よりどりインドネシア

2023年08月07日号 vol.147

ラサ・サヤン(43)~徳仁は未来を、ルッテは過去を語る~(石川礼子)

2023年08月07日 22:41 by Matsui-Glocal
2023年08月07日 22:41 by Matsui-Glocal

●天皇皇后両陛下のご訪イ

天皇皇后両陛下は、6月17日から7日間もの長い日程で、インドネシアを公式訪問されました。即位後初めて、且つお二人揃っては21年ぶりとなる国際親善訪問でした。インドネシアにいる私たち、そして日本にいる方々も、両国の報道を通じて、ご滞在中の天皇皇后両陛下が終始笑顔でいらっしゃったご様子をご覧になられたのではないでしょうか。

ジョコ大統領の飾らないおもてなしも、両陛下を和ませる要因の一つだったと思います。公式訪問では、格式ばった接遇を受けるのが常ですが、ジョコ大統領独特の、そしてインドネシアらしいユーモアと家庭的な温かさを感じさせるおもてなしがお二人を思わず笑顔にしていたように思います。ボゴール植物園では、ジョコ大統領自ら運転するカートに両陛下が乗車されました。カートが走り出して直ぐに、ジョコ大統領は両手をハンドルから離し、おどけてみせ、イリアナ夫人に後ろから背中を突かれる場面もありました。

また、天皇陛下は6月22日にはボロブドゥール遺跡を訪問され、遺跡のレリーフの説明を現地ガイドから受けられました。その際、ガイドから家禽類の研究者でもある秋篠宮様が15年前にボロブドゥール遺跡を訪ねられた際に、ニワトリのレリーフを探されていたとお聞きになり、ご自身のカメラでレリーフを撮影されたそうです。ご帰国後に、皇居御所でそのニワトリのレリーフの写真を秋篠宮様に渡されたというニュースも、後日、報道で知り、温かい気持ちになりました。

私の知り合いも何人か、両陛下の在留邦人代表者とのご接見に招待された方がいらして、両陛下にお目に掛かったようで、羨ましい限りです。でも、両陛下がインドネシアを最初の訪問先に選んで、7日間もこの地で過ごされたということだけで、私を含む在留邦人は、この上ない嬉しさを感じたのではないでしょうか。

ジョコ大統領が運転するカートでボゴール植物園を見学する天皇皇后両陛下。(出所)https://www.cnbcindonesia.com/news/20230623085550-7-448564/potret-kaisar-jepang-naruhito-kunjungi-candi-borobudur/5

ボロブドゥール遺跡でガイドが説明するレリーフに見入られる陛下。(出所) https://jogja.tribunnews.com/2023/06/20/profil-kaisar-jepang-naruhito-yang-bakal-bertemu-sri-sultan-hamengku-buwono-x-besok

天皇皇后両陛下が日本にお戻りになった翌24日のThe Jakarta Postに興味深い記事が掲載されましたので、ご紹介します。

なお、このエッセイのタイトルは、記事のタイトルをそのまま使わせていただいています。一部、言葉遣いが不適切な点がありますことをお詫び申し上げます。

●徳仁は未来を、ルッテは過去を語る

(2023年6月24日付のThe Jakarta PostのOpinion欄より抜粋)

オランダのマルク・ルッテ首相が「インドネシアが1945年8月17日に独立したことを『完全かつ無条件に認める』と話した翌日の6月15日に、日本の徳仁天皇がインドネシアの3年間にわたる日本占領について反省の意を表明し、気候変動をはじめとする地球規模の課題に対処する協力の重要性を強調したのは単なる偶然だ。オランダ議会は1945年8月17日を旧植民地インドネシアの独立記念日と承認した。

しかし、我々インドネシア人は、約80年前のその日に独立を宣言し、4年に及ぶ血なまぐさい戦争でインドネシアの自由を奪おうとしたことは無駄だったという事実を、なぜオランダが今まで受け入れられなかったのかを不思議に思う。オランダ側からすると、彼らは1949年12月7日に旧植民地から巨額の受け渡し金を勝ち取ったことでインドネシアからの撤退に同意したと考えている。

一週間にわたるインドネシアへの親善訪問を開始する2日前に、徳仁天皇は1940年代初頭、日本軍の統治下にあったインドネシア人の苦しみを遺憾に思うと述べた。日本が敗戦した第二次世界大戦の終結後、連合国は徳仁天皇の祖父である昭和天皇を戦犯と認定した。

天皇陛下は「インドネシアとの関係でも難しい時期がありました」と述べられ、「亡くなられた方々のことを忘れず、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います」と話された。

徳仁天皇は、皇居での記者会見で「気候変動、エネルギー、食料などの地球規模の課題に取り組むに当たっては、新興国、途上国との連携がますます重要になってきている」と述べられた。また、「今回の訪問を契機として両国間の友好親善がさらに深まり、両国の人々の交流や協力によって相互理解が一層深まっていくことを願っております」と話された。

2020年に来イした際のウィレム=アレクサンダー国王とジョグジャカルタ王家のスルタン・ハメンクブウォノ10世。(出所) https://www.viva.co.id/berita/nasional/1266940-bertemu-sultan-hb-x-raja-belanda-nostalgia-kenangan-masa-lalu

2023年6月21日には徳仁天皇陛下がハメンクブウォノ10世と会見された。(出所) https://www.cnnindonesia.com/internasional/20230622182714-106-965462/kala-kaisar-naruhito-dan-sri-sultan-hb-x-asyik-ngobrol-ngalor-ngidul

徳仁天皇と雅子皇后は6月17日に初のインドネシア訪問を開始し、両国間の強い二国間関係を示された。

日本とオランダは、どちらもインドネシアの旧植民地宗主国。スカルノとハッタが1945年8月17日にインドネシアの独立を宣言するまでの3年半、日本はインドネシアを占領した。一方、オランダは1942年に大日本帝国陸軍に植民地を明け渡すまでの350年間、インドネシア列島を植民地化した。

1945年の第二次世界大戦の敗北後、約3千人の日本残留兵は、連合国軍の支援を受けたオランダと戦うインドネシアを支援した。亡くなった数十人の日本兵は、南ジャカルタのカリバタ英雄墓地に埋葬されている。

独立戦争は1949年にハーグで開催された『ハーグ円卓会議』で終結し、オランダはインドネシア連邦共和国(RIS)に「主権を移譲」した。 その見返りとして、インドネシアは45億ギルダー(139億米ドル相当)のオランダ東インド政府債務を支払わなければならなかった。

当初、ハーグは65億ギルダーを要求していた。全くもっておかしい話である。元植民地支配国が350年間搾取し、抑圧してきた国から賠償金を受け取ったのだ。

先週の議会でルッテ首相は、「アムステルダムは1945年がジャカルタの独立を記念する年であることを『完全かつ無条件に』認める」と述べ、過去の出来事についての共通の理解を深めるため、近くジョコ大統領と相談すると付け加えた。

「我々は、8月17日を留保なく完全に認める。(省略)我々は1945年の宣言を歴史的事実と見做す」とルッテ氏は述べた。しかし、彼はすぐに「私の発言は、既存の法的根拠を変えるものではない」と免責特権を主張。我々はこれを“Dutch Treat”(『割り勘』という意味で、オランダ人をケチと比喩する言葉)と呼ぶ。

ジョコ大統領は、ルッテ首相の発言に対して、「貴殿の声明は分かりましたが、私どもからは後ほど返答します。なぜなら貴殿の声明は広範囲に影響を与えるため、先ず外務大臣の意見を求めたいと思います」と、ジョコは返答した。

2020年3月に訪イしたオランダ国王のウィレム=アレクサンダー国王が、オランダはインドネシア版・独立記念日を認めていると述べた際、ただ首を縦に振っただけで、国王が「インドネシア独立戦争(1945年から1949年まで)中に死傷した人々」への残虐行為について謝罪すると、大統領は微笑んだだけだった。

オランダ人が350年間にわたって、この列島で犯してきた重大な人権侵害について国王はどう考えているのか?

(⇒ 同国王の祖母であるユリアナ女王と・・・)

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