夕方、日も暮れる時間帯。用事があってよそのお家を訪ねると、電気がついておらず家の中がほぼ真っ暗・・・ということがあります。
一見、留守のように見えますが、それでも「ウーン(wun ごめんください)」と言ってみると、奥から「ンゲー(nggeh はい)」とひょっこりと人が出てきます。別にこれ、居留守をしているわけでも、闇鍋や百物語をやっているわけでもないんです。
●明るい?暗い?
ここの人と暮らすようになって、価値観や感覚の違いを感じることは山のようにありますが、明るさに対する意識もその一つかなと思っています。
『薄暗い』は私にとっては『暗い』のカテゴリーであり、電気を点けたくなるのですが、周りの人にとっては「薄暗くても物が見えている、電気を点けるまでもない」という状態だったりします。
本当に外が真っ暗になるまでテレビの明かりだけで過ごすとか、夜明けでまだ薄暗い時間帯でも「ちょっとは見えてるんだから問題ない」と手探りで家事をするとか、田舎あるある、なのではないでしょうか。つまり、電気のない暮らしをしてきた人々は、暗さ耐性が高いのでは?という事例です。
●灯油があればなんとかなる!
インフラがそこそこ整備された現在でも、停電はしょっちゅう起こります。昼間ならそんなに困ることもないのですが、夜に停電すると、もう何もできず・・・。
ロウソクをあちこちに灯しますが、その灯りの頼りないこと! 光が届く範囲が狭すぎます。本当にもう百物語ぐらいしかできない。LEDといわず、白熱灯や蛍光灯がどれだけスゴい文明の利器かを思い知らされます。
私なんかはこの状態を不便だと感じてしまいますが、アラフォー以上の人は「昔は毎日こんなんだったよ」とケロッとしたもの。そうだよねえ!
この村に電気がやってきたのは、1992年のこと。市街地のほうはもっと早くに電気が通っていたようですが、街道から逸れたここは施工が遅れていました。それまで、夜はどうしていたかというと、石油ランプ(下写真)です。
「石油ランプは一晩使うと、ガラスのほやが真っ黒になるんだよ。それを掃除するのは子供の仕事で、夕方になると母ちゃんが『いつまで遊んでるの!早く帰ってランプの掃除しなっ!暗くなっちゃうでしょ!』って叫び始めるんだよねー」
「朝起きるとさ、いつも鼻の穴がススで真っ黒だったよ。」
「家にあるランプの数は限られてるから、お客さんが来ちゃうとランプを客間に持ってかれちゃうの。そうしたら私たち子供は真っ暗闇の中で過ごしてたんだよ」
などなど、ランプに関する思い出はなんともノスタルジックです。もう童話の世界ですね。
読者コメント
ahmadhito
一般公開 大変興味深い記事を有難うございます。 バッテリー式T...