みなさん、こんにちは。お元気ですか。
インドネシアではTiktokがよく使われていますが、そのなかで「アンニョーン」と韓国語の挨拶から始まるショート動画を投稿するインドネシア人を時々見かけます。「こんにちは」は残念ながら見かけません・・・。
だからなのか、この頃「チンチャンチョン」より「アンニョーン」と声をかけられることが多くなってきました。今回は、見知らぬ人からの声かけの話です。
教えている学校の生徒たちと。「アンニョーン」「サラヘヨ」などと言ってくる子も多い。
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先日、家の前の路地で幼稚園帰りのMちゃんとAちゃんに会いました。MちゃんもAちゃんも私と同じ集落に住んでいるご近所さんです。Mちゃんは私の顔を見るなり、ハッと何かを思い出した表情をして、私にこう尋ねました。「みどりおばちゃんは日本人なの?本当?」
私は目を見開きました。今まで何度も一緒に遊んだりしゃべったりしてきたにもかかわらず、彼女たちは私が日本人だと知らなかったようです。
「そうだよ、日本人だよ。誰に教えてもらったの?」
「ママ~」
そうかぁ、小さな子どもにはまだ国や◯◯人という概念がないんだなぁ。ってことは、MちゃんとAちゃんは、私が外国人だとか珍しいだとか、そういうことは抜きにして、単に近所のおばちゃんとして私を見てくれていたってこと?
私の心にそよ風が吹き抜けました。ここでの暮らしの中で、私が外国人として見られていないことなどほとんどありません。思いのほか大きな喜びが心の中でワッショイワッショイとお神輿のように舞っていました。
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実はここ数年、取り組んでいることがあります。
それは私に「チンチャンチョン」はもとより、「ハロー、ジャパニーズ!!」「オランジェパーン」「アンニョーン」と声をかけてくる人に対して、一人ひとりゆっくり話し合う機会をつくっていることです。
ロンボクの人々から私へのこれらの言葉は、日本人または東アジアからの外国人と思しき私に対する差別心からではなく、好奇心やちょっとした揶揄から発されていることは感じていました。どことなく揶揄以上の毒気を含んでいると感じることもありますが、いまのところごく稀です。
つまり、悪気はないのです。しかし、私にとっては決して言われて嬉しい言葉ではありませんでした。
悶々としつつも、「単なる好奇心や『絡んでみたい』という気持ちに水を差すかしら」「心が小さいかしら・・・」と思ってこれまでは黙っていました。
が、小学校へあがった娘が「他のクラスの知らない子たちに『日本人』と声をかけられるのがイヤだ」と学校へ行くのを渋るようになったのです。
これは困りました。どうにか娘に対処法を授けようと、いい方法を模索するようになりました。
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「日本人!」と言われてすぐに「やめてよ!」と見知らぬ人に強く伝えるのは、かなりハードルが高いです。それに「それは差別だ!」と頭ごなしに指摘するのもいい気分ではありません。
私も娘もここで生きていくのですから、嫌なことは嫌と伝えながらも友好関係を築ける方法を探したいと思いました。
そんな折、ウガンダの孤児院でボランティアをしていたときのことを思い出しました。市場へ行くとよく「チャイナ!」と声がかかったのです。
(⇒ それで、私は現地のスタッフにガンダ語(現地語)で・・・)
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