太平洋戦争中の一時期、南スラウェシのマカッサルには、インドネシアの独立の支援などを行う「花機関」という名の海軍特務機関がありました。ここに、興亜専門学校(現:亜細亜大学)等で、マレー語(インドネシア語)を学ぶ学生が大量動員されました。
花機関の責任者は、インドネシアの独立運動に一生を捧げた吉住留五郎でした。吉住留五郎については多くの出版物が残されているので、本稿では、動員された学生の足跡を追ってみたいと思います。
●亜細亜大学構内にある興亜神社
JR中央線武蔵境駅ほど近くに立地する亜細亜大学の構内の一角に、戦没同窓生97柱の英霊が祀られた興亜神社があります。
亜細亜大学の前身は、昭和16年(1941年)に設立された興亜専門学校です。神社内に建立された戦歿校友銘碑には、氏名、学年度、戦歿年月日、戦歿場所が刻まれています。戦歿場所は、アジア全域にわたっていますが、そのなかで、バシー海峡・万光丸で17柱、マニラ沖・鎌倉丸9柱、マカッサル3柱、ボルネオ3柱などが目に留まりました。
(以下の内容へ続く)
- 鎌倉丸・万光丸の悲運
- さらなる派遣要請
- 花機関の解散
- 岡田晃三さん
- 矢野弘明さん
- 米山友一さん
- 畑田実さん、金井清さん、池田末吉さん
読者コメント