よりどりインドネシア

2022年10月23日号 vol.128

ウィジ・トゥクルの娘(太田りべか)

2022年10月23日 11:37 by Matsui-Glocal
2022年10月23日 11:37 by Matsui-Glocal

9月7日は「インドネシア人権擁護活動家の日」とされている。人権擁護活動家で、「行方不明者と暴行被害者のための委員会」(KontraS)の設立者のひとりであるムニール・サイード・タリブが、2004年にシンガポールからアムステルダムへ向かうガルーダ航空機上で毒殺された日だ。

KontraSはインドネシア各地で起きている人権侵害事件を扱っているが、1998年に設立された当初からの主な活動のひとつは、スハルト政権下で社会活動家たちが拉致されて行方不明になったり殺害されたりした事件に関する調査だった。KontraSによると、1997年から1998年にかけて、当局の手により拉致された活動家は23名、そのうちの1名は死亡が確認され、9名は生還、13名は現在に至るまで消息不明だ。その行方不明者のうちのひとりが、『よりどりインドネシア』第84号(2020年12月22日号)の拙稿で取り上げた詩人ウィジ・トゥクル(Wiji Thukul)である。

ウィジ・トゥクルには子どもがふたりいる。1989年生まれの娘フィトリ・ンガンティ・ワニ(Fitri Nganthi Wani)と、1993年生まれの息子ファジャール・メラ(Fajar Merah)だ。ふたりが父親と最後に会ったのは1997年12月、ワニが8歳、ファジャールは4歳になったばかりのときだった。その後、帰らぬ父を待ちながらふたりは成長し、ファジャールはミュージシャンに、姉のワニは父の足跡を辿るようにして詩人になった。

今回は、このウィジ・トゥクルの娘フィトリ・ンガンティ・ワニの詩をいくつか見てみたい。

●父を待つ娘

ウィジ・トゥクルが行方不明になってから2年後の2000年6月、それまでに集めることのできたウィジ・トゥクルの全詩を収録した詩集 Aku Ingin Jadi Peluru(『俺は銃弾になりたい』)が出版された。冒頭で触れたムニールが、この詩集に序文を寄せている。そして詩集の最後には、地方文学再活性化運動(RSP)の機関誌に掲載されたウィジ・トゥクルのインタビューとともに、フィトリ・ンガンティ・ワニの詩 Pulanglah Pak(「帰ってきて 父さん」)が収録されている。

 

帰ってきて 父さん

家族みんなで待ってるから 父さん

友だちもみんな待ってるから 父さん

帰ってきて 父さん

父さんは知らないの

インドネシアが割れたことを 父さん

私たちの祖国の体に何本もパイプが打ち込まれたことを

……(略)……

ただ祈るだけで

待っていなければならないの

支配者は父さんを返して!

(フィトリ・ンガンティ・ワニ「帰ってきて 父さん」より)

 

帰らない父に呼びかける娘の率直な叫びだ。内容はまったく違うものの、父の詩集『俺は銃弾になりたい』の冒頭の Pulanglah Nang(「帰っておいで」)という子どもに呼びかける詩のタイトルと呼応している。

Fitri Nganthi Wani(https://bumirakyat.wordpress.com/2013/05/24/sehimpunan-potret-wiji-thukul-sebagaimana-dimuat-dalam-tempo/ より)

ワニは12歳のころから詩作を始めた。詩を書くだけでなく、それを人前で朗読する活動にも勤しんだ。2009年には最初の詩集 Selepas Bapakku Hilang(『父さんが消えてから』)が出版されている。同年6月16日に開かれた出版記念イベントには、他の行方不明者の家族や元大学生活動家や人権擁護活動家たちが大勢集まり、同窓会のような雰囲気だったという。弟の弾くギターを伴奏に、ワニは自作の詩を朗読した。歌手のイワン・ファルスも登場し、ワニの詩「帰ってきて 父さん」を歌にして披露した。

その後も詩作のほか、パンク・ロックバンドのスーパーマン・イズ・デッドとコンサートでコラボレーションするなどして、詩の朗読も精力的に行っている。

●ウィジ・トゥクルという十字架

2018年には詩集 Kau Berhasil Jadi Peluru(『あなたは銃弾になりおおせた』)を発表。この詩集のタイトルは、ウィジ・トゥクルの前述の詩集Aku Ingin Jadi Peluru(『俺は銃弾になりたい』)に呼応したものだ。ウィジ・トゥクルのこの詩集には、「銃弾のバラード」という詩が収録されている。

 

あの銃の先はどこだ?

俺は爆発とともに銃弾になりたい

おまえの額を探して おまえをくたばらせるために

……(略)……

(ウィジ・トゥクル「銃弾のバラード」より)

Aku Ingin Jadi Peluru

 

 

詩集『あなたは銃弾になりおおせた』の表題作で、父の言葉に娘は答える。

 

あなたは石頭の男

オルデ・バル時代の頑強な夢見人

意志も決意も揺るぎなく

あなたを止められるものはない

 

今あなたは知らねばならない

あなたは銃弾になりおおせた

あなたの望む方にまっしぐらに飛び

すべての的に命中した

でもあなたの知らないことがある

あなたのその銃弾のひとつが

わたしの心のうちをずたずたにしたことを

わたしの希望と力を奪い去ったことを

わたしの多くの時間を止めてしまったことを

わたしの涙をあふれさせたことを

わたしの子ども時代をやっかいなものにしたことを

 

あなたのその銃弾は

ほとんどわたしを殺しそうにもなった

わたしの度胸の木々を育て

かつておしゃまだったあなたの子は

たやすく萎れたりしない花になった

(フィトリ・ンガンティ・ワニ「あなたは銃弾になりおおせた」)

 

幼いころに理不尽な形で父を失っただけでなく、消息不明のままの父を待ち続ける日々を強いられ、さらにその父が名を広く知られる人物で、スハルト政権に対して異を唱え続けた活動家たちにとっては英雄的ともいえる存在だっただけに、ワニが「悲劇の英雄の父を待ち続ける娘」であることを四方八方から期待されながら育ったことは想像に難くない。父の存在と言動と父が残した作品は、ワニにとっては創造の源泉であると同時に、重い十字架でもあったのだろう。

他にも父の詩に呼応する詩をワニはいくつも書いている。たとえばウィジ・トゥクルの「俺の詩になんの価値がある」。

 

俺の詩になんの価値がある

弟が学校に行かないなら

学費をまだ払っていないから

俺の詩になんの価値がある

父さんのベチャが突然壊れて

お金で飯を買わねばならなくて

俺たちも食べていかねばならなくて

それでも食べるものがないとしたら?

……(略)……

俺の詩になんの価値がある

俺の書くものは何ヶ月も時間がかかり

俺はなにを与えることができる

俺たちを締めつける貧乏の中で?

 

俺はなにを与えたのだろう

詩の朗読の観客が拍手をしてくれたとしたら

俺はなにを与えたのだろう

俺はなにを与えたのだろう?

(ウィジ・トゥクル「俺の詩になんの価値がある」より)

 

この父の詩に対して、娘は「なんの価値がある、父さん?」で、こう応える。

 

あなたの詩になんの価値がある、父さん?

陰謀があなたの子と妻を襲い続けるなら

剽窃とあなたの消息をめぐって?

 

あなたの名になんの価値がある、父さん?

その名を介さなくても

わたしたちが生き延びていけるなら?

 

あなたになんの価値がある、父さん?

あなたを愛し続けているせいで母さんが病気がちになるなら

そしてわたしと弟がおたおたしながら

なにもかもを自分たちだけでするはめになるとしたら?

あなたの闘争になんの価値がある、父さん?

人権侵害の被害者と

わたしたちのこの物語を楽しむ人たちとの間の

舞台の縁がまだあれほど高いなら?

……(略)……

(フィトリ・ンガンティ・ワニ「なんの価値がある、父さん?」より)

 

けれどもこの詩は、父に対する失望の詩ではない。続けてワニは叫ぶ。「わたしは声をあげて反論し続ける『価値がある!』と」。そうして娘は死に物狂いで父を擁護し、「あなたは最高だ」と言い続け、父の英雄譚を広め続けると主張する。そしてこの詩をこう締めくくる。「ただわたしたちだけが わたしたちのことを ほんとうに理解することができるのだ!」

この詩は2014年、ワニが25歳になる前の作だが、幼いころから決して容易でない立場に立たされてきた詩人の気概が見てとれる。

Kau Berhasil Jadi Peluru

2020年に出版されたワニの詩集 Jangan Mati Sebelum Berguna(『役に立つ前に死んではいけない』)に収録されている2016年作の詩「強盗たちに牛耳られたとある国」には、こんな二節がある。

 

この肩はすでに痺れ

過去の衝撃を担いで

それでも口を閉ざされ

口を開けることもできず息詰まる

 

ほんとうのところ わたしはシモンじゃない

進んで運動の先達たちの十字架を背負おうとした

だって彼らは イエスではないから

自分の十字架を返してほしいと頼むイエスではないから

(「強盗たちに牛耳られたとある国」より)

 

ワニの背負わされてきたものの重さを思う。

(以下に続く)

  • 愛の成熟
  • 待ち続ける日々

 

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