よりどりインドネシア

2017年07月22日号 vol.2【無料全文公開】

北スラウェシでの中国系セメント工場襲撃事件(松井和久)

2020年01月18日 22:31 by Matsui-Glocal

前回の「よりどりインドネシア」創刊号では、中国から北スラウェシ州への観光客が激増しているという話題を取り上げました。

インドネシアでの中国の影響力拡大は、首都ジャカルタよりもむしろ、日本人があまり行かない地方で、より目に見える形で進行している様子がうかがえます。北スラウェシ州政府は、中国からの観光客増加を歓迎するとともに、ビトゥン特別経済区及びその関連インフラの建設において、中国が果たす役割への強い期待を表明しています。

そんななか、6月5日、州内に立地する中国系セメント工場が襲撃される事件が起こりました。北スラウェシ州ボラアン・モンゴンドウ県ロラック郡にあるPT. Conch North Sulawesi Cement [CNSC] という企業がそれです。この企業は、中国にある安徽海螺水泥股份有限公司の子会社で、2015年に投資調整庁(BKPM)の認可を受けた、敷地面積700ヘクタールのセメント工場です。

昨今、中国からインドネシアへの投資や企業進出に対する批判がメディアにも表れていますが、この中国系セメント工場襲撃事件はなぜ起こったのでしょうか。中国から労働者を多数投入して地元人材の雇用機会を奪っている、ビザの不正発給を行っている、といったメディアで一般的な批判に関わる要素ももちろんありますが、調べてみると、どうもそれだけではないようです。今回、本稿では、その背景について、少し詳しくみていきます。

今回の中国系セメント工場襲撃事件は、「中国だから嫌われている」として片付けられる問題ではありません。今後、外資がインドネシアの地方で投資やビジネスを行っていくうえで、留意すべき様々な要素を内包しています。以下をご一読のうえ、ぜひ参考にしていただきたいと思います。

●中国系セメント工場はなぜ襲撃されたのか

2017年6月5日、PT. CNSCの工場と宿舎が襲撃されました。襲撃に加わった者は70人で、11軒の建物、240枚の窓ガラス、100枚のガラス戸が破壊されました。

襲撃したのは、ボラアン・モンゴンドウ県知事の命令を受けた県警務隊(Satpol Pamong Praja)の隊員でした。外資である中国系セメント工場の襲撃を命じたのが県知事だったということで、北スラウェシ州内では大問題となりました。

中国系セメント工場は、なぜ襲撃されたのでしょうか。ボラアン・モンゴンドウ県のヤスティ県知事は、襲撃の後、PT. CNSCを6月12日まで閉鎖すると発表しました。彼女によると、PT. CNSCは、採鉱許可、敷地内の宿舎、ミキシング・プラント、砕石場など7つの建築許可をまだ取得しておらず、県政府の警告書を無視して営業を続けていたということです。また、PT. CNSCは2015年以来、中国人労働者数を県政府に報告していません。県政府はその数は約300人、その一部は正式ビザを持っていない可能性があると見ています。

●県知事による閉鎖令の解除

事態を重く見た北スラウェシ州政府は、すぐに動きました。外資に対する北スラウェシ州のイメージが悪化し、特に、最悪の場合、ビトゥン特別経済区や関連インフラへの投資を期待する中国が撤退する可能性もあり得るためです。ボラアン・モンゴンドウ県知事、同県警務隊、PT. CNSCと協議を行い、イメージ悪化を防ぐことに努めました。

また北スラウェシ州警察は、襲撃したボラアン・モンゴンドウ県警務隊の14人を拘束し、裁判など法的措置をとることを約束しました。

これらの努力を受けて、ボラアン・モンゴンドウ県政府は再度PT. CNSCと交渉を持ち、PT. CNSCが早急に許可書類を整えると約束したことで、6月12日、PT. CNSCへの閉鎖令を解除し、操業が再開されました。この席で、ボラアン・モンゴンドウ県側は、130人の地元労働者の賃金改善要求も行うとともに、未払いのC類鉱物採掘負担金の県政府への支払いを要求しました。

こうして、事態は一応終息したかのように見えますが、ヤスティ県知事は、PT. CNSCが約束を守らなければ、再び襲撃する可能性があることを示唆しています。実は、PT. CNSCの存在それ自体が県知事に問題視されている気配があるのです。

●中国系セメント工場襲撃の本当の理由

実は、襲撃事件が起こる1週間前の5月30日、ヤスティ県知事は県政府内の会合で、「来週、PT. CNSCを閉鎖する」と明言していました。そして、「セメント工場より優先すべきは空港建設である。2018年に大ボラアン・モンゴンドウ州が成立したなら、空港が必要になるから」「セメント工場が操業を続けたなら、飛行機の航行の支障となるので、空港は建設できなくなる」と述べたと報じられています。

そして、「セメント工場が操業を続けるならば、空港建設は難しい。その場合には、PT. CNSCから県予算へ2500億ルピアを支払わせる。そして、労働者の9割を地元雇用とすることを飲ませる」「採掘ロイヤルティは取れる。CSR(企業の社会的責任)資金も入る。2500億ルピアを県予算へ支払わせる条例を作る。PT. CNSCは住民に雇用を約束する。すべてがうまくいくではないか」とも述べたということです。

すなわち、許認可書類の不備というのは表向きの理由で、本当は、大ボラアン・モンゴンドウ州の成立を視野に、セメント工場の追い出し、それが無理ならば、セメント工場からカネを搾り取ることが本当の理由だった可能性があるのです。

では、そこに出ている大ボラアン・モンゴンドウ州設立という話は、一体、何なのでしょうか。

●悲願の大ボラアン・モンゴンドウ州設立

1999年以降の地方分権化のなかで、2000年に北スラウェシ州からゴロンタロ州が分立しました。北スラウェシ州の西部でゴロンタロ州と接する当時のボラアン・モンゴンドウ県では、このゴロンタロ州分立の動きに刺激され、自分たちの州を設立して北スラウェシ州から分立しようという機運が高まっていきました。

インドネシアの地方政府法では、新しい州を設立するのは最低5つの県・市が存在することが条件となっています。このため、当時のボラアンモン・ゴンドウ県もまた、その領域内に最低5つの県・市を作る必要ができました。このため、2007年1月2日に北ボラアン・モンゴンドウ県とコタモバグ市が設立、2008年7月21日に南ボラアン・モンゴンドウ県が設立、2008年9月30日に東ボラアン・モンゴンドウ県が設立し、それらが分立した後の残りのボラアン・モンゴンドウ県と合わせて、5つの県・市となり、これをもって大ボラアン・モンゴンドウ州の実現へ向けて動いているのです。

自治体の数が増えるということは、首長などの政治ポストが増え、それに合わせて中央政府からの予算も増える、という面があります。現在のゴロンタロ州の領域は、かつてゴロンタロ県の領域でした。それ以後、ゴロンタロ州のような、元々の県を5つに分けて独自州の設立を目指すという手法を、ボラアン・モンゴンドウ県をはじめ、各地で採るようになっていきました。

ボラアン・モンゴンドウ県のヤスティ県知事の前職は国民信託党(PAN)所属の国会議員で、彼女は、中央政府における大ボラアン・モンゴンドウ州設立運動の中心人物の一人でした。もっとも、新設空港の立地場所などをめぐっては、5つの県・市間で様々な思惑がぶつかってもいます。

以上のように、地方に外資が立地する場合には、こうした地方政治の動きも含めて、様々な角度から情勢分析を行うことが求められてくるのです。

(松井和久)

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