よりどりインドネシア

2021年11月22日号 vol.106

ジャカルタ寸景(5):20年越しの屋台餃子(横山裕一)

2021年11月22日 23:42 by Matsui-Glocal

●中華街の青空餃子

1998年、初めてジャカルタに赴任した当時、インドネシア在住約十年の友人の案内で、ジャカルタの中華街、コタ・グロドック地区の青空餃子を堪能したことがある。ちょっとした空き地にカキリマ(リヤカー様の移動式屋台)が多数集まり、麺や肉まんなど中華街らしく中華系の料理を出していた。

そのなかの一つに餃子屋台があった。注文すると皿に大振りの餃子が数個並んでいた。密集する屋台の隙間に置かれた木製の長椅子の一つに座り、脇に餃子の皿を置いて一つ頬張ると、口の中で肉汁が溢れた。あっという間に食べ終え、強い日差しのため汗だくで改めて周りを見ると、昼食時を過ぎているにも関わらず屋台の広場は人で賑わっていた。これぞ東南アジア、とくにインドネシアの露天屋台の醍醐味だと感じられた。

それから約15年後。再びジャカルタに住みだしてからあの青空餃子の味が忘れられず何度か探したものの、屋台街のあった広場が見つからない。場所を記憶違いしていたかと諦めながらも気になり続けていた何年か後のある日、どうやらそれらしい店があるという情報を得て、再度夕方出かけてみた。

ジャカルタ北部にある中華街コタのグロドック地区。パンチョラン通りに沿って中華食材の伝統市場などを抜けてさらに奥へ進むと、漢方薬や中華菓子の店が並ぶ。記憶にあるかつての場所かとも思われたが、やはりあの広場はない。きれいに舗装された道路があるのみだった。

●山東餃子

陽はすでに落ち、薄暗くなったなかをさらに進むと、一番奥に煌々と明かりの灯った店が見えてくる。立派に掲げられた看板を見ると、漢字で「山東餃子」の文字。「山東餃子スーキアウ68」が店名のようだ。看板には「餃子王将」とまである。店先では職人たちが慣れた手つきで餃子の皮に具材を詰めていた。

「山東餃子」の看板(写真上)と店先で職人らが作る餃子(写真下)

空腹だったことを思い出し、とりあえず店に入る。綺麗な店内はクーラーが心地よい。かつて青空の下、汗をかきながら食べた記憶からすると本当にこの店があの屋台だったかは疑わしい。席に着き、焼き餃子を注文してから店先へ。

店先では餃子職人も休憩らしくそれとなく会話を始めると、餃子職人歴25年だという。彼が何か知っているかもしれないと思った矢先、その職人がおもむろに店の前の通りを指差して話し出した。

「以前はねぇ、店の前のここが広場になっていて、この店も2台のカキリマ(移動式屋台)でやってたんだよ」

「それだ!」思わず、大声が出た。まさに記憶違いではなく、街が変わり、店が変わっていたのだ。大声を出してしまった理由を話すと、職人は笑いながら、

「そりゃうちだよ」

職人によると、亡くなった先代オーナーの故郷が中国・山東省で、ジャカルタで故郷直伝の餃子を屋台から始めてすでに40年が経つという。屋台広場は道路整備に伴ってなくなったため、かつての広場脇に新しく店を構えたのだった。

かつて屋台広場のあった場所。「山東餃子」店舗は写真左奥(2021年9月撮影)

テーブルに戻ると、そこには5個ずつ2列に並んだ焼き餃子が。早速一口。

「あつつ・・・」

火傷しながらも口の中に20年前の味が蘇る。時は流れ、街や店は変わっても、餃子の味は変わらないようだった。

「山東餃子」(Santong Kuo Tieh)の焼き餃子

(その後、この話をすると・・・・・・)へ続く

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