(編集者注)本稿は、2022年4月8日発行の『よりどりインドネシア』第115号に所収の「ロンボクだより(65)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。なお本稿は2022年6月発行の『よりどりインドネシア』第119号に続く予定です。
被災後10日ほどたったある日の夕食時。
大きな怒鳴り声に振り向くと、皿が宙を舞うのが見えました。小学5年生のAちゃんの父親がAちゃんの前にあった料理を皿ごと投げ捨てたのです。
「どうしたの・・・?」
あまりのことに、私は隣にいた夫にそう尋ねるのがやっとでした。
夫がいうには、Aちゃんが「ごはんを食べたくない」と言ったことに父親が腹を立てたのだそう。
緊張した雰囲気のなか、Aちゃんは父親の大声に泣き始め、母親が父親とAちゃんの双方を落ち着かせようとしていました。それから父親は黙ってごはんを食べ、Aちゃんの年の離れたお兄ちゃんがAちゃんを再度ごはんに誘い、場を取り持ちました。
あぁ、Aちゃんち、苦しそうだなぁ。
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Aちゃんはあまり活発ではなく、おっとり優しい女の子です。が、もともと食が細めで、時々病気にかかって寝込むことがありました。
本来なら食欲の有無にも耳を傾けるべきなのですが、その病弱さゆえ、父親が「わがままをいっている場合じゃない」と一喝してしまう気持ちはよくわかりました。
なぜって、もしいま病気になってもちゃんとした手当てを受けるのは困難だからです。私達の最寄りの病院は倒壊し、港に救急テントが設置されたのみでした。食材も十分には手に入りませんから、元気に過ごすには、あるときにあるものを食べてよく寝るほかありません。
それなのに「食べたくない」などと言ったら声も荒らげたくなりますよね。
ただ・・・Aちゃんの家族も、一緒に避難していた私たちも、どうしたらいいんだろうと頭を抱えていたことがもう一つありました。
実は、Aちゃんは地震でかなり強い精神的なショックを受けている様子があり、余震のたびに大きな声で叫んでいたのです。
港に救急テントを設置した簡易病院
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地震があったとき、Aちゃんは友人たちと礼拝所でコーランを詠んでいました。大きな揺れがきたため、Aちゃんは礼拝所が倒れると思い、咄嗟に両手で壁を抑えていたそうです。彼女は無傷でしたが、一緒にいた友だちが落ちてきた瓦礫で額を切って出血しました。それで「怖い」という感覚が染み付いてしまったのでしょう。
避難地でAちゃんは、余震があると、こちらが飛び上がるほどの大きな声で「アッラーフ・アクバル!」と何度も唱え、テントから猛ダッシュで飛び出していました。家族がすぐにAちゃんを追って、「大丈夫だ、落ち着け」と抱きすくめるまで悲鳴が続きます。それは真夜中でも同じで、暗闇の中に響く彼女の声には痛ましさすら感じられました。
余震のたびに取り乱して叫ぶ我が子をみて、両親はどれだけ心配になったことか・・・。
こうした背景のあるなか、私はAちゃんや家族にどう接したらいいんだろうかと考えていました。
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(⇒被災後の心のケアというと・・・)
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