よりどりインドネシア

2023年07月07日号 vol.145

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第66信:悲恋ドラマやコメディ映画からみた民族風習の変遷 ~『ブヤ・ハムカ』、『ファンデルウィック号の沈没』、『オンデ・マンデ!』~ (付記:世界が驚き、認めたインドネシア人少女)(横山裕一)

2023年07月07日 22:16 by Matsui-Glocal
2023年07月07日 22:16 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

いきなり映画ではなく恐縮ですが、1ヵ月前、アメリカの人気テレビ番組で、ジョグジャカルタ在住の盲目の女子高校生がその才能溢れる歌声で全米を驚愕させました。これを受けてインドネシアでは一時期、メディア報道で彼女の偉業に対するフィーバーも起きたほどです。轟さんをはじめインドネシアに関心のある本稿の読者の中にはすでにご存知の方も多いかもしれませんが、後半に付記として紹介したいと思います。

今回のテーマに入る前に、前回轟さんがコメントされた件について。『隣の店をチェックしろ2』の引用について轟さんの誤解を生んだようですが、私は該当シーンの一連の会話、「私は(息子の)結婚を賛成できない…」から轟さんが訳した部分を含め、「なぜなら…お前がプリブミと結婚しようとしているからだ」までを要約したものですので、大筋で誤りはないと思います。

一点、前回部分で訂正をさせていただきます。『永遠の三日間』の主人公2人、アンバルとユスフの設定について、アンバルは大学卒業間近と書きましたが、その後、アンバル19歳、ユスフ21歳の設定だと分かりました。よってアンバルは高校卒業後の進路について悩み、英国留学を決意したということでした。また、轟さんがタイトルを『永遠探しの三日間』とされていましたが、作品内容からは『永遠に忘れられない三日間』という意味合いが強いかと思われます。

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さて、今回は最近公開された作品で西スマトラ州を中心としたミナンカバウ民族を扱った作品が相次いだので、それに関連した少し前の作品と合わせて、映画がミナンカバウ民族をどのように描いているか、また時代の変遷と共に変化する文化がどう描かれているかなど見ていきたいと思います。

ミナンカバウ民族は一般的にはパダン料理や水牛の角をかたどった屋根が特徴的な伝統家屋などで知られ、世界でも珍しい母方の血族を中心に形成する母系社会が現在も続いているのが最大の特徴です。

まずは4月に公開された『ブヤ・ハムカ』(Buya Hamka)です。この作品はイスラム指導者で作家、記者、政治家でもあったハムカ(1908~1981年)の伝記映画です。ハムカは西スマトラ州出身のミナンカバウ民族で、後に食品などイスラム教義的に許されるもの(ハラル)などを認定することで日本人にも知られる、イスラム指導者評議会(MUI)の初代総裁も務め、2011年に国家英雄に認定された人物です。ブヤはアラビア語由来の敬称です。

映画『ブヤ・ハムカ』公開時ポスター

作品は3部作で構成され、公開された第1部では南スラウェシ州マカッサルでのイスラム指導者などとしての活動からスマトラ州メダンに移って雑誌編集者として小説やイスラム教関連の執筆活動、さらに故郷西スマトラ州での活動まで、ハムカの20代から30代が描かれます。植民地政策に反発した執筆によるオランダからの弾圧、またインドネシア独立を約束した日本軍政に協力したため地元住民から批判を受け、その後の日本の敗戦、インドネシアの独立宣言までが第1部です。第2部以降では独立後のハムカの政治活動や、幼少期、青年期に遡って描かれる予定で、イスラム教を含めた民族の伝統風習の世界観を巡って、ハムカと父親による親子の確執も展開するようです。

映画『ブヤ・ハムカ』第1部ではミナンカバウ民族文化についてはほとんどフューチャーされないにも関わらずなぜこの作品を紹介したかというと、作品内でハムカの作家活動で小説が大ヒットするシーンがあるためです。その作品こそが、ミナンカバウ民族の伝統風習により若いカップルが引き裂かれる悲恋ドラマで、インドネシア文学の代表作の一つでもある『ファンデルウィック号の沈没』です。ファンデルウィック号はオランダ植民地時代、ジャワ島とスマトラ島を結ぶ当時オランダ船としては最大級の豪華客船で、1923年東ジャワ州沖で沈没しています。映画ではこの実際に起きた事故を悲恋物語に盛り込んでいます。そしてこの小説が同名タイトルで2013年に映画化・公開されています。(Tenggelamnya Kapal Van Der Wijck:Netflixインドネシア版で配信中)

映画『ファンデルウィック号の沈没』ポスター。(引用:https://sorayaintercinefilms.com/TKDW/

映画『ファンデルウィック号の沈没』と『ブヤ・ハムカ』を見比べると、ある共通点が浮かび上がってきます。それは『ファンデルウィック号の沈没』の主人公の設定がハムカ自身と同じようにマカッサルから西スマトラへと移動するなど、原作者であるハムカが物語の主人公に自らを投影して描いているようにも窺えることです。ハムカと物語主人公との大きな違いは、ハムカはミナンカバウ民族の両親を持つ生粋の血筋であるのに対して、主人公はミナンカバウと他民族の混血である点で、これが物語の大きな鍵として展開します。主人公に作家ハムカがなぜ自らを投影したのか、以下、映画の物語を通して見ていきたいと思います。

作品は2時間40分余りと長編ですが、ミナンカバウ民族の母系社会における伝統風習に基づいた組織運営、民族意識などが主に前半部分にふんだんに盛り込まれています。物語はオランダ植民地時代の1930年、ミナンカバウ民族の父親を持ちながら、母親が他民族のため南スラウェシ州マカッサルで育った主人公ザイヌディンが、父親の故郷・西スマトラ州の田舎街に戻って暮らし始めるところから始まります。そこである夜のイスラム教の勉強会後、美しい女性ハヤティと出逢い、雨で帰れないハヤティにザイヌディンが傘を貸したのをきっかけに仲が深まっていきます。

このシーンは一見、単なる出会いのシーンにも見えますが、ミナンカバウ民族の伝統的な生活習慣の一端を垣間見ることができます。出会いの場所はスラウと呼ばれる礼拝所で、当時ミナンカバウ民族の男性は10歳前後になると母親の住む家(当時は主に伝統家屋)を出て、この礼拝所で地区の独身男性と集団生活をする風習がありました。既婚男性も夜は女性の家へ行く通い婚の形式をとり、日中、仕事以外は礼拝所で過ごすことが多く、礼拝所はイスラム教を深める場所であるとともに、地区男性の結束を固める場所としての意義を併せ持っています。

かつてミナンカバウ未婚男性生活の場だった礼拝所「スラウ」。映画ロケ地と同じもの。

このため、ザイヌディンのハヤティへの恋心は周知の事実となり、純粋なミナンカバウの血を持たないザイヌディンは集落を追い出され、隣町のパダンパンジャンへ移ることを余儀なくされます。これもミナンカバウの女性と結婚する相手はイスラム教徒が必須であるだけでなく、同民族以外は混血を含めて認めないミナンカバウの伝統風習によるものです。

2人はそれでも文通で恋を育み、ザイヌディンはハヤティの一族に求婚状を出しますが、同時にハヤティの友人の兄、アジズも彼女を見初めて求婚状を送ります。アジズはパダンパンジャンの裕福な家庭に育ち、パダンのオランダ人経営の会社勤務で、自動車も乗り回す羽振りが良い一方で素行は悪い男性でした。

2人から寄せられたハヤティへの求婚をどうするか。ここで伝統風習に則った氏族・血族の会合が伝統家屋の大広間で開かれます。ミナンカバウ族は前述のように母系社会で家屋や土地などの共有財産を女性が相続しますが、これら財産の運営や氏族・血族内の問題解決は男性の役割として振り分けられています。この男性の取りまとめ役はダトゥッと呼ばれ、血族ごとにいる複数のダトゥッがいて、その上にプンフルと呼ばれる総取りまとめ役が構成されています。

ダトゥッたちの会合は氏族・血族の伝統的な意思決定機関で、ハヤティの結婚をめぐるダトゥッたちの会合では、財力があり生粋のミナンカバウ族であることからアジズを結婚相手に選択します。ここでも改めてザイヌディンが生粋のミナンカバウではない民族的血統が大きな決め手となりました。決定は当事者であるハヤティ抜きで執り行われます。伝統風習に基づいた決定がいかに重きを置いた絶対的なものであるかは会合シーンでの会話でも窺えます。決定を受けてハヤティの親族の女性が遠慮がちに意見します。

ハヤティの親族「ハヤティはまだザイヌディンを愛しています」

ダトゥッの一人「会合の決定を辱め、泥を塗るのか?伝統風習として、氏族としてあり得ない!」

ハヤティの親族「しかし、彼女が悲しみのあまり自殺しないかと心配です」

ダトゥッの一人「会合の決定を辱めるなら、死んだ方がマシだ!伝統風習を壊すことは我々の根本を覆すことになるのだぞ!」

ここで若いダトゥッのメンバーがザイヌディンの父親はミナンカバウ民族でかつて地位もあったことを告げ、親族の女性に助け舟を出すと、

ダトゥッまとめ役「うるさい、お前は伝統風習を理解していない。ザイヌディンは(生粋のミナンカバウでないのに求婚して)我々の顔に泥を塗ったのだぞ」

現代人が見ると伝統風習を守る頑なさが目につきがちですが、裏を返せば長い歴史、時代のなかでミナンカバウという少数民族を存続させるためには血統の純血性を重視せざるを得なかったこと、そのために培われてきた知恵、手段などの伝統風習をいかに厳守するかが大切で、死活問題だったことが窺われます。

伝統風習に反しながらも恋愛感情だけで結婚を希望したザイヌディンとハヤティのケースのように、作品では近代化の潮流に伴うグローバル化や生活様式の変化と伝統風習との間に確実な歪みが生まれ、従来通りでは立ち行かなくなってきている現状をも的確に指摘している様にもみえます。

ミナンカバウの地である西スマトラ州でいえば、19世紀に入ってからオランダの植民地化が本格的に進み、西洋近代化、貨幣経済の浸透と併せて、他地域の他民族との交流も頻繁になります。さらに貨幣経済の浸透に伴って現金収入の必要性が高まり、20世紀頃からムランタウと呼ばれる、男性が仕事を求めて外地で定住する習慣が始まります。ムランタウによって他民族との交流が深まることからミナンカバウ民族の他民族との結婚も稀ではなくなり始め、ミナンカバウの純血主義も揺らぎ始めます。

小説『ファンデルウィック号の沈没』が出版されたのが1938年、まさにミナンカバウ民族の伝統風習にとってはこうした変化に直面する時期と重なります。同小説は若い男女の悲恋物語であるとともに、時代の変化に伴う民族伝統風習の揺らぎ、過渡期への端緒を如実に描いた作品であるともいえます。

では、前述のようにハムカはなぜ主人公に自らを投影したような設定にしたのか。それは映画『ブヤ・ハムカ』の第2部以降で描かれる予定の、ハムカと父親との確執が背景にあるようです。確執はミナンカバウ社会の根幹を成す母系社会に対する疑問をめぐる意見の対立だったと言われています。ミナンカバウ社会はイスラム王国として約500年栄えてきましたが、19世紀に入ると伝統風習をよりイスラム色の強い形に変化させようという運動が民族内で起きます。その対象が、女性が財産の所有権や相続権をもつ母系社会に対する疑義で、時代を経ていますがハムカもこうした意見を持つ1人でした。

このためハムカは、小説を通して「愛し合っている主人公カップルを引き裂いた伝統風習は障害でしかない」ことを強調し、伝統風習、つまり母系社会制度に対してイスラム教的観点から、また近代社会と伝統風習との齟齬において疑問を投げかけたとみられます。この問題を通して父親との確執が深まったが故に、ハムカは主人公に自らを投影して主張したものだと推察されます。

映画『ファンデルウィック号の沈没』は実はここまでがほぼ丁度前半部分で、後半は舞台を東ジャワ州スラバヤに移して、ザイヌディンとハヤティの悲恋ドラマ第二幕が繰り広げられ、タイトル通りの悲劇で幕を閉じます。今回はミナンカバウの伝統風習がテーマのため後半部分は割愛させていただきますが、悲恋ドラマとしては後半の方が目を離せない展開が繰り広げられます。

同映画作品のラストシーンだけ付け加えると、主人公のザイヌディンは愛するハヤティを失った後、2人の物語を同名の小説として書き上げます。ここにもハムカによる自己投影がなされています。このシーンでザイヌディンは書き上げた小説について次の様に話します。

「願わくば多くの人に読んでもらいたい。そして我々民族(当時の東インド全体を指す)が尊厳を持って国土を統一し、あらゆる(民族の)違いによる憎しみがなくなってほしい。公正で幸せ(な世の中)に・・・」

このザイヌディンの言葉には作家ハムカの伝統風習への批判とともに、インドネシア独立を見据えた、個々の民族伝統風習にとらわれない、多民族間の相互理解、融和への願いも込められていることが窺えます。

映画『ファンデルウィック号の沈没』では伝統風習のあり方が否定的に描かれましたが、インドネシア独立後、近代化がさらに進むにつれてミナンカバウの伝統風習も母系社会は続いているものの時代に即した変化を見せていきます。そんななかで現代のミナンカバウの田舎の様子が生き生きと描かれた作品が先月公開されたので最後に触れたいと思います。コメディ映画の『オンデ・マンデ!』(Onde Mande !)で、民族特性の描き方も異なってきています。

(⇒ 「オンデ・マンデ」とはミナンカバウ語で・・・)

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