よりどりインドネシア

2021年06月23日号 vol.96

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第22信:独立運動とインドネシア映画(横山裕一)

2021年06月23日 14:16 by Matsui-Glocal
2021年06月23日 14:16 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

新型コロナ禍で新作のインドネシア映画作品が順調に公開されないなか、前回、轟さんが書簡で触れられたように、1988年制作の名作『チュッ・ニャ・ディン』(Tjoet Nja’ Dhien)が首都圏一部の劇場限定とはいえリバイバル上映されたのはとても喜ばしいことでしたね。おかげで私もようやく同作品を鑑賞することができました。

この作品については轟さんも思い入れが強いようですね。私も独立運動関連でかつてアチェ現地へ何度も取材に行っていたこともあって、非常に興味深く鑑賞するとともに様々な思いがよぎりました。そこで今回は直接独立運動を描いていないとはいえ、関連する作品を幾つか取り上げてその意味するところを考えてみたいと思います。

映画『チュッ・ニャ・ディン』ポスター(劇場で撮影)

『チュッ・ニャ・ディン』はスマトラ島最北部(現在のアチェ州)が舞台で、オランダ統治時代の19世紀後半から20世紀初頭にかけて起きたオランダとアチェ王国によるアチェ戦争の物語ですが、同作品の上映は当時の政府によりかなり制限されたものになりました。それは作品制作当時(1988年)のアチェはインドネシアからの独立運動により国軍と武力衝突が相次いでいたことと深く関係していたからでした。

インドネシアでの大規模で長期にわたる独立運動としては、1999年に国連主導の住民投票で独立を決めた東ティモールと、2005年にインドネシア政府と和解したアチェ、それに現在も独立運動が続き、その武装勢力に対して今年4月末に政府がテロ組織と認定してもいるパプアが挙げられます。

このうちアチェの独立運動は独立派組織「自由アチェ運動」(GAM)が設立された1976年以降ともいえますが、アチェ王国の再興を謳っていた独立運動の側面からみると、その源流はアチェ王国をオランダから守るアチェ戦争(1873~1904年)、まさに映画『チュッ・ニャ・ディン』の時代にさかのぼります。

アチェ王国は15世紀末から続き、豊富な胡椒や天然資源交易で栄えました。その利権を狙ってオランダが併合しようとアチェ戦争が起きますが、オランダが勝利しアチェ併合後もアチェ住民の抵抗は続きました。日本軍政期を経てインドネシア独立の際、アチェは自治権確保などの条件つきでインドネシア独立に参加しますが、独立後の新政府が実質的な自治権付与を履行しなかったため、アチェは度々反乱を起こし、その流れが1976年の「自由アチェ運動」設立に至っているのです。

アチェ王国をオランダから守る、そしてインドネシア独立後の再興を求めるアチェ住民の長い闘争史のなかで精神的な支柱となったのが、本作品の主人公でもあるチュッ・ニャ・ディンでした。チュッ・ニャ・ディンはアチェ戦争時のゲリラ部隊の女性指導者で、オランダの圧倒的な武力を前に抵抗を続けています。度重なる戦闘で次第に兵力が減り、山野を移動し続けるなかで部隊が食糧不足となるなか、チュッ・ニャ・ディンも病に侵されていきます。作品では苦境に陥りながらも諦めない、彼女の不屈の精神が描かれています。

2000年に『自由アチェ運動』のゲリラ部隊を取材した際、ヒジャブに戦闘服を身につけ、自動小銃を抱えた女性部隊がありました。男性ゲリラの一人が「彼女たちは現代のチュッ・ニャ・ディンだ」と話していたのを覚えています。100年近く経った現代においても依然チュッ・ニャ・ディンの精神が強く受け継がれていることを実感しました。

チュッ・ニャ・ディンはゲリラ部隊指導者だった夫のトゥウク・ウマルの死後、指導者を受け継ぎますが、インドネシア独立後、オランダに抵抗したことから夫婦揃って国家英雄になっています。皮肉にもインドネシア国家英雄の二人の精神がアチェにとってインドネシアからの分離・独立運動の支柱となっていたのも事実です。

その意味で映画『チュッ・ニャ・ディン』の上映に制限をかけたのも、当時のインドネシア政府、とくに言論統制を強めていたスハルト政権にとっては都合の悪い地方混乱の現状につながる映画作品に対する処置として「当然だ」ということなのかもしれません。ただし逆に考えると、そのような時代によく『チュッ・ニャ・ディン』のような作品を撮影制作でき、限定的ながら上映できたものだとも感じられます。

同作品の監督は音楽家・作家でもあるエロス・ジャロット(Erros Djarot)監督です。今回の再上映を前にインタビュー動画を公開していて(本稿末参照)、そのなかで同監督は製作動機として「日常、主婦が集まると買い物や化粧、噂話ばかりだが、女性は家庭文化を創る支柱でもある。女性の奮起、自立を考えるなかで、強い女性指導者だったチュッ・ニャ・ディンを描くことが浮かび上がってきた」と話しています。

一方、聞き手が何度もしつこく「何故アチェを取り上げたのか」など、制作当時のアチェでの独立運動との関連、意図などを質問しますが、同監督は「アチェは国の最端地にありながら、奮起、努力の精神を持った人物が歴史上何人も傑出しているものの、当時の政権下では取り上げられることはなかった」と言及するに留まっています。恐らくこうした態度を貫くことで、制作当時も政府による撮影中止措置をかいくぐって完成に至ったのではないかと想像できます。

現在政治家でもある同監督は慎重な返答でのらりくらりとかわしていますが、聞き手の意図する返答に対して言葉にはしないものの同監督は、「映画『チュッ・ニャ・ディン』を制作した事実だけで十分察してもらえる」と考えているようにも窺うことができます。

その意味で同作品はアチェの歴史を描いていながら、現代(制作当時)の独立運動という政治・社会問題をも描いている価値ある作品であるといえるとともに、当時の政府による言論統制下、そして独立運動が現在進行形で続いている時期に、あえて問題提起させる作品を、規制を乗り越えて制作・完成させたことに大きな意義があるといえます。

残念ながら、既述のように当時多くの人々が鑑賞はできませんでしたが、作品自体は1988年のインドネシア映画祭で最優秀作品賞をはじめ8部門を受賞したほか、インドネシア映画としては初めてカンヌ映画祭で上映されるなど高い評価を受けています。

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アチェの独立運動を直接的に扱った映画作品としては、『ナイトバス』(Night Bus / 2017年公開)があります。アチェの独立運動は2004年にアチェを襲ったスマトラ島沖地震に伴う津波による甚大な被害を契機に、翌年インドネシア政府と独立派が条件付きで和解をしています。本作品はその約10年後に制作されたものです。作品は、独立運動に伴い独立派ゲリラとインドネシア国軍が武力衝突を繰り返していた時期を描いていて、アチェ西部での長距離夜行バスが道中で国軍の執拗な検問や独立派ゲリラの検問、さらには独立派ゲリラ間の内紛などに巻き込まれていく物語です。

映画『ナイトバス』ポスター(劇場で撮影)

主役はアチェ人でもある俳優トゥウク・リフヌ・ウィカタ(Teuku Rifnu Wikata)が乗客の一人を演じましたが、彼の1999年の実体験がベースとなった物語ということで、彼はプロデューサーとともに脚本にも関わっています。

個人的な話で恐縮ですが、かつてある演劇会場の入り口で偶然にもトゥウク・リフヌ・ウィカタと居合わせる機会があり、若干会話することができました。その際に彼が「ナイトバスは観た?アチェの話だよ」と言われ、深く後悔した覚えがあります。というのも少し前に映画情報を見た際に、ポスターの雰囲気からホラー映画と勘違いして内容をチェックせず、上映を見逃していたからです。同年末に『ナイトバス』はインドネシア映画祭の最優秀作品賞を受賞し、その記念上映でようやく鑑賞できましたが、一般公開当時に観ていれば、彼からもっと色々な話を聞くことができたのですが、後の祭りです。

さて作品の時代背景としては、1990年代末、スハルト長期政権が倒れた直後の政治的社会的に不安定な時期で、政府が東ティモールの独立を問う住民投票を認めたのを受けてアチェでも独立機運がさらに高まり、国軍と独立派ゲリラの武力衝突が激しくなっていた時でした。映画でも描かれているように国軍、ゲリラともに諜報員が紛れ込んでいないか、武器を運んでいないかなど、街道を走る車両をそれぞれ検問していました。いつ疑われて拘束されるか、銃撃戦に巻き込まれないか、恐怖と不安に次々と襲われる夜行バスの乗客たち。私も2000年前後にアチェを取材した際に見聞きした、数百メートル離れた山中から聞こえる銃撃戦の音や爆発音、流れ弾で命を落とした住民など、作品を観て思い出しました。事実に基づいた作品だけに迫真の緊迫感や迫力を感じられる作りで、この流れでいうには多少語弊はありますが、アチェの独立問題を知らなくとも十分に楽しめるサスペンスアクション作品にも仕上がっています。

それほどまでに当時の緊迫した社会情勢の一端が再現されている作品で、単なるエンターテイメント作品とは一線を画した、当時の重要な記録、さらには独立運動問題解決へ向けたアプローチのあり方などを考えさせる素材としても意義深い作品だといえます。当時、アチェ住民の多くが心情的に独立派に傾倒していたと言われていますが、それにもかかわらず、国軍とゲリラとの戦闘により避難民あるいは被害者として巻き込まれるのも住民たちでした。今、こうして書きながら作品を思い出していると、現在も独立派武装勢力と国軍・警察との武力衝突が続くパプア問題、さらにはクーデターで国軍兵士が国民に銃口を向けるミャンマー情勢にまで思いが及んでしまいます。

アチェの独立運動問題からみた作品の位置付けとしては、『チュッ・ニャ・ディン』が偉人の伝記、歴史大河作品という形態で間接的ではあるものの、撮影制作の時期に同時進行で起きている問題を想起させるものであったのに対して、『ナイトバス』は問題が終結した後に制作されたものではありますが、それだけに直接的な表現を伴って当時の実態に迫る記録を再現するとともに、問題の真髄を問いかける作品であることがわかります。作品が制作された時期の政治状況、社会情勢によって形態・手法は異なるものの、両作品とも長年続いたアチェの独立運動を考える上で、貴重な資料にもなりうるものだといえます。

一方で、繰り返しになりますが、『チュッ・ニャ・ディン』は偉人伝、歴史大河ドラマ映画として、『ナイトバス』はサスペンスアクション映画としても、それぞれ非常に優れた作品に仕上がっていることも特筆すべきかと思われます。

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