よりどりインドネシア

2021年11月22日号 vol.106

闘う女性作家たち(1)―オカ・ルスミニー(太田りべか)

2021年11月22日 23:42 by Matsui-Glocal
2021年11月22日 23:42 by Matsui-Glocal

昨年11月に開催されたUbud Writers and Readers Festival: Kembali 2020で、インドネシア教育文化省言語育成振興局が発表した2020年度の文学賞受賞候補者について、数人の作家が言及していた。2015年~2020年に出版された作品の作者数十人に及ぶ候補者のなかに、女性作家がひとりも入っていなかったという。同局のサイトを見てみると、たしかに詩、小説、短編小説、文学評論・随筆、戯曲の5部問各5名ずつ(短編小説のみ4名)、合計24名の中に女性の名前はない。

審査員のひとり(女性)によると、選考基準は男女同じなので、候補者に残らなかったのは、女性作家の作品でその基準をクリアしたものがなかったからだ、ということらしい。

上記のフェスティバルKembali 2020にスピーカーとして登壇していたバリ在住の女性作家オカ・ルスミニは2003年と2012年に同賞を受賞しているが、この審査員のコメントに触れて、「選考基準が男女同じなのは当然だけど、これではこの5年間、まるで女性がなにも書いていなかったみたいじゃないか」と話していた。

文学賞の受賞者に男女比を決める必要などまるでないのはいうまでもないが、やはり過去5年間に注目に値する女性作家の作品がひとつもなかったというのは、あまりにも不自然だと感じる人がいて当然だろう。ちなみに、2021年度の同局による文学賞候補者25名の中には女性作家も数人あり、短編小説部門の受賞者は女性だった。

一般読者の目からすると、ここ数年の女性作家の活躍には目覚ましいものがある、という印象だ。これから数回にわたって、そういう女性作家たちの作品のごく一部をここで紹介していきたいと思う。

タイトルを「闘う女性作家たち」などとしてみたが、別に皆がフェミニズムを標榜しているわけではないし、女性の権利を声高に主張しているわけでもない。ただ、人生の中でさまざまな方法でしなやかに闘いながら魅力的な作品を書いている女性作家数人を例として、その魅力の一部なりとも知っていただけたら、というだけである。

第1回目は、上述のオカ・ルスミニを紹介したい。

●略歴

本名イダ・アユ・オカ・ルスミニ(Ida Ayu Oka Rusmini)。1967年ジャカルタ生まれ。デンパサール在住。小説家、詩人、児童文学作家、コラムニスト、ジャーナリスト、編集者。

高校生のころから詩作を始める。はじめて出版された詩集は“Monolog Pohon”(『木のモノローグ』、1997年)。代表作の小説“Tarian Bumi”(『大地の舞』、2000年)は英語、ドイツ語に翻訳されている。

インドネシア教育文化省言語育成振興局文学賞(2003年と2012年)、タイ政府による東南アジア文学賞(2012年)など、内外の文学賞を多数受賞。国内の文学フェスティバルだけでなく、ドイツ、イタリア、シンガポール、韓国、オーストラリアなど各地の文学フェスティバルにスピーカーとして招かれている。

カースト制などを含むバリの社会・文化を背景に生きる女性を描いた作品が多い。

1990年以来、『バリ・ポスト』紙の記者としても活動。いくつかのオンライン・メディアでコラムなども執筆している。

オカ・ルスミニ(https://www.ubudwritersfestival.com/writers/oka-rusmini/より)

カースト制の中で

バリのヒンドゥー教徒の間には今もカーストが根付いていることはよく知られている。オカ・ルスミニはジャカルタ生まれだが、バリ人で、名前に「イダ・アユ」がついているところから、カーストはブラフマナ(司祭階級)であることがわかる。インドのカースト制と比べると、バリのものはそれほど厳格ではないといわれているが、カーストに対する意識はバリ人の中には根強く残っているように見受けられ、カーストの違う人どうしの結婚などは、今でもさまざまな困難があるのではないかと想像できる。オカ・ルスミニの代表作“Tarian Bumi”(『大地の舞』)は、そんなカースト制の中で生きる女性たちを描いた小説だ。

“Tarian Bumi”

主人公のイダ・アユ・トゥラガ・ピダダはブラフマナ階級に生まれた美貌の娘で、舞踊にも優れ、多くの人々の憧れと羨望の的だった。トゥラガの父はブラフマナだが、母はスードラ(平民)出身だった。

母ルー・スカル(Luhは平民の女性の呼称)は、貧しい家庭に生まれた。9歳のころ、父が行方不明となる。なにか妙な政治運動に関わったらしい。共産党員だという噂が立ち、残されたルー・スカルと母も村八分的な扱いを受けるようになった。母は野菜などの栽培と豚の飼育でなんとか生計を立てていたが、あるとき複数の男に襲われ、両目を潰されて失明してしまう。さらに妊娠させられたことも発覚し、若いパイナップルを大量に食べて堕胎を試みるが、やがて親切な助産師の助言で堕胎を諦め、双子の女の子を産んだ。

母が盲目となってしまったために、一家の生活はまだ10歳のルー・スカルの両肩に重くのしかかった。さすがに同情してなにくれと助けてくれる人々もあって、なんとか母と双子の妹たちを養っていくうちに、ルー・スカルは踊り子になるという野心を持つようになる。やがてその野望を叶えると、持って生まれた美貌と踊りの才能とで、ルー・スカルはたちまち頭角を現した。次なる野望はブラフマナの男と結婚して、惨めな生活から抜け出すことだった。この野望も、いつも胸元にだれよりもたくさんチップを押し込んでくれるブラフマナの男に見初められ、ついに叶えられたのだった。

ブラフマナ一族の家に住むようになって、ルー・スカルの生活は一変した。まず自分の名を捨てねばならず、クナンガという名を与えられた。そしてブラフマナの男の妻になったとはいえ、イダ・アユと呼ばれることはなく、「ジェロ」(Jero)と呼ばれて、一族の中でも身分の低い者として扱われた。

実家に帰ると、ブラフマナの女性になったということで、母や妹とたちとこれまでのように接することは許されず、母には、もう別のカーストの人間になってしまったのだから、あまり里帰りしてきてはいけないと諭される。その母が川で溺れ死んでいるのを発見されたときも、母の遺体を清めることはおろか、触ることさえ許されなかった。

ジェロ・クナンガの夫はイダ・バグスの呼称を持つ歴としたブラフマナだったが、無能でだらしない、ただの女好きだった。妻のふたりの妹まで情人にしたあげく、売春宿で命を落とす。呪われたスードラの女を妻としたばかりに息子は早死にしたのだ、と憤る姑のいじめにも耐え、ジョロ・クナンガはひとり娘のトゥラガにすべての望みを託して育てる。

母の望み通り、トゥラガは美しく、抜きん出た踊りの才能を持つ娘に成長した。あとはブラフマナのしかるべき男性と結婚させることだけが母の願いだった。ところがトゥラガは、祖父のところに出入りしていたスードラの若い画家ワヤンと恋に落ち、やがて妊娠、家を捨ててワヤンと結婚した。

暮らしは貧しく、義母と義妹に嫌味を言われ続ける毎日でも、ワヤンといっしょにいられればトゥラガは幸せだった。だが、その幸せも長く続かず、屈強そうに見えても実は生まれつき心臓に問題を抱えていたワヤンは、ある日突然倒れて、妻と幼い娘を残して帰らぬ人となった。

呪われたブラフマナの女と結婚したがために息子は死んだのだ、と義母に罵られながらも、トゥラガは婚家から出ようとはせず、供物の菓子を作って売る義母を手伝いながら、娘を育てる。聡明な少女に育った娘は、そんな母を見て「大きくなったら、働いて、お母さんがおばあちゃんのところから出て行けるようにしてあげる」と言うようになる。

やがて、婚家で経済的に困窮した義妹が、不幸が次々と起こるのはトゥラガが正式にブラフマナの身分を捨てる儀式Patiwangiをしていないからだと言い出した。スードラの女として生きていく娘のことも思って、トゥラガは実家へ戻り、Patiwangiの儀式を受ける。

●パティワンギ

「パティワンギ(Patiwangi)のpatiはmati(死)、wangiはkeharuman(香り高いこと)。パティワンギは、貴族の女性がより低い身分の男性と結婚した場合、その貴族としての属性を剥奪するためにデサ(寺院を中心として形成される村)の寺院で行われる儀式。この儀式は貴族の女性に心理的打撃を与えることが少なくない」

オカ・ルスミニは、詩集“Patiwangi”の中でそう説明している。『大地の舞』の中のこの儀式では、貴族の属性を剥奪される女性の頭頂を貴族の女性が踏むという動作が描かれる。

詩集“Patiwangi”

バリのカースト(カスタ)では、ブラフマナ、サトリア、ウェシアの三階級が貴族、スードラが平民とされているらしい。貴族の男性が下の階級の女性と結婚した場合、男性の階級は変わらず、女性は男性の階級の一員となるものの、Jeroと呼ばれて一段下の者として扱われる。一方、貴族の女性が下の階級の男性と結婚した場合、女性は貴族の身分を捨てなければならない。

ちょっと日本の皇室の制度と似ている。もっとも皇族の女性にとって、皇族という身分を離れることが必ずしも心理的痛みを伴うものではなく、むしろ自分の人生を始めるための出口として待ち望まれているものなのかもしれないということを、私たちは目撃したばかりだが。

いずれにせよ、こういう制度や慣習が男性主導で作られた男性のためのものであることを、あらためて思わずにはいられない。

この小説がいつの時代を背景としているのか説明されていないが、ルー・スカルの父親が行方不明となったのが1965年の政変後の共産党員狩りが原因だったとすると、そこから1990年代あたりまでを想定しているのだろうか。(この小説の初版が発行されたのは2000年だ。)このパティワンギのような儀式は、今もなお行われているのだろうか?

(以下に続く)

  • 居場所を探し求める女たち
  • 女の視点、男の視点
  • 「文学は実学である」

 

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