よりどりインドネシア

2020年08月08日号 vol.75

ラサ・サヤン(8)~毒入りコーヒー殺人事件~(石川礼子)

2020年08月08日 17:30 by Matsui-Glocal
2020年08月08日 17:30 by Matsui-Glocal

「毒入りコーヒー殺人事件」、ちょっとしたサスペンス小説の題名のようですが、これは実際にジャカルタで起きた事件です。今回は、今までの私のジャカルタ生活の中で、おそらく一番世間を騒がしたと思われる一般人による一般人(著名人ではない)の殺人事件について書きたいと思います。

この事件は2016年初めにジャカルタの高級カフェで起きました。なぜ、それほどまでに社会が注目した事件なのかという点を中心に書きたいと思います。生々しい表現とかは出てきませんので、ご安心ください。

今から四年半遡る2016年1月6日、当時27歳で新婚ほやほやの女性、ワヤン・ミルナ・サリヒン(以下、「ミルナ」という)がグランド・インドネシアという、ジャカルタ中心部に位置するショッピングモール内にあるカフェ・オリビエで、アイス・ベトナム・コーヒーを飲んだ直後、急に失神して痙攣を起こし、搬送先の病院で死亡しました。この日、ミルナはオーストラリア留学時代の友人、ジェシカ・クマラ・ウォンソ(以下、「ジェシカ」という)とハニという同年齢の女友達二人と会っていました。事件は、ミルナがカフェ・オリビエに入って席に着き、アイス・ベトナム・コーヒーを口にして直ぐのことでした。

遺体のサンプル検査の結果、ミルナの胃から0.2ミリグラム分のシアン化ナトリウム(青酸ソーダ)が発見されました。後に国家警察本部医学研究所センターがミルナの飲みかけのコーヒーを調べたところ、5グラムのシアン化物が見つかりました。シアン化物90ミリグラムは体重60キログラムの人を死に至らせる量であり、5グラムというとかなりの致死量になります。シアン化ナトリウムのことをインドネシア語で「シアニダ」と言います。したがい、以下、「シアニダ」と書かせていただきます。

このニュースが伝わってから暫く、巷では「シアニダ入りコーヒー」という言葉が流行り、カフェなどで注文を聞かれると、「シアニダの入っていないコーヒーをお願い」などと冗談を言う輩が続出しました。現場となったカフェ・オリビエは警察によるスタッフの聞き取り調査や、現場検証などで暫く休業になったと記憶しています。カフェ・オリビエは事件の半年前にオープンしたばかりのカフェで、入るとすぐに長いカウンター・バーがあり、店の半分はガラス天井のオープンテラスになっていて、ヨーロッパ風の絵画が飾られるハイソな雰囲気のレストラン&カフェです。この事件が起こる少し前に、私は娘とカフェ・オリビエでランチしたことがあったので、事件のことを聞いたときには背筋が寒くなりました。

カフェ・オリビエの店内

カフェ・オリビエ店内の事件があったテーブル

1月11日に「事件の再検証」という形の実地検証が行われ、ジェシカとハニの二人が立ち会いました。この時点で、まだジェシカは容疑者ではありません。シアニダは肌に触れると痒みを感じることがあるらしく、警察はカフェ・オリビエに設置してあるCCTV(監視カメラ)の映像を分析した結果、ジェシカが右足の太ももをしきりに引っ掻く様子が見られたことから、ジェシカが当日履いていたパンツを証拠物件として請求しましたが、気を失ったミルナを運ぶ際に破れたという理由で、ジェシカは自分の家の家政婦(メイド)にパンツを捨てるように言い、何日も前に捨てられていたため見つかりませんでした。確たる証拠がないまま警察は1月29日にジェシカが両親と宿泊していた北ジャカルタのホテルへ踏み入り、殺人容疑でジェシカを逮捕しました。罪状はインドネシア刑法340条の「計画殺人罪」です。有罪となった場合、ジェシカは禁錮5年以上、最悪の場合、終身刑あるいは死刑に直面しなければなりません。

逮捕時の様子がソーシャルメディアで流れましたが、ジェシカも彼女の両親も動揺したり、泣くこともなく、平然と警察がジェシカの所持品を調べるのを眺めたり、連行されていく様子に違和感がありました。これはインドネシア人の特徴かもしれませんが、KPK(汚職撲滅委員会というインドネシアの汚職捜査機関)に汚職罪で逮捕された著名政治家も「容疑者」と書かれたオレンジ色のベストを着せられてKPKビルを出入りする際にフラッシュを焚く報道陣に対して恥ずかしがる素ぶりを全く見せず、堂々と笑顔で手を振ったりします。「体裁」を重んじる国民だからというのが一般論ではあります。

ミルナの家族は、ミルナの葬式にも参列しなかったジェシカを最初から不審に思っていました。ジェシカが逮捕される前後にわたり、ミルナの父親は頻繁にメディアに登場し、ジェシカの言動を否定したうえ、彼女がミルナを毒殺した犯人だと糾弾していました。世論も大方そうでしたが、私はジェシカが犯人だとはどうしても思えませんでした。それは、おそらくジェシカやミルナは、私が良く知る、うちに遊びに来る娘たちの友達に容姿も話し方も類似した華人系インドネシア人の女の子だったからかもしれません。

ジェシカとミルナは、どちらも会社を経営するかなり裕福な家庭の子女で、ハニも含めた三人はシドニーのビリー・ブルー・カレッジ大学に通っていました。ミルナとハニは卒業後帰国し、ジャカルタで働き始めました。ジェシカはオーストラリア連邦の永住権を保持、家族が購入した持ち家もあり、大学を卒業してから4年間、シドニーで働いていました。事件が起こる1月6日の約1ヵ月前に、ジェシカはインドネシアに帰国し、家族とクリスマス休暇を楽しむ予定でした。ジェシカは逮捕される前、いくつかのテレビ番組に一人または弁護士に付き添われて出演し、かなり理路整然と自分は犯人ではないことを説明し、疑われることに悲しい思いをしていると訴えました。

ジェシカ(左)と殺されたミルナ(右)

テレビの独占インタビューに出演したジェシカ

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