よりどりインドネシア

2023年08月07日号 vol.147

スラウェシ市民通信(5):一発即死 ~トラジャの闘鶏「パラミシ」(2007年5月翻訳)(アンワル・ジンペ・ラフマン/松井和久訳)

2023年08月07日 22:40 by Matsui-Glocal
2023年08月07日 22:40 by Matsui-Glocal

最初に「闘鶏を見ようぜ」と誘ってくれたのは、タナ・トラジャ県のマカレ中央市場のあたりに住居兼店舗(訳注1)を持っている友人のアディだった。彼は「警察が摘発にやってきたときに、闘鶏の観客と鶏の持ち主がどれほどあわてて逃げ回るか」という話を得意になってしてくる。

(訳注1)二階以上は住居(rumah)、一階は店舗(toko)という建物で、両者を組み合わせて短縮化したルコ(ruko)と呼ばれる。南スラウェシ州マカッサルは別名「ルコの町」と称されるほどである。

それに対して、私には「まあそんなものか」という感想しかなかったし、真面目に反応する気も起こらなかった。いつものことじゃないか、と心のなかでつぶやいていた。

だって、高校生の頃、友人と一緒に、ラッパン(Rappang)(訳注2)の川のほとりで行われる闘鶏をよく観に行ったものだから。今回誘ってくれたのはアディで、たしかに彼は闘鶏マニアの一人だ。彼の3階建の住居兼店舗の一角には、竹の鶏かごが備え付けてあり、そこでは、幼鳥から成鳥まで、地鶏、チャボ、野生の鶏、バンコク鶏(ayam bangkok)に至るまで、様々な種類の雄鶏ばかりが飼われていた。

(訳注2)南スラウェシ州シドゥラップ県にある商業の中心地。「シドゥラップ」という県名は、行政の中心パンカジェネのあるシデンレン地区と商業の中心ラッパン地区の頭文字を合わせて短縮化したもの。

当初、私自身は、彼の誘いに全く乗り気ではなかった。しかし、今回、トラジャを一緒に旅しているカナダから来た友人が「まだ闘鶏を見たことがないから、是非見に行きたい」と強くせがんだので、しかたなく、私も行くことにした。

●闘鶏の会場へ向かう

トラジャでの一日目は雨だった。我々はロンダ(Londa)とケテケス(Kete’ Kesu)にしか行けなかった(訳注3)。二日目にようやくボル(Bolu)にある家畜市場へ行くことができた。アルビノ(白化型)の水牛(tedong bonga)(訳注4)やブヒブヒ鳴いている豚などを一時間ぐらいみてまわった後、バトゥトゥモンガ(Batutumonga)へ向かう乗合を待つため、橋のほうへ移動した。我々をサダン(Sa’dan)で行われる闘鶏に案内してくれるはずの友人アワルはなかなか現れず、もしかして来ないのではないかと気を揉んだ。ようやく乗合がやってきて、我々の前に停まった。

(訳注3)ロンダもケテケスもトラジャの有名な観光スポット。ロンダは巨大な岩に横穴をあけて棺を納める岩石墓地で、ケテケスはトラジャの伝統家屋トンコナンと木彫製作の集落として知られている。

(訳注4)白黒斑の水牛のうち、とくに白い部分の多い水牛は神の使いとして尊ばれ、値段が高くなる。水牛は一種の貨幣として扱われ、トラジャで有名な葬式の際にはたくさんの水牛が生贄として屠られる。

乗合のキジャン(訳注5)に乗ってから、我々はサダンへ向かうよう運転手に言った。席は一番後ろしか空いてなく、ぎゅうぎゅう詰めになりながら座った。

(訳注5)乗合などに使われる多目的利用可能な商用車で、日系企業がインドネシア市場向けに生産してきた。本来のキジャンはインドネシア語で小鹿の意味。最新型のキジャン(イノーバ)は、国際市場を睨んでインドネシア以外でも生産される。

途中で、警察の車2台とすれ違った。1台は屋根にサイレンをつけたジープ、もう1台は荷台に警察官が座る長椅子を配置したミニトラックだった。これらの警察は、たった今、闘鶏の会場から戻るところのようだった。

しかし、警察のミニトラックには警官以外の乗客は乗っていなかった。もしかしたら、お目当ての闘鶏はもう解散させられた後かもしれない。

15分ほど乗車して目的地に着いた。しかし、我々の車は中まで入ることができない。道端に停められたバイクや車で道がふさがれているからだ。乗客はここで全員降りたのだが、私は思わず笑ってしまった。乗合の乗客たちの行く先は実はみな同じ、そう、闘鶏の見物だったのだ。

●にぎわう闘鶏会場

さっそく歩いて会場へ入った。思いがけない光景だった。そこではすでに、テンテン(tenteng)(訳注6)というお菓子、バケツに入ったウナギ(ブギス族から入手したものだとアワルやアディから聞いた)、若竹の筒に入ったバッロ(ballo)(訳注7)などの食べ物や飲み物を売る売り子たちが道を埋め尽くしていた。ほかに、数字を当てるクジ(lotto)の売り子もいた。

(訳注6)トウモロコシの皮に包まれたキャラメル状のピーナッツ菓子。

(訳注7)トゥアッ(tuak)とも呼ばれる椰子酒。長い竹筒に入れ、売り子がそれを担いで市場などを売り歩く。

会場の雰囲気は一般の市場のそれとほとんど変わらない。「よおっ、タバコ吸いたい人、一本1,000(ルピア)だよ」とタバコ売りの叫ぶ声が聞こえ、タバコが飛ぶように売れていた。

マカッサル海峡へ流れていくサダン川の河原まで下りていくと、そこには、屋根は防水シートで柱は竹のテントが、一つの小さいテントを囲むようにして建てられていた。そのテントの下では、腰に刀剣を結わえた一人の初老の男が、足踏みしながら、土地を平らにならしているところだった。会場周辺には、観客に踏まれてペチャンコになったビニール袋がたくさんあった。その土地はまるで苗床のようであった。

●雄鶏の闘い

ほどなくして、雄鶏の闘いが始まった。脚を縛った雄鶏を持った2人の男がテントの中に入った。2人のうちの1人には鶏の羽根を飾ったバンダナが実行委員会から渡された。すぐに観客はざわざわと騒ぎ出した。「ベケベケベケー、ベケベケベケー」とまるで雨季のカエルの合唱のような叫び声がテントに満ちている。観客は他の観客にカネを押しつけている姿が見える。これは賭けに誘っている様子である。

どうやら彼らの叫び声の意味は、バンダナ(ベケ)を与えられた人(パ・ベケ)を示しているようだった。そのバンダナ自体が、賭けに参加した者も観客も、彼らが闘わせる雄鶏が誰の雄鶏か分からなくならないようにする印なのだ。しかし、2羽の雄鶏が持ち主の手を放れた途端に、その叫び声は消えた。闘いが始まったのだ。

闘鶏の対戦前の風景。左側の男性がバンダナ(ベケ)を付けている(Armin Hari撮影)

一方の雄鶏が他方へ的確に蹴りを入れるたびに、観客からは「おおーっ」という長い歓声が聞こえてくる。

闘鶏の賭けに参加しているのはどうも男性だけではないようだ。私が観戦していたテントには、年老いた女性や若い女性の列があった。彼女らは一緒に座って「ベケベケベケー」と叫び、女性どうしで、あるいは若い男性やおじさんたちへ賭け金を押しつけながら、自分に運を招き寄せようとしていた。

7回目の対戦のとき、ミルクコーヒーを味わいながら観戦していた私は、「ううーっ」という観客からの短くて太い一連の叫び声に驚いた。あまりに驚いたので立ち上がって、一体何が起こったのかを探そうとした。すると、闘っていた一方の白い雄鶏が一発喰らっただけで、もう即死状態になっていたのだった。

「こりゃあ、いわゆる、雄鶏の蹴爪が白い雄鶏の心臓に命中したっていうことだな」とアワルが解説する。そのとおり。その白い雄鶏はそのまま倒れてしまったのであった。実行委員会が白い雄鶏の死骸に近づいて、蹴爪のついた脚の部分を切って、雄鶏の持ち主に渡した。そして、その死骸は勝者に手渡された。

闘鶏の会場で掛け金を徴収する男(Armin Hari撮影)

(以下に続く)

  • 喪に服す家族を慰める伝統行事
  • 蹴爪と羽根で雄鶏を選ぶ
  • あの白い雄鶏は・・・
  • 訳者による解説
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