ジャワ島からバリ島にかけての南海岸には、有名な「南海の女王伝説」がある。女王の名は「ニィ・ララ・キドゥル」「ニャイ・ロロ・キドゥル」などと地域によって様々な呼び方があるが、一般的には「ニィ・ロロ・キドゥル」が有名である。現代に至るまでジャワ島の人々に深く信じられてきたこの伝説には、意外なメッセージも込められていた。伝説の真意について迫ってみたい。
●「南海の女王」ニィ・ロロ・キドゥル伝説
前述の「南海の女王」の呼び名同様、ジャワ島は東西1,000キロメートル以上と東西に長いだけに、南海岸の地域ごとに女王伝説の内容も様々なバージョンがある。ここでは一般的なものを紹介したい。
ニィ・ロロ・キドゥルの肖像画(バスキ・アブドゥラ作)。作品はジョグジャカルタの大統領宮殿所蔵。
パジャジャラン王国(西ジャワ州、11世紀前後~16世紀末)の時代、プトゥリ・ララ・カディタという王女がいた。彼女は母親である王妃をも上回る美しい女性だった。このため七人の側室たちが妬み、彼女と母親である王妃に密かに病を感染させて二人の美貌を奪った。美貌を失った二人は王国を追われ、流浪のなか、母親は死んでしまう。
一人になった王女がある日寝ていると、呪術者が夢に現れ、彼女にお告げをした。
「海に入って身を清めれば病は治り、以前の美しさを取り戻す。また特殊な能力も身に付けて南海を支配できるようになるだろう」
夢に従って王女は南海岸へ行き、大きな波の打ちつける海に迷わず身を投げた。お告げの通り彼女は美貌を取り戻しただけでなく、能力と共に永遠の命も得て、南海を支配するニィ・ロロ・キドゥルになった。
後にニィ・ロロ・キドゥルは、マタラム王国(1587~1755)の初代王、パネンバハン・スノパティに出会い、彼女がマタラム王国を守ることを約束する。以来、ニィ・ロロ・キドゥルはマタラム王国の代々の王たちの「精神的な妻」となり、王家とジャワを守ってきた、と人々に信じられるようになった。
以上がニィ・ロロ・キドゥル伝説で、ジャワ島南海岸の人々は彼女を崇め敬い、海岸では横柄な態度をとらず、いい加減な発言をしない、といった規律を守り続けた。守らない者はニィ・ロロ・キドゥルの怒りを買って大波にさらわれ命を奪われる、と信じられた。
南海岸で緑色の服を着るのもタブーとされた。緑色はニィ・ロロ・キドゥルのお気に入りの色で、この場合も波にさらわれてしまう。現代でも南海岸では漁師をはじめ海水浴に来た人たちは緑色の服は身に着けない。
ジャワ島の南海岸は海岸線からほど遠くない所で海底が深くなっているため、波が大きくなりがちである。このため古来より波にさらわれる事故が多かったとみられ、海難事故への注意喚起、警鐘から生まれた伝説ともみうけられる。
<以下に続く>
- 現代にも続く伝説、スカルノ初代大統領と南海の女王
- 現代のジョグジャカルタ王と南海の女王
- ジョグジャカルタの南海女王伝説と科学からの視点
- 「南海の女王伝説」に秘められたメッセージ
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