よりどりインドネシア

2020年08月23日号 vol.76

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第3信:「辺境」スンバ島からのスハルト体制批判映画 『天使への手紙』をめぐる評価軸(轟英明)

2020年08月23日 13:50 by Matsui-Glocal
2020年08月23日 13:50 by Matsui-Glocal

横山裕一様

第2信を早速送っていただき、ありがとうございます。『ゴールデン・アームズ』について、私の第1信では不足していたところを見事に補っていただき、またスンバ島を舞台にした他の作品についても紹介言及していただき、往復書簡を始めて良かったと思いました。

今回は第2信を踏まえて、すでに紹介された諸作品に先立ちスンバ島で撮影され、国際的な評価も高かったガリン・ヌグロホ監督の長編第2作目『天使への手紙』 ( Surat untuk Bidadari )  をもとに、スンバ島が誰によってどのように表象されてきたか、さらに今後「地方映画」とはどうあるべきなのか、引き続き考えてみたいと思います。

まずは作品の紹介から。『天使への手紙』は1992年製作(film Indonesia サイトのデータによる)、監督は当時まだ新進気鋭の若手監督と目されていたガリン・ヌグロホ。1994年東京国際映画祭京都大会のヤングシネマコンペティションでは最高賞にあたるゴールド賞を受賞。これ以降、ガリン監督は国際映画祭に出品するインドネシア人常連監督となり、産業としては衰退していくように思われていたインドネシア映画界を支えているように国外からは受けとめられる一方、その芸術性や内容が大衆の嗜好とはかけ離れていることが多いため、彼の作品は今もって広範な観客の獲得には至ってないと言えるでしょう。本作に限っても、製作当時はテレビ放送に押されてインドネシア映画の公開本数が減少していた時期でもあり、国内の一般劇場では公開されませんでした。2000年代に入り、海賊版らしきVCDやDVDが出回り、現在は、粗い画質ではありますが、YOUTUBE での視聴が可能になっています。本作を未見の横山さんにも是非見ていただければと思います。https://www.youtube.com/watch?v=EoAvdYCxevY

本作はいわゆる娯楽作品ではないもののストーリーを追うことはさほど難しくありません。「ある場所で、ある時」の字幕とともに大勢の住民たちによる巨石曳きの場面から開幕し、インドネシアの「辺境」スンバ島の伝統的な集落に住む10歳の少年レワが亡き母の面影を探し続ける過程で、近代的学校教育に、エリビス・プレスリーが大好きな地方ボスに、スンバの伝統社会に、反抗する話、と要約できます。スンバ島での完全オールロケ作品であり、この点は前回紹介したスンバ島で撮影した諸作品に先行しています。おそらく『マルリナの明日』や『フンバ・ドリームス』は本作がなければ生まれなかったはずです。実際、『マルリナの明日』の原案はガリン監督自身であり、『フンバ・ドリームス』には『天使への手紙』で提起された諸問題へのリリ・リザ監督からの現時点での回答なのではないかと思える節があります。

私自身は本作を日比谷の映画館で、そしてNHK教育テレビの放送をビデオに録画して複数回見ていますが、初見時はその凄さがピンとこず、若干首を捻ったことをまずは告白しなければいけません。理由の一つはこの映画のスタイルが芸術映画のモードであり、観客が容易に登場人物に感情移入させる作りにはなっていないためです。レワを演じる子供は素人で、他のメインキャストには職業俳優を起用しているものの、現地在住の住民たちも多数出演している、通常の商業映画とは違うスタイルに戸惑うインドネシア人観客が多いであろうことは想像に難くありません。

また、語り口もかなり独特です。時折差し込まれる様々な伝統儀礼の場面はドキュメンタリー的に撮影されており、そうかと思うと、レワの意図せざる写真撮影から勃発した集落間の騎馬戦はまるで黒澤明の『影武者』か『乱』のように撮られており、しかもシンセサイザー音楽が画面にかぶることにより観客の感情移入を妨げる「異化効果」が増していきます。さらには片言の日本語を話す元兵補の老人が物語の随所で顔を見せ、レワは飛行機の残骸の上で夕日を背に踊ったりもします。一体ここはどこでいつの話なのか、遠い過去の話なのか現在の話なのか、そんなことすら観客に感じさせてしまう不思議な魅力が本作にはあります。その魅力とはスンバという独自の風土と風習を持つ土地でこの映画が撮られたことと無関係ではありません。

スンバの伝統社会に入り込む「近代」や「現代化」は、広告撮影のモデルがレワに与えるインスタントカメラ、母親像を強制する画一的な学校教育、そして監督曰くノーギャラ出演のエルビス・プレスリーとして表象され、それらがスンバにとって「伝統」の象徴である馬を自在に操る少年によって受容されたり拒絶されたりする物語の構造は、非常に寓話的なものです。無垢な子供の叫びが世界に対する批評であり風刺でもある、つまりレワは「王様は裸だ!」と叫んだ子供と同じなのです。よって、本作は映画を通しての現代文明批評であり、今もって他のインドネシア映画ではなかなか見られないテーマを果敢に取り上げた、極めてユニークな傑作ではないかと私は高く評価しています。横山さんは同じ傾向のテーマをもった映画をご存じでしょうか?もしそうした作品があれば、次回以降教えていただけると嬉しいです。

しかし、本作の核心的なテーマは実はこうした文明批評のみに留まるものではありません。本作が提起しているのは明らかなスハルト体制批判であり、しかもTPI(現在はMNCTVに吸収合併)という、当時の最高権力者スハルトの娘が所有するテレビ局の資金によってヌケヌケと製作されたことは特筆すべき事柄でしょう。痛快と言ってもいいかもしれません。勿論本作の製作時はまだ情報統制の厳しかったスハルト政権全盛期なので、スハルト自身や中央政府への直接の言及は皆無です。が、レワが学校のインドネシア語の授業で習う一節「これは母です」のイラストがジャワ人風であることに反発して「こんなのは俺の母ちゃんじゃない!」と教室を飛び出してしまうのは、スハルト政権が全国に普及させようとしていた画一的な教育の拒絶に他なりません。何よりレワの父を土地争いの理由から殺害し、気に入った女性をレイプし、エルビス・プレスリーの音楽をガンガン鳴らしながら荒涼としたスンバの大地をミニバスで移動し、放牧牛の取引で経済的には豊かな地方ボスであるクダ・リアル(「野生の馬」の意味)はミニ・スハルトとも言うべき存在です。その彼に復讐を果たそうとしてできず自死する、レワの友人マラリア・トゥアは一見道化のようですが、スハルト体制に批判的な反体制知識人の暗喩のようにも見えます。また、慣習法を司る長老はレザが巻き起こすトラブルを一刀両断で厳しく裁定はせず、やりたい放題のクダ・リアルですら手出しできない権威を維持しています。これは、スハルトが世俗的権力の頂点にあっても、もう一つの権威である宗教的勢力を完全には支配できなかった現実の政治を反映していたのではないか?

そして、物語の終盤において事故という形ながらレワがクダ・リアルを殺害したことは、「辺境」スンバ島から「中央」ジャカルタへの反撃すなわち強権的なスハルト体制の拒絶であり、中央集権的で画一的な文化への反対すなわち暴力的なグローバル化への異議申し立て、と私は解釈しました。おそらく「辺境」を舞台とした野性的な子供を主人公としなければこの物語は成立しなかったはずで、逆に言えば「中央」を舞台にして同様の物語を成立させることは検閲上の問題からも不可能だったはずです。実験的な映像スタイルとともに、当時は危険だったテーマを巧妙に自作にこめたガリン・ヌグロホの手腕に私は心底感心し、インドネシアから凄い映画が誕生した!と感動したのでした。

『天使への手紙』ポスター Imdb.com より引用

と、ここまで絶賛しておきながら、本作は別の問題点も抱えています。それは、撮る側と撮られる側、見る側と見られる側の関係性という問題です。

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