よりどりインドネシア

2023年12月09日号 vol.155

ラサ・サヤン(46) ~アイス・コールド~(石川礼子)

2023年12月09日 10:46 by Matsui-Glocal
2023年12月09日 10:46 by Matsui-Glocal

●毒入りコーヒー殺人事件

2020年8月8日発行の『よりどりインドネシア』第75号に『毒入りコーヒー殺人事件』(https://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/22633/)というエッセイを投稿しました。それは、2016年に実際に起きた事件を題材に書いたものです。

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2016年1月6日、当時27歳のジェシカ・クマラ・ウォンソ(以下、「ジェシカ」)は永住権を所持するオーストラリアから、家族が住むジャカルタに一時帰国していました。ジェシカは、ジャカルタの巨大モールにある高級カフェ「カフェ・オリビエ」で、留学時代の友人、ワヤン・ミルナ・サリヒン(以下、「ミルナ」)とハニ、そしてベラの3人の女友達と会う約束をしていました。当日、ジェシカは交通規制の関係で約束の3時間も前にカフェに到着しました。それを知った3人の友達は約束の時間を早め、17時に会うことになりました。

ジェシカはモールに到着して先ず約束のカフェを下見した後、3人の友達へのギフトを買いに一旦カフェを出ます。それから40分後の16時14分、3つの紙袋を持って再び入店、扇型のテーブルに着きます。ジェシカは、WhatsApp(インドネシアで主流のインスタントメッセンジャーアプリ、以下、「WA」)のグループチャットでミルナが好きだとチャットしたアイス・ベトナムコーヒーを、ハニと自分用にカクテルを二つ注文し、同時に支払いを済ませます。その約50分後の17時16分にカフェに到着したミルナとハニは席に着き、ミルナは既にテーブルに置かれたアイス・ベトナムコーヒーを一口飲みます。その途端、飲み物の異変に気付き、ぐったりとし、口から泡を吹き出したため、近くの病院に運ばれました。しかし、18時30分にミルナは息を引き取ります。検死の結果、死因はシアン化物(以下、インドネシア語で「シアニダ」)による胃粘膜損傷出血と判明。ミルナが飲んだコーヒーのサンプルからもシアニダが検出されました。

ミルナが亡くなった23日後の1月29日、警察は直接証拠が無いままジェシカを殺人容疑で逮捕します。拘留期間の120日間(4ヵ月間)に実況検分が二回行われ、検察はこの事件を起訴、逮捕から4ヵ月半後の6月15日に初公判が開かれました。検察側はジェシカが、買ってきた3つの紙袋を横一列に置いて盾にし、CCTVから死角となる紙袋の後ろでシアニダをミルナのコーヒーグラスに入れたと主張しました。

裕福な家庭の子女、ジェシカ(左)とミルナ(右)。(出所)https://www.kompas.tv/nasional/441846/jejak-kasus-kopi-sianida-ii-dua-sahabat-karib-dan-curhatan-berakhir-kematian?page=all

ジェシカ被告側は、私選弁護士2名体制で公判に臨みました。一人は、ジェシカの叔父に当たるユディ(以下、「ユディ弁護士」)、もう一人は凄腕弁護士のオットー・ハシブアン(以下、「オットー弁護士」)です。初公判から判決が言い渡されるまでに4ヵ月掛かりました。4ヵ月の間に計31回の公判、時間数にして289時間15分と、インドネシア史上最長の公判となり、朝から翌日未明まで15時間以上、審理が続く日もありました。出廷した証人は、検察側から30人、弁護側から16人の計46名。傍聴人も過去最多となる約300人が押し寄せ、法廷に「立ち見」が出たほどです。2016年10月28日、裁判官はジェシカ被告と弁護団の主張を却下し、検察の求刑通り「禁錮20年」の判決が下りました。ジェシカ被告の弁護団は判決を不服として今までに二回控訴しましたが、最高裁判所はいずれの上告も棄却しています。

以上が、事件の概要です。

●『アイス・コールド』

2016年に起きた事件のことをなぜまた書くのかというと、今年の9月28日に「ネットフリックス」で、この事件が『Ice Cold(アイス・コールド)』というドキュメンタリー作品として配信されました。

「ネットフリックス」とは、ドラマや映画、アニメ、ドキュメンタリーなど幅広いコンテンツを有料で配信するストリーミングサービスで、2023年第2四半期には世界で約2.4億人が契約していると発表されています。

ネットフリックスで配信中の『アイス・コールド』の広告。(出所)https://kincir.com/movie/review-film-ice-cold-murder-coffee-and-jessica-wongso/

『アイス・コールド』は、インドネシア国内外で大きな反響を呼び、「ジェシカは犯人ではなく、スケープゴートだった」、「インドネシアの司法制度はおかしい」、「ミルナの父親がミルナに高額の保険を掛けていた」などといった噂が飛び交いました。巷では、『ジェシカに正義を』と称した集会が開かれるようになり、Youtubeではこの事件に関するあらゆる特集が組まれ、ネット社会では「#justiceforjessica」ムーヴメントが広がっています。

ネットフリックス配信後1週間で再生回数300万回を記録し、インドネシア視聴率No.1となった『アイス・コールド』は、シンガポールに本社を置く中国系のテレビ・映画制作会社によって制作されました。インタビュアーは、英語の発音からオーストラリア人と思われます。

この『アイス・コールド』の幾つかのポイントと、この事件に思い入れのある私自身が感じるところを書いてみたいと思います。

 先ず冒頭に、亡くなったミルナの父親、エディ・ダルマワン・サリヒン(以下、「父エディ」)が登場し、「ジェシカは悪魔だ」と言い放ちます。インタビュアーに銃を所持しているか訊かれ、ポケットから出そうとするところを止められます。その後、射撃場で何発か撃つ姿が映し出されるのですが、冒頭の言葉をはじめ、父エディが放つ言葉や内容は尋常ではありません。娘を失った父親が殺したと思う相手を憎むのは当然ですが、彼は非常に野蛮な人物という印象を視聴者に与えます。事実、他のYoutubeチャンネルのインタビューでも、父エディは「警察や汚職撲滅委員会には、俺のダチがいるんだ」とか、「ネットフリックスはゴミだ。ケチな白人野郎め」などと暴言を吐き、視聴者にネットフリックスを観ないよう、すぐに解約するよう呼び掛けています。

ネットフリックスに出演したにも関わらず、父エディがネットフリックスを悪く言うのは、この『アイス・コールド』がジェシカの弁護側に立って作られているからです。インタビューを受けている際は良い気になってベラベラ喋ったものの、蓋を開けてみたら自分に不利な内容になっていて驚いたのでしょう。

(以下に続く)

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  • 残る疑問
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