よりどりインドネシア

2022年08月08日号 vol.123

いんどねしあ風土記(37)ミナンカバウ物語:現代に生きる母系社会とムランタウ ~西スマトラ州パダンパンジャン~(横山裕一)

2022年08月08日 19:37 by Matsui-Glocal
2022年08月08日 19:37 by Matsui-Glocal

多彩なパダン料理で有名なインドネシア西部、西スマトラ州のミナンカバウ民族。世界でも珍しい、母方の血筋で血縁集団が形成される「母系社会」を現代に引き継いでいる。また男性は大人になると故郷を離れて生業の成功を模索する「ムランタウ」という習慣を持ち、全国各地でミナンカバウ民族が活躍している。数百年続くと言われる伝統的な母系社会とムランタウの習慣は現代社会の変化に伴い形を変えつつも、いまだにミナンカバウ民族の人々によって受け継がれ、故郷への想い、つながりを強めている。あるミナンカバウの家族を通して、現代の母系社会とムランタウの姿を追う。

●パダンパンジャンでの新築祝いにて

2022年7月下旬、西スマトラ州の山岳部の盆地にある街・パダンパンジャンの街道沿いで、ある家族の新築祝いが行われた。祝いには10人兄弟姉妹(うち一人は死去)のうち5人が集まった。彼らはパダンパンジャン出身でありながら仕事などのために首都ジャカルタや隣州のリアウ州プカンバルに移り住んだ兄弟姉妹たちで、現在パダンパンジャンに住んでいるのは長女アディさんだけである。

新築祝いの様子(写真上)と集まった10人兄弟姉妹のうち5人。左から四男アルフィさん、四女リタさん、長女アディさん、次女ヘレナさん、六男アルデスさん(写真下)

新築した家は長女の家の隣で、かつて亡き祖母が住んでいた家でもある。両親もすでに亡くし、兄弟姉妹のほとんどが故郷を後にしてしまったため、兄弟姉妹とのつながりを故郷で深め、維持する拠点を設けることが家を建てた目的である。次女と四女の姉妹が主に出資をしている。ここにも祖母から母、母から娘へと財産が引き継がれるミナンカバウ民族の母系社会の風習が見受けられる。新築祝いにも家族で出席したジャカルタ在住の四女のリタさんはこう話す。

「兄弟姉妹も含め、私の娘たちがミナンカバウ民族でありながら故郷との結びつきを失っていたのですが、この家ができたことで故郷での拠り所を持つことができて安心しました」

リタさんは将来の娘の子供、孫娘の代でもこの新しい家が故郷とのつながりの要となってくれることを望んでいた。

新築祝いには地元の親戚や友人、近所の住民ら300人以上が訪れ、家の安全を全員で祈った後、二日前から仕込みを始めたパダン料理が振る舞われた。大テントが張られた玄関前では、訪問客らによるカラオケも余興として行われ、新築祝いは昼前から夕方の礼拝が始まる午後6時頃まで賑やかに続いた。

新築祝いで振る舞われたパダン料理

家の新築にあたっての提案や、家具をはじめ扉や手摺りなど家財の調達、さらには作業進行の管理などに奔走したのが10人兄弟姉妹の六男で末っ子のアルデスさんだ。アルデスさんは1971年パダンパンジャンで生まれた。10人兄弟姉妹の一番下だけに、アルデスさんは母親にとっては49歳時の子供だったという。当時は市街地の中心部に自宅があり、小学校の頃から高齢の母親の代わりに近くにある市場へ買い物のおつかいをよくしていたという。料理も手伝っていたので、ルンダン(牛肉をココナッツミルクと香辛料で煮詰めた料理)などパダン料理は今でも得意である。彼は当時を振り返りながら次のように話す。

「母は教育熱心で、将来苦労したくなければ勉強しなさいとよく諭されました」

中学卒業後、両親がジャカルタへ移転するのに伴い、アルデスさんは西スマトラ州の隣、リアウ州プカンバルに住む兄の元から高校に通った。その後、西スマトラ州に戻って州都パダンで大学生活を、さらに修士課程取得のためオーストラリアでの留学を経てジャカルタで就職し、結婚後もジャカルタ在住で現在に至る。ミナンカバウ民族には「ムランタウ」と呼ばれる、成人男性が故郷を離れて他の地を拠点に生業に就く伝統習慣があるが、彼もその一人である。

新築祝いには思いもかけず亡き母の従姉妹にあたる叔母も出席した。アルデスさんにとっては中学卒業でこの地を離れて以来だった。実に35年ぶりの再会でお互い涙した。アルデスさんは感慨深げに話した。

35年ぶりの再会で叔母と抱き合う六男アルデスさん

「本当に家ができてよかった」

アルデスさん達のように、故郷パダンパンジャンを長く離れ、いわゆる「ムランタウ」を続けていながら、いまだに故郷に強い想いを抱き続けているのは、兄弟姉妹の結びつきを含めた母系社会のつながりの強さゆえともいえそうだ。それはミナンカバウ民族の歴史が培った伝統風習が大きく影響している。

●ミナンカバウ民族の歴史

ミナンカバウ民族はスマトラ島やマレー半島などに広く分布するムラユ民族から派生したといわれている。独自のミナンカバウ語を話すがムラユ語と共通した部分も多い。ミナンカバウ民族の王国として最も繁栄したのがパガルユン王国(1347~1825年)で、王宮の置かれた中心地は現在の西スマトラ州の州都パダンのある海岸線とは異なり、山岳部の盆地が広がる高地、タナダタルにあった。スマトラ島特有の肥沃な土壌と赤道のほぼ直下ながら夜間は気温20度を割る気候の下、農作物栽培にも適し栄えたものとみられる。領土は現在の西スマトラ州、それに隣接するリアウ州の一部に及んだ。現在も残されている王宮は過去に何度か焼失、再建されているが17世紀の建築とされていて、ミナンカバウ伝統建築特有の左右対称で水牛の角をかたどった独特な屋根の形状を持つ。その威容は当時の王国の繁栄ぶりを窺わせる。

パガルユン王国の王宮(Istano Basa Pagaruyung、西スマトラ州タナダタル)

ミナンカバウの名前の由来は諸説あるが、ミナンカバウの歴史や風俗・伝説をまとめた歴史書「タンボ・ミナンカバウ」(Tambo Minangkabau)に記載された伝説が有名だ。それによると、16世紀頃、パガルユン王国にジャワからマジャパヒト王国の軍隊が遠征し、戦争で双方とも多くの犠牲者を出した。このためパガルユン王国の住民の提案で戦争の代わりに闘水牛で勝敗を決することになった。

大きく勇猛な水牛を選んだマジャパヒト軍に対し、パガルユン王国はまだ乳飲み子の子水牛を戦いに挑ませた。結果は大きな水牛が気を許した隙に、乳を求めるように腹に潜り込んだ子水牛がツノを突き立て、パガルユン王国が勝利した。ここから「ミナン」(勝利の意味)「カバウ」(水牛の意味)と民族の名前が生まれたとされている。

パガルユン王国ができた後、この地にもイスラム教が伝播し始め、17世紀にはイスラム王国になった。以来、イスラム教が国を治めるだけでなく、人々の生活慣習の指針における重要な要素となった。現在でもミナンカバウ民族の哲学として使われる諺、「この世の営みは人間と神との関係のもとづき、人間と神との関係はコーランにもとづく」が如実に表している。現代でもミナンカバウ人と名乗る人々はほぼ百パーセントイスラム教徒といってもいいほどである。

19世紀に入って、イスラム王国として栄えたパガルユン王国に転機が訪れる。1803年から起きたパドゥリ戦争だ。同地での伝統的な習慣や風習をよりイスラム色の強いものにしようとする一部のイスラム指導者たちによる運動が高まり、ついにはパガルユン王を王宮から追い出すまでに至る。パガルユン王は当時、スマトラ島での植民地化を進めようとするオランダに助けを求めたが、これを機に王国は弱体化を進め1825年に滅びる。一方、オランダはミナンカバウ民族地域の植民地化を確立することになった。

オランダは出荷のための港がある海岸沿いのパダン(現在の西スマトラ州州都)に植民地政府を置いたが、石炭など物資の運搬のためパダンを拠点に北部のブキティンギ方面や隣州の都市(現在のリアウ州プカンバル)などへの交通の要衝となるパダンパンジャンをも重要な拠点として整備を進めた。このため1942年の日本軍侵攻の際、パダンパンジャンは戦略的に重要な攻撃目標となり、数万人の住民が殺され、多くの伝統家屋が焼き払われたという。

●ミナンカバウの母系社会とムランタウ

ミナンカバウ民族の大きな特徴は、世界でも珍しい母方の血筋で血縁集団が形成される「母系社会」と成人男性が故郷を離れて生業を求め、成功を模索する「ムランタウ」の習慣である。「母系社会」は中国やインド、アフリカなどの少数民族にもあるが、ミナンカバウ民族が世界最大の母系社会を維持する民族である。2010年の国勢調査によると、ミナンカバウ民族は約646万人。特徴的なのは約3分の1の200万人余りがジャカルタや各地の都市をはじめマレーシアに至るまで、西スマトラ州以外に分布していることである。これは「ムランタウ」の習慣によるものとみられる。

「母系社会」のシステムは、子供は母方の血縁に属し、父親は自らの母方の血縁に属する。つまり夫婦や家族であっても夫だけは妻や子供とは別の集団に属することになる。血縁集団が共有する先祖代々の田畑などの土地や財産は、母親から自分の娘や姉妹の娘(姪)へと相続される。こうした相続権を背景に、ミナンカバウ民族では母親にとっての「娘」は「実の娘」に加え、姉妹の娘、いわゆる「姪」も含まれる。

子供は母方の血族に属するため、子供の扶養責任も父親ではなく、母親の男兄弟、つまり叔父が甥や姪の面倒をみる。父親は自分の子供の養育に責任を持たない代わりに、自分の血のつながった姉妹の子供である甥や姪の扶養責任を持つ。このようにミナンカバウ民族では母方を通した「叔父と甥、姪」の関係が重要なファクターとなる。ただし、近代化、核家族化の進んだ現代では、両親が子供を養育するようになっている。さらに各家庭で築いた新たな財産は直接自分の子供たちに分与している。こうした変化は主に1950〜60年代になってからだといわれている。しかし代々受け継がれてきた慣習から、「叔母、叔父」と「甥、姪」のつながりの意識は現在も強く、自分の子供に加えて甥や姪をも「自分の子供」と口に出して表現することが多い。

母方血族の共有財産の所有権、相続権は女性にあるが、共有財産の維持・管理や運営は男性の役割である。この役割を果たすための血族内での取りまとめ役が「プンフル」(Penghulu)と呼ばれる役職で、プンフルの下に「ダトゥッ」(Datuk)と呼ばれる役職につく者が複数名いて、作物の生産管理、伝統家屋の修理をはじめ血族内での争い事などをそれぞれ担当する(プンフルやダトゥッの名称は地域によって異なる場合がある)。

このように母系を中心に結束を固めるとともに、共有財産の所有権や相続権と、その運営権を女性と男性とに振り分けることで、母系社会は共有財産を減らすことなく安全に維持、さらには子孫にも財産を保障するシステムを作り上げている。「氏族、血族の共有財産は売却してはならない」という概念もミナンカバウ民族の母系社会では浸透している。

西スマトラ州に行くと「ナガリ」という言葉をよく耳にするが、これは現在の村に相当する、パガルユン王国時代の行政単位である。現在の村の行政範囲とは若干異なるものの、先祖代々氏族・血族で土地を受け継いできたため、現在でも住民は通常の住所とともに「ナガリ」による区分意識を強く持っている。

また、インドネシア人の多くは日本でいう姓は持たないが、ミナンカバウ民族は姓にあたる氏族名を持つ。氏族名は主に「コト」「ピリアン」「ボディ」「チャニアゴ」の4つで、各氏族から派生した氏族名が数多く存在する。各村「ナガリ」には複数の氏族が共存している。

冒頭のアルデスさんの出身地であるパダンパンジャンを中心とした地域には、3つのナガリがあり、アルデスさんは「グヌアン」という名前のナガリ出身で、複数ある「コト」氏族の一つ、「コト・バラナム」氏族に属する。コト・バラナム氏族内には合わせて11人の取りまとめ役である「プンフル」がいる。

そのプンフルの一人がデルフィアンさんで、アルデスさん兄弟姉妹の新築祝いの催しにも氏族のプンフルとして出席している。開始1時間前には会場に来て、催しが終了するまで、出席者一人一人と会話を続けていた。氏族の交流を維持する意図もあったようだ。

新築祝いで家族らと祈るプンフルのデルフィアンさん(右端)

州警察長官就任時にタナダタルの王宮に各地から集まったプンフルたち(2022年)

プンフルの地位について、デルフィアンさんはこう話す。

「かつては氏族内の全ての問題を解決してきました。プンフルはまさに氏族や血族内の王に相当するようなものでした」

パガルユン王国時代は王国自体が「ナガリ」(村)の集合体で、各ナガリにいる各氏族・血族内のプンフルが刑罰も含め行政の最小単位として機能してきたという。プンフルが氏族・血族内の王に喩えられるならば、その下で共有財産管理や農産物管理、家屋補修など各担当を担う複数のダトゥッが大臣に相当するシステムだ。氏族間の問題も双方のプンフルで解決し、ナガリ(村)全体の問題も各氏族から集まったプンフルの合議で決められた。現代でこそ行政、治安、刑罰などはインドネシア政府が行うが、それ以外の氏族内のさまざまな取りまとめや相談は冠婚葬祭、伝統儀式の立ち合いも含めプンフルが実務として行なっているという。

プンフルやダトゥッの継承も母系社会に基づいて、本人の姉妹の息子、つまり母系の甥の中から選ばれる。その他の選考基準としては候補者の人となりに加えて伝統慣習とイスラムへの理解度が問われ、氏族内の全プンフルやダトゥッの承認が必要となる。これらの会合や就任の儀式などに現在では約百万円もの費用が必要で、就任するには社会的、経済的な地位も条件となる。それだけに代々プンフルやダトゥッを受け継ぐ血族は貴族的な地位としてみなされ、就任者は血族内で代々受け継いだ爵位を与えられる。このため、現代でも氏族の人々はプンフルやダトゥッに一目置いている。このようにミナンカバウの世界では、インドネシア政府による行政下ながら、王国時代から続く母系社会に基いた氏族を重視した社会が現代においても人々の意識に根強く持ち続けられている。

(以下に続く)

  • 伝統家屋「ルマ・ガダン」から見た母系社会とムランタウ
  • 現代の母系社会とムランタウ~母系3世代物語
  • ジャカルタの空の下で
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