よりどりインドネシア

2021年11月22日号 vol.106

パプアで国体が開かれた意味(松井和久)

2021年11月22日 23:40 by Matsui-Glocal

インドネシアの国民体育大会(国体)は国家スポーツ週間(Pekan Olahlaga Nasional: PON)と呼ばれ、4年に1回開催されてきました。直近では、2021年10月2~15日、第20回大会がパプア州の州都ジャヤプラ市をメインに開催されました。当初、2020年開催の予定でしたが、新型コロナ禍で1年延期されたものです。ジャヤプラ市以外に、ジャヤプラ県、メラウケ県、ミミカ県でも競技が行われました。

パプア国体の開会式でメイン競技場に打ちあがる花火。(出所)https://www.kompas.com/tren/read/2021/10/03/133100465/mengintip-kemegahan-stadion-lukas-enembe-venue-pembukaan-pon-xx-papua?page=all

今回のパプア国体では、エグゼビジョンのeスポーツを含む56種目(当初は47種目)に7,039人の選手が参加しましたが、開催州のパプア州からは州別で最多の923人が参加しました。

なお、国体の1ヵ月後に国体と同じ開催地でパラ国体が開催されました。今回は11月2~15日、13種目に2,150人が参加し、ジャヤプラで開催されました。

これまでの大会開催地をみると、過去20回のうち9回が首都ジャカルタで開催されました(うち1回は中止)。ジャカルタ以外では、バンドゥンとスラバヤが2回ずつで、他ではソロ、メダン、マカッサル、パレンバン、サマリンダ、プカンバル、そして今回のジャヤプラが各1回ずつでした。注目されるのは、中央集権だったスハルト時代の1973~1996年の国体は、すべてジャカルタで開催されたことです。

国体の開催には当然、多額の費用負担が伴います。このため、資金的に余裕があり、設備の整ったジャカルタで頻繁に開催されることは納得できます。また、バンドゥン、スラバヤ、メダン、パレンバンなどの地方中心都市や、資源関連企業のスポンサーシップが期待できるサマリンダやプカンバルで開催されるのも理解できます。

ところが、今回の開催地は、常に「開発の遅れた」と形容されるパプア州でした。もちろん、パプア州にもフリーポート社など資源関連企業があり、スポンサーシップも発揮されたのですが、地域経済自体でみると、それまでの開催地に比べてあまりに脆弱であることは明らかです。

そんなパプア州で開催された今回の国体でしたが、新型コロナ禍の影響はあったものの、大きな問題も露呈せず、無事に終了しました。パプア州にとって、この国家の一大イベントを開催できたことは大きな誇りとなったことが想像できます。

パプア国体のロゴ。(出所)https://www.suara.com/sport/2021/10/05/004239/tuan-rumah-raih-32-emas-sejarah-tercipta-di-pon-papua

それにしても、どうして今回、国体がパプアで開催されるに至ったのでしょうか。国体開催に合わせて、パプア州ではどのようなインフラ整備が進んだのでしょうか。そして、インドネシアにとって、パプアで国体が開催された意味は何なのでしょうか。今回は、こうした点について、考えていきますが、その前に、インドネシアの国体の歴史について、簡単に触れたいと思います。

●インドネシアの国体略史

インドネシア国体のルーツは、オランダ植民地時代の1938年、サッカー協会など各種競技協会の統括機関としてソロで設立されたインドネシア・スポーツ協会(Ikatan Sport Indonesia: ISI)の「ISIスポーツ週間」(ISI Sportweek)に遡ります。日本軍政下では、1943年10月に日本の武道を加えたジャワ体育会が設立されました。

独立宣言後の1946年、インドネシア共和国オリンピック委員会(Komite Olimpiade Republik Indonesia: KORI)の支援でインドネシア共和国スポーツ連合(Persatuan Olahraga Republik Indonesia: PORI)が設立され、1948年のロンドン夏季五輪への参加を目指していました。しかし当時、インドネシアはまだ独立国として国際的に認知されておらず、国際オリンピック委員会にも加盟していなかったため、ロンドン夏季五輪への出場はできませんでした。このため、1948年5月1日にソロでPORIの緊急会議が開かれ、かつての「ISIスポーツ週間」のような五輪出場に代わる大会を開催することを決定しました。

しかし、当時のインドネシア共和国は、オランダとの独立戦争中であり、1948年1月に調印された米国などの仲裁によるレンヴィル協定により、共和国の範囲はジャワ島中部と西端、及びマドゥラ島に限定されていたため、1948年9月8~12日にソロで開催されました。これが第1回国体と位置づけられました。第1回大会では13種目、600人が参加しました。

その後、1951年(ジャカルタ)、1953年(メダン)、1957年(マカッサル)、1961年(バンドゥン)と開催された後、1965年(ジャカルタ)は9・30事件の影響で中止となりました。スハルト時代になって、1969年(スラバヤ)の後は、1973年、1977年1981年、1985年、1989年、1993年、1996年はすべてジャカルタで開催され、そのすべてでジャカルタが常に優勝しました。

スハルト時代の後は、2000年(スラバヤ)、2004年(パレンバン)、2008年(サマリンダ)、2012年(プカンバル)、2016年(バンドゥン)と開催され、今回、新型コロナ禍による1年遅れで2021年にパプアで開催されたのでした。ちなみに、過去20回のうち、優勝した州はジャカルタが11回、西ジャワが5回、東ジャワが2回、中ジャワが1回、となっています。

なお、次回2024年の第21回大会の開催地は、2017年4月24日、アチェ=北スマトラに決定、初めて複数州での開催となりました。

パプア国体の開会を宣言するジョコウィ大統領。(出所)https://www.cnnindonesia.com/nasional/20211003082404-20-702656/buka-pon-jokowi-singgung-kemajuan-infrastruktur-papua

(以下に続く)

  • パプア国体開催までの経緯
  • 新型コロナ対策と治安対策など
  • パプア国体開催のパプア州への効果
  • パプア国体開催の意味は何か
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