2019年9月6日、晴れ晴れとした顔のジョコ・ウィドド(通称・ジョコウィ)大統領は、中ジャワ州ボヨラリ県のとある自動車組立工場の開所式に出席しました。この工場は、『エスエムカ』(Esemka)と呼ばれる自動車の製造・組立を行う、PT. Solo Manufaktur Kreasi [SMK] という民間企業の工場です。
『エスエムカ』工場の開所式で、試乗するジョコウィ大統領。(出所)https://www.tribunnews.com/regional/2019/09/06/foto-foto-peresmian-pabrik-mobil-esemka-di-boyolali-jokowi-kalau-belinya-produk-impor-keterlaluan
エスエムカという名前は、SMKというアルファベットのインドネシア語での発音です。通常、SMKといえば、Sekolah Menengah Kejuruan、すなわち実業高校の略称です。そして、そもそも、この『エスエムカ』の話は、実業高校から始まった話なのです。
インドネシアはこれまで、産業化の中心に自動車製造の国産化を掲げていました。1990年代に『ティモール』という国民車が一時脚光を浴びましたが、その実態は、韓国・起亜自動車の『セフィア』という車でした。今では、インドネシア国内で『ティモール』を見かけることはほとんどありません。この国民車構想は、当時のスハルト大統領の三男・トミーが仕切っていました。
ご承知のように、インドネシアの自動車市場は、これまでずっと日本企業の独壇場でした。国内市場における日本車の比率は9割を超え、日本よりも日本車比率が高いとさえ言われていました。このため、他国企業が参入するのは難しい状況が続いてきました。
近年、韓国企業や中国企業がインドネシアの自動車市場に参入してきていますが、まだ日本企業を脅かす状況ではありません。しかし、今後、電気自動車へのシフトが進んでいくなかで、インドネシアの自動車市場の様相も変化していく可能性があります。
そうした状況のなかで、今回の『エスエムカ』は、インドネシアでの自動車国産化の夢よもう一度、という話なのです。
でも、それは本当に自動車国産化の話になるのでしょうか。これまでの『エスエムカ』をめぐる話は、消えたかと思うと現れ、また消え、また現れる、という展開でした。そもそもが、ジョコウィがソロ市長の時にこの『エスエムカ』の話が大きくなったこともあり、相当に政治的な色彩を感じる部分もあります。
本稿では、この『エスエムカ』の現在に至るまでの軌跡を紹介するとともに、そのから読める『エスエムカ』の実態を明らかにしたいと思います。
読者コメント
ahmadhito
一般公開 メディア露出が減っていたエスエムカーのことが気になっていた...