よりどりインドネシア

2021年04月23日号 vol.92

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第18信:ラマダンに想う。映画『?』が意味するもの(横山裕一)

2021年04月23日 14:43 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

前回の轟さんの、使用言語からみた2000年以降のインドネシア映画のまとめを拝見しました。サブタイトルにある通り、まさに過去20年間のインドネシア映画界は、使用言語面以外も含めて「百花繚乱」という表現に相応しい勢いがあるかと思います。好きな作品があれば感想をとのことでしたが、代わりに使用言語面で私がかつて劇場で呆気にとられた作品を紹介したいと思います。

それは「ウィンターイン東京」(Winter in Tokyo / 2016年公開、Netflixインドネシア版で配信)で、タイトル通り全編東京が舞台のラブスロマンスです。主人公の若い女性はインドネシア人の母と日本人の父を持つハーフでその他は日本人の設定ですが、主要登場人物のほとんどはインドネシア人が演じています。

映画『ウィンターイン東京』ポスター(引用:imdb.com)

このため使用言語からみると、劇中始めは皆日本語を話していますが、日本語の割合が徐々に減り、途中からはほぼインドネシア語で会話が進んでいきます。途中までは全員の役柄がインドネシア人留学生か主人公と同じハーフかとも思ってしまいますが、全員日本のフルネームを持ち、あくまでも日本人の設定です。どうやら日本人設定のドラマだから始めは日本人のイメージを観客に植え付けるために日本語を使用するものの、インドネシア人の観客を対象とした作品のため、途中からあえて現実を無視してインドネシア語使用に切り替えているようです。「登場人物は皆日本人で、日本語を話しているイメージでインドネシア語を使用している」という、生真面目な人が見れば「いい加減」かもしれませんが、無茶苦茶さも含めて思い切った冒険的な作品でもあります。

残念なのは作品内の日本語で、いかにも翻訳サイトを利用したような不自然な使い方やたどたどしい口調があるところです。せめて日本語指導のできる日本人スタッフを使って欲しかったと思えてきます。例えば作品終盤、主人公の恋敵である女性が謝るシーンで、「ごめんなさい」と一言日本語が使われます。しかし、ピョコンと頭を下げ早口で「ゴメナサイ」という姿は、日本人から見るといかにも外国人が日本人をモノ真似するギャグのようでもあり、良いシーンであるはずなのに、私も映画館で思わず吹き出してしまいました。

原作はインドネシア人作家による同名タイトルの小説ですが、終盤に過去の回想から主人公カップルが運命付けられていたことがわかるなど、韓国ドラマの作風の影響がとても強い印象を受けます。まさに「日本を舞台にした日本人設定の韓国ドラマ風インドネシア語映画」といったところでしょうか。言葉の部分を割り切れば物語自体は飽きずに観ることができます。逆に日本人としては別の意味でも楽しめるかもしれません。同作品は2015年前後に数多く制作された、ヨーロッパを中心とした海外人気都市を舞台にしたラブロマンス作品群の一つで、2010年以降の経済成長による中間層の増大に伴う、海外旅行ブームを背景にしています。

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さて、インドネシアでもラマダン(断食月)が始まりました。イスラム教徒にとっての断食の目的のひとつは、飲食などの欲望から耐えることで、貧しい人々の気持ちを知る、そして他人を思いやることにあると聞きます。我々を含め、真に他人を思いやることの集団生活での実践は難しいことでもありますよね。

こうした断食月という自分や相手を改めて見つめ直す、聖なる月の直前に、今年も残念なことに小規模ながらテロが相次ぎました。南スラウェシ州マカッサルでは教会を狙った自爆テロ(3月28日)で、もう一件はジャカルタ国家警察への単独の襲撃未遂でした(3月31日)。

今回はこうした問題をモチーフに、様々な宗教間の摩擦やタブーを真正面から取り上げた意欲作であり、公開当時、社会的にも物議を醸した作品『? 疑問符』(? Tanda Tanya / 2011年公開)を通して、異宗教間で起きる軋轢の背景にあるものや監督が伝えたかったメッセージ、そして作品タイトルの『?』が意味するところを紐解いていきたいと思います。同作品はNetflixのインドネシア版(Netflix邦題は『信じるものは』)でも視聴できます。

映画『?疑問符』ポスター(引用:http://filmindonesia.or.id/)

同作品の舞台は中ジャワ州スマランです。華人文化、社会が古くから根付いた多民族、他宗教の混在する地域だけに、撮影舞台に選ばれたものとみられます。物語は仏教徒でレストランを経営する華人家族、夫が失業中で妻が前記の華人レストランで働くイスラム教徒の家族、さらに離婚を機にカトリックへ改宗する母親とイスラム教徒の息子の親子、といった三家族を中心に展開します。

作品内ではイスラム教、カトリック、仏教、あるいは華人とプリブミといった宗教や民族の違いがもとで様々な問題が起きます。華人レストランの老主人はイスラム教徒の客のため、二種類の調理道具を用意して豚肉とその他の食材で使い分けたり、イスラム教徒の従業員にも配慮する経営で周囲の信頼を得ていますが、息子のヘンドラは店を継ごうともしない一方で、事あるごとにイスラム教徒、とくに店の女性従業員ムヌックの夫・サレと諍いを起こします。

口論のシーンでは「細目」(華人を侮蔑する表現)や「チノ」(Cino / Cinaのジャワ語「華人野郎」の意味を持つ)といった言葉が使われたり、イスラム教徒を「テロリスト」と罵ったりするなど、タブーとされながらも現実社会で実際に存在する実態をあえて浮き彫りにしています。

一方、カトリックへ改宗したリカはそれが原因で両親と疎遠になり、改宗を揶揄する周囲の言葉に戸惑う息子とも関係が不安定になります。そんなある日、リカは友人で売れない俳優のスルヤに、教会での復活祭の儀式で行う演劇のキリスト役を演じる仕事の口利きをします。イスラム教徒の彼は周囲の目を気にしますが、イスラム説教師の「自分の信仰心さえ揺るがなければ問題ない」との言葉に励まされ引き受けます。しかし、儀式当日に一部のカトリック教徒が「キリスト役をイスラム教徒が演じるのはどうか」と咎め中止を求めます。

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