よりどりインドネシア

2022年05月07日号 vol.117

食彩インドネシア(2):ルンダンは料理名ではなく料理法(松井和久)

2022年05月08日 18:31 by Matsui-Glocal

今年(2022年)は、日本の黄金週間とインドネシアのレバラン休暇が見事に重なり、多くの方々が長期休暇を楽しまれたことと思います。レバランには、多くのインドネシアのイスラーム教徒が家族で集まったり、親戚や恩人・知人を訪問したり、皆んなで集まる機会が多くなります。当然、行く先々でたくさんの食事をいただくことになります。

今から31年前の断食明け大祭(イドゥル・フィトゥリ)の際、西スマトラ州パダンを訪問し、国立アンダラス大学の先生の親戚訪問に同行しました。先生のご家族と一緒に同乗させていただき、パダンパンジャンとブキティンギにある先生の親戚の家を一日かけて訪問しました。パダンパンジャンの家では盛大にもてなされ、様々な料理をたくさん食べて堪能しました。

続いて、ブキティンギの家でも歓待されたのですが、料理を食べながら、やっと気づきました。そう、同じ一族の親戚の訪問なので、これでもか。これでもかと出される料理の種類と味付けがまったく同じだったのです。パダンパンジャンの家で食べ過ぎたこともありましたが、ブキティンギの家で出された料理に食欲が全然湧いてきません。でも、せっかく歓待してくださっているのに食べないのは失礼だと思い、頑張って懸命に食べました。そして限界に達した後、先生とご家族にお礼をして、すぐにブキティンギのホテルに駆け込み、しばらくベッドから動けませんでした。

あのときにも、そして今も、レバランなどのお祝いの席に供される大切な料理がルンダン(Rendang)です。ルンダンとは、牛肉をココナッツミルクとたっぷりのスパイスでじっくり煮込んだ西スマトラ・ミナンカバウ族発祥の伝統郷土料理とされ、2011年のCNN調査で世界一おいしい料理に選ばれました。なお、ルンダンについては、水谷研也さんが『よりどりインドネシア』第37号(2019年1月8日発行)で以下を書いていますので、ご一読ください。

ルンダンは今や、発祥地の西スマトラだけでなく、インドネシアのほぼ全土、マレーシアやシンガポール、ヨーロッパなどで広く食べることができます。日本のインドネシア料理店でも定番メニューですし、食材店では「ルンダンの素」さえ入手可能です。読者の皆さんのなかにも、きっと大好きな方が少なくないのではないでしょうか。

今回は、このルンダンをめぐるいくつかの興味深い話題を提供します。まず、ルンダンの由来や保存食としての歴史について触れ、ルンダンが西スマトラから各地へ広がった背景について見ていきます。次に、牛肉や水牛肉以外の様々な西スマトラのルンダンを紹介します。そして、ルンダンとは料理名ではなく、実は料理法であることを明らかにします。最後に、常に正統性を競い合うマレーシアのルンダンとの違いについて述べていきます。

インドネシアのパダン料理屋や屋台で、日本のインドネシア料理店で、ルンダンを食べるとき、本稿の蘊蓄(うんちく)をちょっと思い出していただければ、口にしたルンダンの美味しさに一層の深みが出てくるかもしれません。

西スマトラ州パヤクンブ市の牛肉ルンダン。同市はルンダンで町おこしを試みている。(出所)https://lifestyle.okezone.com/read/2016/11/27/298/1552519/resep-rendang-payakumbuh-hidangan-lezat-untuk-makan-malam

●ルンダンの由来と保存食としての歴史

西スマトラのミナンカバウ族は、いったい、いつ頃からルンダンを食べてきたのでしょうか。

ある研究者は、8世紀ごろから存在していたと主張しています。その背景には、西スマトラとインドとのつながりがあります。たしかに、ルンダンの見た目はインドのカレー料理によく似ています。西スマトラへはインド人(主に西インドのグジャラート系とされる)が渡航し、その際に、インドから様々な香辛料が伝えられたとされます。ただし、当時のルンダンが現在のそれと同じものだったかどうかは不明です。ここで言えること、ルンダンがインドからの香辛料やカレー料理の影響を受けていると想像できる、ということです。

ルンダンで重要なのは、インド由来のカレーに似ているということだけではありません。だいぶ後になりますが、ポルトガルが進出してきた16世紀に、ポルトガル植民地だったマレー半島のマラッカで、西スマトラ出身のミナンカバウ族による乾燥肉の調理技術が広まったという話があります。ミナンカバウ族は、長年の経験から、肉を乾燥させて調理する、肉の保存食の技術を確立していたということになります。

これは現在のルンダンにつながる話です。というのは、ルンダンは単なるカレー料理ではなく、保存食としての性格も持っているからです。適切に調理したルンダンは、常温で2~4週間も保存可能です。熱帯で、冷蔵庫も貯蔵施設もなかった時代に、彼らは長期保存可能な肉の調理技術を培っていたと想像できます。

●ルンダンはなぜ広まったのか

ミナンカバウ族は、移動性の高い民族です。母系制社会のミナンカバウ族では、青年男子が成人前に故郷を離れ、ムランタウ(主に出稼ぎ)で様々な経験を積む、などとよく言われます。実際、ミナンカバウ族は、スマトラ島内のリアウ、ジャンビなどだけでなく、マラッカ海峡を越えてマレーシアへ移動し、ムランタウ先に定着する者も少なくありません。インドネシアのほぼ全土にパダン料理店が立地しているのも、このためです。

そして、ミナンカバウ族が移動する際には、保存食であるルンダンを持参したことでしょう。彼らの広範な移動がルンダンを広める結果をもたらしたのでした。

他方、オランダ植民地時代、ルンダンはヨーロッパ人にも広く知られ、貴重な料理として愛されていました。そのきっかけとなったのは、1912年に発刊された『スンティン・ムラユ』(Soenting Moelajoe)という新聞でした。この新聞は「ミナンカバウの女性向け新聞」を標榜し、ミナンカバウ女性の活動やレシピを掲載していました。『スンティン・ムラユ』はバンドゥン、メダン、ブンクル、ゴロンタロ、タンジュンカランなどへ届けられ、ルンダンのレシピも掲載されました。すると、蘭領東インド各地に在住のヨーロッパ人が、送金の際にルンダンも送ってくれるように求めたということです。

また当時、ザイヌッディン(Zainoe’ddin-moro)という人物の編集する、女性向けレシピ本 “meisjes-vervolgscholen” がミナンカバウ料理などマレー・スタイルの料理を紹介していましたが、最も人気のあったのがルンダンのレシピでした。この本が発行されていた1930年代はミナンカバウ料理が大きく発展し、ルンダンなどが人気を博しましたが、第二次大戦終戦後は肉の供給が途絶え、ルンダンの生産も大きく落ち込んだということです。

ルンダンには忍耐、知恵、永続性の3つの哲学があると言われます。まず忍耐ですが、材料や調味料を丁寧に炒める、火加減を調整する、そして、焦がさないように弱火で4~8時間も熱を加え続けます。次に知恵ですが、材料や調味料をどのように選択して組み合わせるか、という点で知恵が必要です。そして、忍耐と知恵を続けていく永続性が必要になります。

ルンダンは、保存食であると同時に、王の即位、儀式、結婚などのハレの日の伝統行事などの際に供される、特別な料理でもあります。たとえば、かつて、式典の際に、1キロの牛肉のルンダンを特別の皿に盛り、様々な料理の列の最後に置く「ケパロ・サンバ」(Kepalo Samba)というものがありました。この特別の皿のルンダンは行事終了後にホストが食べる一方、小さく切り分けたルンダンは他の料理と一緒に並べられ、来客者が食べる形です。近代化とともに、特別の皿のルンダンは香辛料を塗った木製の「ルンダン」に取って代わられ、時とともに「ケパロ・サンバ」は消えていきました。

(以下に続く)

  • 実に様々なルンダン
  • ルンダンという料理法
  • マレーシアのルンダンと何が違うか
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