よりどりインドネシア

2022年05月07日号 vol.117

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第41信:妖花転生~スザンナなくしてガドガド・ホラーなし!(轟英明)

2022年05月08日 18:34 by Matsui-Glocal

横山裕一様

断食月が終わる数日前、3年ぶりのレバラン帰省ラッシュで民族大移動の真っただなか、空港の待合室でこの原稿を書き始めました。心配されたコロナウイルス新型株の発生は今のところ報じられておらず、ジャカルタ首都圏の道路の最近の混雑状況などから、相当な人出を空港でも覚悟していましたが、案の定と言うべきか、チェックインだけで2時間並ぶ混雑ぶり。6年ぶりのバンダアチェに着きましたが、何でもありなのがインドネシア、まずは無事にジャカルタに戻れることを祈っているところです。

本題に入る前に、横山さんの前回第40信へのコメントをしておきましょう。

1990年代以前の古いインドネシア映画を観る方法につき、以前ならVCDかDVDを探して購入するか、おそらく違法にYOUTUBE にアップロードされているものを観るくらいしか方法がなかったのですが、最近は動画配信サービスでもかなり観られるようになってきました。第39信で私が論じた『欲望の奴隷』(Budak Nafsu)は、テレビ放映された時のバージョンと思しき不完全な形で別タイトルの『女性のたくましさ』(Ketegaran Wanita)として、動画配信サービスのMola TV で観られます。

同サービスの運営は、インドネシア地場家電メーカーPOLYTRON の関連会社がおこなっており、コンテンツは欧米映画のほかに欧州サッカーリーグがあり、インドネシア映画も新旧含めて鑑賞可能です。第33信で取り上げたオランダ視点のインドネシア独立戦争もの『東』(De Oost)もインドネシアではMola TVでの独占配信のようです。

同サービスで見られるもっとも古い作品は、1973年の『赤い橋』(Jembatan Merah)や『火の海バンドゥン』(Bandung Lautan Api)あたりでしょうか。前者は戦前からの演劇映画スターであるフィフィ・ヨン主演のドラマ、後者はデビュー間もないクリスティン・ハキムが出演している戦争ものです。

『火の海バンドゥン』(Bandung Lautan Api)ポスター。filmindonesia.or.idより引用。

アクションやエクスプロイテーションものが好きな私は、日本でもビデオリリースされたことのある1988年製作『スネーク・ターミネーター 蛇女は2度死ぬ』(Pembalasan Ratu Laut Selatan)や、1984年制作の復讐アクションもの 『冷血少女』(Gadis Berdarah Dingin、ただし同サービスでのタイトルは主人公の名前である『マルニ』Marniに変更)などを同サービスで観ました。

前者はあからさまな『ターミネーター』のパクリ作品ですが、敵の正体が未来からやって来た殺人アンドロイドではなく南海の女王ロロ・キドゥルであることが一番の違いで、全編これ荒唐無稽の塊、最後まで爆笑しながら見終わりました。同作にはセックス、ガンアクション、カーチェイス、ロマンス、ホラー、スリルとあらゆるエクスプロイテーション要素が詰まっています。

『スネーク・ターミネーター 蛇女は2度死ぬ』(Pembalasan Ratu Laut Selatan)ロビーカード。過激な描写ゆえに1988年の国内公開は中止、6年後の1994年に再編集版が再公開された。filmindonesia.or.id より引用。

冷静に振り返ってみれば、今でこそSFアクションの大ヒットシリーズとして記憶されている『ターミネーター』も、第一作に限って言えば、決してA級とは言えない低予算のB級作品でした。そのエクスプロイテーション要素をより強めたのが『スネーク・ターミネーター』なのであり、両作の差異は予算を別とすればどれほどのものなのか、むしろ原初の映画が持っていた出鱈目ぶりを堂々と最後まで貫徹するアッパレさに私はある種の感動を覚えました。エクスプロイテーション映画とは何か、そんな馬鹿馬鹿しくも真面目な問いへの答えが『スネーク・ターミネーター』という作品には詰まっていると言えそうです。もっとも、あまりのバカバカしさに横山さんの好みに合うかどうかはわかりませんが・・・。

Mola TV以外にも、格安動画配信サービスKlik Filmでも1990年代以前の古いインドネシア映画を多数揃えています。ただし、Netflix のように全編字幕付きとは限らないようで、やや粗めの画質、しかもテレビ放映時のバージョンがそのままアップされているため、画面がトリミングされて重要なシーンがカットされていることがままあります。文句を言えば本当にキリがないのですが、それでもなお、昔のインドネシア映画には抗い難い魅力があります。

制作当時の世相や風俗描写がそのままフィルムに焼き付いており、時代の証言者かつ貴重な記録であるという側面はもちろんですが、作品によっては当時の価値観や政権の意向が色濃く反映されており、あらすじは単純なのに意外と解釈が多様であったり、時には難解であったりします。こうした感覚は邦画の黄金時代だった1950年代日本映画の傑作を現在鑑賞した時に感じるものと似ており、この感覚の違いというのは実に面白いものです。

1990年代以前の映画はまだまだ私も未見の作品が多く、折に触れてこの連載で今後も振り返っていくつもりです。横山さんのほうでこれぞという作品を見つけた際には、情報を共有していただければ幸いです。

また、第40信で横山さんが紹介してくれた短編『海が呼んでいる』(Laut Memanggilku)は、釜山国際映画祭やインドネシア映画祭で受賞していたので私も気になっていたのですが、トゥンパル・タンプボロン監督のことはこれまで全然知りませんでした。調べてみると、エドウィン監督作品の助監督やシラットものの大作『ウィロ・サブレン212』(Wiro Sableng 212)の脚本を担当しているのですね。今後は本格的な長編作品での監督デビューを期待したいです。

ところで、短編映画にはアイデア一発勝負とも言うべき特性があります。尺が短い分、アイデアが優れていればそれだけで良作になりうるわけです。その点、『海が呼んでいる』のテーマそのものは、親のいない子供の母への思慕というありふれたものです。とは言え、こうしたテーマは非常にユニバーサルかつ普遍的なものでもあり、第3信で紹介した『天使への手紙』(Surat Untuk Bidadari)や『鏡は嘘をつかない』(The Mirror Never Lies)と共通しています。

前者では、主人公の少年レワは歌手マドンナの写真を母代わりとして自宅の壁に貼る一方で、学校の教科書内のジャワ風の母親像を断固として拒絶する様子が観客の笑いを誘うと同時に、画一的な教育を辺境の野生児にも押し付けるスハルト体制が批判されていました。後者では、出漁したまま帰ってこない父を待ち続ける少女が真実を語ると信じている鏡に固執して母親と衝突し、やがて父の死を受け入れるまでのドラマを海の民バジョの集落でのオールロケで美しく語っていました。

それら先行作と比較すると、『海が呼んでいる』のセックスドールを母とみなす少年二人の物語は一見突拍子もないようですが、実はこちらのほうが現実の出来事にインスパイアされた、よりリアリスティックな作品というのが実に興味深いです。私は第3信において、小池誠さんの考察に多くを拠りながら、先行する2作品は国内オリエンタリズム的な異国情緒に訴える形での危うさを含んでおり、撮る側と撮られる側の非対称的な関係性を強化しかねないと批判しました。ジャカルタのインテリ映画監督が頭の中で作り上げた観念的な作品と呼ぶことすら可能かもしれません。しかし、『海が呼んでいる』においてはこうした批評は当てはまらないというべきでしょう。

『海が呼んでいる』( Laut Memanggilku)ポスター。filmindonesia.or.id より引用。

インドネシアは広大な海域を擁する世界有数の海洋大国ですが、海を舞台とした映画の数はそれほど多くない印象があります。そんななかで『海が呼んでいる』のあらすじには、海洋ゴミ汚染問題と結びつく現代的な時事性があると同時に、母を慕う子の想いというテーマが世界のどこでも通じる分かりやすさを備えており、国内外双方の観客の共感を呼びやすい作品だと想像されます。

予告編しか観ておらず、本編未見の状態で即断は控えたいので、いずれ鑑賞後に別途感想を書かせてください。ともあれ、インドネシア映画界からまた一人才能のある映画監督が受賞したことを大いに喜びたいと思います。

**********

さて、前回第39信では佐藤忠男さんへの追悼を優先したため、今回は、前々回第37信の続きに戻ります。第25信から始まったインドネシア映画における宗教ものの系譜、そしてその変奏としての怪奇映画、私が呼ぶところの「ガドガド・ホラー」について、スハルト政権期とその後の改革期ではどのような相違があるのか、映画制作者と観客の宗教意識に焦点を当てて論じてきました。今回も映画内における宗教意識の在り方に留意しながら筆を進めますが、少し視点を変えて、今なお絶大な人気を誇る「ガドガド・ホラーの妖花」女優スザンナの存在に焦点をあて、インドネシア映画史におけるスザンナという女優の位置づけを私なりの方法で行いたいと思います。横山さんはホラー映画が好きではないと聞いておりますが、ジェンダー的な視点からガドガド・ホラーを再考するならば、様々な気づきが得られるジャンルと私は確信していますので、今回もお付き合いしていただければと思います。

『悪魔の奴隷』を論じた時と同様、実はスザンナについてもかつて別の媒体で短く論じたことがあり、現在は自分のブログに記事をアップしています。

上記論考を寄せてからすでに4年が経過しておりますが、その後インドネシア映画史における女優スザンナの存在感の高さを証明した『よみがえったスザンナ』(Suzzanna ; Bernapas Dalam Kubur) が公開されています。今回は同作とその旧版と言うべき1982年製作公開『スンデル・ボロン』(Sundel Bolong) を比較参照し、女優スザンナにスポットを当てると同時に、なぜ彼女が今なお伝説的な人気を誇るのか、彼女が体現していたものはなんだったのか、諸々考えてみます。なお、『よみがえったスザンナ』は日本とインドネシアのNetflix の両方で観られる一方、『スンデル・ボロン』はインドネシア(あるいは東南アジア地域)のNetflixのみでしか観られないようです。以下便宜上、前者を新版、後者を旧版と呼びます。

女優スザンナ、1963年撮影のポートレイト。Wikipedia より引用。

 

 

 

 

 

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