皆さん、こんにちは。私は今、所用でガルンガン(バリ・ヒンドゥー教の大きな祝祭の一つ)が終わったばかりのバリ島に来ています。今回はロンボク地震の記憶を辿る予定でしたが、バリ繋がりで日常生活のエッセイをお届けします。
バリ島のガルンガンの名残り
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勤務校にネナさんという事務員がいます。いつも朗らかで、校内の清掃や来客受付をしています。
先週、私が学校へ行くと、受付の机で何やら作業をしていました。近づくと、ココナッツの葉っぱをカッターナイフで葉脈に沿って切っていました。仕事の合間にガルンガンのお供えの準備をしているようです(日本ではこういった公私混同はできませんが、ここでは可能です)。
次から次へと流れるように、芸術作品とでも言うべきお供え物ができ上がります。ネナさんはたくさん作って親族に市場価格より安く売っているのだそう。どうりで手際がいいはずです。
「ネナさんはこの作り方をどうやって覚えたんですか? お母さんから?」
多くの人は母親や叔母などの手つきを見よう見まねで真似して覚えるので、私は軽い雑談のつもりでこう尋ねました。
しかし、ネナさんの答えは予想とは違うものでした。
「ううん、母は、結婚前はイスラム教徒だったの。だから私は祖母から教わったのよ」
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ネナさんは迷いなくココナッツの葉っぱの一部をひし形にくり抜いていました。
なんと、ネナさんのお母様は改宗者だったのかぁ。ネナさんもお母様もその淡々とした作業からは想像もつかないような困難を乗り越えてきたのだろうな。
私は同じ改宗者として二人の境遇を想いました。
インドネシアで異なる宗教の二人が結婚することは、日本のそれ以上に重い意味をもちます。宗教が生活や社会の価値観の真ん中にあるからです。
しかも、どちらかが改宗して結婚してめでたしめでたしではなく、その後も家族を巻き込んで課題がやってきます。
我が家も先日、こんなことがありました。
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小学4年生の娘が「宗教科の宿題ができない」と半泣きになって私の元へやってきました。どれどれと見ると、コーランの一部(写真参照)を書き写して暗唱するというものでした。
暗唱?? 学校でもうこの部分の読み方は習ったのかと聞くと、娘は首を横に振りました。私はコーランが読めないので、娘に手本を示すことはできません。困ったな。
娘の宿題ページ
(⇒ 宿題ができるようにいろいろと・・・)
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