(編集者注)本稿は、2023年11月8日発行の『よりどりインドネシア』第153号に所収の「ロンボクだより(102)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。
みなさん、こんにちは。今年も最後の月がやってきました。
ロンボク島の小さな村にとって、今年は地震以来5年ぶりに観光客の入りが戻ってきた嬉しい一年となりました。一方、人々の口から辛かったここ数年が今になって語られています。みな表に出さなかっただけで耐えてきた5年間だったのだな、と感じます。
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2018年11月半ば。乾季の風に晒されていた屋外生活が一段落つき、やっと「これから」のことを考える余裕が出てきました。それまでは「今日、明日」くらいのことしか考えられなかったのです。
私はちょうど地震の直前からパン作りを始めていました。自分の食べたいパンが近くで入手できなかったので、自分で作って食べていました。
義母の焙煎するコーヒーを販売していたので、いつかコーヒーと一緒に売れればいいな、とは考えていたものの、まったくの趣味の範囲。
ところが、このおかげで、避難地でも子どもたちとピザやクッキーづくりをして遊べました。何が功を奏すかわからないものです。
子どもたちもあんなに喜んでくれたし、高齢の方からも意外と好評だったので、パンを売ってみようかなと私は考えました。私は初心者なので難しいものは作れません。作ったことがあるのはベーグル、食パン、ピザ、そして私の大好きなカンパーニュ。
自分なりにいろいろ考えてベーグルをメインで販売することにしました。さあ、私の復興はここからです。
私が作ったベーグル
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ベーグルは作れるものの、大量生産はできるかなぁ。オーブンも小さいの一個しかないしなぁ。どうしよう。
パンも素人ですが、私には経営のいろはがありませんでした。そこで日本のとあるパン屋へ研修に行こうと考えました。そのパン屋は阪神大震災の被災者の声をもとに「パンの缶詰」を作っていました。「パン・アキモト」です。
メールを送ると丁寧な返事が届きました。日本とインドネシアでは環境が異なるから、近くの(少なくともインドネシアの)パン屋で研修を受けたほうが良いのでは、とのアドバイスでした。なんともありがたいお返事です。
まったくそのとおりだと思い、マタラム市内にあるパン屋へ行きました。そのパン屋は「あなたは結婚すると事業がダメになる。もし事業を成功させたいなら結婚はやめなさい」と占い師に言われてパン屋一筋、という女性がオーナーです。古くから地元の人々に愛され、着実に店舗を増やして事業を拡大しています。
オーナーは、研修は無理だけど見学ならしてもよいと言ってくれ、パン製造の現場を見せてくださいました。機械がたくさん入ってはいましたが、敷地はそこまで広くありません。この面積であれだけのパンが作れるんだなと大きな学びになりました。
とはいえ店舗を構える余裕はないし、どれくらい買っていただけるのかもわかりません。最初は今あるオーブンと物置小屋とで小さくテストしていくことに。
ベーグルを焼く
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お次は、事業開始の手続き関連です。
私は配偶者ビザなので自分がオーナーになることはできません。県の労働移住局に夫名義で私がパンを製造販売してもいいのかを相談しました。OKをもらったので、紹介していただいた中小企業組合の事務所へ。
事業許可は、結論として、夫名義で立ち上げていたコーヒー販売事業に販売品目を追加するだけとなりました。一から立ち上げるのに比べると、比較的楽に許可を得ることができました。コーヒー売っててよかったー♪
このとき事務所で「パン屋の屋号は?」と聞かれました。どうやら屋号を決めなければならない様子。頭を捻っていたら、「Pemenang Bakeryはどう?」と職員さんが提案してくれました。
Pemenang とは我が家のある地区の名前です。
地名にパン屋かぁ。
第一印象は「ベタ」でしたが、口に出してみるとシンプルな屋号は覚えやすそうです。地元の人も愛着がわきそうだし、遠方の方が来ても「Pemenang (勝者)」のパンだなんて縁起が良いかもなあ。その場で、「じゃあ、それにします」と答えて、屋号が決まりました。
パン屋のロゴ
(⇒ さらに、食品の製造販売は・・・)
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