よりどりインドネシア

2023年10月08日号 vol.151

ラサ・サヤン(45)~インドネシア留学体験~(石川礼子)

2023年10月08日 10:45 by Matsui-Glocal
2023年10月08日 10:45 by Matsui-Glocal

●我が家がホストファミリーに

今年6月初めに、私の母校である中高一貫教育の女子校に勤める恩師から連絡が入りました。私が高校を卒業したのは1982年ですから、既に41年経っています。恩師もおそらく70を過ぎていると思われますが、いまだに母校で非常勤講師として教鞭を執っています。高校卒業以来、二度ほど恩師に会いましたが、ここ数年は音信不通になっていました。その恩師からメールで、短期留学する高校生を1名ジャカルタの我が家に2週間ほどホームステイさせてくれないかという相談でした。「寝耳に水」とはこのことで、まさかジャカルタにある我が家がホームステイ先になるとは思ってもみませんでした。

私は高校2年生の時に学校のホームステイ・プログラムで米カリフォルニア州のサクラメントに行き、数週間、英語学校に通いながら、ユダヤ系アメリカ人の家庭にホームステイしました。ホストファミリーは裕福で、家にスイミングプールがあり、小学生の息子は当時流行っていたウォーターベッドに寝ていました。生まれて初めての海外、初めて現地の人たちと暮らす毎日にドキドキハラハラでした。英語は大好きな科目でしたが、会話には慣れておらず、ファミリーの5歳の男の子を相手に毎日、会話の練習をしたのを覚えています。

80年代終わりに留学したニュージーランドのオークランドでは、同じホストファミリー宅で主人と出会いました。ホストファミリーといっても、ご主人を亡くし、子供たちが既に独立していった家に一人で住む60代の女性で、私と主人を含む計4名の学生を受け入れていました。このホストマザーは、主人と私にとってキューピッドのような存在であり、生涯忘れられない女性です。第二の母親(この場合、義母は除く)であり、3年間お世話になった彼女のことを“Mum”(マム=お母さん)と呼んでいました。

ニュージーランド滞在中に短期留学した西オーストラリアのパースでもホームステイしましたが、そこのホストファミリーは非常に陰険でした。毎晩、夕食時に父親が中学生の長女を叱り付け、長女が泣き出すという繰り返しで、それを避けるために、私は語学学校の帰りに真っ直ぐ帰宅せず、図書館で時間を潰し、故意に夕食後に帰宅するようにしていました。そして、冷たくなったワンプレート・ディナーをレンジでチンして食べる、なんとも侘しい毎日でした。ある日、家に戻ると、ホストファミリーは(前日も当日の朝も私に一言もなく)なんと引っ越ししていました!!!今朝出掛けた家のドアには新しい住所が書かれた私宛のメモが貼ってあり、今なら「マジか~?!」と言いたいくらい慌てた私は、もぬけの殻になった家の中に入り、自分の物もそっくり移されているのを確認した後、新しい住所(全く違うエリアにある)を通りすがりの人に訊きながら(その頃、Google Mapがあったら助かったのに・・・)引越し先に辿り着いたのでした。

それから30年以上経った今、自分が逆の立場になるというのは不思議な気持ちでした。しかし、ホストファミリーの酸いも甘いも経験している私だからこそ、良き『ホストマザー』としてお世話できる自信は十分ありました。特に、我が家に来る女子高生(以下、Rちゃん)は私が卒業した母校の後輩であり、Rちゃんのお母さんも私の後輩に当たると聞き、使命感に燃えてきました。他人が家に来るのをあまり好まない主人も、自分が学生の頃と逆の立場の『ホストファーザー』になることが嬉しいらしく、「いつ来るの?いつ来るの?」と何度も聞いてくるほどでした。

●文科省のプログラム

Rちゃんは、日本の文科省の「トビタテ!留学JAPAN」というプログラムに応募して合格し、少額ではあるようですが奨学金をもらい、短期留学することになりました。この文科省の「トビタテ!留学JAPAN」は、意欲と能力ある全ての日本の若者が、海外留学に自ら一歩を踏み出す機運を醸成することを目的として、2013年から開始されたプログラムです。政府だけでなく、民間企業からの支援や寄付により、官民協働で「グローバル人材育成コミュニティ」を形成し、将来、世界で活躍できるグローバル人材を育成するという目的です(https://tobitate-mext.jasso.go.jp/news/detail.html?id=400 参照)。

留学生はそれぞれの探求テーマを決め、留学先で多様な人々と協働し、試行錯誤しながら自ら答えを導き出すことが求められます。Rちゃんによると、イギリスに建築インターン留学とか、フィリピンにボランティア留学、アフリカの教育制度を研究に行く学生などがいたそうです。

Rちゃんの探求テーマは『教育の質は少年犯罪に影響するか』でした。彼女の将来の目標は『子どもを守る警察官』になることで、大学は心理学か社会学を専攻したいのだそうです。その探求テーマに沿って、最初はシンガポールを留学先に選択し、現地の中高生にアンケートに答えてもらって研究するという計画でした。しかし、コロナ以降、大幅な人員削減で旅行代理店がホームステイ先や現地の学校訪問などの手配が出来ず、シンガポールに知り合いもいないため、学校の国際課が困って私の恩師に相談したところ、「シンガポールではないけど、インドネシアになら卒業生がいますよ」と話したそうです。文科省の規定で、2週間毎日、語学学校に通わなければならないということで、週3日出社していた私には毎日の語学学校の送迎は無理だと丁重にお断りしました。それでも、学校の先輩なら預けて安心というRちゃんの母親の希望もあり、2週間はシンガポールの語学学校に通い、自己負担でジャカルタの我が家に2週間滞在し、探求テーマを実施するということになりました。

●バンドンの私立中高訪問とアンケート調査

母校の先輩ボランティアの「ホストマザー」として、また「コーディネーター」として、先ずアンケートに答えてくれそうな学校を探さねばなりません。最初は、私の娘たちが通ったカトリック系の学校に依頼しようかと思いましたが、宗教教育を基本にした学校だとインドネシアの多種多様な姿を反映できず、偏った回答になってしまうと懸念し、宗教を問わない学校を探すことにしました。

そこで思い出したのが、私の実家がある静岡県浜松市の「浜松インドネシア友好協会」と交流の深い『元日本留学生協会(プルサダ)西ジャワ支部』のアグス会長の娘さんで、現在、名古屋大学の大学院に籍を置くユリちゃんでした。ユリちゃんは、アグス先生のお仕事の関係で、名古屋で幼少期を過ごした名古屋弁とスンダ語を話す、明るいインドネシア人女性です。彼女の母校である中高一貫教育のA校にユリちゃんを通じて学校訪問ならびにアンケートの受け入れをお願いしました。

学校訪問日当日まで紆余曲折はあったものの、訪問当日は新しい講堂にステージが設けられ、お願いしていたプロジェクターとスクリーンがきちんと用意されていました。同時期に名古屋からバンドンに帰省していた同校卒業生であるユリちゃんが通訳を務めてくれることになりました。ステージには、ユリちゃんとRちゃんが座るソファまで用意されており、左右に分かれて着席する各クラス5名ずつ、計50名の高校生にRちゃんは拍手で迎えられました。思いも寄らぬその歓迎ぶりに私たちは驚きを隠せませんでした。校長先生はじめ先生方や生徒さんたちが温かく迎えてくれました。

7月末にRちゃんから送られてきたアンケートの内容には「赤ちゃんが産まれたときの喜びを感じたことがありますか?」、「身近な人が死んだときの悲しみを感じたことがありますか?」、「死んだ人が生き返ると思いますか?」など、生と死に関する直接的な質問が多かったため、インドネシア人はそれぞれの信仰によって考えが大きく変わることや、輪廻転生は特定の宗教で信じられていることなどを説明し、信仰に大きく影響する「生と死」に関するアンケートではなく、「少年非行」に関するアンケートに修正してもらいました。Rちゃんは、日本の核家族化や少子化で、子どもたちが妹や弟が産まれてくる喜びや、祖父母が亡くなったときの悲しみを知らずに生活していること、また中高生のゲーム依存から、ゲームの中のキャラクターのように、人間は死んでもまたリセットして生き返ることが出来るということを信じている日本の中学生が少なからずいることに注目し、インドネシアの中高生が同じように考えているのかを知りたかったのだそうです。

Rちゃんは自己紹介から日本の文化や毎日の学校生活、文化祭などについて動画や写真、スライドを交えながら紹介しました。その後、中学生30名と高校生50名にアンケートに記入回答してもらい、無事に当初の目的を果たすことが出来ました。Rちゃんとの記念撮影では、女子も男子もRちゃんに競って話しかけ、中にはRちゃんとインスタグラムのアカウントをちゃっかり交換した学生も何人かいました。

  

A高校でのRちゃんのプレゼンテーション(左)、アンケートへの記入を依頼(中)、A中学校のクラス訪問(右)。(出所)全て筆者撮影。

●カトリック系高校訪問

翌日は、我が家からそう遠くない、娘たちが通ったカトリック系のB高校を訪問しました。娘たちが卒業生とはいえ、次女が卒業したのも既に7年前の話。どうアポイントを取れば良いか悩んでいたところ、私が所属するジャカルタ・ソフィア会(上智大学卒業生の会)に最近入会したインドネシア人留学生だった50代の女性のことを思い出しました。彼女の実姉が同校のオーナーだったのです。早速、彼女にお願いすると、即OKということで、トントン拍子に話が進みました。事前に送った質問内容に沿って学校側は高校の校長先生、高校教師2名、高校2・3年生の生徒7名を集めてくれていました。私が通訳を務めるつもりでいたのですが、同校の高校3年生のダニエルくんが自ら通訳を買って出てくれました。

ダニエルくんは、日本の文化に興味があり、独学で日本語を習得したという男子で、その日本語力たるや素晴らしいものでした。しかも、日本の若者言葉も良く知っていて、私が通訳するより上手くRちゃんに伝わったようです。「いじめはありますか?」という質問に答えてくれた子の回答をダニエルくんは「いじめはありませんが、『ぼっち』の子はいます」と訳しました。聞いている私は『ぼっち』が何か分かりませんでしたが、後から「ひとりぼっちの略語で、ひとりで過ごすことが多い子を表現する若者言葉」だと教えてもらいました。

ダニエルくん以外の高校生の内、3人は模擬国連(高校生が国連大使になりきって議論や交渉をする活動で、国内大会や国際大会が開催される)に選抜された学生で、Rちゃんの質問に対して流暢な英語で返答する子もいました。同校の卒業生の60%は留学組だそうで、出席した7名の学生のうち、6名は既に留学が決まっていました。留学しないという1名の女子も、先ずインドネシア国内の大学で医学を専攻し、大学院から留学予定という子でした。医師を目指す理由は、小さい頃から勉強が好きで、他人のために自分の知識を活かしたいからと話しました。留学組の6名も将来の夢をそれぞれ現実的に考えており、心理学を学びにアメリカ留学予定の女子、外務省に入省し、将来はインドネシア大使を目指すという男子、車関係のエンジニアを目指してドイツに留学予定の女子、将来は起業を目指すという、イギリスに留学予定の女子二名、そしてダニエルくんは早稲田大学に留学が決まっています。彼らは、裕福な家庭の子どもたち故か、幼い頃から世界を視野に入れているようです。

  

B校の外観(左)、Rちゃんのプレゼンテーション(中)、高校2・3年生と記念撮影(右)。(出所)全て筆者撮影。

(以下に続く)

  • 孤児院訪問と大学生へのインタビュー
  • ジョグジャカルタでジャワ文化に触れる
  • 短期留学を終えて
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