よりどりインドネシア

2023年07月07日号 vol.145

ラサ・サヤン(42):~サンボ事件の黒幕~(石川礼子)

2023年07月07日 22:15 by Matsui-Glocal
2023年07月07日 22:15 by Matsui-Glocal

●サンボという名前

「サンボ」という名前は、私にとって思い出深い名前です。

実は子供の頃、私は肌が色黒で、当時の人気絵本『ちびくろサンボ』をもじって近所の人から「サンボ」と呼ばれていました。

読まれた方も多いかもしれませんが、『ちびくろサンボ』は、もとはスコットランドの児童文学作家・絵本作家のヘレン・バンナーマンの著作で、1899年に英国版が発刊されました。日本では1950年代に刊行されました。

ちびくろ・さんぼの絵本。(出所)https://www.ehonnavi.net/ehon/7864/%E3%81%A1%E3%81%B3%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%83%BB%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%BC/

ストーリーはこんな感じです。

父ジャンボ、母マンボと暮らしていたサンボは、ジャングルで4匹のトラに出くわし、食べられそうになります。サンボは両親に買ってもらったばかりのカラフルな上着、ズボン、靴、傘をトラに譲ることで食べられずに済みました。トラたちはサンボが渡した服や靴で着飾って、『自分が一番立派だ』と争って互いに譲らず、いがみ合って木の周りをぐるぐると追い掛け回るうちに、どろどろに溶けてギー(バターオイルの一種の乳脂肪分)になってしまいます。サンボは服を取り戻し、そのトラのギーで作ったパンケーキをパクパクと食べました。

微笑ましいストーリーですが、1970年代には米国でのアフリカ系米国人への差別撤廃を求める公民権運動の高まりもあり、『ちびくろサンボ』の絵本は絶版に追い込まれ、「サンボ」は黒人に対する蔑称とまでされました。

●サンボ事件の概要

今回は、インドネシアの「サンボ」という人物に関わる話です。『ちびくろサンボ』のようにハッピーエンドとはいきませんが、服をまとって木の周りを回るトラたちのように多くの警察官がサンボに逆らえず、サンボが言うところの “Skenario”(シナリオ)をまとうことで、どろどろにされてしまった殺人事件となりました。

今年2月13日、南ジャカルタ地方裁判所は、殺人罪と犯行隠蔽工作などの容疑に問われた国家警察少将で職務内部統制室長という要職にあったフェルディ・サンボ被告(以下、サンボ)に対して『死刑判決』を言い渡しました。

サンボは、部下で先任曹長のヨシュア・フタバラット(以下、ヨシュア)を計画的に殺害し、殺害した際の銃撃戦を装い、監視カメラを壊すなどの証拠隠滅した罪に問われました。警察幹部の立場を利用して、97人もの部下に隠滅工作や法廷での虚偽証言などを行わせたことから、死刑宣告されたという事件です。

この事件で一番の鍵を握るのがサンボの妻で、50歳になるプトゥリ・チャンドラワティ(以下、プトゥリ)です。プトゥリは、退役軍人で准将(一つ星)だった父親を持つ裕福な家庭の育ちで、大学では歯学部を専攻しました。そもそも事件の発端は、プトゥリが中部ジャワのマゲランにある別邸でヨシュアから性暴力を受けたと、サンボに訴えたことが始まりとされています。しかし、公判の最初の段階で被告人が語っていたのは、『マゲランからジャカルタの公邸に戻った後、ヨシュアがプトゥリに乱暴しようとしたところ、プトゥリの叫び声で駆けつけた二等巡査のリチャード・エリエザール(以下、リチャード)はプトゥリを擁護しようと、ヨシュアに立ち向かい、二人の間で銃撃戦が交わされた。その銃撃戦によりヨシュアは射殺された』というシナリオでした。

サンボとプトゥリ(上)、サンボと殺害されたヨシュア(下)。(出所)上:https://www.cnnindonesia.com/nasional/20220827094602-12-839751/diperiksa-sebagai-tersangka-putri-candrawathi-kekeh-korban-pelecehan、下:https://pojoksatu.id/news/berita-nasional/2022/12/17/uang-100-triliun-milik-ferdy-sambo-di-rekening-brigadir-joshua-benar-adanya-sebelum-diblokir-ternyata-sudah-ditarik/

サンボが創作した、この「シナリオ」に深く関与したサンボの補佐官2名とドライバーはサンボに忠実に口裏を合わせていました。様々な疑問が湧き起こるなか始まった公判では、殺されたヨシュアの両親が、銃撃戦でヨシュアを射殺したとされるリチャードに話し掛ける機会がありました。ヨシュアの母親は、リチャードに向かって「あなたにも母親や家族がいるでしょう。愛する息子を残忍にも殺された母親として、私はあなたにお願いする。正直に何があったのか話して欲しい。これ以上、嘘を付かないで」と涙ながらに訴えました。それに応え、リチャードは涙を浮かべながら「正直に話すことを約束します。私はヨシュアが性暴力を行なったとは信じていません。今後、自分にくだされる如何なる裁きも謹んで受け入れます」と話しました。以降、リチャードはそれまでの証言を覆し、サンボが企てた殺人隠滅計画(シナリオ)を暴露したことから“Justice Collaborator”(司法協力者、日本でいう『司法取引』)となり、法廷では他の被告人の証言について、判事から意見を求められる存在になりました。

法廷でヨシュアの遺影写真を胸に涙が止まらないヨシュアの母(上)、ヨシュアの両親に許しを乞うリチャード(下)。(出所)上:https://www.merdeka.com/trending/reaksi-ibu-brigadir-yosua-richard-eliezer-divonis-1-tahun-6-bulan-penjara.html、下:https://disway.id/read/684477/orang-tua-brigadir-j-sampaikan-harapan-terhadap-vonis-richard-eliezer-singgung-keringanan-hukuman

4ヵ月以上続いた公判では、リチャードをはじめ同殺人事件に関与した部下たち被告人の証言により、プトゥリがヨシュアと不倫関係にあったこと、サンボの殺人計画を妻プトゥリは事前に知っていたこと、殺人計画実行に当たって補佐官2名とドライバーに多額の報酬金が約束されていたこと、サンボは事件前にヨシュア殺害を同じく部下で曹長のリッキーに命じたが、リッキーが拒んだため、急遽、リチャードに命じたこと、ビューロクラシーの厳しい警察庁上長の「撃て、撃て」という怒声にリチャードが3~4発続けて撃った後、サンボ自身も前のめりに倒れ込んだヨシュアの後頭部に発砲、さらには銃撃戦があったと見せかけるためにサンボが壁に向かって発砲したこと、ヨシュアが射殺された後に、プトゥリは部下たちにヨシュアの指紋が残らないようにサニタイザーを使って拭くよう指示したこと、サンボが証拠隠滅のために家のCCTVを壊してデータを抹消するよう警察署の内務安全保障局分遣隊副長に命じたことなどが次々と明るみになりました。

●性暴力被害者擁護の観点

この事件に関しては、様々なメディアで語られているので、事件の詳細や実刑について、これ以上触れるつもりはありません。ここで私が掘り下げたいのは、「性暴力を受けた」と法廷で涙ながらに話しながら、あらゆる質問に「知らぬ、存ぜぬ」で判事を呆れさせたプトゥリという女性と、Kompas TVのインタビュー番組 ”Rosi”(以下、ロシー)でプトゥリに関する意見を述べた性暴力被害者擁護の女性活動家Ratna Batara Munti(以下、ラトナ)氏の主張です。

性暴力を受けたことを訴えるプトゥリ(上)、Kompas TVのインタビュー番組“Rosi”に出演したラトナ氏(下)。(出所)上:https://jambi.tribunnews.com/2023/01/12/putri-candrawati-menangis-di-persidangan-pakar-mikro-ekspres、下:https://el-voice.com/index.php/2022/12/19/ratna-batara-munti-sebut-putri-candrawathi-adalah-otak-di-balik-pembunuhan-brigadir-j/

実際に、プトゥリはヨシュアから性暴力を受けたのか、それともヨシュアと不倫関係にあったのか、という点ですが、プトゥリは警察の取り調べの一環として「嘘発見器」に掛けられ、この二つの質問に対して「ヨシュアから性暴力を受けた」、「不倫関係にはない」と答えています。国家警察が所有する嘘発見器の正確度は93%で、プトゥリの結果は「−25(マイナスの数値が高いほど虚言率が高い)」と、被告人の中で最も虚言率が高い結果が公判で提示されました。不倫関係にあったのであれば夫に隠すのは理解できますが、なぜ「性暴力を受けた」と話さなければならなかったのか。虚偽のシナリオが暴露された後も、プトゥリは公判で「マゲランの邸宅で強姦された」と訴え続けています。本当に強姦されたのであれば、なぜヨシュアを殺すのではなく、訴えなかったのか、強姦された証拠を得るために、また妊娠や性病感染予防のためにもなぜすぐに産婦人科に行かなかったのか、それらの疑問が残ります。

性暴力被害者擁護の女性活動家・ラトナ氏は、インタビュアーのロシーから「何故、性暴力被害を主張するプトゥリを擁護しないのか?」と尋ねられ、「プトゥリの証言には信憑性が無い上に、今は被害者ではなく殺人計画を幇助した容疑者であり、“Obstruction of Justice”(司法妨害)の立場にあるからです」と話しました。一般的な性暴力犯罪では「力関係」の下の者が、上の者に対して性暴力を行うことはない(この場合、インドネシア警察の一つ星の高官の妻に対して、警察の役職の一番下のレベルである先任曹長が性暴力を加えるという力関係)とし、いかにプトゥリの立場が強いかについて説明しました。

そして、ラトナ氏はサンボとプトゥリの家族に8人もの警察の補佐官が付き人として勤務していることを批判しました。「この事件をもとに、私たち庶民は警察のシステムを知ることとなりました。行政手続が遅れがちなのは警察の人材不足だと聞いていましたが、サンボとプトゥリ夫妻には8人もの警察官が付いています。本来、彼らは国民のために仕事すべきなのに」と訴えました。

サンボとプトゥリの間には、4人の子どもがいます。21歳と17歳の娘、15歳の息子、そして養子の1歳半の男の子です。15歳の息子は、事件当時、中部ジャワのマゲランにある全寮制の士官学校に入っており、夫妻はマゲランにも豪奢な家を所有しています。頻繁に息子に会いにマゲランに行っているようで、プトゥリが性暴力を受けたとされる日も、プトゥリは2台の車にヨシュア、リチャード、リッキー、ドライバーのクワット、そしてメイドの5名を従えて(サンボは同行していない)、ジャカルタからマゲランに向かっています。公判でプトゥリは「ヨシュアは、私のドライバーに過ぎない」と話しています。

サンボ警察少将と8人の補佐官(上)、法廷でのサンボとプトゥリ(下)。(出所)上:https://www.tribunnews.com/nasional/2022/07/28/pengakuan-bharada-e-ajudan-irjen-ferdy-sambo-jelang-tewasnya-brigadir-j-sempat-tertawa-bersama、下:https://www.grid.id/read/043693188/pengacara-brigadir-j-terang-terangan-sebut-istri-ferdy-sambo-punya-hasrat-tak-tersampaikan-pada-yosua?page=all

少し遡りますが、2022年4月12日、インドネシアでは「性暴力を伴う犯罪行為(Tindak Pidana Kekerasan Seksual(以下、TPKS)に関する法律『TPKS法』が可決されました。TPKS法は、あらゆる形態の性暴力を予防・対処し、性暴力被害者を保護、回復させることを目的としています。

ラトナ氏は言います、「私は今まで多くの性被害のケースに携わってきましたが、一般の性被害者の場合、警察が直ぐに被害届を受理してくれることはありません。特に、TKPS法に関わるケースは警察も面倒がります。特に地方に行くとそれが顕著で、トラウマに悩まされる被害者が相談できる精神科医も殆どいない状況です。私は被害者の代理人として、地方の警察署に2回被害届を出し、2回とも却下されたことがあります。3回目に提出した際に、警察から言われたことが『被害者は既に大人だから受理できません』というものでした。被害者が未成年なら受理するが、成年の被害者は受け付けない、と」。

それに対し、警察はプトゥリの被害届をすぐさま受理し、加害者とされるヨシュアが既に亡くなっているにも関わらず、TKPS法が適用され、法医学専門家心理学者が呼ばれました。ラトナ氏は「地方には一般の精神科医にさえ診てもらえない被害者が多いのに、プトゥリには精神科医のトップである法医学専門家心理学者が採用されました。プトゥリに対する手厚い介護を知って、私は悲しくなりました」と話しました。

(以下に続く)

  • プトゥリが「黒幕」か
  • 夫が愛するインドネシア警察
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