よりどりインドネシア

2021年03月22日号 vol.90

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第16信:映画『スギヤ』と俳優・鈴木伸幸さん(横山裕一)

2021年03月22日 20:27 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

前回は「使用言語からみたインドネシア映画史」をありがとうございました。まさに、映画における使用言語は作品制作時の国家統治権力者の意向が大きく反映されていることがよくわかります。インドネシアに限らず、多民族国家を磐石に統一する際、権力者が映画だけでなく特定の言語使用を強要するように、言語は政治的に利用されがちだと改めて認識しました。

今月5日、中国の全国人民代表大会で習近平主席が内モンゴル自治区での全国共通言語(北京語)の普及強化を指示しています。まさにこれは現在進行している「言語の政治的利用」の典型的な例だと思われます。また新疆ウイグル自治区でも、ウイグル民族に対して独自言語(ウイグル語)や文化からの徹底した漢民族化が進められています。これはウイグル族で長年続いている中国からの独立機運を中国政府が抑え込もうとする強い意向が働いているためです。百万人以上の現地住民が収容所に拘束され、重大な人権侵害が行われていると欧米諸国が警鐘を鳴らしていることは轟さんも報道で目にされたかと思います。

少数民族にとって、独自言語はアイデンティティーの重要な要素の一つであり、中国政府はこれら独自アイデンティティーをなくすことで、漢民族文化に同化させ、国家統一保守に躍起になっていることが伺えます。30年前になりますが、私も新疆ウイグル自治区の片田舎の小学校を取材したことがあります。タクラマカン砂漠の縁にある貧しい村の土壁でできた小屋で、黒板に右から左へと綴られるアラビア文字を使用したウイグル語の「あ、い、う、え、お・・・」を数人の子供たちが目を輝かせながら復唱していたのが印象的でした。その光景も現在はもうなく、当時の子供たちの何人かが現在大人になり収容所に入れられている可能性があることを考えると、とてもやるせない思いがします。

轟さんの「インドネシア映画史」にもあるように、インドネシアでもオランダとの独立戦争以降、共通語であるインドネシア語の奨励が映画を含め積極的に進められています。これは350年続いた植民地からインドネシアとして自らの国を興そうと共通語を創出し、新興国のアイデンティティーとして普及を図ったもので、その意味で前述の現在の強権的な中国政策とは性質が大きく異なります。ただし、後のスハルト政権時での言論統制、全国のジャワ文化化政策は中国のものと性質は似ているかも知れませんね。さらに独立運動のあったアチェ、東ティモール、イリアンジャヤ(現在のパプア州、西パプア州)では、国軍の軍事展開を含めて現在の中国以上だったともいえるかもしれません。

そう考えると、現在のインドネシアの西ティモールに生きる元東ティモール人(2002年インドネシアから独立)を描いた映画『アタンブア39℃』(2012年)は、我々もすでに触れましたが、ほぼ全編東ティモールの言語、テトゥン語が使用されていて、スハルト政権の時代には制作できなかった手法であるとともに、現地の状況を克明に表現できた優れた作品だといえそうです。

スハルト政権崩壊後、いわゆる民主化、言論の自由、地方分権などを背景に、映画制作におけるリアリズムの追求、テーマに伴う恣意性などから地方言語、つまり当地の民族言語が頻繁に、言い換えれば積極的に使用される時代に入りますが、その展開については轟さんの次回の書簡を楽しみにしています。

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ところでちょっと時間が経ってしまいましたが、2月の「よりどりインドネシアオフ会」では、インドネシアで活躍する俳優、鈴木伸幸さんをお招きいただきありがとうございました。作品鑑賞だけではわからない、鈴木さんの演劇にかける情熱やご苦労だけでなく、インドネシア映画制作現場の雰囲気の一端も感じることができ、とても楽しく、興味深くお話を伺えました。

そこで今回は、オフ会当日話題にもあがった、鈴木さんの出演作品『スギヤ』(Soegija / 2012年公開)を通して、鈴木さんの登場シーンを見つつ、舞台でもある中ジャワ州スマランの近代史や街にも思いを馳せてみたいと思います。同作品はユーチューブで視聴できます。(https://www.youtube.com/watch?v=SWZavUZrtxA

映画『スギヤ』は巨匠ガリン・ヌグロホ監督作品で、タイトルはバチカンから任命されたインドネシア人初のカトリック司教の名前「スギヤ」(Soegija、フルネームはAlbertus Soegijapranata)からです。スギヤはオランダ植民地時代末期から日本軍政期、独立戦争にかけての動乱期に、オランダや日本軍政とインドネシア側の交渉の橋渡しに貢献しただけでなく、混乱期に一貫して被害住民の保護などに尽力したことなどから、インドネシア独立に貢献した国家英雄にもなっている人物です。同作品ではスギヤが司教に任命された1940年からオランダとの独立戦争後の1950年までの10年間が描かれています。

映画『スギヤ』(Soegija)ポスター(引用:http://filmindonesia.or.id/

前半はスマラン、後半はジョグジャカルタが主な舞台です。作品ではタイトル表示後の冒頭、スマランでも古い中国寺院のひとつ、大覚寺(Klenteng Tay Kak Sie)前の広場が映し出されます。作品では後に重要な役割を演じる看護婦の女性が自転車の二人乗りで寺院前を通り抜けていき、それと入れ違いに鈴木さん演じる背広姿の日本人が登場します。

この看護婦と鈴木さん演じる日本人の関わりはありませんが、奇しくも両者の行き先は同じで、プチナン(Pecinan / 華人街、華人集落)にある華人経営のレストランが次の場面になります。レストランでは看護婦が持参した重箱に料理を詰めてもらった後、再び入れ違いで前述の日本人が入店します。そこで日本人は店の小さな女の子を見て祖国に残した自分の娘に思いを馳せ、これが後の物語展開の伏線にもなります。

ここまでわずか数分のシーンではありますが、映し出されるスマランの街並みから、15世紀の鄭和の来航以来盛んになった中国渡来人の影響を大きく受けたスマランの歴史を伺うことができます。実際に、映画に出てきた中国寺院・大覚寺近くには、プチナン(華人街)の面影を残す建物が現在でも多く残っています。映画内では写りませんが、大覚寺前にはスマラン川が流れていて、港を結ぶ荷船がかつては頻繁に行き交い、川岸には華人豪商の倉庫や豪邸が建ち並んでいたということです。これらが象徴するように、スマランの商業の発展には華人系の活動が重要な役割を果たしています。

映画に登場する大覚寺前広場(写真上)、大覚寺近くで現在もかつての華人街繁栄の面影を残す建物(写真下)

映画『スギヤ』内に幾つか散りばめられた物語の軸の一つに前述のレストランを経営する華人家族が含まれているのも、ガリン・ヌグロホ監督がスマランの歴史、社会を踏まえ、スマランを描くには華人は外せないと判断したうえでの選択だったのだろうと推察できます。

 

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