よりどりインドネシア

2023年07月07日号 vol.145

トゴグが語るのは(太田りべか)

2023年07月07日 22:16 by Matsui-Glocal
2023年07月07日 22:16 by Matsui-Glocal

前からトゴグ(Togog)という人物(?)のことが、ちょっと気になっていた。トゴグは、ジャワ中部などのワヤンに登場するプノカワン(punakawan / panakawan)のひとりだ。“puna / pana” は頭が切れる、聡明なというような意で、“kawan” は友、つまりプノカワンは切れ者の友という意味になる。ワヤンの中では英雄たちの従者として登場し、英雄を助けたり忠告したりする一方、風刺もするし、道化の役割も担っている。『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』のような古代インドの物語をベースにしたワヤンの演目でも、プノカワンたちが登場して車や携帯電話を話題にしたりして、時空を超えて物語に異化をもたらし、観客の笑いを取ることもある。

そんなプノカワンの中でもっとも名が知られているのがスマルである。プノカワンのメンバー構成は地方によって違うようだが、ジャワ中部では、スマルとその三人の息子というのが定番だ。トゴグもプノカワンのひとりなのだが、その四人のグループの中には入っていない。スマルと息子たちの四人グループが英雄側のプノカワンであるのに対して、トゴグとその同僚(トゴグの息子とする説もある)のビルンの二人組は、悪者側のプノカワンなのだ。

そんな対立的キャラクターのスマルとトゴグだが、実は兄弟だったらしい。

トゴグ(https://id.wikipedia.org/wiki/Togog より。Oleh Tropenmuseum, part of the National Museum of World Cultures, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11035277

●卵三兄弟の話

従者とはいえ、スマルもトゴグも元はといえば神である。トゴグにも「サン・ヒャン・アンタガ」「サン・ヒャン・ヒャン・マハ・プングン」という神としての名がある。

ジャワのワヤンでは、一般的にスマルもトゴグもサン・ヒャン・トゥンガルという神の息子とされている。さらにもうひとり弟がいて、その三兄弟はひとつの卵の形で生まれた。父神の力によって、その卵は三人の息子の姿になった。卵の殻から成ったのが長男サン・ヒャン・アンタガ(トゴグ)、白身から成ったのが次男サン・ヒャン・イスマヤ(スマル)、黄身から成ったのが末っ子のサン・ヒャン・マニクマヤである。

長じて三兄弟が神々の世界の支配者の地位をめぐって争ったので、現在の支配者である父神が「マハメル山を呑み込んで、さらに吐き戻すことができた者を次の支配者とする」と宣言した。まず長男のサン・ヒャン・アンタガ(トゴグ)が挑戦することになった。サン・ヒャン・アンタガは持てる力を尽くしたけれど、山が大き過ぎて口が裂けてしまい、呑み込むことができなかった。以後、トゴグは裂けたような大きな口で描かれるようになる。

次に次男のサン・ヒャン・イスマヤ(スマル)が挑み、マハメル山を呑み込むことに成功した。けれども、どうしても吐き出すことができなかった。以後、スマルは、山が入ったままで腹が突き出た姿で描かれるようになる。

スマル(https://id.wikipedia.org/wiki/Semarより。CC BY-SA 3.0, https://id.wikipedia.org/w/index.php?curid=312928

マハメル山がサン・ヒャン・イスマヤの腹の中に入ったままなので、三男のサン・ヒャン・マニクマヤは実力を見せる機会もなく不戦勝となり、神々の支配者となるよう父に命じられた。このサン・ヒャン・マニクマヤは別名バタラ・グルとして知られている。競争に負けたふたりの兄は、人間界に降りて人間として生きていくよう父に命じられ、サン・ヒャン・アンタガはトゴグとして怪物たちの従者となり、サン・ヒャン・イスマヤはスマルとして英雄たちの従者となった。

また別バージョンのワヤンの演目では、世界にまだなにもなかったときに、姿形のない支配神が姿形のあるものを創造した。唸るような音とともに卵の形をした光源が現れ、宙を漂った。その卵の殻から天と地が造られ、白身から光と夕焼け(または虹)が造られ、黄身からマニックとマヤが造られた。この「マニック」(manik)と「マヤ」(maya)がどういうものなのかがよくわからない。マニックは宝玉で、マヤは幻?と想像してみるが、ワヤンの中では実際どんなものなのだろうか。“Jagad Ginelar” または “Manik Maya” という演目らしいので、YouTubeに上演のようすがアップされていないかと探してみたが、めったに上演されない演目らしく、見つからなかった。ワヤンに詳しい方がおられたら、ぜひご教示いただきたい。

ともあれ、卵から造られた光からバタラ・ナラダ、夕焼けまたは虹からバタラ・テジャ(別名バタラ・アンタガ(トゴグ))、マニックからバタラ・マニック(別名バタラ・グル)、マヤからバタラ・マヤ(別名バタラ・イスマヤ(スマル))という四柱の神々が造られた。「宇宙卵型」と呼ばれる創造神話のひとつである。このバージョンによると、スマルもトゴグも世界に最初に登場した姿形を持つ存在ということになる。

●『虚言の書』

そんなトゴグが語り手を務める小説がある。セノ・グミラ・アジダルマ(Seno Gumira Ajidarma)の快作 “Kitab Omong Kosong”(『虚言の書』)だ。『ラーマーヤナ』をモチーフにしたメタフィクション的な心躍る物語である。

古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』で、アヨディヤ国王ラマは十面の怪物の王ラーワナに拐われた妻シンタを無事奪還した。だが、ラーワナの城に囚われていた間のシンタの貞操が疑われ、シンタはその疑いを晴らすために燃え盛る火の中に飛び込む。炎にも焦がされることのなかったシンタは、自らの貞操を証明することができた。

『虚言の書』は、その後のシンタとラマについて語る。シンタが命懸けで証明したにもかかわらず、その貞操を疑う民の声は止まない。やむなくラマはシンタを追放する。その後、ラマは人が変わったようになり、白馬を放って、そのゆくところ降伏しない国は、ことごとく大軍をもって蹂躙した。インド亜大陸の方々の国で多くの人々が住むところや家族を失い、困窮に追い込まれた。アヨディヤの白馬は恐怖と呪いの象徴となった。

一方、追放されたシンタは身重の体で山中をさまよい、老人ワールミーキに助けられる。そうしてシンタは双子の男の子を産んだ。シンタの身の上話を聞いて、ワールミーキは『ラーマーヤナ』を書き始める。双子は不思議な力を持つ少年に成長し、白馬に導かれてやってきたアヨディヤの大軍を翻弄した。それを知ったラマは双子を王宮に呼び寄せ、双子は父ラマ王の前で『ラーマーヤナ』を朗唱する。

ある町に住む娼婦マネカは、生まれつき背に疾走する白馬の鮮やかな刺青があった。その白馬がアヨディヤの呪いの白馬と瓜二つだったため、マネカは方々で酷い目に遭わされることになった。マネカは自分のそんな苛酷な運命が『ラーマーヤナ』の作者ワールミーキの手に握られていることを知り、抗議して運命を書き換えてもらうためにワールミーキを探す旅に出る。

旅の途上でマネカの危機を救ったのは、アヨディヤ国の襲撃で両親を失った少年サティヤだった。ふたりはアンディニという名の牛(バタラ・グルの乗りものもアンディニという名の牛だ)の引く荷車に乗って旅を続ける。さまざまな人に出会い、多くの危険をくぐり抜ける旅の中で、ふたりは究極の知の書『虚言の書』の存在を知る。アヨディヤ軍に踏みにじられて文明を失ったインド亜大陸を建て直す鍵を握るのがその書だという。ワールミーキを探す一方、猿神ハノマンが秘蔵するというその書の行方をふたりは追うことになる。

ワールミーキも旅を続けていたが、そのもとを『ラーマーヤナ』の登場人物たちが次々と訪れて、物語からの解放を願い、暇乞いをして去っていく。マネカは、そしてワールミーキ自身は物語から解放されるのだろうか? そしてついにハノマンとの出会いを果たしたマネカとサティヤは、究極の書を手に入れることができるのか…?

最後にハノマンはこの世から去り、マネカはサティヤとの間に生まれた子に向かって『虚言の書』の物語を語り始める。

そこで完結してもよかったのだが、その後に「トゴグの告白」の章が配されている。

わたくし、トゴグは、この物語の書き手でございまして、

賢明なる読者の皆様にお詫び申し上げる次第でございます

読者の皆様にこんなにも長い時間をお裂きいただき

この物語におつきあいいただきまして。

わたくし、トゴグは、ただの愚かな語り部、

神々のお恵みにもあずかれず。

わたくし、トゴグは、ただの見捨てられた身

スマルのように愛されもせず、

いうまでもなく注目にも値せず、

醜い上に、おしゃべりが過ぎ、嘘が過ぎ、

長々と絵空事ばかり捻り出し。

天と地においてお詫びいたします、

恐縮しごく、ひどい物語を書いてしまって、

知的でもなく、深みもなく、

娯楽もなく、役にも立たぬ、

ただあらぬことばかりしゃべり立てただけ、

過去から未来永劫お詫び申します。

おそらくスマル師匠別名バドラナヤの神通力が

わたくしめをかようにしたのでありましょう、

あのお方は対抗意識を持たれるのがお嫌いで、

ご自身が唯一の愛される存在であられたいのでございまして。

あらためてこの焼き餅をお詫びする次第。 

こんな調子でトゴグの自嘲的告白が続く。シンタが語り、それをワールミーキが書き止め語り、シンタの息子たちも、マネカとサティヤも、ハノマンも、その他の登場人物たちもそれぞれに語り、そのすべてを実はトゴグが語っていたというオチがつくわけである。

このオチが必要だったのか、なぜトゴグなのかについては、いろいろな見方があることだろう。“Kitab Omong Kosong”の裏表紙の紹介文によると、「スマルばかりを称賛する世界で劣等感と除け者意識を抱くトゴグ」が、ラマ王の大軍が引き起こした災厄の犠牲になった普通の人々の物語を語るということらしい。

“Kitab Omong Kosong”

(以下に続く)

  • ロンゴワルシト版『パラマヨガ』
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