(編集者注)本稿は、2023年6月7日発行の『よりどりインドネシア』第143号に所収の「ロンボクだより(92)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。なお本稿は2023年8月発行の『よりどりインドネシア』第147号に続く予定です。
みなさん、こんにちは。このところ毎日のように外国からの観光客の姿を道でみかけるようになりました。長いトンネルからやっと抜け出せた喜びが村の人々との会話の端々から漏れ伝わってきます。
今回はロンボク地震の記憶ではなく、避難訓練をとおして見えた、現在進行系の「ロンボク地震その後」について書いていきます。
**********
2023年5月27日、勤務校で地震を想定した避難訓練が行われました。
これは勤務校が独自に実施したものではなく、BMKG(気象気候地球物理庁)の「BMKG GOES TO SCHOOL」というプログラムです。事前に通達があり、学内で災害対策本部が置かれました。担当者を明記し、はっきりさせました。
担当者を明記した防災チームの構造が定められました
当日はBMKG西ヌサトゥンガラ州事務局の職員が3人やってきて、全校生徒で講習を受けました。すでに3年生が卒業していたので1・2年生だけでしたが、ビデオを見ながら説明を受けたあと、実際に生徒の代表が頭を抱えた状態で机やイスの下にもぐる練習をしたり、クイズ形式で学んだことを確認したりしていました。
屋内での講習の様子
講習が終わったら、いよいよ避難訓練です。全生徒がいったん各自の教室に戻って着席します。生徒会の生徒が拡声器を持って、拡声器についているブザーを押したあと「地震、地震、地震で-す。校庭に避難してくださーい」とやっていました。生徒たちはワイワイ楽しそうに校庭へ逃げ出しています。よくも悪くも呑気だなぁ。
避難訓練で生徒たちが校庭へ避難
で、このあと校庭で記念撮影、ハイ終わり。
この日は土曜日で、講習と避難訓練だけでいい時間になったので、授業はなくなり皆解散となりました。
が、私は多いに疑問をもちました。
「もし本当に大きな地震がきたら、大変なのはここからじゃないの?」
**********
ロンボク地震のあった2018年8月は、娘が幼稚園の年少組に入ってすぐの頃でした。1ヵ月の休園のあと幼稚園は再開しましたが、その後も何度か余震がありました。
小さな余震だったらいいのです。でもはっきり「揺れた!」と危機感を感じる地震のときは、園児たちは泣き叫び、親(多くの園児が地震の恐怖から親と離れるのを嫌がったため、園全体の3分の1ほどの親が園内で待機していました)は我が子を抱いて一目散にバイクで帰宅しました。もちろん整列なんてありません。誰が誰と帰ったのか、帰っていないのか、先生たちも把握しきれていませんでした。
「高校でも校門にバイクが殺到するはず。教員も点呼などできないだろうな」
もしも大きな地震がきたら「校庭に集まってハイ終わり」にはなりません。余震がくるかもしれないし、むしろ余震のほうが大きい可能性もあります。海がすぐそこに見えている我が校は津波が押し寄せたらひとたまりもありません。
どうするんだろう?
ここからあとのシミュレーションと対策・訓練も必要じゃない?
**********
2週間ほどあと、職員会議がありました。校長は各校の校長が集まって行われた避難訓練の評価会議の内容を伝えました。それによると、現在の課題点が大きく二つありました。
1.一部の生徒たちの心のケア
2.津波が予想されるときの避難場所の選定
生徒たちの一部が避難訓練に関するネガティブなジンクスを信じており、地震を怖がっているという話が複数の校長からあがったそうです。
ネガティブなジンクス?なんのこと?
(⇒ 2018年、今回と同じように各校で避難訓練・・・)
読者コメント