よりどりインドネシア

2021年04月23日号 vol.92

ジュパラの女傑カリニャマット(太田りべか)

2021年04月23日 14:43 by Matsui-Glocal

中ジャワ州北海岸に位置する町・ジュパラ(Jepara)に、カリニャマタン(Kalinyamatan)と呼ばれる地域がある。16世紀の一時期、その地を支配していたのは、兄と夫が続いて殺害された後、その殺害者が命を落とすまでは一糸もまとわず修行をすると誓い、それを決行したと伝えられる烈女カリニャマット(Kalinyamat)である。カリニャマットは、1511年以来ポルトガルに占領されていたマレー半島のマラカ奪還のために、二度にわたって船団を派遣してマラカを攻撃させた女傑としても知られている。

16世紀のジュパラ

14世紀にジャワで最盛期を誇ったマジャパヒト王国は、15世紀に入ると勢いを失い、当時のジャワ最大の港のひとつだったトゥバンをはじめ、マジャパヒト傘下で各地を治めていた領主たちが独自の支配権を揮うようになった。そんななか、1478年にジャワで初のイスラム王国といわれるドゥマク王国が建国される。ジュパラは、もとはトゥバン領主の支配下にあったようだが、15世紀末または16世紀初頭にはドゥマクの属国のような形になっていたらしい。

1650年頃のジュパラ(https://www.wikiwand.com/id/Kabupaten_Jeparaより)

ポルトガル人のインド総督アルフォンソ・デ・アルブケルケが1511年にマラカを占領して、ヌサンタラにおけるポルトガルの拠点としたとき、その書記官として同行したトメ・ピレスが1512~1515年に書いた報告書『東方諸国記』(Suma Oriental)が残されているが、そのなかで、ジュパラはジャワ最良の港の一つとして描かれている。地理的にマルク諸島との香料貿易の中継地点としても理想的で、「ジャワ全土の鍵」と表現されている。またジャワで豊富に穫れる米などの輸出も盛んで、非常に豊かで賑やかな港町だったようだ。

トメ・ピレスによると、当時ジュパラを支配していたのは「パテ・ウヌス」と呼ばれる勇猛果敢な人物だった。あまり裕福ではなかった祖父がカリマンタンからマラカへ移り、そこで結婚してウヌスの父が生まれた。ウヌスの父はジャワとの貿易を始め、やがてそのころは小さな港に過ぎなかったジュパラの支配者を殺して、自らがジュパラの地を治めた。息子のウヌスは父の後を継いでジュパラの支配者となり、ドゥマク国の王パテ・ロディム(トゥロンゴノ)の姉を妻とした。交易を盛んにして軍事力もつけ、パレンバンなどと協力して船団を組織し、自らそれを率いてポルトガル人が占拠するマラカを攻撃した。

ジャワ史で一般的にパティ・ウヌス(Pati Unus)と呼ばれるこの人物は、ドゥマク国の開祖パターの息子、または娘婿と考えられている。1513年にジュパラ=パレンバン合同船団を率いてマラカを攻撃、ポルトガルの大砲の圧倒的火力の前に敗れて帰還。その後1518~1521年まで、パターの後を継いで王位に就いた。1521年にはドゥマクを中心にジャワのイスラム国が連合船団を組んで、ウヌスの指揮の下、再びマラカを襲撃するが、このときもポルトガルに敗れて、ウヌスは落命した。パターの長男スルヤがマラカ襲撃船団を率いて落命し、「北へ渡海した王子」(Pangeran Sabrang Lor)の称号を与えられており、このスルヤとウヌスは一般的に同一人物とされているようだ。

ジュパラを支配した女王カリニャマットは、スルヤの弟でドゥマク国三代目の王となったトゥルンゴノの娘である。カリニャマットの生年は不明だが、没年は1579年と考えられているので、ウヌスが船団を率いて出航していくのを幼少期に目にしていたかもしれない。いずれにせよ、ウヌスによるマラカ攻撃はカリニャマットに大きな影響を及ぼしたのだろう。

16世紀のジュパラとカリニャマット。現在のムリア半島は当時、島だったらしい。(https://id.wikipedia.org/wiki/Kerajaan_Kalinyamatより)

●骨肉の争い

ドゥマク国王トゥルンゴノの子のうちで名をよく知られているのは、長男のプロウォト(Prawata)と長女レトゥノ・クンチョノ(Retno Kencana、後に女王カリニャマットと呼ばれる)と、その妹のマス・チュンパカ(Mas Cempaka)である。

レトゥノ・クンチョノ(カリニャマット)の夫となったハディリは、ドゥマクの属国であるカリニャマット王国を治めることになった。ハディリの出自に関しては諸説があり、ジュパラの民間伝承では中国の商人の息子で、ジュパラ近海で遭難し、海岸に打ち上げられていたところを救われ、後にスナン・クドゥスの教えを受けるようになったという。別の説では、アチェ王国の王子だったが、中国に渡って中国の高官の養子となり、父と共にジャワへ来てカリニャマット村を拓いたと伝えられている。

カリニャマットの妹マス・チュンパカは、後に現在のソロを中心として勢力を築いてパジャン王国を開いたハディウィジャヤの妻となる。

カリニャマットの兄プロウォトは、父王の跡目相続を確実にするため、異腹の叔父に当たるキキンを手先の者を使って殺害する。キキンの息子のプナンサンは、後に師のスナン・クドゥスから父を殺したのはプロウォトだったと聞かされ、仇を討つためにやはり手先の者を使ってプロウォトを殺害した。

ジュパラをめぐる人物相関図

この親族間での殺し合いの背景には、跡目争いのほかに、王子たちの師の派閥争いが影を落としている。ドゥマク王国の時代、ジャワでのイスラムの布教と同王国の政治等に大きな影響力を振るったワリ・ソンゴ(九聖人)と呼ばれる9人のイスラム指導者がいた。プナンサンの師スナン・クドゥスもそのうちのひとりで、『ジャワ年代記』(Babad Tanah Jawi)によると、カリニャマットの兄プロウォトと義弟ハディウィジャヤも同門だった。だが、プロウォトとハディウィジャヤは、やはりワリ・ソンゴのひとりスナン・カリジャガに傾倒していく。もとは最多数の弟子を抱えて大きな影響力を誇ったスナン・クドゥスだったが、スナン・カリジャガ一門に形勢を逆転されそうになったため、敵愾心を起こして、愛弟子のプナンサンに「裏切り者」プロウォトとハディウィジャヤ殺害を示唆したと伝えられている。

プナンサンは師スナン・クドゥスに煽られて手先をプロウォトのもとに送り込む。手先の者が寝所に忍び込だとき、プロウォトは病気で妻にもたれて休んでいるところだった。プナンサンが刺客を寄越したことを悟ると、プロウォトは殺すなら自分だけにして、まわりの者は巻き込むなと言う。だが、刺客が突き刺したクリス(短剣)はプロウォトの体を貫通して妻の体も貫いた。妻が殺されたことを知ったプロウォトは、体からクリスを抜き取って刺客に向かって投げつけた後、息を引き取る。非常に強い力を持つクリスだったため、投げられたクリスに当たった刺客もその場で息絶えた。

兄を殺されたカリニャマットは黙ってはいなかった。夫のハディリを伴ってスナン・クドゥスのもとへ行き、プナンサンを裁いてほしいと訴える。だがスナン・クドゥスは、プナンサンは親の仇を討ったのであって、それは子として当然のことだとして取り合わなかった。

カリニャマットは憤然としてスナン・クドゥスのもとを去り、帰路につくが、道中プナンサンの手の者たちに襲われ、夫のハディリを殺されてしまう。深い悲しみと怒りのなかで、カリニャマットは王宮には戻らず、ドノロジョ山に籠もって、プナンサンが命を落とすまでは一糸もまとわぬと誓って、全裸での荒行を敢行する。

プロウォトとハディリの殺害に成功したプナンサンは、パジャン国王ハディウィジャヤのもとにも刺客を送り込む。けれども強力な神通力を持つハディウジャヤに対して、刺客たちは手も足も出なかった。ハディウィジャヤは刺客たちを許しただけでなく、土産まで持たせて帰してやった。そこでプナンサンは師スナン・クドゥスと相談して、師のもとにハディウィジャヤを呼び出して騙し討ちにする計画を立てる。

スナン・クドゥスからの呼び出しを受けたハディウィジャヤに、その呼び出しには裏がありそうだと警告を与えたのは、共にスナン・カリジャガのもとで学んでいた兄弟子パマナハンとその義兄弟パンジャウィだった。二人は護衛の軍勢を連れていくことを勧め、パマナハンの息子ンガベイが護衛軍の隊長を務めることになった。このンガベイはハディウィジャヤの養子でもあり、後の名はスタウィジャヤ、マタラム王国開祖となってセノパティの呼称で知られることになる。

ハディウィジャヤ一行はクドゥスに着くが、このときのプナンサンによるハディウィジャヤ殺害計画も結局失敗し、スナン・クドゥスの命によってプナンサンはソロ川の東岸に、ハディウィジャヤは西岸に宿営する。その夜パマナハンがハディウィジャヤに対して、カリニャマットが山に籠もって修行をしている話を持ち出し、見舞いに行くことを勧める。ハディウィジャヤはカリニャマットの妹を妻としているため、カリニャマットの義弟に当たる。ハディウィジャヤはパマナハン、パンジャウィ、ンガベイを伴ってドノロジョ山へ行き、カリニャマットを見舞った。

カリニャマットはハディウィジャヤの来訪を喜び、自分の宿願を叶えるために力を貸してほしいと頼み、宿敵プナンサンを殺してくれれば、カリニャマットとプロウォトの地とすべての財産を与えると言う。けれどもプナンサンは強い神通力を持つため、容易に立ち向かえる相手ではなく、ハディウィジャヤは少し考える時間がほしいと言って、いったん下山することにした。途中パマナハンはちょっと寄るところがあると言って、ひとりでこっそりカリニャマットのもとへ戻った。そして、先ほど非常に美しい女の召使がふたりいるのを見かけたが、そのふたりを与えると言えば、美女に目のないハディウィジャヤはきっとカリニャマットの宿願成就に協力すると言うだろうと耳打ちする。

宿営地に戻ったハディウィジャヤにパマナハンは、褒美として領地を与えることを約束すれば、家来の中から必ずやプナンサン殺害のために名乗り出る者が出るはずだから、カリニャマットの申し出を受けるべきだと助言する。翌日の夜再びカリニャマットのもとを訪れたハディウィジャヤを、ふたりの美女が出迎えた。ふたりにすっかり魅せられたハディウィジャヤは、その美女たちをもらえると聞いて、カリニャマットの望みを叶えることを確約する。

翌日、ハディウィジャヤはプナンサンを殺害した者にパティとマタラムの地を与えると家臣たちに告げるが、プナンサンの神通力を恐れて、だれも名乗り出る者がない。パマナハンの叔父にジュル・マルタニという切れ者がいて、策を用いればプナンサンを殺すことができるはずだと言って、パマナハンとパンジャウィに名乗り出るよう勧めた。こうしてパマナハン、パンジャウィ、ジュル・マルタニとパマナハンの息子ンガベイの4人が、プナンサン殺害計画に乗り出すことになった。

この4人、なかでもパマナハン、ジュル・マルタニ、ンガベイの3人は後にマタラム王国建国の鍵となる重要人物たちだ。『ジャワ年代記』はマタラム王家を正統化することを主な目的としてマタラム朝時代に書かれたものなので、パマナハンとンガベイはマジャパイト国王の落胤と“天女”の娘の血を引くとしているが、実はマジャパヒト王家の血は流れていないとする見方のほうが当時は一般的だったとも思われる。

(以下に続く)

  • プナンサン殺害
  • マラカ襲撃
  • 『逆流』の中のカリニャマット
  • カルティニのジュパラ、今のジュパラ
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