よりどりインドネシア

2023年03月23日号 vol.138

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第59信:ドタバタコメディ『うちのおバカ社長』は 東南アジア映画誕生の萌芽か?(轟英明)

2023年03月23日 11:03 by Matsui-Glocal
2023年03月23日 11:03 by Matsui-Glocal

横山裕一様

3月に入りようやく寒さが和らいできた昨今の東京首都圏ですが、先日は最高気温が20度を超え、早くも桜が開花しました。20度というとインドネシア的には涼しい、人によっては「寒い」と感じる気温かもしれませんが、吐く息が白くなる毎日で寒さに震えていた身にとっては有難い限りです。間もなく始まる断食月と春の訪れが重なるのは偶然にすぎませんが、明るい気分になれるのは嬉しいことです。

今回取り上げる会社コメディ『うちのおバカ社長』1作目ポスター。しかめっ面のブンガ・チトラ・レスタリと、どケチでアホなレザ・ラハディアンの掛け合いが、抱腹絶倒の笑いをもたらします。filmindonesia.or.id より引用。

さて、横山さんの前回第58信を受けて、『珈琲哲学~恋と人生の味わい方』(以下、『珈琲哲学』)について、本題に入る前に短くコメントを返しておきます。横山さんがあらすじとディテールについては詳しく語ってくれたので、その点については繰り返しません。

実のところ、ことインドネシアのコーヒーについては、横山さん以上に事細かに延々と語れる自信が私にはあります。独立後の東ティモールにてコーヒー農家を支援するNGOで働いていた経験があり、アチェ州のガヨ地方のコーヒー農家とその周辺を見学し、「千のカフェ」があると言われるバンダアチェでカフェ巡りをして、メダンのコーヒー豆サプライヤーから直接生豆を買い付けて小型電気焙煎機で自宅にて焙煎する程度には、コーヒーが好きです。

そうしたコーヒー愛好家の私から見ると、『珈琲哲学』は紹介のされ方やあらすじからそれとなくスノビズム(俗物根性)の臭いが感じられ、同時にコーヒー業界のディテールを知っている自分が観たら、「あーだ、こーだ」とツッコミと文句を沢山つけることが容易に予想されたので、8年前の作品で配信もされているのに、これまで意図的に鑑賞することを避けてきました。この場合のスノビズムとは、要は個人的嗜好品にすぎないコーヒーについて素人に向かって延々と蘊蓄を語る行為を想定しています。つまり、鼻持ちならない教養のひけらかしというやつです。同時にこれは私自身がこれまでの人生で散々やらかしてきた行為でもあるので、『珈琲哲学』を観たら自己嫌悪に陥ること確実と思い、自分に言い訳をして逃げてきました。

が、第57信の『ヨウィス・ベン』を論じる際に経験したように、自らの思い込みに根差した食わず嫌いは単に自分の視野を狭めているだけにすぎません。インドネシア映画の全体像を論じたいと常々思っている者として、これは非常によろしくないことだと思いなおし、横山さんの原稿が掲載されたのに合わせて、こちら日本で見られる方法を探してみました。幸い、アマゾンプライムビデオで日本語字幕付きでレンタル可能でしたので、ようやく鑑賞した次第です。

果たして、『珈琲哲学』はツッコミどころが多少あっても、男二人のブロマンス(男同士のアツい友情)を高らかにうたった、最後まで見せてくれる快作でした。ジュリー・エステル演ずるコーヒー鑑定士のエルの台詞を借りるなら、なかなか「悪くない」作品です。それほど深堀りはされませんが、リオ・デワント演じるジョディが華人に設定されている「華人もの」でもあります。同ジャンルに常に関心を払っている私としては、ラストのオチを含めて実に興味深く観ることができました。横山さんはこの点について触れてなかったので、蛇足ながらちょっと解説してみましょう。

ジョディは父が持っていた雑貨店(toko kelontong)をカフェ「珈琲哲学」に改装し運営していましたが、それは負債を残して死んでしまった父への反発心ゆえだったことをエルに告白します。家業継承問題はこの連載ですでに何回も取り上げた『となりの店をチェックしろ』でも扱われていました。ジョディの場合は父との関係が非常に深刻なほど悪いわけではなかったようですが、雑貨店という不動産だけでなく負債も負わされてしまった立場に納得がいかず、かと言ってコーヒー馬鹿の親友ベンを放りだしてカフェを閉店売却してしまうことにも躊躇いがありました。実業家との賭けに勝ち、10億ルピアを手にしたジョディは狂喜乱舞しますが、ベンのいないカフェには何かが足りないことを悟った彼はカフェを売却して、流行りのフードトラックあるいは移動式カフェとして仲間たちと再出発し、そこにベンも合流するというのが本作のラストです。

これを家業継承のあり方として検討するなら、見事な先祖返りといえます。kelontongの原義とは行商人が鳴らす小太鼓のことであり、そこから転じて雑貨店の意味にもなりました。一度は父を否定しようと試みたジョディが再び行商人よろしくコーヒー売りの旅に出るのは、父への単なる反発を超えた新たな自立にほかなりません。現在のジャカルタの街からはほぼ消えてしまったように見える行商が、現代風の移動式カフェとして蘇り、そのパートナーであるベンや、協力者のエルが非華人である点に政治的寓意を読み取ることも可能かもしれませんね。

美味しいコーヒーを作る秘訣とは、親への反抗心から生まれたコーヒーへの執念などではなく、親から子への愛情であるとのメッセージを平易に観客に見せながら、主要キャラクター3人がそれぞれ父親と和解し自立するラストは実にさわやかで、この部分に関しては間違いなく「プルフェクト」でした。

インドネシア映画研究者の西芳実さんは、『珈琲哲学』を「父亡きあとに父を受け入れ自立を目指す」ストーリーと分析し、最終的に父の不在が克服される物語と要約しています。大いに頷ける指摘であり、大衆消費社会の到来に伴って必然的に蔓延するスノビズムのアイテムとしてではなく、父と子、男と女、親友、それぞれを結びつけるためにコーヒーという嗜好品がアンガ監督によって召喚されていると捉えるべきなのでしょう。西さんの論考は文末の参考文献に挙げておきましたので、お時間があれば読んでみてください。

『珈琲哲学~恋と人生の味わい方』インドネシア公開時のポスター。恋愛ものと勘違いする人もいるかもしれませんが、正真正銘のブロマンスもの。『ザ・レイド2』で世界中のアクション映画ファンから注目を浴びたジュリー・エステルが本作で握るのは、ハンマーやナイフではなく、コーヒーカップなのでした。filmindonesia.or.id より引用。

なお、『珈琲哲学』には続編やテレビシリーズ、リオ・デワントがガヨ地方のコーヒー農家を訪問して回る紀行ドキュメンタリー『珈琲哲学 ガヨの香り』(Filosofi Kopi Aroma Gayo)などもありますが、横山さんはすでに全部鑑賞ずみでしょうか。私が直接見たのは『ガヨの香り』と三作目の『ベンとジョディ』(Ben & Jody)だけですが、前者は私にとって馴染み深いアチェの山岳地帯ということで懐かしさを感じさせてくれる内容でした。後者はコーヒーを巡る人間ドラマは完全に後景に退き、ブロマンス風味のアクションもの。設定含めた出鱈目ぶりが実に楽しい一作でしたので、機会があればこちらもいずれ論じてみたいと思います。

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さて、前振りはここまでとし、本題であるインドネシアのコメディ映画について続きを書いていこうと思います。前回第57信では、『悪魔の奴隷』の続編として先ごろ日本で劇場公開された『呪餐 悪魔の奴隷』(Pengabdi Setan 2: Communion、第49信では『悪魔の奴隷2:聖体拝領』の題名で紹介済み)に触れる旨予告していましたが、やはり今後公開されるであろう『悪魔の奴隷』パート3と併せて論じない限り、推論だらけの消化不良な内容にならざるを得ないと判断したので、しばし掲載は延期とさせてください。

ただ、現時点で明言できることは二つあります。ジョコ・アンワル監督の反イスラーム志向は筋金入りであること。そして、神も仏もいない不条理で残酷な世界の裏には政治的謀略が渦巻いている様を、荒唐無稽で低俗なジャンル映画と見下されてきたホラーものとして、見事に描き切ったジョコ・アンワルの手腕には驚嘆すべきものがあること。

まさか1955年のアジアアフリカ会議や80年代前半の謎の連続銃殺事件(インドネシア語で Petrus)が物語に絡んでくるとは、昨年の本国上映前には全く想像もしていませんでした。初見時は思わず「マジか!」とひとり呟いてしまいましたし、先月新宿の映画館で高校生の次女と仲良く鑑賞した時も「Petrus っていうのはねえ・・・」と次女に熱心に解説を始めてしまう始末。面白い映画とはすべからく法螺話であるべきと考える私にとって、『悪魔の奴隷』パート3は当面最も期待値の高い作品となりました。横山さんはすでに『呪餐』を鑑賞ずみのようですが、未見の方は前作含めて今のうちに予習しておくことを強くお薦めしておきます。

『呪餐』日本版ポスター。観客は日本人のホラー映画ファンだけでなく、ヒジャブをかぶったインドネシア人らしき女性のグループもいました。シネマート新宿のロビーにて轟撮影。

なお、Petrus については文末の参考文献に今村祥子さんの論文を挙げておきましたので、こちらも参考になさってください。エドウィン監督の『復讐は私にまかせて』(Seperti Dendam, Rindu Harus Dibayar Tuntas)を鑑賞する際にも解像度が増すこと間違いなしの必読論文です。

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閑話休題。今度こそコメディもの、それもコテコテのドタバタコメディをここからは紹介したいと思います。2016年公開の『うちのおバカ社長』(My Stupid Boss、以下1作目)と2019年公開の続編『うちのおバカ社長2』(My Stupid Boss 2、以下2作目)がそれです。1作目は2017年3月の大阪アジアン映画祭で上映され、そこそこ日本の観客にも好評だったようです。本国インドネシアでは2016年の年間観客動員数で300万人超、年間第3位と大ヒットを記録しました。おそらく横山さんはすでに観ているのではないかと思いますが、簡単にあらすじだけ紹介しましょう。

インドネシア出身のダイアナは石油会社のコンサルタントである夫ディカとマレーシアの首都クアラルンプルへ引っ越して3ヵ月が経過。リモートワークが主体のディカはパジャマ姿で家にこもる一方、外で働きたいダイアナはディカの留学時代の友人だったという中小企業の社長ボスマンからの求人に応募。怪しい面接を経て、ボスマンの下で秘書兼総務部長として働き始めます。薄い前髪で口ひげを生やした太鼓腹の中年オヤジであるボスマンは、どケチで口うるさいうえに、自慢話ばかりでわがまま、おまけに人の話を聞こうともしない、横暴を絵に描いたような困った社長でした。フラストレーションをため続けたダイアナは遂に堪忍袋の緒が切れてしまい、反撃を開始するのですが・・・。

ダイアナ(ブンガ・チトラ・レスタリ)は社長ボスマン(レザ・ラハディアン)に始終振り回され続けます。「もーイヤ!!!」と心の声が聞こえてきそう。filmindonesia.or.id より引用。

(⇒1作目も2作目も典型的なドタバタコメディであり・・・)

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