カリカリに揚げた中華麺の上にトロッと餡(あん)のかかったかた焼きそば。日本では、長崎の皿うどんもその一つですが、インドネシアの美味しいかた焼きそばと言えば、やはりマカッサルです。
かた焼きそばはミー・クリン(mie kering)と呼ばれますが、マカッサルでは、ミー・ティティ(mie titi)と呼ばれることも少なくありません。後者のミー・ティティは、マカッサルで最も有名なかた焼きそば屋で、これを知らないマカッサル住民はいないと断言できるほどです。
ミー・ティティは、次の写真のようなものです。
店頭には、カリカリに揚げた中華細麺が盛られた皿がうず高く重ねられ、その脇では、中華麺にのせる餡が作られています。
餡をつくる鍋を熱する燃料は、マングローブの木材を使っています。ちょうどいい加減の温度の火力が持続するので、ガスよりもこちらを選好しています。これは、チョト・マカッサル(牛肉臓物の入った香辛料入りスープ)でも同様です。
今回は、このマカッサルのかた焼きそばの歴史について、いつ頃から誰が始めたのか、どんな展開になったのか、ちょっと見てみたいと思います。
●マカッサルかた焼きそばの始まり
マカッサルかた焼きそばの始まりは、やはり華人によるものでした。マカッサルは昔から華人も多く住む街であり、とくに、旧市内のサンギル通り(Jalan Sangir)とティモール通り(Jalan Timor)に囲まれた区域付近は、中華街(Pecinaan Makassar)と呼ばれています。
筆者の得た情報を見る限り、マカッサルでかた焼きそばを初めて出した店は、1940年代に創業した「キオス・フロリダ」(Kios Florida)という店です。
この店は、ブルサラウン通り(Jalan Bulusaraung)で開業し、その後、1950年代後半にバウ・マセッペ通り(Jalan Bau Maseppe)へ移った後、1972年、当時はまだ馬小屋が並んでいたランゴン通り(Jalan Ranggong)に店を構え、現在もそこで営業しています。
この店の主人であるクスワント氏はマカッサル生まれの華人で、73歳の今も息子と一緒に調理を続けています。彼の父親はチャン・ホン・アク(Tjiang Hon Ag)という名前で、1937年に中国・広東からマカッサルへ移住してきて、植民地政府のコックとして働きました。クスワント氏は8人兄弟で、彼を含めた4名が麺店を営んでいます。
この店のかた焼きそばは、普通に頼んでも、チャーシューや豚の内臓が入った超大盛で、ひとりで食べ切るのは容易ではありません。
かた焼きそば以外にも、炒め焼きそば(Mie Goreng Hokkian)、中華丼(Nasi Cap Cai)、カエルの揚げ物(Kodok Goreng)などなど、ムスリムの人々は食べられない料理が多数ありますが、昔、この店によく通った筆者の一押しは、これです。
シューマイ(Sio May)です。きちんとした肉シューマイで、甘辛いドロッとしたタレをつけて食べます。マカッサルには、肉シューマイを出す店が他に数軒あります。
●ムスリムでも食べられるかた焼きそばが発展
前述のキオス・フロリダのかた焼きそばは、豚で勝負のもので、ムスリムは食べることができません。それでも、マカッサルかた焼きそばがこんなに有名になったのは、むしろ、ムスリムでも食べられるかた焼きそばが人気を大きく集めたためなのです。
下の写真はミー・ティティのものですが、マカッサルでは「Umum(一般)」と書かれているところは、ムスリムも食べられるという意味です。
その経緯も、出発点は華人でした。やはり広東出身のアン・コ・チャオ(Ang Kho Tjao)という人が1960年代に始めたミー・アンコ(Mie Angko)という屋台で、バリ通り(Jalan Bali)で開きました。道端の屋台は、机一つに椅子数個という質素なものでした。
その屋台を息子のアワ(Awa)が引き継ぎ、名前を「ミー・アワ」(Mie Awa)と変え、バリ通りに机4つの小さな店を出しました。ミー・アワは「味がよい」と評判になり、店の前には長い行列ができるようになりました。
アワは、ゴワ県出身のムスリム女性と結婚しますが、この女性は、ミー・アンコの大ファンで、よく食べに来ていて、麺を持ってくるアワを店で見染めたといいますから、もともと、ムスリムでも食べられる麺だったようです。
ミー・アワは、2012年からスラウェシ通り(Jalan Sulawesi)で営業しているほか、息子のワワンを中心に、マカッサル市内に4つの支店を開いています。
アワの兄弟たちも、アワに倣ってかた焼きそば屋を始めるのですが、先に述べた有名なミー・ティティも、ティティという姉または妹が始めたものです。
ほかにも、兄弟の名前がついたミー・ヘンキー(Mie Hengky)、ミー・アント(Mie Anto)、ミー・ヤント(Mie Yanto)、ミー・チェン(Mie Ceng)、ミー・テディ(Mie Tedy)といったかた焼きそば屋がマカッサル市内などにあります。
●ジャカルタやスラバヤには支店がない
彼らのかた焼きそばのレシピは門外不出らしく、ミー・アンコのものをしっかり受け継いできていますが、やはり、店によって味に違いが出てしまいます。
カリカリに揚がった中華麺とその上にのった餡にレモンをジューッとかけて、細かく切った後、サンバル(チリソース)をダボダボ垂らして、餡の汁と一緒に中身をいただきます。うーん、うまい!!!
ミー・ティティでは、最近では、オリジナルの鶏肉以外に、シーフードのかた焼きそばもお目見えしています。
マカッサルかた焼きそばは、マカッサル市内のほかには、パレパレやパロポなど、南スラウェシ州内の地方都市にミー・ティティの支店が出ているほか、バリ島のデンパサールにも支店があります。しかし、ジャカルタやスラバヤには支店がありません。
このかた焼きそばを食べたければ、マカッサルへ来るしかありません。そして、マカッサルには、かた焼きそばだけでない、諸々の美味しい料理が待っています。
2日間で12食という、マカッサル食い倒れツアーもご用意できます。ご希望の方は、ご連絡くださいね。
(松井和久)
<参考文献>
- Anna Asriani Muhlis (2017) “Warung Mie Legendaris di Kota Makassar” ( http://kopikepo.com/2017/cerita/urban/warung-mie-legendaris-di-kota-makassar/ )
- Anna Asriani Muhlis, “Makassar dalam Mie” ( https://makassarnolkm.com/makassar-dalam-mie/ )
読者コメント