よりどりインドネシア

2020年07月08日号 vol.73

ラサ・サヤン(7):~私のインドネシア音楽~(石川礼子)

2020年07月08日 11:38 by Matsui-Glocal
2020年07月08日 11:38 by Matsui-Glocal

「インドネシアの音楽」というと、バリ島の伝統舞踊やガムランを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。もしかしたら、クロンチョンやダンドゥットをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。私は音楽の専門家ではないので、インドネシア音楽のイロハを解説することはできません。ここでは、単純に私の好きな音楽や経験を基に、かなり狭い範囲の知識のなかでの「私のインドネシア音楽」をお話ししたいと思います。

●最初の出会いは「心の友」

私のインドネシア音楽との最初の出会いは、五輪真弓の「心の友」でした。えっ、日本の歌じゃない!と思われるでしょうが、「心の友」は日本では知名度ゼロです。1980年の終わり頃だったと思いますが、その頃、留学先のニュージーランド・オークランドで付き合い始めた主人と主人のインドネシア人の友達に「『心の友』を歌って!」とせがまれました。「その歌、知らない」と言うと、「あなた、日本人でしょう」と、信じられないという顔をされました。それが悔しくて、主人からカセットを借りて「心の友」を覚え、よくインドネシア人の学生たちと合唱したものです。

「心の友」は、あるインドネシアのラジオ関係者が1982年に日本で開催された五輪真弓のコンサートに参加。その時に聴いた「心の友」に感銘を受けたことから、1983年にインドネシアのラジオ番組で流したことがきっかけで、次第に人気が出て大流行したそうです。でも、日本語の歌詞の意味を知っている人はほとんどいません。それなのになぜ、大ヒットしたのか。五輪真弓さん自身も「なぜあれほどヒットしたのか、いまだに分からない」とコメントされているようです。あるインドネシア人の友人曰く「メロディがインドネシアの歌と似ていてなじみやすい」ということですが、おそらくそれが正解ではないかと思います。

●ブンガワン・ソロとクロンチョン

インドネシアに行くことが決まって、家業を手伝いながら準備していたとき、何かしらインドネシアに関するものに触れたいと思い、ヤマハミュージックに行き、インドネシア音楽のCDを探しました。その時に買ったのがHetty Koes Endang(へティ・クス・エンダン)のCDでした。今は絶盤になっていますが、その中の一曲が「ブンガワン・ソロ」(Benganwan Solo)でした。

「ブンガワン・ソロ」とは、中ジャワ州のソロ(別名・スラカルタ)市を通って中ジャワ州から東ジャワ州をまたいで流れる全長約540 km、流域面積15,000㎢のジャワ島最長の河川です。この流域は、ジャワ原人の化石が発見された場所でもあります。雨季には水が溢れ、乾季にはほとんど枯渇してしまう川です。そのソロ川の雄大さをソロ出身の音楽家グサン・マルトハルトノが1940年頃に作詞・作曲した「クロンチョン」というジャンルの歌です。

1950年代以前にお生まれになった方はご存知かもしれませんが、「ブンガワン・ソロ」は1951年に制作された日本映画の題名でもあり、市川崑監督が新東宝時代に撮った最後の作品だそうです。物語は、太平洋戦争終結前夜のインドネシア・ジャワ島を舞台に、日本軍の脱走兵と彼に恋心を抱く村の娘の悲恋を描いた作品です。その前の1947年に、松田トシという女性歌手がオリジナルの曲に日本語詞を付けて歌い、日本で最も良く知られる東南アジアの流行歌となりました。その日本語の歌詞が以下です。 

 

 ブンガワン・ソロ 果しなき

 清き流れに 今日も祈らん

 ブンガワン・ソロ 夢多き

 幸の日たたえ 共に歌わん

 

 聖なる河よ わが心の母・・・

 祈りの歌のせ 流れ絶えず

 花は咲き 花は散れど

 愛の誓いは とわに変わらじ・・・

 (繰り返し)

 

実際のインドネシア語の歌詞は、日本の歌詞とは大分意味が違います。オリジナルの歌詞を訳してみました(多少意訳、曲には合わせていません)。

 

 ブンガワン・ソロ これは大河の歴史

 昔からずっと人々は見つめてきた

 乾季には少ししか水がなく

 雨季にはとめどなく水が溢れる

 

 ソロからの源泉は

 千の山をも包んでしまう

 水は遠くにまで流れていき しまいには海へそそぐ

 舟が浮いている 昔むかし

 商いびとはいつも舟に乗っていた

 

日本語の歌詞と大分違いますよね。もう少し原文に忠実に作詞したものを歌ってもらいたかったなぁという気がします。しかし、この歌が日本でヒットしたということは、「心の友」同様、「ブンガワン・ソロ」のメロディが日本人の心を捉えたのでしょう。

この歌が「クロンチョン」というジャンルとは知らず、気に入って、ジャカルタに行くまでに覚えようと何度も練習しました。今から30年近く前の話です。その後、ジャカルタに移り住み、それ以前に5年ほど働いたJTBニュージーランド・オークランド支店から推薦してもらったことで、JTBジャカルタ支店で働き始めるようになりました。約1年後、オペレーション・マネージャーとしてインドネシア発信のパッケージ・ツアーの企画も任せられるようになり、その一環でジョグジャカルタとソロへ出張しました。歌で聞いていた憧れのブンガワン・ソロ(ソロ川)はどんなに美しいだろうと楽しみに訪れましたが、実際のソロ川は赤土流出で赤茶色の水が流れる、ただの川だったことにかなり落胆したのを覚えています。

CDのジャケットにもなった原作者のグサン・マルトハルトノ氏と赤茶色のソロ川。

「クロンチョン」とは「インドネシアを代表する大衆音楽」ということを知っている方でも、ポルトガルの影響を受けた音楽だと知る人は少ないのではないでしょうか。起源は16世紀に遡ります。当時、インドネシアの島々にやってきたポルトガルの船員たち(ポルトガル人、アフリカ人、アラビア人たち)の音楽がインドネシアの音楽と混ざって混交音楽としてのクロンチョンが生み出されたそうです。クロンチョンの特徴は、打楽器を使わず、弦楽器がリズムを作っていくところです。その「クロンチョン音楽」の最も代表的な曲が、この「ブンガワン・ソロ」です。現代では、この「ブンガワン・ソロ」はジャズ風やボサノバ風にアレンジされ、歌い継がれています。

 

(以下に続く)

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