よりどりインドネシア

2022年06月09日号 vol.119

ジャカルタの思い出の乗り物たち(1):2階建てバス黄金時代とRMBの試行(松井和久)

2022年06月09日 19:06 by Matsui-Glocal
2022年06月09日 19:06 by Matsui-Glocal

インドネシアを初めて訪問したのは1985年8月。そして2年間、ジャカルタに長期滞在したのは1990年8月~1992年8月。そのときは、外国人も日本人もほとんど住んでいない、東ジャカルタのラワマングン(Rawamangun)にあるジャワ人のお宅で下宿生活をしました。

自家用車を持たない生活での交通手段は、ビス・コタ(Bis Kota)と呼ばれる市バス、メトロ・ミニ(Metro Mini)やコパジャ(Kopaja)といったミニ・バス、ミクロレット(Mikrolet)やベモ(Bemo)などの乗合、バジャイ(Bajaj)やヘリチャ(Helicak)やベチャ(Becak)などの1~2人で乗る乗り物でした。もちろん、ブルーバードやプレジデントなどのメーター・タクシーもよく使いました。

今にして思うと、実にたくさんの種類の個性あふれる乗り物たちがジャカルタの街中を行き交っていたものだと思います。そして、その多くは、トランス・ジャカルタのバス網が縦横無尽に走る現代のジャカルタの街からは消えてなくなってしまいました。それら個性あふれる乗り物に揺られていた人々の喜怒哀楽に満ちた表情も、忘れ去られてしまいました。あの乗り物たちは、経済発展のなかの一時期に現れたあだ花だったのでしょうか。

30年以上前、乗り物で出会った様々な出来事や人々の姿が自分の記憶からなくなる前に、少しでも書き残しておきたいと思いました。なぜなら、それらの乗り物とそれをめぐる様々な出来事は、筆者のインドネシアへの認識や見方を形成する大切な要素だったからです。すなわち、それらの乗り物に乗り合わすことで、インドネシアの「普通の人々」の人となりや生活の一部が垣間見ることができた貴重な場所だったからです。

日頃は最新の時事問題を取り上げることが多いのですが、ときには、この場を借りて、食の話とともに、乗り物の話を書いていこうと思います。第1回の今回は、ジャカルタの2階建てバス黄金時代と、現代のトランス・ジャカルタの起源とも考えられるRMB(Rute Metode Baru)、すなわち「新方式ルート」の試行について、述べてみることにします。

●2種類の2階建てバス

ジャカルタのコタとブロックMを結ぶ大動脈を2階建てバスが次々に走っていく・・・。筆者が1980年代後半のジャカルタでいつも目にした光景です。空いていれば、バスの2階の最前面に座って前方の景色を見ながら走るのが大好きでした。日本からジャカルタへ来訪したお客さんで、2階建てバスに興味を持った方をよく2階の最前席へ誘ったものでした。

当時の2階建てバスには、スウェーデンのボルボ(Volvo)製とイギリスのレイランド(Layland)製の2種類がありましたが、どちらかというと、ボルボ製の台数のほうが多かったように思います。

インドネシアで最初の2階建てバスは、1968年に2台導入されたレイランド製の「ティタン」という名のバスで、ブロックM=サレンバ=パサール・スネンのルートに導入されました。「ティタン」は1982年まで使われ、1983年から後継の「アトランテアン」に取って代わられました。これらのバスはイギリスからの輸入、またはシンガポールで使用された中古バスが輸入されました。

レイランド製の2階建てバス「アトランテアン」。(出所)https://www.autofun.co.id/berita/bukan-volvo-atau-mercedesbenz-tapi-leyland-bus-tingkat-pertama-yang-ada-di-indonesia-37833

一方のボルボ製は1981年頃から導入され、1984年には一気に320台も輸入されたようです。導入された主なルートは、ブロックM=コタ、ブロックM=パサール・スネン、チリリタン=カリデレスなどでした。

これらの2階建てバスは、ジャカルタ以外に、スラバヤ、スマラン、ソロ、メダン、ウジュンパンダン(現在のマカッサル)などでも導入されました。筆者自身も、スラバヤやスマランで走っているのを見た記憶があります。

●2階建てバスに乗車

レイランド製の「アトランテアン」もボルボ製も、エンジン部分を1階後部に置くことで、前部と中央部に乗降口を設け、定員数を増やせた点が評価されていました。中央部の乗降口の前に階段があり、それを上って2階座席へと向かいます。2階はけっこう揺れますが、眺めはとても良かったです。また、2階の天井が低いので、1階とは違って、立っている乗客がほとんどいない点も気に入っていました。

乗降口の扉は常に開けっ放しで、前部にも中央部にも車掌が1人ずつ乗っています。前部の車掌と中央部の車掌が、声を掛け合いながら、一緒に前方や後方の安全確認を行っていました。停留所に近づくと、車掌は停留所名を連呼します。

降りる乗客はどうやって車掌に降りることを知らせるのでしょうか。これは2階建てバス以外の普通のバスでも同じなのですが、車内構造の上下に支える金属棒をコインでカンカンカンと叩いて知らせるのです。このため、バスに乗るときは、叩くための100ルピア玉をいつもポケットに用意していました。コインを持ち合わせていない場合は、バスの天井を指で叩いても知らせることができます。一部の男たちは、指に付けている大きな石の入った指輪で金属棒を叩いていました。

●降りるときは左足から

降りるときに注意しなければならないことがあります。2階建てバスも他のバスも、通常は、減速しても停まることはまずありませんでした。降りるときは飛び降りるのです。そして左足から降りなければなりません。減速したバスから左足で降り、左足で踏ん張って右足を下ろします。

筆者が初めてバスに乗ったとき、右足から降りてしまい、頭が地面に叩きつけられたことがあります。行先の方向を間違えたので、降りることで頭がいっぱいだったのでした。このときはさすがに車掌も運転手も満員の乗客もびっくりして、バスが停まりました。「大丈夫か?」と車掌が声をかけ、筆者が「大丈夫」と答えたので、バスは安心して立ち去っていきました。筆者が石頭だったのか、これが原因で後に頭が変になったのか、その辺はよく分かりません。

車掌は「左足、左足」と降りる客に声をかけます。また、女性が降りるときには、運転手に聞こえるように「女、女」(Wanita, Wanita)と声をかけ、通常よりもさらに減速して配慮していました。女性や高齢者が乗ってくると、若者が自然に席を譲る光景は、昔も今も変わりません。観察していると、席を譲られた女性や高齢者が「ありがとう」と言うことはほとんどなく、あたりまえのように座っているのが印象的でした。

ジャカルタの大通りを走るボルボ製の2階建てバス。(出所)https://metro.sindonews.com/read/361822/173/nostalgia-ketika-bus-tingkat-merajai-jakarta-ngak-miring-ngak-asyik-1615478628/10

(以下に続く)

  • 料金はどう払ったか
  • 2階建てバスはよく燃えた
  • 2階建てバスの後は連結バス
  • RMBの試行
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