よりどりインドネシア

2019年09月08日号 vol.53

連続コラム・パプア(1) :フリーポート社とパプア(松井和久)

2019年09月08日 12:05 by Matsui-Glocal

〜 本号から何本か、パプアに関する連続コラムを書いてみます。内容についてはその時々で変更がありえます。予めご容赦ください 〜

本誌でも取り上げましたが、8月後半から、ジャワ島で起きたパプア出身者に対する差別への抗議行動が起こってきました。なかには、「モーニングスター」旗を掲げ、インドネシアからの分離独立を主張する者も多数現れました。

インドネシア政府は、パプア出身者への差別行為を批判し、関係者の処罰を約束すると同時に、「パプア独立」を唱えた者たちを国家に対する反逆罪の容疑で逮捕・拘束しています。後者は今回が初めての措置ではなく、スハルト時代から一貫して採られてきた措置であり、国内外から強権的との批判を受けています。

インドネシアという国家は、旧オランダ領東インドの領域がそのまま独立した形の国家です。ただし、1945年に独立を宣言した際、同じオランダ領ではあったものの、パプアは独立国家の領域に入っていませんでした。海洋マレー語をインドネシア語としたマレー系を中心とする人々からすると、メラネシア系の人々が暮らすパプアは異質な世界と捉えられていたものと思います。

オランダ自体も当時、パプアという領域を隅から隅まで支配していたわけではなく、主に沿岸部を中心に点と点で支配していたというのが実態のようです。オランダにとっても、パプアは異質な世界、人々との深い関わりを持とうとは考えない世界だったろうと思います。

インドネシア独立前後のパプアは、独立したばかりのインドネシアにとっても、植民地支配をしてきたオランダにとっても、差別する以前の無関心な対象だったのではないかと思います。

そんな状況が変化し始めるきっかけとなったのは、1930年代にオランダの地質学者が金鉱と銅鉱の広がりを発見・調査したことでした。その後、フリーポート社に勤務していた地質学者が1960年に巨大な銅鉱床を発見、すぐにフリーポート社が買収します。

パプアのインドネシアへの帰属の是非が国際問題となったのは、まさにその頃でした。前号で取り上げたいわゆる「ニューヨーク協定」の締結は1962年8月15日、国連暫定統治の後、1963年にインドネシアへ行政権が移管され、1969年までに自由選択行為という名の意見聴取を行い、インドネシアへの帰属が選択された、ということになっています。

この間に反共主義のスハルト政権が誕生し、1967年に定められた外資法の第1号がこのフリーポート社の金鉱・銅鉱開発となったわけです。

フリーポート社による鉱山開発(出所)https://finance.detik.com/energi/d-4129634/pemda-papua-tetap-beli-saham-freeport-bayarnya-pakai-dividen

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