明るい表情も浮かびます。

映画『海が呼んでいる』一部シーンより(写真提供:Talamedia)

そんなある日、近所で同じく一人暮らしの少年アルゴがスラの家に遊びに来て、「母親との二人暮らし」が見つかってしまいます。アルゴは十代半ばで背丈もスラよりはるかに高く、声変わりも済み、スラと並ぶとかなり大人びていて、横着そうにも見えます。アルゴは衣服を着た人形を見て、スラを冷やかしながら笑います。さらにニヤリとしながら人形を貸してくれと言います。スラは毅然と拒否し、アルゴは呆れて出ていきます。このやりとりから、二人は人形の本来の使用目的を認識しているようにも思われます。たとえ一般的にネガティブな存在である性産業商品の人形であろうとも、スラにとっては再び得た「家族」というかけがえのない存在にまでなっていたことも改めて分かります。

ところが暫くして、スラの家族生活が奪われてしまいます。アルゴが再びスラの自宅を訪れ、人形を貸すようしつこく迫ったのでした。人形を守ろうとアルゴに殴りかかるスラ。しかし圧倒的な体格差でアルゴに打ちのめされスラは気絶してしまいます。スラが気づいた時にはすでに夜となり、大切な人形は姿を消していました。「母親」がアルゴに奪われただけでなく、汚されることに対するやるせなさからか、怒りに満ちた表情をするスラ。彼は人形を取り戻そうと自宅を出て、アルゴの家に向かいます。

ひっそりと薄暗く、裏寂れた漁師町の小路。道すがらスラは電灯の灯りで見つけた自分の頭ほどの大きさの石を手にします。緊張した表情のスラ。今後の展開に観る者の心をざわつかせます。アルゴの戸口に立ち、意を決し石を持つ手に力を込めてスラが家の中に足を一歩踏み入れます。しかし、そこで目に入った光景にスラは立ち尽くしてしまいます。そこには人形の横に安らかな表情で寝ているアルゴの姿がありました。人形に顔を向けて大きな身をかがめ、まるで母親に甘えて子供が添い寝しているようでもありました。実はアルゴの目にも人形は好奇の対象ではなく、スラと同じく母親の姿が映っていたのでした。すでに大人のような体格でやんちゃそうなアルゴも両親のいない一人暮らしの子供に変わりのないことをスラは悟り、アルゴの家を後にします。小路を抜けて、真っ暗な海を見続けるスラ。スラの気持ちをなだめるかのように打ち寄せる波の音が続きます。

以上が物語の詳細です。わずか18分の短編ながら様々なことに思いを馳せ、久々に素直な気持ちで鑑賞し終えた作品でした。最後の驚きも韓国映画などのようにエンターテインメントのために練りに練られたエンディング・サプライズとは異なる、ありのままの姿を描いたことから生まれる驚きであり、だからこそ観る者の心を洗うかのような効果を発揮したものとみられます。スラが暴力に及ぶ必要がなくなった安心感以上に、アルゴの寝姿を通して人が素直に求めるものに触れた感慨が上回ります。セックスドールに対して、スラの心の眼を通して見えていたものが、実はアルゴの心を通しても同じものだったことを知り、おそらくスラは安心するとともに、自分たちの置かれた境遇を改めて実感し、寂しさが募ったのではないかと想像できます。それだけに、ラストシーンで夜の海を眺めるスラの想いを推察すると非常にやるせない感情が湧き上がります。

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(⇒ 先にも触れましたが、この作品は・・・)

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