よりどりインドネシア

2023年03月23日号 vol.138

市民ジャーナリズムを鼓舞した親友リリを悼む ~『スラウェシ市民通信』再掲を前に~(松井和久)【全文無料公開】

2023年03月23日 11:01 by Matsui-Glocal
2023年03月23日 11:01 by Matsui-Glocal

3月10日、私の親友であるメルボルン在住のリリ・ユリアンティ(Lily Yulianti Farid)が52歳の若さで亡くなった。彼女は南スラウェシ州出身のジャーナリストであり、小説家であり、近年は、かつてオーストラリア北部へ渡ってきたスラウェシ出身者とアボリジニーとの交流の歴史を追いかけていた。

彼女は2011年から始まった「マカッサル国際作家フェスティバル」の主宰者でもあり、国内外の文学者と地元の市民や若者たちが交流し、数々の新たな文学やアート活動を生み出す機会となった。

マカッサル国際作家フェスティバルは、ロンドン国際ブックフェアから最優秀文学イベントとして表彰された。もともと同フェスティバルは、ウブド国際作家フェスティバルに触発されたものだが、著名作家ではなく、より市民に開かれ、とくに東インドネシアの若手作家の育成という点で独自の視点を強調した。実際、このフェスティバルを通じて、ファイサル・オダンなど何人ものインドネシアを代表する若手作家が育っている。

前列中央がリリ・ユリアンティ。後列右端が筆者。2014年のマカッサル国際作家フェスティバルにて。

また、著名な映画監督である、同じく地元出身のリリ・レザ(Riri Reza)とともに、マカッサルに市民によるアート活動の拠点となる「ルマタ」(Ruma’ta:「あなたの家」の意)アートスペースを立ち上げた。リリ・レザの実家の場所に新築したもので、リリ・レザによる若手映画監督志望者向けのワークショップのほか、マカッサル国際作家フェスティバルの会場の一つとしても使われた。

私自身のリリとの出会いは、1999年頃、JICA長期専門家として南スラウェシ州の州都マカッサルに滞在していたときだった。そのとき彼女は、日刊全国紙『コンパス』のマカッサル在住記者だった。その後、東京に住み、NHK国際放送「ラジオ・ジャパン」のインドネシア語放送を担当した。茶目っ気たっぷりだが、鋭い質問と将来を見据えた見識の高さを当時から感じていた。

しばらく会っていなかった彼女と再会したのは、2006年だったと思う。韓国で立ち上がった市民ニュースサイト『オーマイニュース』に触発され、マカッサルの若者たちと同様のニュースサイト『パニンクル』を2006年8月に立ち上げたのである。その副題は「普通の人々のジャーナリズム」であった。

当時、マカッサルの我が家には地元の多くの若者が出入りし、集まり、私設図書館を運営し、複数のNGOが間借りし、映画会やら、読書会やら、勉強会やら、アート作品展示会やら、様々な活動を行なっていた。その多くは『パニンクル』の熱心な読者であり、その一部は『パニンクル』への投稿者であった。

マカッサルの我が家に集まった若者たち。これは映画上映会のときの様子。(2006年11月18日撮影)

リリとそのチームは、若者たちにエッセイの書き方を指導した。とくに、どのように取材し、事実をどのように描き、課題をどのように捉えるのかをしっかりと指導した。そのうえで『パニンクル』への投稿を促した。多くの投稿者が初めての投稿者だった。リリとそのチームは投稿原稿の一つ一つを丁寧に読み、それぞれ丁寧に文章作成指導をし、その完成稿をインターネット上のニュースサイト『パニンクル』へ掲載していった。

リリたちは、物事を批判的かつ客観的に見ることのできる若者たちを育てながら、普通の人々のジャーナリズム、市民ジャーナリズムの基礎を作っていたのである。そして、その場所を提供し、ときにはそれらの投稿原稿も読む機会のあった私自身も、その末席に関わることになったのである。

そのとき、私は、インドネシア(とくにマカッサル)の現実を市民の目でどのように捉えているかということを、インドネシア地域研究者である自分がもっと知らなければならないし、それを日本の人々にも伝えなければならないと感じた。そこで、当時勤務していたJETROアジア経済研究所の月刊誌『アジ研ワールドトレンド』への連載を思い立ち、企画を申請し、承認された。同誌での連載企画承認は1997~2001年の『ウジュンパンダンだより』『スラウェシだより』に続き3回目だった。

リリとチームに依頼して、『パニンクル』に投稿された記事から毎月1本を選んでもらい、それを私が日本語へ翻訳し、必要に応じて解説を加える形とした。主役はあくまでも『パニンクル』に記事を書いた市民であり、その執筆者の名前で掲載した。私の業績にはならなかったが、大きな満足を得た。

あの連載からすでに15年が経った。『パニンクル』のサイトはさすがにもう消えてしまったようだが、そこからは多くの書き手が育って行った。『パニンクル』の投稿者には、インドネシアでの著名な詩人や大学の先生が輩出したが、彼らも含めてその多くは今も「普通の人々」であり続けている。著名な詩人も「ジャカルタは嫌いだ」と明言してジャカルタへ移ることを拒否し、今もマカッサル近郊で静かに暮らしている。彼らのほとんどが、15年経ってもエリートのきらびやかな世界と距離を置いたまま、普通の生活を続けている。

そうだ、リリもそうなのだ。国際的にも知られる「マカッサル国際作家フェスティバル」を毎年主宰する彼女もまた、豪邸に住んで高級車を乗りまわすような生活とは無縁で、普通の生活を続けている。大学教授やメディアに引っ張りだこの売れっ子ジャーナリストになることはなく、しずかに息を引き取った。

この15年で豊かになったインドネシアで、多くの人々があこがれ、ときには必死で追い求めてきた豊かな生活、裕福な生活、ぜいたくな生活を、リリやその指導を受けた彼らは求めてこなかったし、求めてこなかった自分を卑下することもなかった。自分を見失わない。普通であることを保ち続ける。それは私自身が彼らから深く学んだことであり、今も最も大事にしていることである。

そんなリリと仲間たちのことを想いながら、15年ぶりに、あの連載『スラウェシ市民通信』を『よりどりインドネシア』に再掲してみたいと思う。不定期となるが、スラウェシの名もなき市民が身の回りの現実から何を感じ、どう取材し、どのように書き表そうとしたか、同じ市民、同じ普通の人々の目線で味わっていただければ幸いである。今回は、その前座として、私自身が書いた「連載にあたって」のみを再掲する。

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『スラウェシ市民通信』連載にあたって(2007年3月掲載)

筆者が海外調査員として赴任しているインドネシア・スラウェシ島のマカッサル市では、20~30代の若者たちを中心に、数年前から「書く」ことを意識した運動が始まっている。他の開発途上国と同様に、インドネシアでは歴史や文化などは口承によるので、後世に正確に伝わらない。また、主体的に考える訓練が少なかったためか、批判的に物事を考える力が弱い。物事を事実に基づいて批判的に検証し、それを書き残す重要性に彼らは気づいたのである。

一方、インターネットの普及で、既存の商業マスメディアだけでなく、普通市民の誰もが情報を世界へ発信することが可能な時代になった。インドネシアなどの開発途上国でも、為政者が自分に都合のいい情報だけを流し、事実を覆い隠し続けることは難しい。インターネットという誰もが使える媒体を活用し、様々な人々が多種多様な情報を発受信するなかで、商業マスメディアが見落としたもの、伝えてこなかったものの多さに人々は気づき始めたのである。

マカッサルの若者たちは、インターネットを通じて、同じような意識を持ったインドネシア人の若者たちがジャカルタ、アムステルダム、東京などにいることを知り、韓国の『オーマイニュース』のような、普通の市民が自由に記事を投稿して作り上げていくウェブサイトの開設を構想した。そして2006年8月、インドネシア初の市民通信サイト『パニンクル(普通の人のジャーナリズム)』が誕生したのである。

『パニンクル』には、約100人の市民記者から毎週5~10本程度の投稿があり、編集部で若干の修正を加えた後、写真とともに掲載される。その多くは、新聞やテレビなど商業メディアでは取り上げられず、あるいは行政や政治家の目に入らない、名もなき人々の生きざまや彼らをめぐる様々な出来事を対象に、市民記者の参与観察によって書かれた記事である。市民記者の多くはジャーナリストの卵、大学生、NGO活動家、主婦などであり、商業目的でない彼らの執筆意欲によって支えられている。

『パニンクル』の記事を読みながら、筆者自身はインドネシア研究者としていかに不勉強であったかを痛感させられた。インドネシアと20年も付き合ってきたのに、彼らの記事の世界はどれも新鮮な、知らない世界だった。そして、空虚な主張やジャーゴンではない、淡々と描かれた事実の描写の強さに感動した。そこには、地域研究で見えなかった地域の人々の姿があった。そこで、日本人の視点でインドネシアを伝えるのではなく、彼らの視点や考えを日本の読者へ伝えてはどうか、筆者は翻訳者としてその仲介役になろう、と考えた。こうして、編集部はじめ研究所の仲間の了解を経て、本連載は開始されたのである。

こうした現場密着型の記事を日本社会へ発信することは、インドネシアを含む開発途上国の「忘れられた人々」の世界を知らせると同時に、日本人研究者・ジャーナリストとは違う視点を学ぶ契機にもなり、地域研究者や開発途上国と関わる人々に新たな視点と有益な刺激を与えるのではないか。同時に、ささやかな社会変革へ動き出したインドネシアの若者への励みにもなるのではないか。少なくともそう期待したい。

(松井和久)

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