(編集者注)本稿は、2022年8月8日発行の『よりどりインドネシア』第123号に所収の「ロンボクだより(73)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。なお本稿は2022年10月発行の『よりどりインドネシア』第127号に続く予定です。
8月は風が強く、今年も砂埃が舞いました。「地震のあと避難しているときも、こんなだったよね」と近所の人たちと話し、この砂埃で避難所を思い出すのは私だけではないんだなと思いました(ロンボクだより(21)参照)。今回は地震後の独立記念日の話です。
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8月17日は独立記念日ということで、私たちは数日前から避難地に竹を突っ立ててインドネシアの国旗を掲げ、独立記念日前日には「明日の式典はどうするんだろうか」と囁きあっていました。
避難所に立てた国旗。ちょっと見えにくいですが、写真中央の白いテントの奥に国旗を立てました。
そして当日の朝早く、どこかから情報を仕入れてきた人が「今日の記念式典は町役場の広場でやるんだって」と教えてくれました。たしかに例年、記念式典は町役場で行われています。でも、このとき町役場の広場にはオレンジ色のテントがズラリと並んでいました。オレンジ色のテントは国家防災庁のもので、ここで復興作業にあたっている軍隊のみなさんが寝泊まりしています。
「ほんとにやるんだ!? 公務員って大変だな。」
口には出しませんでしたが、これが私の感想でした。
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しばらくして、避難地がにわかにざわめいてきました。避難地から町役場の式典が見えるというのです。そうだ、私たちは小高い丘の上にいるのだから、役場の広場が見えてもおかしくはありません。近視の私には全く見えませんでしたが、気分は高みの見物です。
村の人達によると、役場の人たちをはじめとした少なめの人数でシンプルな式典を行っているようです。「今、国旗があがってるよ!」と状況を教えてもらいながら、村の人たちと「インドネシアータナーアイルクー♪」と国歌を歌いました。
なんとなく力が湧いた私は、「こんな状況下だからこそ、例年どおりに式典をしたのかな。」と思い直すと同時に、役場の公務員に対しても素晴らしいと賛辞を送りたくなりました。
公務員だって被災して家族もいるだろうに、彼らは眼を見張るほどの数の業務を捌いていました。それでおまけに式典までするんだもんなぁ。それが任務とはいえ、役場が半壊し停電でパソコンも使えないなか奔走する姿をみな見ていました。町役場の彼らからは私たちの敬礼は見えなかったでしょうけれど、心が届いているといいな。
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このあと、私たちはいつものように洗濯をしたり、テントの中の砂埃を掃いたりしながら過ごしました。ところが、午後になって男性たちが集まってなにやら立ち話。
(⇒そして、急遽・・・)
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