横山裕一様
ラマダン(断食月)も残すところ1週間余りとなりました。横山さんはいかがお過ごしでしょうか。例年この時期はインドネシア人観客の多くが「ラマダン=聖なる月」ということで娯楽を控えて映画館へ行かないため、映画館は寂しい状況で興行も盛り上がりません。そのうえ、昨年に続き今年もコロナ禍のなか、より厳しい状況であることは言うまでもないでしょう。断食明け大祭であるレバラン直前にはインドネシア映画界はここぞとばかりに大作を公開して文字通り「断食をとく」のですが、ちょっと今年は期待できそうもありません。何とも残念なことです。
去る3月30日は「インドネシア映画の日」ということで、各種メディアで特集記事が組まれましたが、今年は映画人たちが連名でジョコウィ大統領への公開書簡にて映画産業への支援を求めたことが話題になりました。ワクチン接種の遅れているインドネシアでは背に腹は代えられないとして、テレビドラマや映画の撮影が再開していますが、撮影現場でコロナウイルス感染者が見つかったとの話もちらほら聞こえてきます。月並みな願いではありますが、映画界も早く正常化してほしいものです。
前回の第17信では、2000年代以降のインドネシア映画における映画内使用言語の多様化と内容の百花繚乱ぶりを、いくつかの作品を類型化して論じてみました。今回はその続きとなりますが、その前に訂正をさせてください。
前回稿を閉じるにあたり、海外でカルト化した『ジャカ・スンブン』(Jaka Sembung)に言及しました。同作のような「時代劇シラットもの」では、標準インドネシア語が通常使われると私はこれまで書いてきましたが、その後、ネットフリックスで同作1作目から3作目までを初めから最後までちゃんと鑑賞したところ、この記述は不正確であることに気づきました。
1作目では、片言ではあるものの、主人公の敵であるオランダ人がオランダ語の台詞を時々発します。また3作目『バジン・イレンとジャカ・スンブン』(Bajing Ireng dan Jaka Sembung)では、西ジャワの地方語であるチレボン語を主人公の味方が使う場面があります。どちらの言語も主人公と深いコミュニケーションを取るために使われているのではなく、「敵はオランダ語を話す」「味方は標準インドネシア語ではないが我々の地元の言葉を話す」といった記号的な扱いにすぎないのですが、登場人物全員が標準インドネシア語を話すという虚構性が薄まっていることはたしかです。
(上)2作目『盲目剣士VSジャカ・スンブン』ポスター。(下)3作目『バジン・イレンとジャカ・スンブン』海外ポスター。共にimdb.comより引用。シリーズ3作ともネットフリックス他で視聴可。
スハルト政権時代の文化及び言語政策が、国家統一最優先で標準インドネシア語の普及を進める一方で地方語を抑圧していたことは概ね間違いなく、娯楽映画にもそれは当てはまると思っていましたが、やはり物事には例外がつきものです。もっと古い映画を見て細かく調査する必要があることを痛感しました。合わせて自分の偏見も改められればと思います。
ところで、『ジャカ・スンブン』シリーズにはあらゆるエクスプロイテーション(見世物小屋的)要素が詰まっており、チープなB級娯楽映画またはキワモノ映画と単純に侮れない面白さに満ち溢れています。原初の映画が本来持っていた野放図さに満ち満ちている作品とも言えるでしょう。過激なアクションと残酷描写の後はメロドラマの体裁を取ってみたり、主人公にキリストの真似事をさせて宗教的な台詞を言わせたり、一方で欲情し荒ぶる女神や任侠の女ニンジャを登場させ、オカルト風味も散りばめながら、最後はぬけぬけと虚脱感を感じさせる過剰なアクションで幕を閉じます。いやはや、荒唐無稽ぶりが際立っていて実に楽しく見られます。3作品ともネットフリックスで観られますので、マーシャルアーツ系アクションが好きな横山さんの感想をいずれ教えていただければと思います。
さて、第17信の続きです。番号は前回からの連番となります。
7)海外が舞台のインドネシア語映画
インドネシア映画において海外ロケが初めて行われた作品がなんだったのか、正確なことは私にはまだ掴めてないのですが、「インドネシア映画の父」ウスマル・イスマイル監督がPL・カプールの別名義でマラヤ連邦(マレーシアの前身)にて撮った、1959年の『中傷の被害者』(Korban Fitnah)が最初期の作品のようです。その後、1968年に『ジャカルタ=香港=マカオ』(Djakarta - Hongkong – Macao)というスハルト新体制の意向が強くにじみ出ている犯罪もの、1973年にオランダを舞台にしたラブロマンス『結婚』(Perkawainan) が、また1977年には当時世界中で大流行していたクンフーアクションもの『連続パンチ』(Pukulan Berantai)がインドネシア・台湾 ・韓国を舞台に撮られています。
『結婚』ポスター。Wikipediaより引用。芸能界のおしどり夫婦として有名だったウィダヤティとソファン・ソフィアンの共演作。
これらの作品はほんの一例にすぎませんが、典型的な海外ロケ作品とは言えそうです。外国人俳優は脇役としての出演に留まるか、あるいはインドネシア人俳優が外国人を演じます。舞台が海外であっても、基本的に誰もが標準インドネシア語を話す世界であり、外国語は片言が少し聞こえる程度か、あるいは訛りのあるインドネシア語を外国人が話すことで物語は進行していきます。
ただ、『連続パンチ』では韓国のアクションスターであるシン・イルヨンが堂々の主役を務め、彼こそインドネシアにおける元祖韓流スターだと私は思うのですが、当然と言うべきか彼も難なく(?)標準インドネシア語を話します(もちろん吹替です)。ジャカルタから台北、さらにソウルへと舞台が移っていくにもかかわらず、使用言語はインドネシア語だけです。ひょっとしたら韓国の国内公開向け韓国語バージョンがあるのかもしれませんが、未確認となっています。
こうした事例からわかるのは、海外ロケと言ってもあくまで制作者と観客が求めていたのは外国の風景のみであって、説話行為を停滞させる外国語の使用は排除されたという事実です。効率の名のもとにリアリティが犠牲にされたと言いかえることも可能でしょう。無論、これはインドネシアに限らず、ハリウッドを始め世界各地の映画産業がおこなってきた、映画制作上の約束事のようなものです。この約束事をあまりに嘘っぽいとして一概に糾弾するつもりはないのですが、問題は自分の言葉が世界のどこに行っても通じるという都合のいい設定ばかりの作品が21世紀の現在になっても多すぎないかということです。
『連続パンチ』チラシ。filmindonesia.co.idより引用。他の作品よりも10倍も15倍も凄いアクション!という宣伝文句。
こうした視点から2010年代のインドネシア映画を振り返ってみると、海外を舞台にしたインドネシア映画がジャンルや特定の国を問わず非常に増えたことはたしかながら、どこへ行こうともインドネシア人も外国人もインドネシア語を話す作品が大半を占める状況は、先述の70年代の頃とあまり変わっていません。近年の日本映画と同様の、やや内向きの傾向が気になります。もっと踏み込んで言うならば、インドネシア映画は「外国人という他者」に向かい合うことを意図的に回避しているのではないでしょうか。以下、具体的に作品を挙げて検討してみたいと思います。
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